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2024年9月22日 (日)

雨雨は降れども、、、暑い一日。

ただ今夜の10時。お風呂にお湯を入れてる間にとパソコン前に座ったが、何やら口寂しい。と言って、医師から設定された目標体重までまだ800グラム落とさなくてはいけない身の上。ここが我慢のしどころだが、友人がわざわざもってきてくれた自家製の甘酒を少しばかり舐めている。これがとても美味しい。自律神経がやられているらしいこの身にはとても効果があるようで、、、と言い訳をしつつ。まるで更年期障害のような症状が出て、何でも無いときにびっしょり汗をかく。この甘酒を舐めると喉がヒリヒリするのはまだどっか変なんだろうか?

夕べ娘からの情報で、NHKプラスでまだ見られるというのでオーストリアの精神科医ヴィクトール・フランクルの番組を見てしまった。第6話まであって途中で断念しようかと思いつつ見てしまったため、深夜3時半に消したのを覚えている。それ程内容が濃い物で、しっかり見たい番組だったのだ。が、実際は一部朦朧かつうつろ。

この人はあのアウシュビッツに収容されていて、家族で只一人生き延びたと言う人。彼の思想はとても現実的で、今を生きる人々に即力になる考え方だった。戦前よりも戦後の自由で豊かな方が空虚感を抱えて悩む人が多くなったと感じ、その解決に向けて取り組んだという。実際その考え方は素晴らしいものだった。沢山の名言が紹介されていたが、何しろ本来眠っている時間だったためうろ覚え。逆説的な言葉が多かったような気がしているが、どれもが深く納得できるものだった。例えばどのような悩みも誰も引き受けることは出来ない。自分自身がその悩みを引き受ける事で何かが成し遂げられる。とか、何より大切な事は、自分の人生は自分で決めること。どのように生きてどのように死ぬかは全て自由な自分の決断でなければならない。とにかく生きることには必ず意味がある。生きて苦しんで死ぬ、これで人生は完全となる。印象的だったのは、人の人生を砂時計に例え、下に落ちた物は過去の出来事で、上に残っているのが未来に残された人生。真ん中の一粒通る穴が「今」だという。この今が一番大切であると言う。アウシュビッツでの過去は消えない過去だが、今や下に沈んでいるということか。

娘が音楽をやる相棒Tが亡くなる前後、密接に関わり続ける中で自分の人生が無意味に思われて、ことあるごとに苦しんでいたというが、きっとこれを見て、大方の答えが出たのではないかと思う。Tの生き方こそまるでお手本だった。彼女は闘病生活の最中、自分の人生を設計し続けた。苦しくても笑顔を必ず見せ、残ってないかに見える力を出し切って、自分が決めたように生き切った。若すぎる死ではあったが、その運命と対峙し、決断し、見事に人生を終えたと思う。思えば相棒のわが娘にこれ以上無い財産を残してくれたように思う。

フランクルも言ってるように、悩む事は悪いことでは無い。そこから何かを得て、精神的成長があれば良い。

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