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2025年1月20日 (月)

3月並の陽気だそうだ。

今日はうららかな、と言えるほどの陽気の中、同窓生Aの経営する印刷会社に出向いた。少々早く着き、久しぶりに旧交を温めていると、待ち合わせをしていた短歌の師匠も登場。本題に入る。

というのも、この短歌の結社は今年25周年を迎えるので、記念合同歌集なるものを作成するに当たり、この物価高騰の時代に前回同様に発行できるものかどうかを検討するためであった。そこは長いお付き合いのことでもあり、何より師匠を尊敬するA氏は合点承知の助的ご回答。出来る限りのお手伝いをさせて頂きますと胸を叩いてくれる。なんと力強い。

同窓生とは良いものだ。彼の場合、学生時代は全く覚えのない人だが、同窓会の度に委員会を立ち上げそこで親しくなっていったという関係。お互い少々のことは譲り合い助け合い、何をやるにも協力的。今はご子息が後を継いでこのジュニアとも長いお付き合いになった。彼とはもっぱらちぇちのことで沢山世話になった。縁とは異なもの味なものとはこのことだ。

しかし、師匠の迫力には感心するばかり。このジュニアをも会に勧誘している。父親が、向いてない、無理を連発しても本人に詰め寄る。、、、こういう形でここまでの大所帯に成長してきたんだと改めて思う。ま、今回は無理っぽかったが、いやはやいやはや。短歌を詠むことの意義についての信念がそうさせて居るんだろうが、ある意味羨ましい。信念をもつ人は強い。たとえは悪いが、トランプなんかもそうだろうし、今世の中を動かしている人達は全て信念の持ち主だろう。

わが愚息も環境問題には信念をもって対応しているらしい。今宵のNHKローカル番組でゴミ袋の値上げの答申を市役所に手渡したのがニュースに取り上げられていた。確か全国的にもワーストに入るらしいあの地方のゴミ問題は、そうでもしないとの領域に来てるんだろうが、にしても住民からの反発は必至だろう。やれやれ。我が家でもゴミ袋を減らさなくてはと思ってはいるが、そこまで真剣ではない。この際、頑張ってみるか。

何に対しても信念をもってない刹那的おみっちゃんの独り言ではあ~る。

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