« 2024年12月 | トップページ | 2025年2月 »

2025年1月

2025年1月30日 (木)

ザワザワザワ。

本日の会議は非常にスムーズだった。というのはメンバーの二人が事前に綿密な打ち合わせをやってくれていたからだと思われる。こうしたことが会の運営にとってはとても大切。これを自主的に判断して動ける人達が居る限りこの会は安泰だろうと思う。ありがたやありがたや、、、。

世の中はおかしなことが蔓延していて、連日のTV放送は話題に事欠かないありさまだ。例のNのしでかしたらしいおぞましい事も、未だに彼の事はN氏と呼びつつの報道だが、違和感があるなあ。ま刑事事件ではないらしいから呼び捨ては出来ないのかも知れないが、、、。

事故も多い。陥没した道路に沈んだトラックの運転手さんの救出も遅々として進まず、なんとかならないのかとジリジリする。よく震災の救出でやっている、ヘリコプターでホバリングしつつ救出とか出来ないのだろうか?せっかく落ちた日は言葉のやりとりが出来ていたというのに、、、どうか助かって欲しい。

その上、ワシントンの飛行機衝突事故。去年の日本の事故を思い出す。静観するしか出来ないが、なんとも悲しい。

地震も多い。今も小笠原諸島で地震だと臨時ニュース。ナント騒がしい1月だろう。と言いつつもう今月も明日で終わる。明後日は歌会。予定がびっちりだなあ。

2025年1月29日 (水)

眠い。

ちかれたび~~。

猛烈な眠気に襲われているイマ、9時からの「相棒」を見る為頑張って起きて居る。が、自信がない。生欠伸が百回くらい出ているし、、、これはちょいと仮眠だなあ。

昼間のシャンソン教室で芝居をしながら歌うという練習を時間を掛けてやったのが堪えたようだ。いやあ、もつかなあ3月まで。

それが終わってから孫べえと夫の晩ご飯のため出来合の食事を買いに三越へ。お嬢はお目当てのイベントにも行きたかったようだが、こっちは趣味が違うから興味なし。そこで偶然知人にも遇い、わらわら。。。。

てなことで、この眠気とともにTVを見ることとしようか。ふ~っ。

 

2025年1月28日 (火)

純粋、悲哀、カオス。

近頃の悪癖。翌日何か予定があると思っていつもより早く寝るも、必ず途中で目が覚めて、十分な睡眠が取れない。夕べも翌日の今日読み聞かせがあると思っただけで4時にぱっちり目が覚めてそこからさっぱり眠れなくなった。ベッドインは11時だったが、寝付くのも遅く、あとでスマートウオッチを見ると1時に寝たことになっている。結局二度寝して合計6時間は眠った計算になるが、なんとなく寝不足っぽい。

しかし、予定通り寒空の下出かけてやるべき事はやってきた。最後には小さな花びらがヒラヒラと、「タッチ、タッチ、」と寄ってきてくれて、これにはいつも感激する。みんなこういう純粋な時代があったんだけどなあ。

次なるプログラムも渡されて、そのための練習日も決まる。又しても知らない曲を渡されて、、、、呆け防止とは思っているが、いつまで続くことやら。

午後一番の来店客は先月ご主人を亡くされた方。先ずはご挨拶から。「平気だと思っていたけど、やっぱり夜になるとなんとなく寂しさが襲ってきて涙がねえ、、、。」とおっしゃる。80歳だったそうで、長年生活を共にしてきた連れ合いとの別れは、さもありなん。例え衝突したことがあっても、万感胸に迫ることだろう。約一時間色んな話しをする内に笑顔が見られるようになり、「久しぶりにスッキリしたわ~。」と顔がほころぶ。頑張って下さいとお見送りしたが、みんなこうして生きていくんだろうなあと、少し日が射す冬空を眺める。今宵は雪になるそうだ。

TVはもっぱら例の元アイドルの事件で湧いている。真相は分かったようで分からないのだが、おぞましい事件だったらしい。ジャニーズ以来この手の闇がドンドン暴露されてきているのは良いことだと思っている。あれは相手が小児だったが、ゆがんだ性被害には違いない。今回のを見ているといつまで経っても「女」は何かしらの道具にされているのを感じる。外国から見ると前時代的な事件だと映っているんだろう。どのような決着を見るのか注目している。

2025年1月27日 (月)

心のぬくもり。

色んな物に弱くなった、と今日やってきた友人と話す。といっても彼女は自分よりも6歳お姉さん。でも見た目も体力も彼女は余りに若くて年齢が反対かと思うほど。でもまずは皮膚が弱くなってペットボトルの蓋が開けられない。ビール缶の蓋も爪が弱くなってて爪がやられそうだから工夫しているとか、上げだしたら切りが無いのは一緒。彼女が帰るときは我々夫婦とうどん屋で待ち合わせて一緒に食べたが、「あんまり喋りすぎて声がかれたみたい」というところはやっぱり年か?声は年と共に無くなるからねえ。

実はこっちは夕べ少々飲み過ぎて二日酔い気味。日本酒の冷やをたった一合飲んだだけなんだけど、足を取られるほど酔っ払った。孫べえも一緒だったが、今に彼の方が呑むようになるんだろうなあと思いながらではあった。面白い事に、大人3人の話しをただ黙って聞いてない風を装いながらゲームをやっていたが、全部聞いている様子。自分の母親の話にはイチイチ反応しているのがその証拠。ま、どんな大人になるんだろうか?楽しみなような、それだけではないような、、、。

今日は友人からの電話に驚かされた。いつものようにアッケラカンとした声でかかったから、「な~に?」とのんびり出たら、明日癌の手術になった、と言うではないか。日ごろからいつ死んでも良いとか覚悟はとっくに出来てるとか、思い残すことは全く無いとか言う人だったが、この期に及んでもその姿勢が全く変わらないのは立派と言うほか無い。確かにわが周辺にも癌の手術をした人はケッコウ居て、その全てが深刻というわけでもない。にしてもやっぱりこの病名はドキッとする。何も出来ないが、無事生還することを祈るばかりだ。

昨日は前進座のお芝居を観たが、歌舞伎の説明が40分ほどあって、なかなか面白かった。本編の「文七元結」という出し物は、現代劇を見慣れている人にはまったりし過ぎていたとは思うが、そこが又味があって面白い。見得を切る場面も面白い。ストーリーははしょりすぎておかしなところもあったが、得も言われぬ「間合い」時々ガクッと落とす場面、色々歌舞伎ならではの醍醐味があった。同行した友人と、「こういうの嫌いじゃ無いよね~、私たちやっぱり日本人だったわねえ。」と話し合いながら帰ったもんだ。「何も考えず、ただ楽しんで観て下さい。心の底から笑って泣いて、そしてじんわり伝わる人の情けの素敵さ、温かさ。人間ていいなと、きっと思って頂けます。」というパンフの前書きの通りだった。100年近く続くこの劇団。矢張り残って欲しい劇団の一つだ。

人間ていいな。友達っていいな。人生って良いな。

2025年1月25日 (土)

悲鳴の三歩手前。

今日も今日とてバタバタバタ。でも、好天気と陽気のおかげで普段しない場所の掃除をしたり植木の手入れやら、床磨きやら、午後の練習の為のピアノの部屋をこぎれいにしたりと動き回った。毎日営業していた頃は、当然毎日やっていたことをサボりがち。思わぬ所に蜘蛛の巣が、、、。夥しい夫の趣味の多肉草もポロポロと葉が落ちている。ここの掃除はやり始めると切りが無いほど!昼食も忘れていたらあっと言う間に時間が経っていて、お嬢とピアニストも登場で練習になだれ込んだ。

でもまあ、練習は楽しい。音楽を創る喜びがある。一体いつぶりか思い出せないほど前に歌ったシャンソンを自分も何曲か歌う予定だが、、、、、。こないだ94歳のモデルの立派なウオーキングを見て触発されて、まだ行けるか?と思いつつ、、、。

その上、今日になってチラシの作成が漸く完成。新しい機能も使って、何とかお嬢のお眼鏡にかなったようでやれやれ。

明日は市民劇場で「前進座」のお芝居だ。その前後でランチ会と新年会が入っている。故に今日から夫の食事の準備はしてある。てな具合で、日々いそがし~い。

ドライブ兼会議兼親子げんか。

今日はバタバタとお嬢の車で走り回った。色んなことが二人だとスムーズに進んでは行く。今年急に多忙になったお嬢のプランを一つ一つ肉付けしていく為だ。我が身に肉付けは得意だが、こっちは簡単ではない。一歩進んで二歩下がる的なことも起きてみたり、、、。どうなることやら。

今日のプランの一つに遠い場所にある複合施設へ。そこで伝統工芸展なるものが開催されており、世のなかには色んな事に情熱をもって取り組んでいる人がいるもんだと感心しきり。

ここに新しくイケアが期間限定でお店を出したと聞いていたので寄ってみるが、品数が少なくて、普通の店舗を知っているだけに面白くないお店だった。と言いつつ少しは買ってきたが。

その後回ったコンサート施設は馴染みの担当者が丁寧に説明してくれる。が、全てがこちらの思い通りには行かない。果たして上手く行くかどうか。

結局車の中は我々親子にとっては会議室のようなものだ。話し合うには雑音が無くて良い環境だ。時々脱線しつつも色々決めごとが決まっていく。こっちが運転の時は電話の用事も出来ている。今日のように晴れているとなおさら気分良くスムーズに進む。と言いつつ、ケッコウやり合ってはいるんだが、、、。例えば、夕べ見た洋画に出ていた女優の名前が思い出せなくて、ホラホラあの私が好きな女優、、、と言っては叱られる。結果スマホのネットで検索して漸く分かったが、そもそも日本人か外人かも言ってないと又叱られる。そりゃあまあ、「ケ」が付く女優と言うだけではねえ~アハハハ。しかも「ケ」じゃなくて「キ」だったからお嬢が巻き舌になるのも無理は無い。ニコール・キットマンが、その名前。この女優は以前から好きな人で、ケッコウ色々見てるんだけどなあ。なぜか名前がすぐ浮かばない。イヤハヤイヤハヤ。今後ますますこうなっていくんだろう。

今日は塾だという孫べえのためにCOOPで買い物をして機嫌良く帰ったが、我が家の前に着くやいなや父親の車の止め方が悪くて入れにくいと又しても沸騰。ま、親子ならではだなあ。

良いことにしよう。ふ。

2025年1月24日 (金)

多忙の扉オープン。

又ゾロ忙しくなってきたぞ~。

今日は朝、送迎付きの仕事もしたし、昼は夫に付き合ってうどん屋へドライブがてらテクテク。うららかな陽気のせいもあり、何時ものように憂鬱ではない。美味しく食べて帰路夫のご所望で遠くの本屋さんまで。帰りは給油もして、帰ったら少し休んで早速夕飯の用意。というのも今日はとある場所で読み聞かせの練習が夜になっているためだ。お試しに買っていた牛のミンチであんかけ豆腐を作ってみたら、まあケッコウ完食。これなら大丈夫かと思ったら、「かろうじて」という返事。ミンチがダメならやっぱりジューサーしかない。少々がっかりして予定通りの時間に家を飛び出す。1時間半ほど熱心にやって、帰りにエイヤッと百均まで。気になっていた物を購入し、ついでにスーパーでは北海道展をやっていたのでシュークリームやポテチを買う。我ながら驚く程何もかも夫の事を考えての買い物だ。でもって帰ってからはワインを飲みながら3月のコンサートのチラシの作成だ。途中で休憩がてら洋画を一本。コメディを一人見てはゲラゲラ。脳がリフレッシュしたところで仕上げにかかる。ってことで、なんとか案の完成をみたが、又これに色々いちゃもんが付くんだろうなあ~。ま、良いけど。敵も察知しているようにこれは困ったことに嫌いじゃない作業だ。やるとなったら何処までも何時間でもやっている。吾ながら呆れるほど熱心だ。若い頃には一瞬だが、グラフィックデザイナーになりたくて、色々取り寄せたものの結局物にならなかった覚えがある。きっと生まれるのが早すぎたんだろうなあ。

しかし相変わらずニュースは良いことが少ない。好天気の喜びと裏腹な不安が過る日々だ。

2025年1月20日 (月)

3月並の陽気だそうだ。

今日はうららかな、と言えるほどの陽気の中、同窓生Aの経営する印刷会社に出向いた。少々早く着き、久しぶりに旧交を温めていると、待ち合わせをしていた短歌の師匠も登場。本題に入る。

というのも、この短歌の結社は今年25周年を迎えるので、記念合同歌集なるものを作成するに当たり、この物価高騰の時代に前回同様に発行できるものかどうかを検討するためであった。そこは長いお付き合いのことでもあり、何より師匠を尊敬するA氏は合点承知の助的ご回答。出来る限りのお手伝いをさせて頂きますと胸を叩いてくれる。なんと力強い。

同窓生とは良いものだ。彼の場合、学生時代は全く覚えのない人だが、同窓会の度に委員会を立ち上げそこで親しくなっていったという関係。お互い少々のことは譲り合い助け合い、何をやるにも協力的。今はご子息が後を継いでこのジュニアとも長いお付き合いになった。彼とはもっぱらちぇちのことで沢山世話になった。縁とは異なもの味なものとはこのことだ。

しかし、師匠の迫力には感心するばかり。このジュニアをも会に勧誘している。父親が、向いてない、無理を連発しても本人に詰め寄る。、、、こういう形でここまでの大所帯に成長してきたんだと改めて思う。ま、今回は無理っぽかったが、いやはやいやはや。短歌を詠むことの意義についての信念がそうさせて居るんだろうが、ある意味羨ましい。信念をもつ人は強い。たとえは悪いが、トランプなんかもそうだろうし、今世の中を動かしている人達は全て信念の持ち主だろう。

わが愚息も環境問題には信念をもって対応しているらしい。今宵のNHKローカル番組でゴミ袋の値上げの答申を市役所に手渡したのがニュースに取り上げられていた。確か全国的にもワーストに入るらしいあの地方のゴミ問題は、そうでもしないとの領域に来てるんだろうが、にしても住民からの反発は必至だろう。やれやれ。我が家でもゴミ袋を減らさなくてはと思ってはいるが、そこまで真剣ではない。この際、頑張ってみるか。

何に対しても信念をもってない刹那的おみっちゃんの独り言ではあ~る。

2025年1月19日 (日)

温暖化。

どうやら春のような陽気はまだ続くらしい、とTVが言ってた。これを単純に喜ぶのは危険だと、心のどっかでは思っていた。が、夜のNHKスペシャルを見てゾッとした。ヒマラヤのあの高いところで行われたマラソンレースが、実は地球温暖化を選手自ら身をもって知るものだった。高い所の氷河湖が突然決壊して下の方の集落を襲ったことがあったという。いつもはこの湖が命の水として彼らの生活になくてはならない物が、温暖化による氷の溶解によって溢れ出し大洪水となったようだ。そもそもあんなに高い所に人が住んでいたのかと驚くと同時に、今回の選手達が多国籍で、この危機を自国に持ち帰り伝える役割を切実に感じていたのには感動して涙が出た。参加者全員が達成感ではなく、自分の背に新たに背負った使命感に涙していた。日本人の女性も一人いて、「日本という国は、海に囲まれた小さな国で、誰もこの事実を知らない。」とこれから自分が発信していくことを誓っていた。本当にそれは必要で尊いことだが、、、、。トランプ政権は地球温暖化には興味が無いようだし、大国のエゴが温暖化を加速するかもとは思っても、良い方向には何も期待は出来ない。人間は自らの首を絞めて死に絶えるのかも知れないなあ。

この番組の前に大河ドラマがあり、遊郭が舞台というのにも毎度驚かされるが、出演者に子供も起用しているのは一体どういう意味あいがあるのだろうか?確かに浮世絵の発展や花魁の衣装などはいかにもニッポンという感じで美しいのではあるが。まあ、海外のドラマには普通にこういうシチュエーションが使われているから、日本もたとえ公共放送でも良いじゃ無いか?となったのか?前回の「光る君」でもそっち系の描写では驚かされたが、これが普通になっていくんだろうか?確かに外国のドラマや映画での顕わな性描写は見慣れていて、何も感じないのではあるが、、、。う~む。この矛盾。

その点、昨日のお昼の絵本を使ってのパフォーマンスはナント可愛い。ギャップを感じるなあ。

2025年1月18日 (土)

春みたい。

眠い。夕食後のこの眠気は一体何?炭水化物を取ると眠くなるんだそうだが、確かに今日は即席お寿司など作って何時もより多く炭水化物を取った気がする。峠を越えると眠気は去るが、そこまで今日は持つかどうか?

昼間、パフォーマンスの練習に集まり、絵本を読んだり歌ったり、、、。春のようなぽかぽか陽気に室内は暖かい。約2時間の練習が、あっと言う間。

この陽気に誘われて、帰路チョコザップにも行ってみる。先日のトリセツ番組で、膝の為には自転車が良いと言ってたのを思い出したのもあり、とにかく汗をかくまでやってみる。まあ終わったら清々しいのではあるが、もしやそれらの疲れも出てるのか?この眠さは。

そこからスーパーへと車を回し買い物を終えて帰宅。友人と会うと言って出かけていた夫が先に帰宅していた。ということは夕飯が急ぐ。で、お試しで寿司の素を使ってばら寿司を作ってみた。が、お味がイマイチ。今年初のタイラギがあったので、その刺身を添えてごまかす。やっぱりお寿司は人によって好みがあるし、この人工的なプンとくる臭いは苦手。昔、母とこれでいいかな?何か足りないね?とか言いながら味を取っていたのを思い出す。一手間掛ければ出来るんだけど、なんとなく気持ちがそこに向かわない。でも結局出来合いのものは気に入らないのではあ~る。友人Kはしょっちゅう作っていて時々頂くが、尊敬するなあ。

お料理。いつまで作り続けるんだろう?

本日も多忙。

冬季うつ病に罹っている人が多いと聞く。何もやる気が起きない。女性なら食事の支度が出来ない。その上食欲がないetcこれは軽度なら経験があるし、その都度まあなんとかなってきた。実は現在もそれかも知れないと朝起きたくないときなど思うこともある。が、かなり重症の人の話も聞く。毎日何かしらで忙しいのは喜ぶべきことだろう。

今日もレッスンしたり、とある新聞社に打ち合わせに出かけたりと、他者との関わりがあり、おかげで緊張する時間が持てたのは、これが薬になっているんだろうと思う。

ただ、往復のお嬢の運転する車の中では呆れられるほど欠伸が出る。寝不足の筈がないんだけど、酸欠か?と思うほど。

帰宅してから今宵は婿殿が子供の晩ご飯担当とかで自由の身のお嬢共々、久々に親子三人での夕食。南海地震がきたらどうする?という話が出る。「兎に角自分の身を守ることを一番に考えるべし。」と言われ、そんなことは分かっているわい、と内心思っている。神戸の地震の時、ちゃんと出来たから次回も大丈夫だろう。あれからいくつか備えもしてる。でもまあ、完璧か?と言われると自信はない。

今日のニュースではどうやら災害対策専門の省が出来るようだが、是非実現して欲しい。これだけの地震王国。その上原発も沢山ある。しっかりと対応するのが政府のお仕事だろう。これまでが余りにお粗末。

何もかもが未知数の世の中で、いつまで生存しているのか?思考停止のおみっちゃんではある。

2025年1月17日 (金)

毎日何かしらあるなあ。

昨日はシャンソン教室に出張って、参加者の発声練習したり自分の歌を歌ったり、ショートショートのお芝居の練習をしたりとなかなか密な時間だった。3月の本番まで時間があるようでない。人前で歌うのは久しぶりでどうなることやら。しかも小芝居まで。ま、なんとかなるか。

で、本日は今月二回目の短歌リモート編集会議。やっぱりこのリモートというのは対話が成立しにくい。一人が言いつのっていてもそれに割り込もうとして結局話しが行きつ戻りつ。どうも苦手。顔を見ながらであれば相手の意見に耳を傾けたり、時には割り込んだりは自然と出来るのが人間同志の会話というものだが、進行役がいなくて自分勝手に喋り始めると背中のかゆい所に手が届かない感じ。家に居ながらにして進行するのは利点ではあるが。

ガザ地区の紛争がどうやら終わりそうというニュースが流れているが早くも功績争いがバイデン、トランプ双方で起きて居る。何処まで行っても救われないのが人間だなあ。その上、アメリカはジェンダー論は排除するらしい。どうやら行き過ぎた面はあったようだが、にしても完全撤廃するとは、なんともかんとも。大国は世界のお手本になるべきというプライドはなくなったんだろうか?

ニュースと言えばキャベツが何時もの3倍高値になったというのは我が家にはあまり関係ない。堅い野菜はこの所手が出ない為で、味を忘れそう。ああ、キャベツたっぷりのお好み焼きが食べてみたいなあ。と思うが、考えてみると普段でも一年に1回も食べる機会が無いのがお好み焼きだ。今日の夕飯のヒットは昨日作ったシチューと冷凍ご飯でチーズタップリのドリア風にしたら、夫は完食。これはなかなか良いアイデア。栄養もタップリ。ナントいっても食べることが一番大変だ。やれやれ。

2025年1月15日 (水)

今年初の友とのお出かけ。

本日のリモート編集会議を終えて、ご飯を仕掛けて急ぎ出発。友人Kをピックアップしてから綾川まで映画を見に行く。夫には晩ご飯は自分で買ってねと約束してある。

というのも、出来心で試写会に応募していたら見事当選してしまったので、まあ、こいつああ春から縁起が良いわいってことで、はるばる出かけたって訳だ。無料が嬉しいと言うより、当選って言葉が嬉しくて、どんな映画なのかもよく知らないで出かけた。始まる前に先ずは腹ごしらえ。初めてのお店だったが洋食。あまり食べ過ぎると寝るかもねえと言いながら、実際映画は少し寝た部分もあった。

しかし、これがなかなか良い映画。一番驚いたのはセリフの少なさ。台本1ページにおそらくはト書きばかりで、セリフというのは一行か二行のページが沢山あった筈。偏に役者の技量に負うところが多い映画だった。これはちょっと日本人でも我々高齢者に特に分かる世界観じゃないかな?と二人で話しあったことだ。余分なものはストーリーからもそぎ落とし、単純明快な筋運び。が、テーマはしっかり主張しているという、、、最近あまり見たことが無い手法だった。外国人はこういうの見てどう思うのだろう?例えば会話というのも、発する側に対してほぼ無言の答え方。表情で分からせるという、あたかも言葉以上に表情が多弁だと言わんばかりのやり方。おそらく目が見えない人には理解不能な映画だったように思う。ただ、それ故に引きこまれるし、制作者の意図する手法に心が持って行かれているのを感じる。ほろりと涙も出たし、ラストシーンでは心がほどけるのを感じた。、、、って、この感想の方が多弁だったか。「雪の花」良い映画に入ると思ったなあ。

同行した友人は英会話をネイティヴの人に習っているが、日本人なら言わなくても分かることを細かく言うようにと注意されるそうだ。根本的な違いがあるんだろう。だからこういう映画は分からないかも知れないなあ。

ガラガラに空いている高速を飛ばして帰ったので、夜の映画もそれほど大義では無かった。以前は宇多津の映画館まで夜仕事のあとで出かけていたのを思い出す。あの頃は高速もなかったのにへっちゃらだったなあ。ま、今年もこの調子で良い映画に巡り会えそうな予感はする。

充実した一日ではあった。

2025年1月13日 (月)

南海地震に怯える夜。

今日はK画伯のお誕生会に夫婦で参加。持ち寄り会ではあったが、プロの料理が並び高価なフルーツなどで最近になくご馳走を頂いた。NYから娘さんご夫妻も参加されて、30数名の大所帯でのパーティとなった。昔は頻繁に交流のあった懐かしい人達との会話も弾み楽しかった。画伯ご本人も殊の外ご機嫌なご様子。今や日本人慣れした娘さんと元々アメリカ人の婿殿とに囲まれて普段余り見ない笑顔。矢張り娘は良いものだ。

夜になって地震のニュースに驚いたが、南海地震にあまり関係が無さそうで一安心。でも明日はこの機会に緊急用グッズの点検をしておこうと思っている。何が起こるか分からない。

2025年1月12日 (日)

本当のこと。

思い込みというのは年と共にひどくなるものらしい。今日も短歌の会員が入院したとばかり思っていたら自宅療養中だと判明。自分の時と同じだと思い込み、詳細を知らないままラインのやりとりをしていたのが恥ずかしい。一つには、自分同様な症状だとかなり大変だろうという同情から来たものではある。相手を思う故の間違いだと思ってくれれば有り難いが。。

思い込みは情報の少なさから生じるモノだと思うが、その意味で、現代人は危険に晒されている。溢れるほどの情報量だと思いがちだが、その中にはフェイクもあれば誇張もある。その取捨選択なんて可能だろうか?真実が一つしか無い場合は結果は直ぐに分かるだろうが、見方によってはどうとでも取れるような場合、悪意のあるものによって如何様にも操作できる。今朝の爆笑問題の太田君が、番組内としては異例の長さで演説をぶっていたが、彼の言わんとするところはよく分かった。この危険回避の為に人々はもっと努力する必要があるってことだ。が、それも現代においては不毛な気もしている。

色んな物が発達して、人間は幸せに向かっているんだろうか?と疑問を禁じ得ない。トランプの動向一つとってみても、知らなければどおって事無いが、毎日の様に報道されると世界が破滅に向かっていくかのような焦燥感を覚える。加えて日本の被災地の現状は信じられない悲惨さで、画面から見ているだけの我々に迫ってくる。こちらは知るべき現実だと思うが、なぜ我が国はこうしたことの対応が遅いのか?の問いに答えてくれる番組がない。

ロスの大火がどう収束していくのか、大国の対応を見たいと思っている。

2025年1月11日 (土)

太陽の恵みに感謝。

寒いことは寒いが日は照っている。故に活動的な一日となる。単純。

午前中は朝1時間のウオーキングを済ませたというNさんが顧客としてやってくる。この寒いのに汗をかいている。凄い。年齢は少しばかりお姉さんだが、とんでもなくお元気だ。何時ものようにおよそ2時間施術しつつだべってお帰りになる。植木が得意な人で、我が友人から貰ったバラを活けていたら、それは挿し木に出来ると言い、詳しくやり方を教えて下さる。ま、一応夫の担当だから伝達はするが、果たしてうまくいくかどうか?

午後になって兼ねてから頼まれていた、「孫べえの部屋の整理」に出かける。丁度夫はランチ会でお出かけで都合が良かった。

彼の部屋はこれで二度目。前回は兎に角お勉強が出来るデスクにするというミッションだったが、今回は、「クローゼットの中をなんとかして欲しい」というもの。母親から「だわへし」命令が出て、一度全部中の物を外へ出す。出した物を分けて、減らしてから収納するというのだ。この頭文字を取って、出、分、減、収、「だわへし」だそうだ。確かにこれは時短になる。筈だったが、肝心の孫べえは奥から出てきた小さい頃のおもちゃ類を懐かしそうにいじっていて、戦力にならない。ま、それでもなんとか片付いてスッキリ。そもそもなぜおばあちゃんの出番になるのかというに、母親の言うことは聞かない年齢なんだそうだ。まあ、確かに。母親に対する態度とは明らかに違う。

よく働いて、手作りのレモネードやジャム乗せビスケットをご馳走になり、少々疲れたので近くのスーパーで買い物をしてとっとと帰る。

帰宅して休む間もなく夕飯の準備だ。ま、まだこれが出来ていることを喜ぼう。

以前孫べえに作ったカレールーが半分残っていたので今夜はこれ。お昼ご馳走を食べてる夫も文句は言うまい。と思ったらこれは成功だったようだ。ランチ会も盛り上がったようで、ご機嫌で帰宅した夫。いつもより沢山お召し上がりになる。ケッコウケッコウ。

短歌の会の若い人が猛烈な目眩で救急車での入院となっている。自分も経験があり、あの嫌な感じを思い出す。以前東京で運ばれたときは、孫べえを高松で出産して半年こちらにいた親子のケアをして、その挙げ句一緒に上京したという過酷な状況下で、ストレスと重労働が災いしたらしい。あの凄い目眩は経験した人にしか分からないだろうが、一体自分はどうなってしまうんだろう?という不安に苛まれる。まあ彼は若いから自分よりは大丈夫なのかも知れないが、こうなる原因はいまだハッキリとは判明してないようだ。意外だが、股関節で入院していたときにもその症状に襲われて、10年前の診断とほぼ同じだったから、この分野の研究はあまり進んでないのだろう。

ま、なんにせよ健康が一番。色々お仕事を抱えている彼の事。ゆっくり寝るしかない今は諦めるしかないだろう。何事もなるようになる。

2025年1月10日 (金)

冬到来。

毎日驚くことばかり。ロスの大火も凄いし、日本でも連日の火事、その上女子学生の暴力事件。TVを見てると本当に騒がしい。が、それについて感想など喋るのは、今日は夫と娘に対してのみ。遅いお墓参りのあと用事があって友人宅に立ち寄ったが、余りの寒さに喋る間もなく別れた。そして夜になってある人のご主人が亡くなられたという知らせに電話で弔意を伝えたが勿論世間話は出来ない。夜になると寂しいと、聴いたことがある言葉を聞く。今日はそういうわけで、声で話したのは4人ということになる。が、ラインでやりとりはおよそ10人。他者との関わりは少しはあったか。

で、娘と出かける前に思いついてカセットテープの整理を始めた。「毎日1本のテープを聴いて、余程のものでなければポイしよう。」という計画だった。そうすれば1年で365本捨てられる、と思ったわけだ。ところがギッチョン。最初にかけた物がメチャクチャ懐かしいもの。未だ捨てようかどうしようか迷っている。迷った物は一時保管の場所にと思っているが、そうすると結局はすてられないまま終わるのかも。といって、いつ又それを聴く時がくるかは未知数だ。尚驚いたのが、おそらくは30年あたり前の録音でも綺麗に聴けるという不思議。いつだったか、テープが廃止されるからMDに録音の方が良いと言われ、こっちも沢山ある。が、これこそ聴くことがあるだろうか?

でまあ、その処理が出来るように殆どテープを部屋に持ち込んではみたが、、、。三日坊主に終わらなければ良いけどねえ。

なんせ断捨離は大変だ。、、、と迎えに来た娘に話すと、ある若い男の子の話をしてくれた。その子の部屋は全く何もないんだそうな。パソコンを置くテーブルもなく、出窓に置いてその前に椅子を置いてるんだとか。ベッドでは掛け布団にもなる寝袋で寝てるという。彼曰く、「物を置くために広い部屋に住むということは物に家賃を払っているようなもの。」ナンセンスというわけだ。なるほどねえ。そこまで合理的には暮らせないが、確かにそういうことは言えるなあ。ま、今更家を壊すわけにも行かないから、せめて不要な物はポポイノポイ。と考えてるわけだ。

そういえば、徹子の部屋に出ていた女優が、一軒家からマンションに引っ越したとき、大きなトラックに何台も捨てた、見ないで捨てたと話していたなあ。そこまでは到底出来ないが、ちびちびとやってるのではあ~る。

にしても今日はホントに寒い。お墓の花を入れ替えるのに指がちぎれそうに冷たかった。雪こそないものの、本格的な冬ではあるなあ。

2025年1月 9日 (木)

山は雪。高松は晴れ。こちらの頭も脳天気。

何かしないといけない事があるようでお尻むずむずの状態だったが、白河夜船の朝6時という時間にラインで起こされ、短歌の提出〆切りの知らせがあってハタと思い出した。既に駄作を作ってはいたが、推敲がまだだった。午前中は仕事で、昼になって明日入院するという甥の夫婦と一緒に我々夫婦もその娘夫婦が経営しているラーメン屋へ出かけたりと午後も色々。帰宅してからようやく落ち着いて考えて提出したが、自信が無いまま。いつも提出の後にもっと勉強してからにすれば良かったとしおらしく考えているが、直ぐに忘れ日常に追われてしまう。

夕食後、猛烈な眠気に襲われて、リクライニングでグッと30分眠ってしまった。するとこれが脳内のカスを取り去ってくれたのか、メチャクチャスッキリ。これは良い。今なら何でも出来そうな気がする。

でもねえ、さりとて一体何を?

そういえば夕べNHKの再放送トリセツだったかで、100歳の100人というのをやっていて、色々調べた結果、食べ物は野菜中心。運動と人との繋がり。よく笑うこと。これらが特に長寿の為の要素らしかった。まあそこそこやれているなあ、ってことは自分も長寿?とか思って深夜に一人笑う。世間では自分の年が既に長寿だろうに。元気でさえアレバそりゃあもっと長生きしても良いが、、、、要するに毎日を楽しく過ごしていれば良いということか。

ってことで、ブ~タンタンでも入~いろ。

2025年1月 8日 (水)

やっと行けた。

今日はついてた。今年お初のうどん屋へ行き、迎えに来たお嬢の車で輿田時参り。行く時は徐々に雨も降りだし寒くなってきた。雨の中の参拝は嫌だなあと内心思っていたが、なんと着いてみると待っていたかのようにお日様が顔を出す。予想通り人はまばらで、すいすいといつもの奥の院まで行ける。100段前後の石段は丁度良い運動となって、すこぶる快調。

おみくじは夫は大吉で、「今が一番良いのよねえ、お父さん。」と揶揄し、こっちは末吉。なかなか意味深な言葉が書かれている。「あれになろう これになろう と悩むより いつどんな時も誰の前でも変わらぬ存在に 自分を育てよ」「苦難と思うことも有り難く受け取ること」ともある。いやあ、これは自分にとってとても意義深い言葉だ。そうありたいと常々思ってはいるが、時々こうして思い返すのは良いことだ。いつもおみくじに入っている小さな金の守りもこれまで出会った事が無い、「かえる」だった。なんとなく嬉しい。と言いつつ、直ぐに忘れてしまうのだろうが、、、。

帰りのドライブ中以前も寄ったことがあるドライブスルーのカフェでドリンクとかおやつをゲット。親子三人太陽が射し込む暑いほどの車内で美味しく食べる。ここはいつも間違いなく美味しい。

で帰り道でお嬢の提案。なんたらいう女性が提案する、「スマートに見える服。」をゲットしようとお店に立ち寄る。ネットで宣伝してたからもう無いかもと言いつつ入ったがラッキーなことにまだあり、早速試着。なかなか良いじゃん、とデザインとお値段にも満足して出る。その間夫も初体験で買い物。あまりのお安さに驚いている。

久しぶりの親子三人のお出かけは無事終了。昔は、毎年子供を連れて輿田時ではなく、八栗寺に参拝するのが慣わしだったが、あまりの混雑にいつの頃からか輿田寺に変更したこととか、八栗寺に行くときは途中で子供達二人を下ろして歩いて行かせ、車の方が遅く着いたこととか、思い出話しにも花が咲く。こっちは、仕事を頑張っていた頃、元旦は兎に角疲れ切っていて、夫の運転する車の助手席で爆睡しつつお参りしていたのも懐かしい想い出だ。こうしてお嬢の運転する車でのんびり往復するのは隔世の感がある。

時は流れた。

2025年1月 7日 (火)

ある決心。

昨年から続く断捨離の一環で、オペラのボーカルスコアを縁のある歌い手に引き取って貰うことを決めた。連絡すると有り難いと言ってくれて、取りに来てくれるようだ。まあ、買えば相当な金額になる。分厚いこれらの楽譜類は必要な人には価値があるが、関係ない人にとってはゴミでしかない。今後自分がオペラを歌わないことを決意した結果だ。中にはなかなか手に入らない物あり、使ってくれる人が居ればこれらも本望だろう。

というか、これらを使い舞台に役立てて欲しいというのが本音だ。ここ香川でオペラに熱心に関わっている人達は多い。なんとか頑張ってその情熱を持ち続けて欲しい。

しかし、一方で、寂しい思いも捨てきれない。眺めているとこれらの本達から音楽が立ち上ってくる。作曲家の思いや演奏家の熱いエネルギーが辺りを取り巻き、覚えのある曲などは口ずさんでみたり。。。とまあ切りが無い。ので、えいっとばかりメールをしたという次第。

執着は敵だ!

2025年1月 6日 (月)

しとしとぴっちゃん しとぴっちゃん。

天候に左右されるとつくずく思う。お嬢と温泉に行こうと約束してから好天の日は他の事を優先。次は芋の子を洗うように混んでるとの情報に止めようと成り、今日に至っては寒いから止めようと、、、まあなんともかんとも。。結局家のお風呂とあいなったが、別にそれはそれで悪くはない。が、外に出かけられないという嫌な感じからは脱却したくて、一人、チョコザップに行き、買い物もいくつか。流石に気温が低いのだろうか、いつものように15分程度では汗は出ない。が、3キロサイクリング出来たからま、いっか。で、こうして動くと後が清々しいのでもある。

明日は初詣に行こうかと言いながら夫は明日は予定があったと手帳を見て言う。なので、又先延ばし。それほど信心深くもなく、例年の慣習を破りたくないだけ。ま、そのうち行くだろう。行くんじゃない?多分。

短歌の25周年の記念をどういう形でやるかについて、ライン上で議論されている。その中に入りつつ思い出すのが、ちぇちのことだ。兎に角人が多く集まると、10人居れば10通りの意見が出る。それをどう集約して行くかは、なんにしても難しい。ちぇちも時間をかけて議論しつつ35年やって来たわけだ。

短歌のような昔からある結社などは、当時はトップが決めて、他の人はそれに従うという図式が出来ていたのだろう。確かにそれが一番物事が早く進むし、簡単ではある。そして責任はトップにあるという構図だ。が、現在の実働部隊は徒弟制度からはほど遠い、ボランティアの要素が多い。故にただ従うでは現代人には無理がある。良くも悪くも思考の中に民主主義が根付いている。本人が納得しないではものごとは進まない。

まあしかし、これはこれで良い面もあるとも思う。三人寄れば文殊の知恵的な発想も生まれそうだ。やる気が出てくるのもディスカッションの中でだろうと思う。そもそも自己の表現の場所としての短歌であり、話し合う中で学ぶことも多いと思うがどうだろう。

てなわけで、当分忙しくなりそうな予感。といっても、自分に大したことが出来るとも思えない。が、みんな似たようなものだろう。それを持ち寄るって事だ。

今思い出すのは、「兎に角具体的に。」ということだ。議論倒れに陥らないように、少しずつ具体的に物事を進めることが大切だろう。

2025年1月 5日 (日)

運の話。

火事が多い。先日も以前自分が幼少の頃住んでいた辺りでの火事で二人の死者が出たという報道があった。原因は出てない。毎日のニュースに火事の事が出ない日がないほど多い。自分ではかなり気をつけているつもりだが、それでも不安は残る。一番の心配はコンセントだ。家中にどれほどあるか数えたことはないが、殆ど使ってないのも沢山あるはずだ。そこに埃?勿論あるだろう、とは思っても、それを全部点検する元気がない。

これまで運良く過ごしてきているが、いつ何が起こるか分かったものではない。

運、ねえ。まだ初詣にさえ行けてない。明日は行こうと夫と話しているとどうやら明日は雨らしいとの天気予報。それを聞いて速攻止めようとなる。情けない話し。これじゃあ運なんて降ってこないよねえ。

今日友人と久しぶりに電話で話したが、そこでは次々と路上で傷ついたりしている捨て猫を拾ってきては手当てして飼っているようだ。凄いなあ。その猫ちゃんこそ運が良い。昔は沢山そういうのがいたが、最近全く見なくなったと思っていたが、未だにそういう可哀想な猫がいるんだなあ。どうぞ私の前に現れないで欲しいなあ。家族で大丈夫なのは自分だけ。夫を始め、子供達もその家族もみんな猫アレルギーだ。飼いたくても飼えないし、いつの間にか飼える年齢でもなくなった。世の中は猫ブーム。TVでちょくちょくその可愛い姿を見るが、羨ましいことだ。

2025年1月 4日 (土)

新年歌会。

今日の歌会はひどく疲れた。

歌会の直前25周年記念をどういう形でやるかの話し合いも編集委員で行われ、多くは記念歌会の開催と合同歌集の続編を発行するという意見に傾いた。話し合いながら、それの実現に使うエネルギーが自分をはじめ全員にあるかどうかの疑問もありながらではあった。勿論決まれば決まったように動いていくだろうし、大勢でやればその負担も少なくはなるだろうとは想像する。が、かなり大変な事であることは間違いない。さて、どうなるか?

続く新年歌会は予定通り賑々しく始まり、総勢21名晴れ渡る瀬戸内海をバックに料亭のお弁当を頂きながら和気藹々と進行した。

師匠はなんとなくお疲れのご様子が気になったが、進行するにつれいつもの調子が出てきて安堵する。4時間にわたる集中はおそらくは誰にとっても相当大変だと思ったが、自分自身も驚く程疲れた。司会しつつ何度かぽかをやるも皆さんの笑い助けられて最後までなんとか持った。今日は新しいやり方も入れてみたが、なかなかに難しい。歌会のあり方はまだまだ議論の余地がありそうだ。

で、帰宅してから猛然と眠気に襲われる。夕飯を食べかねて「寝る」宣言をして、1時間ほども仮眠してしまった。おそらくは夕べ寝る前に「睡眠導入剤」をのんだのが残っていたのかも知れない。歌会中も眠気が襲ってきて困ったが、司会の身の上、誰かさんのように眠る暇はない。なんとかしのいだが、ちかれたび~~。

一人の力は小さいが、大勢集まると、想像以上の強さになるはず、と信じてガンバロウ。

2025年1月 3日 (金)

よく寝たんだけどなあ~。

猛烈に眠い夕食後。今日は一体何をしたのかと振り返る。

ほぼ一日中店舗部分の掃除と片付けに明け暮れていたが、何とかスッキリと終えて買い物に。明日の歌会で使うマイクをお嬢に借りるという用事もあり、彼女をピックアップ。色々と話し合うこともあって、思ったより時間をとる。お嬢をマンションまで送り届けた途端友人から電話。あまり芳しくない内容だった。ある人のご主人が遂に奥様を施設に、、、と決心したという。今もデイには通っているが、どうもそれだけでは無理になってきたらしい。どちらが先でも困るが、奥さんがそういうことになると、男性は矢張り弱い感じ。貴女からも慰めの電話してね、ということだが気が重い話し。日々自分自身に自信が無くなってきているもんねえ。

体が思うように動かないから何をやるにも時間がかかる。店舗部分は以前は従業員ともども総勢5名でやっていたこともあるが、その当時は細かい所まで指示して丁寧にやっていたものを、一人になってからはホントに一人でなにもかもやっている為、細かいところはなるべく見ないようにしてざ~~っと、見回してなんとなく綺麗であれば良い感じだった。ところがこの好天につられたのと、お嬢の断捨離命令のおかげで、やたら細かいところまで目に付き禁断の棚にまで手を付けてしまった。故にいまだ完璧には終わらないという蟻地獄にはまってしまった。「アンタ、いったいどうするの?」状態。こうなったら、しばらく続けるしかない。段々飽きてきてるが。。。

でまあ、明日は新年歌会。スムーズに進行出来れば良いが、、、。

日本中が、去年の正月の事件を思い出している訳で、TVも能登の災害を次々と流して涙を誘う。中に、「去年の大晦日に返して欲しい。」とインタビューに答える人もいて、そうだろうなあと胸が締め付けられる思い。あり得ないと思っていたことが現実に起こった。悪夢のようだとはこういうことだろう。災害が少ないこの地域も安心は出来ない。最近の報道ではどうも自分が生きてる間に起こりそうな感じ。危険は直ぐそこまで来ているのかも知れない。

結局、なるようになるか、と今日も無防備にお風呂に入る訳だ。さ、おふろおふろ。

2025年1月 1日 (水)

賀状。

元旦の今日、所謂賀状終いの葉書が例年になく多く届く。自分より大分若い人でももう止めますとある。世間的にもニュースでは大分減っているという。実は自分も随分前からそうしたいと願っていた。もともと筆無精の上に、手の具合で字が書き辛いのもあり、止めます宣言したいと兼ねてから思っていた。

そして、それとは逆にメールやSNSでの賀状が沢山届く。世の中はこれに移行しているんだろうなあ。確かに読むのは個性溢れた直筆の葉書が断然面白いが、近況報告だけなら何でも気持ちは届く。

この現象は今後もドンドン加速するんだろう。

で、今年は届いた物にお返事の形を取ることとした。そう思うと普通の手紙のやりとり的な感覚が生まれて義務感がない。そう、この義務感が嫌だったのだ。これ、どこまでも自由を求める射手座の性か?なんちゃって。

今日もお昼お雑煮を食べに来た孫べえを連れて、どっかの温泉に行こうと提案したが、ご本人が友達とゲームの方が良いと行く気ゼロ。となると、元旦から子供一人に出来ないとお嬢も断念。お互いまったりと過ごす事で一致。

ま、これも良い。好天気の継続で洗濯物も捗るし、夫はボランティアで出かけたし、我が少ない自由時間が生まれた訳だ。

一応歌会の準備も出来たので、明日は温泉かな?ココロにも頭にも色々抱えながらも、ともかく今年がスタートした。

年が明けた。

昼は年越し蕎麦を娘親子と老夫婦で美味しく食べる。夜は、すき焼きと煮物寿司などでワイワイ。婿殿はお仕事で何時ものように不参加。夫はここ一年以上前から初めての夜更かし。10時になって二人で、近所のお寺にお参り。いつもは甘酒など振る舞われるが、時間が早くてまだだれも来ていない。真っ暗な境内でお参りして帰宅。丁度良いお散歩と相成る。

娘達は紅白の続きでも見てるんだろうと思いつつ、こっちも夫におやすみなさいしてから見始める。が、いつの間にか眠ったようだ。サイゴのシーンを見ると見て無い人が沢山居る。キヨシも出てたのか~と思いながらぼ~っと行く年来る年。今年は善通寺だったなあ。

という流れになったのも、昼間働き過ぎ。これまでは全部一人でやっていたが、見かねた娘が本格的に手伝ってくれる。彼女のやり方は基本断捨離。どんどん花瓶など捨てて、まあ、確かにさっぱりはした。これは一人では出来ない作業だ。力仕事と高いところの作業は孫べえのお仕事。大いに助かる。てなことで、去年までののんびりした作業がトントン運びすぎて、かなりお疲れモードだったわけだ。

まだ動けている方だとは思うが、それでもこの疲れ方はれっきとした婆さんのもの。ひとたび腰を曲げて作業した後は、元に戻すのに一苦労。元旦からぼやきたくはないが、本当に体力が無くなった。

それにしても好天が続く。そのせいか、さっき目覚めたのは、「蚊」にチクリとやられたから。驚くことに本当に蚊だった。今もパソコンのところをチョロチョロしている。信じられない。

今年は一体どんな年になるのやら。のんびりできるかなあ?4日の短歌の事始めから次々と予定が入ってきている。歌会用の短歌はろくに推敲もせずに提出したが、今頃になって心配。ま、いっか。勉強会だ。

と、今年も自分には甘いおみっちゃんでいくんだろう、、、。

さ、寝よう。

« 2024年12月 | トップページ | 2025年2月 »