政権争いやってる場合?
クリスチャンではない私でも知っている「ヨブ記」を思い出す今日のニュース。大きな地震災害に見舞われて遅れに遅れている復興の最中、またしても追い打ちを掛けるような大雨災害の能登半島付近。気の毒で気の毒で、こちらが少々暑くても文句が言えないと、本日の夕食時の夫婦の会話。
「ヨブ記」は真面目に人生を生きてきた農夫が次々と天災に遇い、全てを失い、重い病にまでかかったとき、私はこれまで神をお慕いし真面目に生きてきました。こんな私に神はこれ以上何をお求めになるのでしょうか?という恨み節をいうのが描かれているが、、、、今の状況がまさしくこれだ。インタビューに応えた人の中に、「漸く復興に向けて動き出したところで、、、」と声を詰まらせた男性がいたが、こうした理不尽と戦い続けてきた人間の歴史だが、こうなったとき果たして人は信仰で救われるのか?このヨブ記にはチャンと結論の様な物が書かれていても、「キリストも何の罪もないのに磔になったのは人間の罪を全て引き受けて下さったから」というのはやっぱり理解が追いつかない。これをある講座で勉強したとき、かなり混乱したのを覚えている。乱暴な言い方だが「神」というのは、信じる人のみ救うということか。ま、全ては出会い。信仰に巡り会って心に平安を得る人は確かにいる。でもねえ、この能登の人々に、これも神の思し召しとは到底言えないなあ。
今日は午前中が読み聞かせの練習。午後は絵本を使ったパフォーマンスの訓練。一日二つの行事はホント疲れ切る。見た目が元気そうに見えるようだが、内心は必死。でも、こうした負荷をかけるのも必要かもと頑張った。もちろん、夕食後は少々仮眠したが、ま、大丈夫だろう。
明日はこちらも大雨かもと言うことだが、石川県ほどにはならないだろう。有り難い事。
今日は石川県出身の力士が優勝。喜びの笑顔にも何か感じるモノがあったように見えたのは深読みか?
こうした状況でも、政治の世界は喧々ガクガク自己主張のオンパレード。地方創生を語るなら今が好機ではないの?なんだかねえ。。。。