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2025年1月 6日 (月)

しとしとぴっちゃん しとぴっちゃん。

天候に左右されるとつくずく思う。お嬢と温泉に行こうと約束してから好天の日は他の事を優先。次は芋の子を洗うように混んでるとの情報に止めようと成り、今日に至っては寒いから止めようと、、、まあなんともかんとも。。結局家のお風呂とあいなったが、別にそれはそれで悪くはない。が、外に出かけられないという嫌な感じからは脱却したくて、一人、チョコザップに行き、買い物もいくつか。流石に気温が低いのだろうか、いつものように15分程度では汗は出ない。が、3キロサイクリング出来たからま、いっか。で、こうして動くと後が清々しいのでもある。

明日は初詣に行こうかと言いながら夫は明日は予定があったと手帳を見て言う。なので、又先延ばし。それほど信心深くもなく、例年の慣習を破りたくないだけ。ま、そのうち行くだろう。行くんじゃない?多分。

短歌の25周年の記念をどういう形でやるかについて、ライン上で議論されている。その中に入りつつ思い出すのが、ちぇちのことだ。兎に角人が多く集まると、10人居れば10通りの意見が出る。それをどう集約して行くかは、なんにしても難しい。ちぇちも時間をかけて議論しつつ35年やって来たわけだ。

短歌のような昔からある結社などは、当時はトップが決めて、他の人はそれに従うという図式が出来ていたのだろう。確かにそれが一番物事が早く進むし、簡単ではある。そして責任はトップにあるという構図だ。が、現在の実働部隊は徒弟制度からはほど遠い、ボランティアの要素が多い。故にただ従うでは現代人には無理がある。良くも悪くも思考の中に民主主義が根付いている。本人が納得しないではものごとは進まない。

まあしかし、これはこれで良い面もあるとも思う。三人寄れば文殊の知恵的な発想も生まれそうだ。やる気が出てくるのもディスカッションの中でだろうと思う。そもそも自己の表現の場所としての短歌であり、話し合う中で学ぶことも多いと思うがどうだろう。

てなわけで、当分忙しくなりそうな予感。といっても、自分に大したことが出来るとも思えない。が、みんな似たようなものだろう。それを持ち寄るって事だ。

今思い出すのは、「兎に角具体的に。」ということだ。議論倒れに陥らないように、少しずつ具体的に物事を進めることが大切だろう。

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