やっぱり映画館は良い。
昨日に引き続き性懲りも無く親子で同じ映画館へ。但し時間の関係で、本日は、「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」というものだった。随分前からお嬢がフアンで、東京ではフジコさんの住まいの側を通ってここがあの、、、、と噂した事もあった。以来お嬢は何度も生のコンサートに行き、その都度熱い語り口で報告してくれたものだ。こちらはTVで特集が組まれたり、専らメディアを通しての理解だった。が、それでも魔女の様な風貌から発する魅力は圧巻だった。今年四月に亡くなったというニュースを見てからまだ半年。もうこのようなノンフィクション映画が世に出されるほど凄い人だったということだ。今日パリのコンセルバトワールでの演奏が映り、モーツアルト、バッハ、ベートーベンなどなど、歴代の音楽家達の名前に、彼女が連なったと知り、同じ時代に生きたんだという感動に包まれた。
それにしても94歳で亡くなるまで、ず~っとピアノを弾き続けていたのは奇跡のように思えた。ただ弾くのでは無い。大勢の確かな耳を持った人々の前で演奏するのだから、簡単では無い。ご本人も言われていたが、3回繰り返すところを4回繰り返すこともあったようだが、「そんなことはどうでも良い。言いたい人には言わせておく。」と全く動じてない。彼女曰く、「私の音楽はね、ロマンなのよ。いくら上手くたって、氷のような心で弾いても意味が無い。」人生で一番大切な物は何だと思われますか?という質問には、「愛よ。」ときっぱり。正確な言葉ではないかも知れないが、彼女はそれに続けて、音楽は愛。愛があればどんなことも包んで解決出来るのよと言ったと思う。そして、「もうこれから先あまり生きていたくない。」と言い、なぜ?という質問には、「だって世の中見てると変な事件ばっかり起きてるでしょう?嫌なことばっかり。」と寂しそうに語る。そして予言のように病院で一人で、静かに息を引き取ったという。
帰路の車中で、お嬢と同じところで感激したという話になった。それは、パリではずっとグレコというシャンソン歌手の歌を聴きに通っていたという点だ。他にも、坂本龍一も死を前にシャンソンのメロディを思い浮かべていたと特集で見た。シャンソンを愛する音楽家は意外と多い。それは、矢張りシャンソンが「愛」を歌うからだろうか。
そうだよねえ。汝の隣人を愛せよ。ってことだ。
今日はマスコミが神戸の知事選を取り上げまくっていたが、自分にとっては意外では無い気がしている。それといのも、退陣の前後、これでもかとマスコミが叩きに叩いていたが、あれはまるで、公開処刑の様で見ていて気分の良いものではなかった。画面に登場しては色んなことを見てきたかのように言う人達。一方で議会の全員が追放しても尚、信念を曲げない姿は、もしかしたら多くの県民の胸を打ったのかも知れない。若いが故の判断力の甘さやお行儀の悪さは確かにあったんだろうが、ひとりぼっちになっても尚道半ばで職を辞することを選ばなかったのは、その意外性と相まって、多くの人の信頼を得たのかも知れない。もう少しやって貰いたいと、それを見てからでも良いという判断だったのか。彼にとっては、これからも茨の道だろうが、これを乗り越えることが出来れば歴史に残る政治家となるだろう。奇しくも今NHKの朝ドラでも神戸が取り上げられている。
良い町なんだよなあ。又行きたいなあ。
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