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2024年11月

2024年11月30日 (土)

お日柄もよろしい日の歌会。

本来はリモート歌会であったが、今日は臨時に対面歌会となり、14名の参加。内5名が男性という構成。3時間では足りないくらいの盛り上がり。笑いに次ぐ笑いで、そもそも笑い上戸の司会者アチクシ目のおかげで、あるときは師匠までもが笑いが止まらない。「あんた、作者に失礼でしょう!」と横から突っつきながら師匠本人も笑っているという有様。こっちは涙が出るほど笑い、押さえるのが大変。次の歌評に移ってもまだ思い出し笑いしている。深呼吸してやっと収まったが、なんともかんとも。

何がそんなに可笑しかったかというに、ある歌に第一歌評も第二歌評も、二人ともがとんちんかんな事を言い、共によく分かりません、と言いにくそうに言うあたりから可笑しかった。ま、あまり出てこない相聞歌的臭いのする歌で、にしては、シチュエーションが読み取れず、「湿布の臭いが好き」という言葉から、老人施設での出来事か?などと邪推?してみたり、参加者メンバーの顔を見ての想像が笑えた訳だ。それを引き取った師匠が、「何がそんなに可笑しいの?私は長年短歌をこうしてやってきて、こんなにも素直に気持ちを詠んだ歌にはお目に掛かったことがありませんよ。皆さんもこういう歌をどんどん詠んで下さいよ。」と絶賛しつつ、なぜか笑っている。そのギャップが又可笑しい。そして作者が明かされ、入院中の出来事だったと分かり、それで沈下するかと思いきや、又又最初に戻り、可笑しな勘違いをしたと言っては笑う。こないだの東京のマンション火災ではないが、一度燃え上がった火はなかなか消えなかったという次第。

今日は元気過ぎる師匠。何の臆することも無く、「新しい人には、頭を撫で撫で育てていくんです。」と言い、横の私を叩いて、「言える人にはドンドン言うんです。」と大いばり。

ハイ、参りました。てな訳で、完全復活の師匠でありんした。

結局対面歌会は何が良いかと言うに、こうした場の雰囲気が作りやすいという点だ。どうしてもリモートの画面では、言い切り、言いっぱなしになりがち。対話とか、空気感が希薄になってしまう。人は、言いたいことの周辺に、相づちや感嘆、感心やため息、そして笑顔を潤滑油としてちりばめている。それを互いにキャッチしあって、発展させていくのが会話の醍醐味だろう。

いや~おもろかった。勿論沢山勉強もした。身につくかどうかは別として。たはっ!

2024年11月29日 (金)

運転免許。

本日は運転免許取得の為の認知症検査。最初に通った自動車教習所に出かけたが、昔教えて貰った教官は一覧には無かった。50年以上前の話だ無理も無い。当時との違いは教習用の車が多くなったのと、受付嬢が若い女性ばかりになっていたこと。電話応対も当時とは違う感じ。ただ、講習の担当教官がとっても愉快な人で助かった。真面目かと思えば冗談言ったり、大いに笑った。事実を言うだけでこんなに面白く言える人が居るんだ~と感心。受講者は高齢者ばかり。緊張をほぐそうとしてくれているんだろう。が、これも天分だ。誰もがこうとは限らない。このA氏がよく気が付く人でもあり、予想通り手がふるえて最初に名前を書くところから躓いている私に変わって、名前を書いてくれたり、後の設問に答えを書くのは別室で口答するのを控えてくれて、めでたく完了。正しく答えると凄い凄いを連発してくれて、何とも優しい対応。後の運転も彼の担当になってリラックス。やれやれ。一仕事終わった~。

行く前に友人が、「みっちゃんが認知症だったら誰もがそうよ。大丈夫だから。」と優しい言葉をかけてくれて意気揚々と出かけたもんだ。持つべきものは友だ。

しかし、講習は受ける方が良いと思ったなあ。特に法律の話しや、絶えず変化する社会情勢で法律も姿を変えていくという話しは納得出来た。夫にもさっき話したが、どうやら香川は特に一時停止の成績が悪いようだ。我が家の前でも学校が終わる頃よくパトカーに捕まっている。他人事では無い。高齢者が違反すると即免停になったりするらしい。くわばらくわばら。

A氏が力説していたのは、「高齢者に厳しくしても、実際車なしでは生活出来ませんよね。」という点。都会じゃ無いんだから。まったくその通り。体は弱っていく一方、特に足腰がダメで、荷物を持ってウロウロも出来ない。尚もA氏は言う。「無理矢理返納させても、逆に自信をなくして認知症が進み、自立から遠ざかるケースが多い。」

だよねえ。とはいえ、今後3年ごとのこのチェックにいつまで耐えられるか?これが出来なくなったら潮時ってことか。ふ~む。

2024年11月28日 (木)

摩訶不思議な体験。

長く生きてきて、演劇も沢山見てきたが、今回非常に珍しい経験をした。というのも、先日香川でも西の方で余り訪れる機会の無いホールで見たものを、昨日はレクザムで観劇。キャストも舞台美術も勿論ストーリーも音楽もセリフも何もかも同じものだったので、このセリフの次はあれだと分かっていて見たものだ。結論から言うと、全く同じ物が、まるで違う舞台に見えたということに驚いたというわけ。

最初に見た時は申し訳無いが、居眠りする有様で、笑うべきところが寒い感じだった。ダンスももったりしていて、この程度ならローカルの劇団でもやれる、と思ったほど。当然ながら客も反応が薄く、拍手も大して湧かず、、、、。はるばる出かけたものの、あっちゃ~てなもんだった。この地域の偉い人の長口上を聞いていて、余程文化が低い土地柄なのか?と思ったが、どうやら初めてミュージカルなんて見ました的な人も何人かいたらしい。しかし、であればあるほど、この手の舞台は受けるはずだ。音楽はいずみたく、だし、50年も上演している題材で、一般受けする内容。ところがあの日、なぜか盛り上がらず、昨日同じ物を見ようかどうしようかと迷った程だった。体調もイマイチで、雨もケッコウ降っていた。でも、次回作のポスターを貰ったり、色々資料を貰っておく用事もあり、お嬢が運転するというので、雨の中を一緒に出かけたのだった。

流石に高松の公演は客が多く、二階席で見たのだが、なんということ!先日のものとはまるで別物。役者全体にPASSIONが感じられるし、観客の反応に応じて一緒に盛り上がっていく。観客も慣れていて、ここぞという箇所で大きな拍手を送る。その拍手に応えるようにダンスにも迫力があり、歌も明らかに前回とは違う。特にソリストの歌が感情移入されていて、思わず涙が、、、。おおお、これぞ生の舞台の面白さ。

行く前にこちらの体調を心配して無理に行かなくても、、、とブツブツ言ってたお嬢に、「役者が全員1㎝前に出たら、それだけですっかり変わる筈。それをこの目で確かめたいから。」と言いながらだったが、結果その通りになった。

特に笑いを取る場面がもの凄く成功して、客席の笑い声と拍手にまるで別人の様に演じていたお巡りさんに扮した役者。ロビーで並んでいた彼に、思わず近寄ってしっかり目を見て、「素晴らしい演技でしたね。前回よりとっても楽しみました。」と声を掛けると彼も嬉しそうに御礼を返してくれる。そこに並んでいた役者さん達に一様に今日は良かったと告げると、なんとなく複雑な表情を受けベながらも笑顔だった。彼らが一番よく分かっているはずだ。

ま、物好きにも同じ物を数日後に見るという珍しい体験は、こうして想像以上の良い結果で終わり、帰宅してから一人ビールで乾杯。体調が悪かったのもどっかに行ってしまった。良い舞台にはこうした薬のような効果が必ずある。

思い出すのは、ちぇちの練習。特にゲネプロの時には口を酸っぱくして、「みんな、1㎝で良いから、今より1㎝前に出て!」と檄を飛ばしていた。全体が1㎝動くとそれはマクベスの山のような効果がでる。長くやって来て、それだけは自信を持って言えたのだ。

懐かしいなあ。あの頃は元気だった。

心残りだったのは、この体験を前回一緒に出かけた友人達に味わってもらえなかったことだ。一回分の会員券で二回見られるという特典があったんだけどねえ、、、。何だか申し訳無い。雨で無く、自分も元気だったらお誘いしたんだけどねえ。無念。

2024年11月27日 (水)

川柳は面白い。

飛ぶように時間が過ぎていく。自分の動き自体はそれ程素早くも無いが、だから余計かも知れない。大したことも出来てないのにもう年の暮れ!と思う分けだ。

こういう時に限って、面白い川柳がラインで流れてくる。以下、身につまされておもろすぎるものを書きとどめるか。

朝起きて 調子いいから 医者に行く(わが夫だなあ。)

体より 口が悪いと 医者が言う(あの友人が言われそう。)

検査終え 結果ドキドキ お歳です(つい最近あったなあ。)

歳だから 言い訳があり 気楽です(あるある)

糖尿病 甘い生活 記憶無し(甘い物食べた記憶はない。)

救急車 何度も乗ったと 自慢する(今の所一回だけ。)

病院前 紅葉マークの 展示場(確かにねえ。)

症状を 言えば言うほど 薬増え(だから行きたくない私。)

つまづいて 足下見れば 何もなし(娘にもあり笑えたが、我が身に起これば笑えない。)

スクワット しゃがんだままで 立てません(だからやりません。)

補聴器を そっと外して 聞く小言(わが夫、そもそも付けない聞か猿なり。)

腹八分 残した二分で 薬飲む(内の夫は二分がご飯で八分が薬。)

納得を するまで計る 血圧計(たまにあるなあ。)

超多忙 朝から晩まで 探し物(確かに)

物忘れ 日々感動で 新鮮だ(そうとも言える。)

食べること 重労働と 友は言う(わが夫)(作る人こそ重労働。)

何したか 覚えてないが 筋肉痛(いつの間にか青たんも、、、)

健康法 伝えた医者が 先に逝き(あるある)

その小石 昔は蹴って 今転ぶ(転ぶ前に杖つこう。)

お見舞いに ぞろぞろ来たら そろそろか(言葉遊び、出来てる内が花。)

耳鼻科です なのに話題は 足と腰(わかる~~)

救急車 近く通ると 疑われ(夜、夫の帰宅が遅いときは疑うなあ。)

いや~、川柳にして笑い飛ばそうって魂胆だねえ。

天からの声が聞こえる。そんなことやってないで、短歌を早く詠みなさい!

2024年11月25日 (月)

晴れた日のドライブ。

昨日は車内は暑いくらいの陽気の中、はるばる多度津まで下道をテクテクお出かけ。友人二人とお嬢の女ばかり4人。沈黙が訪れることは先ず無い。この居心地の良さはどこから来るのかと考えてみた。おそらくは全員が互いを認め合い、許し合い、「そう?私はそうは思えないけどね。」と自己主張が出ても別にそれで深追いはしないのが暗黙の了解。Y女史はもっぱら自虐ネタで笑わせてくれる。それを聞いてはゲラゲラと笑い転げるK女史。勿論こっちも大笑い。Yさんは話し上手で自分でも、「木戸銭もらおうかしら?」なんて冗談言う程だ。懐が深いというか、どんな人でも必ず良い所を見つけては評価している。K女史も何十年も前に初めて会った頃よりは随分と打ち解けてきた感じ。お互い会う機会が増えると理解が深まるというわけだ。少しばかり遠距離で、再々会えないのが玉に瑕。でも、何とか会う機会を作りましょうと意見が一致。

お昼は海岸寺方面まで足を伸ばしてネットで知ったおそば屋さん。個人的には好きな蕎麦では無かったが、それほど通でもなく、一応完食。とにかく景色の良い場所で、讃岐平野が見渡せる立地。ま、これがご馳走だったなあ。

で、次は地方にしては大きなホールに移動。既に行列が出来ている。が、このホール、バブル期に建ったのか?室内がかび臭い。やぱり香川という地方の田舎は、どうしてもこうなるんだろうなあ。活用できてるとは思えない。

今回のミュージカルは、映画化もされている原作がとても有名な作品を日本版にリメイクしたもの。良かった点は、生演奏での公演だったこと。隣で、「なんかダンスが重いわねえ。」と囁くYさん。だよねえ、と思いつつ居眠り。余程の作品でない限りどうしても最初の20分は眠いのであ~る。

二幕から段々引きこまれて、めでたく居眠りもせず全編見られたが、何かが足りない。一つには、「悪」がなさ過ぎる点。緊迫感が足りてない。内容は本来であれば、かなり見てる方もハラハラだったり、ゲラゲラだったりの作品の筈。綺麗に大人しく纏めすぎているように思った。要するにPASSIONが足りない感じか。やる気が起きない劇場だったのかなあ?同じものを今度市民劇場で観るんだが、ホールが違うと変わるんだろうか?逆にチト興味が湧いた。同じ物を見ようか見まいか悩んでいるが、、。

今日も今日とて好好天気。お嬢は我々にお付き合いして半分運転したのもあって、今日は外に出ない日と決めて家に引きこもり。こんな日にもったいない。こっちは午前中仕事をし、お昼は例によって夫共々チョイと遠くのうどん屋に行き、買い物にも行き、チョコザップにも。

夜の会議に出かけた夫がかけていたクイズ番組を見るとも無く見ていて、世の中には博学な人が居るもんだと感心しきり。問題の中にイサム・ノグチを答えるのがあったが誰も分からなくて残念。時々当たることがあって、面白くて止められない。キッチンの片付けをしながら延々と見ているとやがて夫が帰宅して、、、まあ、一日の早いこと。

さて、明日はどんな一日になることやら?

誰かさんのセリフじゃないけど、朝になって、「又目が覚めた。」となるか?神のみぞ知るだ。

2024年11月24日 (日)

今日も雲が綺麗だった。

先日のコンサートの打ち上げ的茶話会がH先生宅で行われた。一つ用事を済ませて行ったので少々遅れたが、みんな既に楽しく会話が弾んでいたようだ。音楽を中心に話すのは矢張り楽しいもんだ。それにM子先生はいつに変わらぬ美味しい珈琲を入れて下さって、持ち寄りのケーキ達共々楽しんだ。ただ心配だったのは、矢張りお一人暮らしのこと。夜はさぞかし怖いのではないかと思われる環境。H先生が他界されて、毎日どのようにお過ごしなのか?気がかりではあった。こうして集まってワイワイ言う機会もグンと減っている。今年は最後かも知れないと言う挨拶をして解散したが、、、。なんせ遠い。軽くお邪魔しますとはいかないお住まい。

そしてこの場では又又知人が他界されたと聞く。まだ80歳来てないらしい。すこしばかりご縁のあった方だが、その美貌で有名だった人でもある。今年は随分この手のことを聞いたなあ。それだけ自分が年取ってきたということだろうが、、、。今に自分がその話題の主になるんだろう。

さ、明日はこれまた一人暮らしの女性お二人をお誘いして多度津まで観劇だ。きっと車が笑いながら走ることになるだろう。

2024年11月22日 (金)

ラーメンとたこ焼きの日。

寒かったりあったかかったり、毎日振り回されている。昼前に婿殿が我が家の物置部屋に置いてある荷物を取りに来て、珍しい事に夫が一緒にお昼をと誘っている。まあ、大体彼に任せておけば間違いない所に案内してくれる。と思ったら、今日のチョイスは夫の実家にほど近い塩江にある比較的新しいラーメンやさん。ようやく色づき始めた山々を眺めながら、ゆったりとドライブ。銀杏の葉は完全な黄色になっていて、これは八栗寺も素敵になっているはずと、一人思いを馳せる。美味しく食べ終えて、当然甥夫婦がいるだろうと実家の経営するお店に寄ってみる。そこで二言三言挨拶を交わして又ねと別れ、一路我が家へ。帰るやいなや夫は折り返しさっきの道を辿ってプールへとお出かけ。お元気ね~。

こっちは何だか満腹になって眠気が、、、。婿殿にバイバイしてチョイとお昼寝30分。起きてから家の中の事をやってるとあっと言う間に夕飯時。どうしてこんなに時間が経つのが早いのか?信じられない位一日が早い。

体内時計が狂い始めてる感じがあるなあ。え?時計を見ろってか?だよねえ。そもそも勘に頼るって根性が間違ってる。生まれてこの方持っていたはずの諸々がどんどん消えていくのを感じているわけだ。皮膚も薄くなってちょいと堅い物に触れると痛い。腕も指も足も全て力がなくなっている。

お嬢はそれに引き換え妙に元気。朝我が家においてある物を採りに来てパパッと用事を済ませ午後の朗読会に講師として出かける。まあやりたいことを完遂出来たようではあったが、、、。

夜は夜でコンサートだそうだ。この忙しさ。昔の自分を見るようだ。

そういえば夕べ寝る前に古いテープを聴いていたが、今は亡きYさんとの対談番組収録が出てきた。何が驚いたって自分の口調の速さ。まるで黒柳徹子さんみたい。滑舌も良いし、歯切れも良いでは無いか。丁度今のお嬢くらいの年齢だろうが。

いや~、参りました。こんな頃もあったんだ。お相手はプレスリーのオーソリティ。楽しそうに話している。が、今はあちらの世界に旅立った人だ。そう言えばこの人との対談を友人が聞きたいと言ってたなあ。近々聴いて貰おう。

さ、今日は早めのぶ~たんたん。と、ここまで書いたらお嬢から電話。コンサートの感想とか話したいからたこ焼き買っていく、とのこと。ふ~~む。ま、それも良い。

たこ焼きねええ。

2024年11月21日 (木)

さようなら。

相変わらずの自分の呆け加減にウンザリしている日々。昨日も短歌の友人から師匠の日本画の作品展を見に行ったと聞かされ、アッと思い出す。会期の始まりはちゃんとスマホの予定表に入れていたのだが、いつまで、というのを入れ忘れていて、まだ大丈夫とどっかで思ってしまった。絵を見るのも好きだが、師匠がその絵に向かっている姿を絵から想像するのが好き。失敗失敗。早速すいませんメールを入れたが、「人様にお見せするような代物ではありません。」などと謙遜のお返事を頂く。ま、そうおっしゃることでしょうが、ムムム。

そして89歳になりましたとあり、今更ながらパワフルな生き方に感嘆の思い。あと一年頑張ります、とあったが、とてもとてもそんな風には見えない。自分の10年後あのようにシャキッとしているとは到底思えないからだ。

折も折、先ほど第九のコーラスを長くやっている人から、第九の母と呼ばれた92歳の女性が亡くなられたとの知らせ。この方とは長いお付き合い。FMの番組にもよく出て頂いたし、ご自宅にお招き頂いたこともある。道端でバッタリお会いしたとき、「貴女、ミュージカルのオーディション受けてみてくれないかしら?人が集まらなくて困っているのよ。受けるだけで良いから。」と強く勧められたのがきっかけで、市政百周年記念ミュージカルなるものに出演。その時高校生だったお嬢が母親の鞄持ちでくっついてきたのがきっかけで、本人は役者の道へと進んだのだから、不思議なご縁だった。

しかも、この知らせの10日前のメールには、舞台で第九を引退される宣言をされたとのことだった。その日は色んな音楽家達と写真に収まっておられ、FBに沢山アップされていた。打ち上げに参加されたあとのもので、杖こそ手にされてはいたが、ピンクのストールを巻いて、にこやかに微笑まれるお顔は、間もなくこの世を去るという感じは全く無い。なんとあっぱれな。これまでも色んな大病や怪我をされたのは聞き知っていたが、そのたびに復活されて、香川の第九を牽引されてきた方だ。心からご冥福をお祈りしたい。

近頃、毎日の様に自分も知る人が亡くなられている。火野正平も好きな俳優だった。

だれかが言ってたなあ。自分が死んでもあちらには一杯知ってる人がいるから安心だわ。きっとあの世も楽しいわよ。

信じる人は救われる。

2024年11月20日 (水)

谷川俊太郎、逝く。

あの谷川俊太郎が亡くなった。又日本にとって大切な存在が一つ消えた。分かりやすい言葉で、しっかりと人々の胸底にまで届く詩を書いていた。その言葉は、いつも、どうですか?あなたはどう考えますか?という疑問符を読む人に投げかけていた。現代にこそ必要な人だった。

「おしっこ」という詩がある。娘が広島被爆手記朗読の会で取り上げている。戦争に真っ向から切り込むのでは無く、皮肉な詩になっていて、私は好き。

 

大統領がおしっこしてる

おしっこしながら考えている

戦争なんかしたくないんだ

石油がたっぷりありさえすれば

 

テロリストもおしっこしてる

おしっこしながら考えている

自爆なんかしたくないんだ

恋人残して死にたくないもの

 

兵隊さんもおしっこしてる

おしっこしながら考えている

殺すのっていやなもんだぜ

殺されるのはもっといやだが

 

男の子もおしっこしてる

おしっこしながら考えている

ほんとの銃を撃ってみたいな

ゲームボーイじゃまどろっこしいよ

 

武器商人がおしっこしてる

おしっこしながら考えている

銃がなければ平和は守れぬ

金がなければ自由も買えぬ

 

道で野良犬おしっこしてる

おしっこしながら考えている

敵もいなけりゃ味方もいない

ただの命をいきているだけ

 

今朝の朝日新聞は第一面のトップ記事として詩人の死を大きく報じていた。そして天声人語も感動的な言葉を贈った。やっぱりこの新聞は止められないなあ。

2024年11月19日 (火)

やっぱり映画館は良い。

昨日に引き続き性懲りも無く親子で同じ映画館へ。但し時間の関係で、本日は、「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」というものだった。随分前からお嬢がフアンで、東京ではフジコさんの住まいの側を通ってここがあの、、、、と噂した事もあった。以来お嬢は何度も生のコンサートに行き、その都度熱い語り口で報告してくれたものだ。こちらはTVで特集が組まれたり、専らメディアを通しての理解だった。が、それでも魔女の様な風貌から発する魅力は圧巻だった。今年四月に亡くなったというニュースを見てからまだ半年。もうこのようなノンフィクション映画が世に出されるほど凄い人だったということだ。今日パリのコンセルバトワールでの演奏が映り、モーツアルト、バッハ、ベートーベンなどなど、歴代の音楽家達の名前に、彼女が連なったと知り、同じ時代に生きたんだという感動に包まれた。

それにしても94歳で亡くなるまで、ず~っとピアノを弾き続けていたのは奇跡のように思えた。ただ弾くのでは無い。大勢の確かな耳を持った人々の前で演奏するのだから、簡単では無い。ご本人も言われていたが、3回繰り返すところを4回繰り返すこともあったようだが、「そんなことはどうでも良い。言いたい人には言わせておく。」と全く動じてない。彼女曰く、「私の音楽はね、ロマンなのよ。いくら上手くたって、氷のような心で弾いても意味が無い。」人生で一番大切な物は何だと思われますか?という質問には、「愛よ。」ときっぱり。正確な言葉ではないかも知れないが、彼女はそれに続けて、音楽は愛。愛があればどんなことも包んで解決出来るのよと言ったと思う。そして、「もうこれから先あまり生きていたくない。」と言い、なぜ?という質問には、「だって世の中見てると変な事件ばっかり起きてるでしょう?嫌なことばっかり。」と寂しそうに語る。そして予言のように病院で一人で、静かに息を引き取ったという。

帰路の車中で、お嬢と同じところで感激したという話になった。それは、パリではずっとグレコというシャンソン歌手の歌を聴きに通っていたという点だ。他にも、坂本龍一も死を前にシャンソンのメロディを思い浮かべていたと特集で見た。シャンソンを愛する音楽家は意外と多い。それは、矢張りシャンソンが「愛」を歌うからだろうか。

そうだよねえ。汝の隣人を愛せよ。ってことだ。

今日はマスコミが神戸の知事選を取り上げまくっていたが、自分にとっては意外では無い気がしている。それといのも、退陣の前後、これでもかとマスコミが叩きに叩いていたが、あれはまるで、公開処刑の様で見ていて気分の良いものではなかった。画面に登場しては色んなことを見てきたかのように言う人達。一方で議会の全員が追放しても尚、信念を曲げない姿は、もしかしたら多くの県民の胸を打ったのかも知れない。若いが故の判断力の甘さやお行儀の悪さは確かにあったんだろうが、ひとりぼっちになっても尚道半ばで職を辞することを選ばなかったのは、その意外性と相まって、多くの人の信頼を得たのかも知れない。もう少しやって貰いたいと、それを見てからでも良いという判断だったのか。彼にとっては、これからも茨の道だろうが、これを乗り越えることが出来れば歴史に残る政治家となるだろう。奇しくも今NHKの朝ドラでも神戸が取り上げられている。

良い町なんだよなあ。又行きたいなあ。

2024年11月18日 (月)

私と娘。

おそらく我々親子は漫画にでも書けば余程面白いのではないか?という場面が多々ある。今日も今日とて、昼間お忙しいお嬢が、夕飯後の眠くてくつろいで居る時間だとは思ったが、ふと思いついて電話してみる。最初からダメ元だったが、ある衝動に駆られてのことだった。「ねえ、今晩、あの面白い映画見に行かない?」「ええ~~?私もう飲んでますけどね。」「私は飲んでないから、運転するよ。」「お母さんは元気ねえ。」という会話の後、マンションで彼女をピックアップ。雨が降る中を兎に角出発した。

で、館内に入りチケットを購入。いつものおじいさんが、「大分早いけど外に出ますか?そこで待ちますか?」と訊いてくるのを違和感を持って聞きつつも、「15分くらいですから、ここで待ちます。」と側の椅子に腰かける。1910分開演で、時計を見ると2分前。急いで腰を上げると彼は言う。「ええ~~次のは2015分からですよ~。今日は特別ですから~。」と妙に間延びした声で説明してくれる。詳しく聞くと貸し館のあとイベントもあり、今日は予定を変更してますとのこと。思い込みの激しいこっちは堂々と言ったもんだ。「ええ~~?でもネット見て来たンですけど~?」そのときおじいさんはすこしもあわてず~~「そうですかあ~?そりゃあきのどくに~、、、払い戻しは出来ますよ。」

てなことで、払って貰って外へ出る。

そこからお嬢の攻撃が始まった。「大体ねえ、お母さんはそういうとこがいいかげんなのよっ!チャンと見ないからこういうことになるんよっ!どうせテキトーに見たんじゃない?今日は何日ですか?ホラホラネットにもちゃんと出てるじゃ無い?あのおじさんは全然悪くないっ!よくもあんなこと言えたモンよねっ!ダダダダダ~~~ッ!」それを聞きながらなぜか可笑しくてしょうがない。笑うとますます怒ると思うけど、、押さえられない。このシチュエーション自体が、メチャクチャ面白い。まるで行く時の眠いのを我慢した腹いせや欲しくも無いものをコンビニで買った損害が彼女の興奮スイッチを押し続け、ガミガミとかみついてくるのに比例して可笑し涙が流れてどうにも押さえられない。「何がそんなに可笑しいのよっ!」と自分もつられ笑いしながら尚も怒っている。

ま、分かんないだろうなあ、こういうときのアチクシの心理状態。といっても、自分にもよく分からないのではあるが、強いて言えば、たいしたことないことで怒りまくっているお嬢のことが可笑しくてしょうが無いのであ~る。こんなこと言うとますます火に油になるんだけどね~。

母親と夜のお散歩代わりと思えばど~ってことないと思うけどねえ。ま、彼女はA型。こっちはO型。世に言われる典型かもね。

そもそも見たかった映画は婿殿のお勧めで、余りに面白くて終演後には拍手したくらいだというので、見逃したく無かったのではある。そういう評判でどうも上映日も延長になったらしい。だったらもっと後の日でも行けるわけだ。

そういえば、最初の電話では、「まあ、疲れてはいるけど、笑って一日が終わるのも良いかな~。」と言ってましたわなあ。可哀想に、怒って一日が終わったか。ぷ。

2024年11月16日 (土)

石村嘉成くんの映画。

昨日は久しぶりに映画館。あの石村嘉成君とお母さんを描いた映画だった。幼少期より彼の「自閉症」と戦い続けた母親。それを演じたのが、地方局のアナウンサーKさん。Kさんとは不思議な縁があって、ピアニストゆり子さんの取材をずっとしてくれた人でもある。これは是非見なくては!との思いだったが、その素晴らしい演技にも感動。これまでいつお会いしても心がこもったお話ぶりで、優しい声と同様、お人柄にも感心していた。それがそのまんま映画の中でしっくりと収まり、元々の俳優かと思うくらい自然な演技で、まずはそれに驚いた。竹下景子と対で話す場面なんか特に、おおー!と声がでそうだった。こうした子供を残して死ななくてはならなかった女性として、存在感のある出演だった。

かねて展覧会で彼の母親が早くに亡くなったとは聞き知っていたが、深くは知らない。今回丁寧な描写でいわば彼の原点となったであろう母親の存在が描かれ、彼の絵の真実に近づけた感じがした。あの動物達の優しいが意味ありげな瞳には多くの言葉がつまっているのだろう。

この映画は、多くの自閉症の子供たちやそれに連なる家族や療育の先生達にも良い意味の影響を与え続けることだろう。素晴らしい映画であり、石村君は人間としても素晴らしい。彼の展覧会で帰り際、「お元気で長生きして下さいっ!」と声を掛けられたのを改めて思い出す。あれはおざなりの言葉ではなく、本心からの言葉だったんだ、と今なら分かる。

予想通り、涙無くしては見られない映画ではあった。

2024年11月14日 (木)

編集会議なるもの。

最近短歌の会誌に編集委員として参加。ようやくこれがどれほど大変な作業かが理解出来た。送られてくる会誌を漫然と読んでいただけの落ちこぼれ会員だったが、実際に編集に携わると関係者の方々の努力が良く分かった。誌面としては12ページだが、完成させるまでには同じ誌面に何度も何度も目を通すので、何ページ分も繰り返し読むこととなる。これには相当なエネルギーを要する。そして注意力、観察力、洞察力、知識が求められる訳だ。勉強にはなるが、とても自分が役に立つとは思えない。早々にお払い箱になりそうな予感。一昨日は二時間、今日は三時間のリモート会議も集中しているため大いに疲れる。トップで参加者を差配している師匠の情熱には驚くばかり。

昨日は元気な95歳の方に接して感嘆。今日は89歳の師匠の漲る力に圧倒された。いくら世は高齢化しているとは言え、流石にこういう方ばかりでは無いだろう。例えばわが母が入所していた施設なんかは、比較にならないほど老いにどっぷり浸かって居る人ばかりだった。

これは環境のなせる結果が殆どの要因だろうが、ナントいっても自分の中に生き方の理想を持っているかどうかで、変わるように思う。他人事では無い。しっかりせねば、の思い。

いや~~参りましたの心。

2024年11月13日 (水)

四つのK。

今日も午後は快晴で、我々親子とダンディな老紳士のお出かけを応援してくれているようだった。困った時と晴れた日には行くことになる海辺のレストラン。兎に角海が美しい。この景色を見ながらの食事は最高だ。そして、今日のお料理のチョイスもこれまでで一番GOOD。牛のシチューが最高だった。先ずはノンアルコールビールで、ピアニストゆり子さんに献杯から。

N氏は少々お耳が遠くはなっていたが、沢山お話しして下さって、沢山笑わせても頂いた。チャンと印刷物も用意されて、昔の私たちが写っている写真もコピーをお持ち下さって、話題に詰まることも無くスムーズに会食出来た。驚いたことに過去の記憶が抜群で、有名歌手の死亡年月日までしっかり覚えておられ、日本における大事件などもきちんと日時が言える。お嬢のシャンソンコンサートに来て下さるが、どうやら歌は色んなジャンルがお好きで、去年の紅白なども見るには見たが、4人しか知った歌手がいなかったと大笑い。87歳まで世界中を旅してこられただけあって、半端ない情報も知識もお持ち。駄洒落もおっさんギャグとはひと味違う面白さ。これはシェイクスピアの影響か?最初の出会いはシェイクスピアのお勉強会。当時もこの博識ぶりで、メンバーたちも色んなお話を伺ってはいた。が、対面で密な会話は余り無かったので新鮮だった。人生には四つのKが必要だと言われる。①環境のK(家族、友人などとの交流)②経済のK(生活していくためのお金)③健康のK ④好奇心のK。な~るほどと合点。N氏はその全てを持った95歳だ。自分より一回り上のお兄さんだが、果たして、このように生きて行けるだろうか?お若い頃は海軍に所属。ピカドンも間近で音や光を経験したとか。会社のトップを勤め上げられたようで、充分お仕事もされて、凄い人生だなあと感嘆しきり。お子さんはなくて、ずっとご夫婦お二人での生活のようだ。道理で海外旅行もあれほど行けたんだろうなあ。

色々お聞きしながら思ったことだ。老人は過去に強い。ご本人も笑っておられたが、「昨日の食事は忘れるけど、昔の事はきちんと覚えている!」

その昔のことも朧なアチクシは一体全体、、、、?

人生の先輩達を見習って、四つのKで頑張るベし。う~む。

2024年11月12日 (火)

秋晴れって言われても、暑い。

妙に疲れていて、お風呂の後はきっと寝てしまうと思い、今日は早寝のつもり。

朝起きると素晴らしい好天。二階のテラスも開け放ち、光を入れると埃が目に付き、掃除機を掛けていると、来店客からの電話。あっちゃあ、すっかり忘れていたと慌てて階下に下りる。駐車してもらう間に鍵を開け、店の電気を点け、BGMを流し、受け入れ態勢を整える。Mさんは今日女子会だそうで、楽しみにされているのが伝わってくる。手土産の里芋や生姜を頂き、Mさんの家族旅行のエピソードを聞きながら施術。「やっぱり総理を出した県は色々違ってたわ~。」とおっしゃる。だろうねえ。地元主義は大昔からの伝統だろう。

で、それを終えてから洗濯物を処理。少し休んだらすぐお昼。実は昨日買った米粉パンが予想通り美味しくなく、ぼそぼそと朝ご飯を終えたので、お昼夫がうどんに行こうと誘うのを断らず、近くのうどん屋へ。というのも、夫はその後2時からボランティアのお出かけ。こっちは1時半からリモート編集会議。パパッと食事は終えたかったのだ。こういう場合、うどんは兎に角便利。

で、二人とも午後のお仕事へ。

今日は着ていたニットを脱ぐほどの暖かさだった。リモートを終えてからは、急ぎチョコザップへ。本当はそこから近くの温泉に行って帰りに買い物をして、、、と計画を立てていたが、夫が思ったより早くお帰り遊ばして、ラインで知らせてくる。がっかりしたが、仕方が無い。我が家のお風呂で我慢しようと、プランを切り替える。こんなことなら近くのジムに行って、買い物も出来たのに、とは思ったが。おかげでお初の一ノ宮のコープで買い物をした。コープも店舗によって随分違う。ま、これはこれで良かったか。ポジティヴ、ポジティヴ!

明日はしばらくお会いしてない方にお目に掛かる予定。奥様のお話では大分耳が遠くなってこられているようだ。お話が成立すると良いが。本当に、容赦なく加齢は進む。

2024年11月11日 (月)

笑い。

うららかな日差しの下家事に勤しんでいると、長旅から無事帰還した友人から電話が。お土産があるよ~と言うもので、じゃあランチでもご一緒にとなる。チョイと遅めだったが町中の新しいお店に行けて、先ずは旅のお土産話から。五日間だか、どっぷり落語に浸っていたようで、「今、落語脳だから。」と話題は愉快なお話ばかり。大いに笑わせて頂いた。彼女曰く、「実を言うと自分の失敗談の方が落語より面白いから、落語のネタバナシの作家になれるかも。」確かにそう思う。日常にこそ面白い話しは潜んでいるし、彼女の感性は落語にピッタリ。

でもって今回の目玉。一人の噺家が、舞台で二人の登場人物を声とそぶりで演じ分けていたのが、途中でどっちのセリフか分からなくなるという大失態をやらかしたらしい。失敗も笑いを誘ったが、次の粋な演出で、も一つどっか~んだったらしい。平身低頭の噺家の前に幕が下りたがそれで終わらず、再び幕が少し上がりその落語家が自分の失敗を嘆きだ~っと悶えている所まで観客に見せたというから、落語の世界は面白い。

そして中には、非常に博識な人もいるようで、これぞ日本の伝統芸能と思うことだ。

何はともあれ、「笑い」の力は大きい。

こうして旅のおこぼれを沢山頂きつつ、少し町ブラ。最後はお茶とケーキで女子会はジ・エンド。最後は主婦に戻り三越のお惣菜コーナーで出来合いの物をゲット。勿論夫がメインで美味しそうな肉料理には目もくれず、柔らかい物のみ。選択のポイントがそれだけというのも寂しいが、今は仕方が無い。

いや~、それにしても沢山笑った。行き帰りの車中を含めて、3時間くらいか。日常の憂さが全て霧散した感じ。

彼女を下ろしてから、先日ある人から教わった、血圧を下げるオイルを購入しようと良質な物ばかり揃えているお店に行き、お目当ての物を買う。相変わらず多くの買い物客で賑わっている。この店は、アレルギーの人用のものや、無農薬栽培の野菜類を売っていて、そういう物を求める人も多いらしい。で、つい出来心で、珍しいものを買ってしまった。パンなんだが、持つとずしりと重い。「米粉パン」だが、これまで他のお店で買っていた物と全く違う。どうかな?と思いつつ持ち帰り、切り分けて見るも、なんだかお餅みたい。少し試食してみても、それほど美味しいとは思えず、、、。失敗か?ま、明日から暫くはこれだなあ。体に良くて、食欲が湧かないものとしては良かったのかも?なんちゃって!

ま、いっか。

まだ疲れてるな~。

毎日他国の戦地の惨状を見ながら夜の食事をとるのが習慣の我々夫婦。今日も、「あんなに作った物を壊してしまうのよねえ。罪悪感はないのかしら?」「しかもそれが罪に問われないからなあ。」と会話を交わして、気分が沈む。この不条理を止めることが出来るなら、トランプだろうと頼りたくなる気持ちも解る。でも、ホント?そんなこと出来るのかな?

昨日は殺人的な忙しさの上に、夜の10時も過ぎていたか?お嬢が初めての釣り船での収穫物、鯛を持ってきた。大漁だったようで、船上でもお刺身を食べたようだが、連れて行ってくれた人がベテランで、帰宅してからもその方の家でさばいた物を子連れでご馳走になったらしい。遠足前の眠れない状態に陥って寝ずに出かけ、船に8時間揺られっぱなしで、未だに体が揺れていると言う。こっちは結局その鯛の下処理をして、冷蔵庫に入れて寝たらやっぱり午前様。いつもの生活に戻ってしまった。

で、翌日の今日、約束していた友人がやって来て、施術後は二人でお昼を一緒にとなる。今日は三木町のイドモールまで足を伸ばし、珍しくラーメンを食べることに。これが大正解で、とっても美味しい。大満足で帰路についたが、彼女の家に着くまでに、「今日は楽しかった。」を連発するのを聞きながら、ホント。いつまでこういうことが出来るのか?いつまで二人とも元気で居られるのか?と考えている。多分彼女も同じ事を思っていたんだろう。心なしか別れ際の表情が寂しげに見えた。

会うは別れのさだめと、歌謡曲の歌詞にもあったような、、、。出会いと別れを繰り返して人生は終わるなあ。

2024年11月 9日 (土)

バレーからメダカまで。

なぜか忙しい。

今日なんか自分にとっては最高に濃い一日。そもそも遅寝遅起きが信条なのに、今朝は孫べえの送迎のため、マンションに朝7時前に行く。そのために夕べは11時には寝たが、眠くなる暇が無いほどのスケジュール。30分ほどかけてとある総合体育館へ。バレーボールの試合は優勝予想チームとの対戦で、孫べえが予想したとおりの彼のチームが完敗。見てると強いチームは指導者が良い。直前練習を見ていると、選手たちと先生の関係性が見えてくる。頭ごなしに叱っているチームは負ける。そのチームは試合中も何か言われないかとビクビクしている。一方で強いチームはかけ声を掛け合って、団結しているのが分かる。ミスを互いにかばったり慰めたりドンマイ精神でカバーしている。力で拮抗しているチームが最後に勝敗を分けるのは、その点のようだった。しかし、我々の時代とは違う。「ゆる部活」というのだそうだが、別に勝たなくても良いらしい。ゆる~く楽しく運動するんだそうだ。

昼過ぎに終わり、帰る途中でお弁当を購入、マンションに送り届けたが、彼も午後は塾の試験があるようで大忙し。車内で眠りこけていたのを起こし、弁当を持たせて送り込む。

自分もとって返しその弁当を掻き込んでから今度はとあるコミセンへ。最初は絵本の読み聞かせ練習1時間。本格的に読み聞かせの仲間になったTさんは、真面目に取り組んで、先輩達から絶賛されていた。優しい性格が声ににじみ出ている。

続いてパフォーマンスユニット、タイムステップのメンバーがやってきて、基本練習2時間。こっちは外郎売りでの滑舌練習から、宮沢賢治の絵本を使ってのショートショートを組み立てから。なかなか面白い。昔取った杵柄だ。みんな芝居っ気もそのままだし、飲み込みも早く、15分ほどで一篇の作品が出来上がり、それぞれのチームで発表する。てなことをやってる内にあっと言う間に2時間が経つ。

そこから帰宅して今日はご飯を炊く日だと慌てて仕掛ける。オカズはまあ色々買ってある物からにしようと、洗濯物を取り込む。やがて夫が帰宅して、何時もより遅めの食事をしていると、約束していた、「めだか」を近所のNさんという人にお譲りするというのを明日でなく、今夜持って行きたいとの電話がある。そこでNさんに電話してOKをもらい、待っているとバケツに一杯入れて持ってきた。なんでも沢山飼っていた人が亡くなって、可哀想だからとアチコチに配っているんだそうだ。ラインで来たその情報から頂きたいというNさんに行き着いたと言うわけだ。なんと珍しいものばかり100匹も!飼いたいのはやまやまだが、ずっと育てる自信が無い。まだ沢山あるようだが、全部ハケルと良いなあ。

とまあ、色々あった一日だった。

チカレタビ~。

2024年11月 7日 (木)

いまどきの気候のような、、、。

近頃珍しくもないが、今日やってきた友人は、お姑さんの介護生活の大変さをしっかり愚痴って帰った。それは無理もない。自分と同じ年齢の彼女だ。疲れやすいのも分かるし、仕事も現役、家事もある。自宅で介護はそりゃあ大変だろう。自分自身の事を考えてもこの疲れやすさだけでも全く信じられない程で嫌になる。しかし、この友人の根本的優しさは 他人の老人にも向いていて、娘の名前も出てこなくなった女性をドライブに連れて行ったり、食事を一緒にしたりと、信じられないケアをしている。

この優しさがどこから来るのか考えてみると、「先が見えている」ということだ。いずれ我が身が、彼女の口癖。確かにそう遠く無い時期に自分たちも似たような事になっていくのは目に見えている。それにしても、我が身を呈してのご奉仕はなかなか出来るものではない。どれほど大変でも、自宅で見ているお姑さんを施設に入れるという考えは頭にないそうだ。

そうはいってもいつまで踏ん張れるか?彼女自身の健康を思わずには居られない。

色んな人生がある。

アメリカの大統領は危惧していたとおりトランプになってしまった。ハリスさんがなれなかった理由の一つが「女性だったから」が取り沙汰されている。驚くのは黒人の有権者の中にそういう意見が多かったという点。人種差別より、男女差別が強くなってきたのか?そんなばかな?と思うが、以前のヒラリーさんもそういうことだったのか?と疑念が湧く。組織が大きくなると、正論の行方が分からなくなる。

あの戦争はどうなるのか?移民たちの今後は?心配なことが増えたなあ。

我が国も首相が早速電話会談したとニュースが流れ、「ざっくばらんな人だった。」とかんなとか、、、。白いイグアナと黄色いイグアナのような得体の知れない二人の会談。どうなることやら、、、。

2024年11月 6日 (水)

拭えない不安。

アメリカ大統領選挙で、なんとなく不安だったが案の定トランプが勝利しそうな気配濃厚。かなりがっかりしている。これによって世界がコレまで築いてきた物が段々壊れそうな予感がする。地球は徐々に崩壊しつつあるのかも知れない。雇用の為に石油はドンドン掘って電気自動車なんか止めてしまうと公言しているし、地球の温暖化なんて興味ない感じだ。いやだなあ。

こっちは今日は朝から絵本の読み聞かせ。今日こそ間違わずにちゃんと行ったが、初参加のTさんのあまりのお上手さに舌を巻く。向いてるとは思っていたが、ここまでとは予想外だった。声といい、子供達に語りかける雰囲気といい、とても初めてとは思えない。というか、自分の人を見る目に再度自信を持ったことだ。

彼女曰く、「介護の仕事をしていたので、お年寄りも子供返りしているから、似たようなものなんです。」そうか。言われてみればその通りだ。適材適所だったというわけだ。

持ち時間が終わって、子供達にハイタッチされながら園を後に、「子供は良いねえ。」「癒やされるわね。」などと言いながら帰った。純粋無垢とはこのことだ。わが周辺にも小さい子供がいないので、子供に触れることが全くないから、なんとも言えない幸せな気分になる。

人はみんなこうだったはず。それが段々大人になるにつれおかしくなっていく。出会う人、教わる人によって、人生が変わる。彼が発砲事件で立ち上がり、血だらけの顔に拳を振り上げて叫んでいるショットは不気味でさえあった。これからどんなアメリカになっていくのか?そして他国の戦争は?日本への影響は???不安だなあ。

2024年11月 5日 (火)

どっひゃ~!の事件。

勘違いにも程がある、ボケボケの記録更新。

夕べお風呂に入るときから、「明日は読み聞かせの本番だ。」と信じて疑がわなかった。で、お風呂でも指定されている童謡を歌いながら入り、出てからもキーをどこにしようかと思案。子供向けだと余り高音はよろしくないようで、かといって、低いと歌いにくいし表現も上手く行かない。元々が高めの方だから仕方が無い。などと考えながらだった。

当然いつもより早めに就寝し、早めに起床。朝ご飯中にフト、「今日はお嬢は仕事だなあ。」と考えたのは覚えている。水曜日が読み聞かせの本番で、お嬢は火曜日が仕事、と分かっていたはずなのに、この時点で、この矛盾に気が付かない。で、兎に角時間までに行かなくちゃ~とのみ思考が巡り、威勢良く、「行ってきま~す。」と夫に声をかけ車を出す。で、予定より数分早く着き、車内でもまだ歌っていたもんだ。ところが時間が来ても誰も来ない。で、突然気が付いた。「げっ!今日火曜日じゃん!?」

我ながら呆れる呆け方。お、呆けると呆れるは同じ漢字じゃん?

いや~~、参りました。しょんぼり帰宅して、夫に大笑いされ、「じゃあ、うどん屋に一緒に行こう。」と言われ余計落ち込む。こっちはもう飽きてるんだっちゅうの。でもまあ、友人宅に洋服を持って行く用事があったので、結局一緒に出かける。

この友人Y、自宅で洋裁の教室をやっていて、今日は自分も知っている人が生徒さんで来ていて、久しぶりに話しがはずんだ。自分よりも6歳年上のYの元気には本当に驚く。先日徳島にも一緒にいったのだが、とにかく物事にこだわらない性格。生きたいように生きているし、ほぼ我慢するということが無い。そういうと本人は、「これでも色々我慢してるんだから。」とは言うが、全くそういう風には見えない。面倒見の良い性格で、医師まで反対した実の兄を引き取り同居している。故にただ今老々介護の日々。が、そんなことはおくびにも出さず、日々明るく暮らしている。以前は、「60歳過ぎても生きてる人は信じられない。私は絶対イヤ。それまでには死ぬから。」と公言していた時期もあったが、何をおっしゃるウサギさん。ただ今御年85歳だ。

わが友人達。本当に色んな人が居る。そしていろいろ教えて貰うことが多い。

そこからの帰り、通り道にあるうどん屋さんへ。二人が食べ終わったとき、声を掛けてくる男性がいる。夫の昔の同僚だ。当然、色んな人の消息などに話しが移り、つい長話。この人は退職後も楽器を扱えるからいろんなコンサートに参加して、結構今も忙しくしているという。中には暇を持て余している人もいるような話しだったが、長生きのご時世男性達も大変だ。「又お会いしましょう。」とお別れしたが、夫もその人もかなり懐かしそうに話していた。若い頃仕事で繋がった人は特別なんだろう。

明日こそ、本当に読み聞かせ本番だ。どうなることやら。

 

2024年11月 3日 (日)

晴れた日のあれこれ。

今日はパキッと晴れて、洗濯物を余計な物までやってしまった。雨が好きと言いつつ、やっぱりこう晴れ渡ると肺まで息が入る感じで気持ち良い。

でもって、だんなの要請で近所のうどん屋へ。その後読み聞かせの練習だ。丁寧な練習で時間が掛かったが、そんなことよりこっちはうろ覚えの歌を二曲おさらいしなくっちゃあ。呆け防止と言いつつ、なかなか大変。新しいメンバ-も今回からしっかり参加で、絵本の持ち方から真剣に学ぶ。彼女は予想通り声がよく通り、こういうのが向いている人だった。人を見る目はあるんだなあ~。私。

帰宅して夜ご飯を済ませてから、お目当ての「光る君へ」までに30分タイマーを掛けて一眠り。でもってその番組の後もぼ~っとTVを見ていたが、アメリカの分断がテーマで、それがイコール世界の政情不安に繋がるというのを、取材を元に延々とやっていた。こういう番組は、真実に近いのだろうが、やたら不安になってしまって落ち着かないことこの上ない。最近は、「私たち良い時代を生きてきたわねえ。」と友人達と語り合うのが常だったが、どうぞこれが覆りませんように、と願うばかりだ。

にしても、確かに番組内で主張されていたように、例え意見が違う人達でも、一致する点で手を携えてやっていける筈。そうでないと、世界はカオスになるばかり。幸せに、平和に、喜びに満ちた暮らしをとの想いは遠のくばかりだ。

人間誰しも幸せになるために生まれてきた、と信じたいものだ。

2024年11月 2日 (土)

あーめがふります雨が降る~。

本日のリモート歌会も滞りなく楽しく終わった。「歌会が楽しい」と感想を言う人が居たが、そう思えるのも、結局は人間が楽しいということだろう。あいにく師匠は家庭の事情で全部は参加出来なかったが、事前に東京在住のT氏がその代わりをやって下さって、長く短歌の世界におられた方だけに、的確なアドバイスや歌評があり、大いに助かった。歌評の中に、「予め歌を知っていて、色々調べて歌会に臨むより、その場で読んだ歌から読み取るのも大切だ。」とのご意見はなるほどと思ったことだ。アチクシの場合の、ずぼら故予習が苦手というのとは根っこが違うか。

いつも愛媛から参加のW女史も、洪水警報が鳴っていると言いながら、「ここはマンションの三階ですから大丈夫です。」と中断されずに参加。確かにこうして遠方の人達はリモートが良いと思うが、みんなも慣れてきて、リモートはリモートなりの楽しみ方、対面は対面なりの楽しみ方が出来るようになったということだろう。

雨の中、雨を詠んだ歌が複数。なんとなく雨は詩情を誘うなあ。夕焼けを詠んだ歌もあり、「花鳥風月」を揶揄しつつも、やっぱり自然を詠むのは短歌に向いているんだろうと思う。ま、詠み方が昔とは違うということだろうが。

そんな中、「文法で躓いて、もう短歌が嫌になってきた。」とのたまうIさんという人が居て、内心、ナント真面目な!と思っていたら、文法にはめっきりお強いKさんが、「短歌で大事なのは、文法よりも詩情です。」とキッパリ。「貴女は充分個性的な詩情をお持ちだから、問題ない。」とエールを送っておられたが、確かにそう思うし、同じ年の私とはある面でとてもわかり合える部分があるが、こうした自己評価が低すぎる点が意外。彼女は、日ごろは何事にもこだわらず、自由を愛し、いつ死んでも良いのよ!と平然と嘯くタイプだが、中身はとっても真面目なんだ。人間は立体だと、彼女を見てても思うことだ。一面だけを見てもその人を知った事にはならない。

とかありながら、本日も終わった。

九州旅行中の友人に、雨が大変だろうとラインすると、「落語三昧だから全く問題なし。」とのお返事。能登の震災に向けての募金箱の前で、笑点メンバーのこん平(?)さんと握手して写真に収まっている。色々楽しんでいるようでめでたいめでたい。

さ、今日はなんか映画でも見ようかな?

2024年11月 1日 (金)

人間は面白い。

昨日何をしたかを思い出すためにこのブログを書いていると言っても過言では無い。一応一つ思い出すと芋づる式に思い出すのではあるが、昔の様に一瞬に脳内に絵が描けない感じがあるなあ。運転免許の書き換えが迫ってきてるが、大丈夫かな?

ま、毎日何かしらあって、相変わらず忙しい。

友人が我が家に来てくれて、洋服のリフォームをしてくれるというのでその打ち合わせ。でもって夫も一緒に近くのうどん屋へ。

そして、この日は夕方になって珍客が来宅されて、余りに久しぶりだったので、二時間近くお喋り。彼とももう長くなった。我が子と同じ年くらいで、趣味の話とかで色々盛り上がったわけだ。こっちはもうすぐ80歳になるというと大仰に驚いてくれたが、彼の母上は87歳だという。その方も入退院を繰り返しておられると言い、ぼちぼちそういう感じになっていくんだろうなあと、我がことのように共感した。

その反動で、今日はしっかり家事をやったり、買い物に出かけたりと若者ぶって動いたが、やっぱり疲れを感じる。雨のせいも有るかも知れない。腰も痛いしなあ。

明日は短歌のリモート歌会。予め歌評を提出し、それを読んだ上で歌会に臨むスタイル。これはこれで文章にまとめるという作業の勉強になる。ま、何をやっても勉強だ。みんな、歌評のレベルが上がってきてるなあ、と思っている。歌会はそれに尾ひれはヒレが付いて、尚面白いことになる。

やっぱり人間は面白い。

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