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2024年9月

2024年9月30日 (月)

ぱっとしない世の中。

朝ドラ「虎に翼」が終わった。早速ネット上には今だから言えるみたいなマイナーな意見の投稿が出ている。そりゃあたった15分のドラマの週5日分で、しかもまとめて見ることが出来ないものの評価は分かれるだろう。自分も全部は見ていない。なのでたまたま見た部分の感想しか生まれないわけだが、それでもこのドラマの、現代という時代にとっての重要さは分かった。結局、それで思うのだが、こういう物を見るとき、与えられる事ばかりが見る人にとって重要なのでは無く、見ないときに考える時間があることにも意義があるということではないのか?と。じれったいと思う半面、そう考えるとこの朝ドラ型式は意味があるということ。今日のは見て無いが、噂では随分軽い物らしい。それはそれで良いのだろうが、もし本当に軽いだけのドラマならそれこそ「ハテ?」と首を傾げたくなる。ま、この手の製作は大変らしいから、何を言う気も無いんだけども。。。朝ドラと言いつつ朝見ることは殆ど無いアチクシではあるし~。

今日は友人を誘って娘の車でとあるホームセンターに買い物に出かける。目的の物を買ったは良いが案の定サイズを測らずにカンに頼って失敗。ただ今かなりがっかり中。それを使って部屋の片付けに取りかかるつもりが何も出来ず。。。なるべく断捨離して物は買わないつもりだったが、それがありさえすればスッキリしたものを、残念無念。ま、まだそんなことやらない方が良いというお達しかも。

さっき虫の声に混じって変な叫び声を聴いたように思って外を見てみたが、何事も無くホッとする。ニュースでは物騒な事件も起きているから、つい、、、。友人宅から帰路、道路脇に夥しい警官の姿。ねずみ取りにしては姿を現しすぎてるように思ったが、やな感じ。近頃は何があってもおかしくない時代。都会も田舎も関係なく同じような事件が起きつつある。何だかねえ、、。

明日の天気予報ではまだ香川は真っ赤っか。暑いんだろうなあ。10月だというのに熱中症に注意だって?

能登の災害はさて置いて選挙だというが、ホントにそれで良いの?少しは骨のある人が総理になるのか?と思ったが、その椅子に座ってにやけているの図は頂けない。権力の座は余程居心地が良いらしい。ムムム。

今日の風。

今日は久しぶりにやや遠い場所に歌の練習のお付き合いに出かける。昔といってもそれほど前では無い頃に良くお招き頂いて自分も歌っていたが、ここ1年は行けてないように思う。高松と違ってもう曼珠沙華が沢山咲いて、コスモスも可憐に揺れている。

時間厳守で到着したが、二番乗り。間もなく元ちぇちのメンバーらが集まってくる。来月のコンサートの為の練習だが、聴いていると以前を思い出す。ピアニストが登場して早速練習に取りかかる。聴いていて思った。みんな歌いたいんだなぁと。みんな歌が好きなんだ。和気藹々とお茶にお菓子のティータイムも楽しい。

帰りは刺激されたんだろう。大音量でソプラノと声を合わせながら高速で帰宅したもんだ。

高速に乗る前に大型スーパーに立ち寄り色々買いものをしたが、アジア系の外国からの旅行者がとても多いのに驚いた。こちらでもインバウンド復活か?

が、流石に疲れて、高速を使ったのは正解だった。下道40分が15分ほどで着ける。日曜日でもこちらの高速は空いているから好き。珍しく追い越しもせず大人しく走ったが、それでも下道よりは大分早い。

夕食後、今日は光る君へがお目当てで、しっかり見たが、夫は側のソファでいびきをかきながら寝てる。起こそうかとも思ったが、まいっかと放置。番組が終わったら直ぐに起きて、「さ、寝よう」だから呆れる。

それにしてもこの番組を見ていて贅沢だなあと思う。まず紙の使い方が贅沢。しっかりした美しい紙のようだが、きっとお高いだろうに、書きかけのまま後はどうするんだろう?な~んて、思ってしまう。今日はそういう場面は無かったが、あのキレイな衣装にしがみついて涙する、という場面も多い。あれ、後始末が大変だろうなあ、といつも思ってしまう。貧乏性だと自分でも思うが、私だけ?

にしてもあの美しい細筆文字、良いなあ。ひらがなの美だなあ。

世の中には美しいものが溢れている。。。。どっかできいたようなセリフだなあ。

2024年9月28日 (土)

明日は明日の風が吹く。

ようやく夫の中古新車がやって来て、台車で運転システムの違う軽自動車にしばらく乗っていて、新しいのが来ても又それに慣れるのに時間が掛かるんじゃないの?と心配していたが、本人曰く、前のと同じ車種だし、やっぱり軽より安定感があって良かったと、早速プールに塩江まで行ったらしい。らしいというのは、別行動だったせい。

こちらはその時間は短歌の編集委員会で、長時間頭と心を使っていた。およそ10名のマチマチの年齢の男女が集まり、色々話し合った。結果はおそらく全員が今日の会議はやる価値はあったと思ったのではないか?それぞれが自分の仕事内容について把握出来たし、他の人がどんなに大変なことに関わっているかにも思いが至ったのではないか。この会というものの本質をほぼ確認しあえたような気がしている。

ま、どんな団体も人が集えば色んな問題も出てくる。が、話せば分かる。

集まった人達が同じ出身高校というのも、どこかしら親近感もある。普段そんなこと全く気にしてるわけでは無いが、師匠が現役教師時代の教え子を中心に誘い形成された団体だと思うと、どことなく気持ちが緩む。変な話し。

同窓会もコロナで遠のいてから久しいが、最後の同窓会をやろうかという話しもチラホラ。実際は、無理かも知れないが、、、。ホントいつの間にか年取った。お世話係の中心が一人二人と欠けてしまい、みんな元気が出ない感じ。さあ、どうなるか?やれたら面白いかも知れないが。。。

明日はいよいよ来月に迫った声楽コンサートの練習に立ち会い、司会の準備もしなくては。みんなに会うのも久しぶり。どんな一日が待っているやら。。。。

2024年9月27日 (金)

温泉。

子供達が小さい頃はほぼほぼわが両親が面倒を見てくれて、そのおかげで今でも二人とも温泉とお寺好き。娘がこちらに移住してからもよく一緒に近くの温泉に行く。ちょっと疲れたとなると直ぐに温泉だ。旅帰りの娘からそろそろ誘いがかかると思っていたら案の定孫べえが塾に行ってる間に行こうよ、と誘ってくる。で、もちろん二つ返事でOK。久しぶりにタップリお湯と岩盤浴を楽しんだ。でもって、お食事処もあるので、湯上がりに焼酎とハマチのかま焼きに梅茶漬け。実は今宵の番ご飯の一品に、とあるスーパーで買っていた手抜き用茄子の素揚げ冷凍を食べようとしたら味が悪い。夫は知らん顔して食べていたが、こっちはポイ。これのおかげで食欲が無くなり、たまたまご飯も足りなかったのでビール一缶だけにしたところに娘が迎えに来たという次第。なので温泉で食べるのには罪悪感は無い。運転もしないので久々の焼酎だった。

金曜日とあって、子供連れの人も居て親御さんは気にしていたが、こっちはギャン泣きの子供の声は気にならない。それを聞きながらマッサージ機にかかったりリラックス。これはもしかしたら幼児に読み聞かせ体験が功を奏しているのかも知れない。一昨日はその読み聞かせに始めて見学の人をお連れした。「私の方が楽しかったです。」と言ってくれて、どうやら仲間に入ってくれそうで良かった。この人Tさんは声が澄んでいて子供に好かれそうな感じがしていて以前から誘いたかった人。短歌の会で知り合った人で、自分より大分お若いからバトンタッチして欲しい位だ。ま、いずれそうなる時が来ると思っている。こうして色んな繋がりが出来るのも嬉しい。そもそも短歌をしてなければ絶対に出会うことは無かった人だ。

娘と食事をしながら、と言ってもあちらは親知らずが痛いとジュースに冷や奴というメニュー。まあ話しがオカズということだ。母親と娘というのは全く気兼ねなく喋ることが出来るのでお互い日ごろの憂さを晴らすにはもってこいの相手。今日決まった総理の話からお互いの友達の事まであらゆる事が話題になる。そしてお互いに考え方のチェックもしている。特に共通の音楽の話しには熱くなるようだ。しかし近頃は何かと言えば叱ってやろうという構えが娘の方に見える。こちらが老化していくのをなんとか止めたいらしい。これは自分も経験がある。わが母に同じ態度を取ったことが度々あるのを思い出す。最後は笑いに流れるが、これは家族ならではの締め方だ。ま、順繰りということだ。

さあ、今日は熟睡出来るかな?

2024年9月25日 (水)

若者の心と才能の話し。

今朝の事。いつもカットに来られる古いお客さまKさん。随分昔だがお嬢さんが私の勧めでとある地方劇団に入団し、一時期はとても活躍された。そのおかげで彼女の人生が変わり、とても幸せな生活を送っているとKさんは来店の度に感謝の言葉を言ってくれる。結婚後お子さんも出来て劇団は離れているが、それでも公演があると裏方を手伝っていると言う。今日も近々行われる公演のチラシを持参されて、良ければ見て下さいと、ご自分の娘さんが出てる訳でもないのに熱心だ。

考えてみると、こういう例が他にもあって、なんだか鬱々とした生活を送っている若者に何かしら表現の場を紹介してきた訳だ。時には芝居、時には歌だったが、みんなそれぞれの世界で大いに楽しんでいる。こうした出会いはもちろん本人がその気にならなければ何も起こらないが、少し興味があるだけでそれまでとは180度違った人生が歩める、と私は思う。

自分自身も色々な師匠と呼べる人との出会いで人生が潤った。本当に恵まれていると思っている。

Kさんが、「私のヘアを見て、何処の美容室で?とよく訊かれるんですよ。」と言ってくれる。で、わが店の名前を出すと、「へえ~?あの先生まだお仕事されてるんですか?と言われますよ。」とのこと。ま、お世辞半分だろうが、わが夫も言う。「お母さんの年で仕事やってる人居るの?」と。もちろん居ると思うし、量はともかくそれぞれの方と密なお付き合いになっているのではないか?面白い仕事に就いたものだ。と今更ながら思う。

さっきちらっとTVを見ていたら今の朝ドラの脚本家が出ていて、どういう想いで書いたかを話していた。先に見ていた夫が言うように確かに驚く程の若い女性だ。そして考え方がしっかりしている。自分が聞いた場面では、「世の中でスポットを浴びる事が無い人達にしっかり焦点を当てたかった。何らかのコンプレックスを抱えている人の内面を、その逆にマジョリティ側にいる人が持つ権力が如何に意識せず権力を振るっているかをも描いた。」と言う。それを聞いてドラマの輪郭がハッキリした思い。確かにそうだとドラマの内容を振り返る。特に主人公の寅子が良かれと思っていつの間にか周りを傷つけているという描き方は凄いと思った。一生懸命な時なかなかそこまで気が回らない。自分自身が手一杯でもあり、寅子のように一人で背負い込んでる感のあるときには、他人のことを思いやる余裕がなくなる。この作者は誰にでも起きうるこういう間違いを正すチャンスをキッチリ与えている。所謂マイノリティと言われる人々をもかなり描いている。どんな人も社会の構成員だとキッパリ主張しているのはこれまでに無いドラマだと思う。

若い才能がドンドン出てくるなあ。嬉しいことだ。

2024年9月24日 (火)

予定は未定にして、、、の日。

540分にマンションで娘をひらい、一路空港へ。駐車料金三日分を浮かせるつもりと、道中の会話が目的。にしてもこの時間はちと早すぎた。早寝するつもりがなかなかそうも行かず、結局睡眠時間は5時間足らず。だが、行く時の気持ちは送ってからどっかで朝うどんなるものでも食べて、ちょこっとジムも行って、近くの温泉でゆったりして帰るというものだった。が、娘を下ろした途端どっと疲れて、結局何一つ実行せずおお急ぎで帰宅。又パジャマに着替えてそこから爆睡。結果目が覚めたのは12時。階下では夫がうどん屋に行こうと手ぐすね引いて待っている。仕方なく洗濯物をセットして出かけたが、我ながら良く寝た。おかげで何だか体力が復活したのを感じる。矢張り睡眠は大事。

なので、郵便他用事を幾つか済ませてから、待ちかねてるに違いない孫べえにラインビデオで拘りのお店の商品を選ばせてお弁当を届ける。この時点で夫は帰宅していて、これ又こっちの帰りを待ってるのは間違いない。バタバタと帰ってからバタバタと食事の用意。実は友人に本とか持って行こうとラインしたが、こちらは既読にならず諦めて他の用事を優先した。

なんでこう忙しいの?って、ほぼほぼ自分で用事を作っているかも。ま、いっか。動ける内が花。

と言いつつ、夜にでもジムに行こうと思っていたのは速攻キャンセル。動けてるとは言いがたいな~~。

2024年9月23日 (月)

想い出のページ追加の巻き。

今日はエンターテイナーのパフォーマンスに浸った。岩手県出身らしく、県の観光大使でもあるようだ。音大で学んだ後、ミラノに留学、そこでチャッカリ?イタリア人女性をゲット。イタリアでは主にミュージカルスターとして活躍中とのこと。若々しい歌い振りと多彩なジャンルの歌唱に経験豊富な歌い手であることが分かる。トークも楽しく経験を元にしたお話は客席を湧かせた。ピアニストが娘と縁のある人で、友人と出かけたのだが楽しめた。そのピアニストが左手はピアノ、右手はシンセと色んな音を使い分けるのも見もの聞きもの。凄いテクニックだった。休憩に入るとその歌い手が寄ってきて、「歌の人ですか?」と聞いてくる。なんでも歌を聴きながらこちらは自然に体が反応していたらしい。兎に角一番前の席で余りに近くて何処を見て良いか目が泳ぐ。横向きのピアニストを見るのが落ち着くので、ついそちらを見ていたのだが、、、。「知ってる曲ばかりだったので、つい、、、そうでしたか?」と会話を交わし、その後も彼は一人一人の席に寄っては話しかけていた。ナントいうサービス精神。まあ20数名だから出来る事だ。

その時友人Kが、「生で良かったのに。マイクは要らないんじゃ無いですか?」と聞いていたが、シンセを意識しての事だという。我々は生声が好みなので、そこは少し残念だった。

オペラ座の怪人やジキルとハイドなど、歌い込んだ曲は迫力があった。「自分はロッカーで、格闘家なんです。」と言い、ジュリーのストリッパーを歌ったり、腕立て伏せをしながら歌うというパフォーマンスで驚かせた。全身で客を楽しませるという完全なエンターテイナーだった。

しかし歌は良いなー。久しぶりにタップリ聴いたが、歌いたくなる時間でもあった。涼しくなったら少しずつ歌ってみようかな?

丁度前の席にいた若い女性と楽しく会話して、FB仲間になったが、娘さんが美大に通っているという。こういう場所で知り合えるのは素敵。又会えると良いですね、とお別れした。そして帰路我々二人はコンサートの話しに花が咲く。そしてそれは昔の海外旅行の話につながり、「あの頃は楽しかったわね~」となる。

共通の話題が有ることはかくも幸せ。これからもこうした想い出が増えると良いなあ。

2024年9月22日 (日)

雨雨は降れども、、、暑い一日。

ただ今夜の10時。お風呂にお湯を入れてる間にとパソコン前に座ったが、何やら口寂しい。と言って、医師から設定された目標体重までまだ800グラム落とさなくてはいけない身の上。ここが我慢のしどころだが、友人がわざわざもってきてくれた自家製の甘酒を少しばかり舐めている。これがとても美味しい。自律神経がやられているらしいこの身にはとても効果があるようで、、、と言い訳をしつつ。まるで更年期障害のような症状が出て、何でも無いときにびっしょり汗をかく。この甘酒を舐めると喉がヒリヒリするのはまだどっか変なんだろうか?

夕べ娘からの情報で、NHKプラスでまだ見られるというのでオーストリアの精神科医ヴィクトール・フランクルの番組を見てしまった。第6話まであって途中で断念しようかと思いつつ見てしまったため、深夜3時半に消したのを覚えている。それ程内容が濃い物で、しっかり見たい番組だったのだ。が、実際は一部朦朧かつうつろ。

この人はあのアウシュビッツに収容されていて、家族で只一人生き延びたと言う人。彼の思想はとても現実的で、今を生きる人々に即力になる考え方だった。戦前よりも戦後の自由で豊かな方が空虚感を抱えて悩む人が多くなったと感じ、その解決に向けて取り組んだという。実際その考え方は素晴らしいものだった。沢山の名言が紹介されていたが、何しろ本来眠っている時間だったためうろ覚え。逆説的な言葉が多かったような気がしているが、どれもが深く納得できるものだった。例えばどのような悩みも誰も引き受けることは出来ない。自分自身がその悩みを引き受ける事で何かが成し遂げられる。とか、何より大切な事は、自分の人生は自分で決めること。どのように生きてどのように死ぬかは全て自由な自分の決断でなければならない。とにかく生きることには必ず意味がある。生きて苦しんで死ぬ、これで人生は完全となる。印象的だったのは、人の人生を砂時計に例え、下に落ちた物は過去の出来事で、上に残っているのが未来に残された人生。真ん中の一粒通る穴が「今」だという。この今が一番大切であると言う。アウシュビッツでの過去は消えない過去だが、今や下に沈んでいるということか。

娘が音楽をやる相棒Tが亡くなる前後、密接に関わり続ける中で自分の人生が無意味に思われて、ことあるごとに苦しんでいたというが、きっとこれを見て、大方の答えが出たのではないかと思う。Tの生き方こそまるでお手本だった。彼女は闘病生活の最中、自分の人生を設計し続けた。苦しくても笑顔を必ず見せ、残ってないかに見える力を出し切って、自分が決めたように生き切った。若すぎる死ではあったが、その運命と対峙し、決断し、見事に人生を終えたと思う。思えば相棒のわが娘にこれ以上無い財産を残してくれたように思う。

フランクルも言ってるように、悩む事は悪いことでは無い。そこから何かを得て、精神的成長があれば良い。

2024年9月21日 (土)

政権争いやってる場合?

クリスチャンではない私でも知っている「ヨブ記」を思い出す今日のニュース。大きな地震災害に見舞われて遅れに遅れている復興の最中、またしても追い打ちを掛けるような大雨災害の能登半島付近。気の毒で気の毒で、こちらが少々暑くても文句が言えないと、本日の夕食時の夫婦の会話。

「ヨブ記」は真面目に人生を生きてきた農夫が次々と天災に遇い、全てを失い、重い病にまでかかったとき、私はこれまで神をお慕いし真面目に生きてきました。こんな私に神はこれ以上何をお求めになるのでしょうか?という恨み節をいうのが描かれているが、、、、今の状況がまさしくこれだ。インタビューに応えた人の中に、「漸く復興に向けて動き出したところで、、、」と声を詰まらせた男性がいたが、こうした理不尽と戦い続けてきた人間の歴史だが、こうなったとき果たして人は信仰で救われるのか?このヨブ記にはチャンと結論の様な物が書かれていても、「キリストも何の罪もないのに磔になったのは人間の罪を全て引き受けて下さったから」というのはやっぱり理解が追いつかない。これをある講座で勉強したとき、かなり混乱したのを覚えている。乱暴な言い方だが「神」というのは、信じる人のみ救うということか。ま、全ては出会い。信仰に巡り会って心に平安を得る人は確かにいる。でもねえ、この能登の人々に、これも神の思し召しとは到底言えないなあ。

今日は午前中が読み聞かせの練習。午後は絵本を使ったパフォーマンスの訓練。一日二つの行事はホント疲れ切る。見た目が元気そうに見えるようだが、内心は必死。でも、こうした負荷をかけるのも必要かもと頑張った。もちろん、夕食後は少々仮眠したが、ま、大丈夫だろう。

明日はこちらも大雨かもと言うことだが、石川県ほどにはならないだろう。有り難い事。

今日は石川県出身の力士が優勝。喜びの笑顔にも何か感じるモノがあったように見えたのは深読みか?

こうした状況でも、政治の世界は喧々ガクガク自己主張のオンパレード。地方創生を語るなら今が好機ではないの?なんだかねえ。。。。

2024年9月19日 (木)

本日の本日のトピックス!

毎日毎日何かしら起きるものだ。世界もそうだが、国も県も、市でも我が家でも。昨日と同じでは無い。新たな事件が起きる。我が家では今日夫の車が路上で故障して立ち往生。よくぞ事故にならずに怪我も無く済んだものだ。おかしな事だと思うが、その直前いつもの車やさんに変な気がすると、別件で訪ねたときに診て貰ったようなのだ。多分大丈夫でしょうと言われてからのこの事態。幸い事故にはならなかったがもし何かあったらどうなんだろう?運転手が怪しいのに車がこれではねえ。月末に新しく中古車が来ることになっているのに、なんてこと!まあ不幸中の幸いではあったが。本日一番のギョギョギョッではあった。

昨日親戚の男性が亡くなったという知らせを受ける。面識は無いが話しにはよく聞いていた人。矢張り癌。つい先日元ちぇちのメンバーの父上が肺癌で亡くなられたとお聞きしたばかり。本当にこの病気の人が多くなったという実感が湧く。我々も既に罹患しているかも知れない。こればかりは分からない。旅立つ人のご冥福を祈りたい。

夕食時にTVを見てると「顎の筋肉」を鍛えることで長寿が期待できるという番組。つい見てしまう。考えてることとやってる事にギャップがあるなあ。その動画に映っていた人は殆ど女性。男性は何処へ?百歳の母がよく言っていた。年上の男性が一人もいなくなった!そういう時代だ。

2024年9月18日 (水)

今日の決心。

もうねばならぬ、と思うことを止めた。ちぇちの解散以来、常に何かに追いかけられるような感覚が付き纏っていたが、そして、何もしないと落ち着かないという嫌な気分が追いかけてくるような、そんな毎日だったが、今日あまりの暑さにクーラーの下のソファで昼寝。目覚めたとき思ったのだ。そうだ、生きてるだけ儲けもの。熱中症で無いだけまだマシ。「これで良いのだ」と思う事とした。すると、妙にスッキリしてキッチンで水分補給をしていると、スマホに知らない番号が表示される。出ようか出まいかと一瞬迷ったが、この電話は最近色んなチラシでも公表しているから誰から掛かっても出ないわけにはいかない。恐る恐る出てみると遠い記憶にある声が聞こえる。その人が言うことにゃ、「電話を繰っていたら懐かしいお名前が出てきたので思わずかけてしまいました~。」そりゃあ懐かしいのはこちらも同じ。多分十数年前にお目に掛かって以来の人。もっと前かも知れない。シャンソン教室主催のコンサートにわざわざ県外から来て下さっていたシャンソンファン。積もる話に花が咲いて、娘の話しも出て、CDを送って欲しいと言われる。蛙の子は蛙と思われただろうなあ。お互い年齢を言い合って、自分より二つお姉さんだと分かる。昔は年齢なんか気にしなかったが、もう言い合ってもどおってことない年になってる。思い出してくれただけでも嬉しい。

音楽をやっていて、こうして人と人との繋がりが広がったのは自分の人生にとって一番良いことだった。何をしてもそれが人と関わるならばそれは全てが宝物だ。

高校生辺りはどちらかというと人間嫌いだったはずが、いつのころからか人間大好きになっている。多分それは人を見るときに近視眼的に見ることが無くなったせいだ。その人を立体的に見ることが出来るようになれば、誰だって大丈夫。出会った面積の違いはあってもみんな友達だ。

2024年9月17日 (火)

残暑にも程が有る。

ニュース番組によると日本で読書を全くしない人が60%を越えるという。自分も昔に比べると読む時間が少なくはなっているがゼロではない。活字に導かれる快感はちょっと他の物では代えがたい物がある。きっかけさえあれば読書の喜びに触れることは簡単だろうと思うが、今はみんな忙しい。快感を得る媒体が非常に多い。手を伸ばすにたやすい物から満たされていくのは仕方が無いのかもしれない。昔は幸せな事に何も無かった。読書が快感の優位を占めていたわけだ。

そしてニュースの中でもう一つ驚いたことは言葉。「さくっと」「もふもふ」が今後どうやら定着する方向にあるらしい。オノマトペだけで無く今後違う使われ方をする言葉も多々出てきそうなはなし。色んな凶悪事件にも驚かされるが、国民全体に影響する言葉自体が変化していくのは、良いのか悪いのか?いや、良いも悪いもないんだろう。時代という大きな波が悉く流していく。きっと止められないんだろう。苦々しく眺める人はいても、積極的にその流れに竿刺す人はいないんだろう。しかし、将来皇室の人が、「わたくし、その件はさくっと終わらせましたの。」なんてこという時代が来るとも思えない。残るところにはキレイな日本語がキレイに残っていくんだろう。でもなあ、「今年のお蚕はもふもふして、とっても良い感じですの。」なんてことはあるかも、、、、無いか?

今日も初対面の人と少しばかりお話する機会があった。どうやら、こういうのが加齢には良い薬らしい。ま、踏ん張るか。

2024年9月16日 (月)

まだ熱い!暑いを越えている。

一日一善、とは昔父親からさんざん聞かされた言葉だが、今は一日一仕事。善かどうかは分からないが、本日初めてお目に掛かる人と10名ほど接触。というのも、誘われて絵本の朗読会に出かけたため。何が驚いたって、10冊ほどの絵本のどれ一つも知らなかった事。紹介では、有名な作者という事だったが、知らない世界の事はホントに知らない。ある人が英語の本で、翻訳物を本気で読むと3時間以上のものです、と紹介し、それを自分流に23分にしましたと言って読んだのは流石に面白い物だった。彼にとってはそうまでして紹介したい内容だったのだろう。どの世界にもこういうはまってる人がいるものだ。絵本ではあるが、子供向けという物ばかりでなく、大人が鑑賞するに耐える物が多いと感じた。だからこそコアな絵本フアンがいるんだろう。

たった1時間半の参加がもの凄く体に堪えて、疲れ切ってお嬢のお迎えの車に乗りこんだ。

皮膚が切れるかと思うほどの太陽光を浴びながら帰宅したが、ほとほと疲れた。

昔からの仲間達はママはちっとも変わってないよ、と慰めてくれたが、いやはやいやはやその言葉自体が刺さる。そこで言ったもんだ。アルコールが欲しくないっていうのがそもそもおかしいでしょ!?で、笑いを取って解散。その場で聞いた情報が面白くてお嬢に話したが、あのサザエさんのおじいちゃんはナント52歳の設定だとか。いくら昭和の話しとはいえ、ズレを感じるなあ。それを聞いたお嬢もブッと吹き出した。自分の年齢を思ったらしい。やっぱり昔とは20年くらいの感覚の違いがあるよねえ。

とにかくおみっちゃんのお体は未だ緩解の段階のようだ。長い。長すぎる。

2024年9月15日 (日)

AI。

奇特な方からAmazonのおもちゃを頂いた。夫は初めからこの手のものには無関心というか、全く苦手で、本当は貰いたくなかったようだが、あれば便利ですよと言うお相手の言葉にじゃあ頂きますと返事。早速今日お届け頂いたのだが、もっぱらこっちが設定やら接続やらをやる羽目に。自分の部屋では良い具合に使ってはいるが、使い始めたのは随分前。覚えているわけが無い。で、しばらく「アレクサ」と対決する羽目となる。何度チャレンジしても何かがおかしいのだろう。接続できませんとなる。そのままにして大河を見てから再度チャレンジ。色んなネット上のアドバイスの中に、「電源差し替え」というのがありマサカと思ってやってみたらこれが大当たり。何のことは無い。パソコンもプリンターもそういうことが度々あった。で、最初にアレクサが言うには、「ワタシトダジャレタイケツシマセンカ?」くっそ~AIに負けてなるものかと始めたら意外と難しい。

こんなことをしながらフト今読んでいる「ヒトの壁」の中身を思い出した。理性とは何かを考える時に、AIに勝る参考資料はない。手続きを踏んできちんと考えるなら、AIに任せればいい。ヒトの出る幕では無い。と書いてある。

「ああすればこうなる」という理屈。これに最も長けているのがAI。しかし、人間そうはいかない。一筋縄では行かないのが人間て生き物だ。だから人間には間違いも多くなる。

そう、「間違うのが人間」と思えば、何もかも許せる。自分も含めて。なんちゃって。

2024年9月14日 (土)

秋はやっぱり読書に向いてるなあ。

面白い本に出くわした。養老孟司という名前しか知らない人の書いたものを読み始めて、余りに共感出来ると思ったら、自分より8歳お兄さんであった。まるで兄のようなこの人から、この事はねこういう風に読み解くんだよ。どうだい?そう思わないかい?と色々教えて貰っているような感じ。解剖学者が本業だと言うが、解剖論理のようなものが人生観に繋がっているのかも知れない。

今宵はお留守番の孫べえの為に料理を届けて彼が食べ終わるのを待つ間に読み始めたのだが、そういえばこの本は友人Kから借りている物だと思い出す。彼女が感動したことを教えてくれたものの、すっかり忘れていたが、読み進めていく内に多分彼女と同じ点で納得したりニヤリとしたり時には声を出して笑っている。で、孫べえに聞いてみる。「ねえ、校長先生で、新入生の顔と名前を全部予め覚えている先生ってどう思う?」と。すると当然の様に、「凄い人なんじゃね?」と返ってくるので、「この本の作者は、暇な人だって書いてるわ。」と言うと、ふ~~~んと変な反応があった。この会話はそこから先が面白くてこっちが読み続けたので立ち消えになったが、こうした調子で物事の見方を様々な角度で書いているので、かなり難しい本にもかかわらずドンドン読める。東大の助教授時代が東大紛争の頃で、学生運動にはシンパシーを感じていたと書いてある。そしてそのことが自分のこととして問題提起されたとも。自分は何のために解剖学をやるのか、、、等々。そしてスティーブジョブズの大学卒業生への言葉として、「ハングリーであれ、バカであれ。」と語り、「夜には死ぬという前提で毎日を始める。」と語ったいうのを紹介している。ハングリーねえ、、、今日内科で健康指導を受けたなあ、、、って、意味が違う。バカねえ、、、、過去を振り返りバカだったなあ、と思いはしても、これから先までバカをねえ、、、。いや、このバカも深いバカだ。

朝には死んでるかも知れないと思って、さ、寝るか?ククク。

2024年9月13日 (金)

「普通」であること。

少しずつ日常が戻りつつあり、夕べは40日ぶりに友人Kをピックアップして観劇。この日山下達郎のコンサートと重なり駐車場がヤバイという情報があり、早めに出発。上のレストランで軽食を取りながら開場を待つ。連絡してあったもう一人のKさんもやってきて久々の談笑も何やら懐かしい。彼女は東京の娘さんが海外とかで、孫の居るお家で留守番だったらしい。勝手の違う台所での調理も疲れたと言い、一応ミッション達成したけどホント、年を感じたわ~に、「わかる~~~。」

佐々木愛出演のこのドラマは親子といえども必ずしも上手く行かないことや、他人といえども親身になれる関係など、人間を描いて面白かった。「人間、必ずしも血だけじゃないからなあ、」というシゲ爺こと重鎮の青木氏の言葉は納得するものがあった。そしてナントいっても佐々木愛の声、膨らみの有る哀愁を帯びた声で、彼方へと去って行く危なっかしいが実の息子のような若者に、「ぼ~!帰ってくるんだよ、ぼ~~」と呼びかける場面。観客はここで感極まってこれで幕かと思い多くの拍手に包まれた。が、暗転のあと芝居はまだ続いた。風来坊のような生活を送って来たが罪を償って三年後に帰ってきた青年とバイクにまたがるスマ婆がラストシーン。ここでドッと笑いが来る辺り、いかにも文化座らしい公演だった。2時間半の長丁場が苦にならず、久しぶりの観劇に心満たされた。

帰りの道中友人が言う。「こうして普通に観劇出来るのは嬉しいよね。普通が一番。」正しく。

体調は、あと一歩感がまだ抜けないが、目の前の予定をこなしていく内になんとかなるんだろう。

2024年9月 9日 (月)

重陽の節句=我が子の誕生日

今日はお嬢の誕生日。取りあえずお昼親子三人でおそば屋さんを予約しようとしたら、二名様分しか蕎麦が残ってませんと言われ、当然のように夫はパス。二人で出かけた。山間にあるお気に入りのお店で、店主も覚えてくれている。到着したら一組のお客さまが断られて気分悪そうに出て行くところ。気の毒に、、、。

貸し切りでたっぷりゆっくり頂いて、満腹とは行かなかったが丁度良い感じ。周辺に何も無い場所だけに風の通りも良く落ち着ける。そのままお嬢の車に拉致されたままマンションに。ところが二人ともなんだか眠い。テラスから入る風に吹かれている内にいつの間にかうとうと。目的の第一はシャンソンの勉強だったはずが、、、。そのうち孫べえが帰宅して、パパの買ってきたケーキを囲んで三人でハッピーバースディ。いやあ、なかなか美味しい。流石のグルメのチョイスだけある。パパにもちょこっと残したが、、、予想外の婆婆さんの侵入で、、、、プププ。

本当の誕生会は明日にしようと約束してバイバイ。

昨日ははるばる水戸からご帰還して古楽のチェンバロ担当だったT先生のために久しぶりにお出かけ。清涼飲料水を飲んだような演奏で、さわやか~な気分。こちらとしては、ようやくこうして出かける事が出来た事が大きい。このままの流れで全快となれば嬉しいのだが。。。

夕べは短歌の出詠でちょいと夜更かししてしまった。相変わらず薬に頼ってよく眠ってはいるが。今日こそは早寝しよう。

2024年9月 7日 (土)

人間は小さい。

頭を使うのも疲れるものだ。今日は歌会で司会は他の人にお願いしたものの、集中して二時間はやはりまだ堪えた。夕飯後、それもお嬢に店屋物を買ってきて貰って昨日の残り物を夫にじゃーーーっとミキサーに掛け、こっちは半分を砕かず食べ、、、、てな手抜きの食事。それを終えたらもうダメ。リクライニングソファで軽く、と思ったら1時間の仮眠。なんてこった。時間が勿体ないなあ。

ただ今ハノイにいるという息子からのラインで目が覚めたのだが、ただ今台風のまっただ中らしい。30年来の大型だというが、そのせりふこっちでも聞いたような、、、?近頃は便利で、送られてきた動画付きのラインユースも簡単に訳してくれて内容が直ぐ分かる。こちらでもさんざんニュースで見たのと同じような映像が流れている。こうしたことはこれからどんどん多くなって行きそうな予感。

短歌の歌会に参加する人が少ない。理由は色々あるだろうが、歌会の面白さを知らないと言うことだろう。誰かにジャッジされたくないという思いもあるかも知れない。他人の歌を評価するなんてとんでも無い、と恐縮の向きもあるだろう。でもこれまで長く参加してきて、「短歌」というものの一番の魅力はここにアルのかも知れないと思い始めた。いや、かなり前からそう思っている。たかが一首だが、その歌の裏側や周辺に込められた意味合いは、すっと読んで全て理解出来るものではない。もちろん、読み手の自由な解釈があって良いし、文学はそもそもそういう物だろう。でも、出来うるなら作者の意図するところを知り、それが読者に上手く伝わってないならどうすれば良いかという技術的なものも教えてもらえるこういう会が欲しい。これが、学校の授業の様な物では面白くないが、みんな人生経験を積んだ一人前の大人だから、そこに自ずと相手への思いやりや同情がプラスされ、色んな可能性を探りながらの会話となる。もちろん積み残すテーマも出てくるが、その場で全て解決する必要も無い。自分の思いが何故伝わらないのか?そのヒントさえもらえれば、次に生かせると思う。そして思うのだ。短歌を詠むという行為は、自分の内面を、あるいは人生を振り返り、他者に優しくなり、自分の小ささに思いを致すという行為だと。

そう、人間は小さい。どんなに威張っている人でも。

2024年9月 6日 (金)

なにごとも対策が大事。

今朝、我ながら驚く睡眠時間がスマホに表記されて、嘘でしょう!?と思わず言ってしまう。にゃニャンと12時間5分の睡眠時間で、しかも途中で起きたのは2回。これ凄い事!何故こうなったかをつらつら考えるに、お風呂にゆっくり浸かったこと。部屋は除湿にセットして一枚重ね着して、温度が下がりすぎても起きないで良い対策。そして10時半という時間に睡眠導入剤。部屋はまっくらにして、アレクサに「暗い日曜日」の楽曲リピートを依頼。で、寝ただけなんだけど。夜中に一回起きたときまだ鳴っているアレクサにストップをかけて水を一口飲んで再び眠ったらしい。ちゃんとチャイムも切ってあるところをみると、思い切り寝ようと考えたんだ。にしても、半日眠り姫だったとは!!おかしかったのは、この時計と連動しているスマホのアプリに色々アドバイスが書いてあり、貴女は同じ年の他の人より99%長く寝てます。とあったこと。だろうねえ。この年で、こんなに寝る人はいないんじゃない?他にも、貴女は寝始める時間が遅すぎます、ともあった。軽い運動をして速く寝なさいとも。

なるほどごもっとも。出来るときはそうしようと考えている。

で、そういえば、ちょこっとチョコザップの効果もあったということだ。

まあ、まだ車の乗り降りが痛くて完全な老婆をやっているが、明日からちょこっとやってみよう。

明日は歌会。リモートだがじっと座って居られるかが疑問。ま、対策立てて頑張ろう。

2024年9月 5日 (木)

ちょこっとの日。

先月丸々お休みしてしまったチョコザップに始めて行ってみる気になった。大分前から夫にやいのやいのと言われてはいたが、どうもシンドイが先立ち行く気にならなかった。が、それこそちょこっと行ってみて、しんどかったら直ぐに帰ろうと決めていったのだ。幸い室内借り切り状態で、ゆっくりのんびり使ったのはサイクリングのみ。10分ほど動かして出たが、ま、行けそう。

それというのも、ここ数日メチャクチャ腰が痛い。これまで痛かったことも時々あったが、そんな痛さでは無い。余りに長期に寝込んでいたのが原因かと自己判断。毎日の様に腰痛ベルトのお世話になっていたが、考えてみると股関節の手術の後でも、翌日からリハビリだった。こんなに寝込んでしまったことは暫くない。腰の筋肉が消滅したのかも知れない。

病院行きを一日延ばしにしているが、痛くなくなれば行く必要も無い。今日の結果次第で考えても良いかな。

新しい本が来た。先日の絵門女史の書いた物だが、一冊目から4年経っている。全身にがんが回っていてもこうして書き続けることが出来た人だったんだ。樹木希林と同じように全身に転移してたとは。

読み始めたが、初めから読ませる力を持っている。体験談の強みか。

あれっぽっちの運動で速くも眠気が!ま、どちらかということ今日は睡眠を優先だなあ。

と思ったら、歌会の歌評が貴女だけまだ出てないよ、とお知らせ頂く。あっちゃ~とばかりおおいそぎで書いて送った。余りに自分の身にばかりかまけていて、世の中の流れから時々離脱する。失敗失敗。

2024年9月 3日 (火)

戻って来~~~いよ~~。元気。

正直まだしんどい。家事をしてもすぐ汗びっしょり。さりとて横になっても良くならない。なんじゃ?これは?という状況。仕事帰りにやって来たお嬢が言うには、全くおなじだとのこと。そうなんだ。若くてもそうならこっちは仕方がいんだろうと諦める。実は数日前からの腰痛がかなり厳しい。ちかごろは症状をネットに打ち込み病名を調べることが出来るが、余りに多岐にわたる結論で、結局分からな~い。で、明日こそは病院に行こうと決心して眠ったが、起きると何だか行きたくないが勝ってしまった。昼間にやってきた友人がそんなので検索してないでとっとと病院!とお説教してくれたが、なんだか腰が重い。いや腰が痛いんだ~~。で、グズグズしていて今日は止め。

昨日読み始めた本は、先へ先へと促される書き方であっという間に読んでしまった。読後感としては、為になった、というのが一番。で、癌になったら民間療法だけに頼るのは止めようということ。不信感をもつ医師も居るが、西洋医学がやはり信用できる、ということ。兎に角理路整然としていてとても読みやすいし、何より体験談だから説得力がある。この本が出版された頃は健在だったようで、未来に向かっての希望も気持ちよく描かれている。不安があっても希望を捨てない生き方には共感出来た。が、色んな説明があったにせよ、一年半も民間療法、それも怪しげな物に大金と労力をつぎ込み続けたのかが、矢張り分からない。相当頑固だったような気がする。過酷な痛みに耐えながら僅かの望みに縋っていたのが信じられない。いくら医者嫌いの私でも、癌を宣告されたら、何を置いても西洋医学に頼るだろう。ま、時代が少し違うというのも有かも知れない。18年前に亡くなっていることを考えるとまだまだ西洋医学も信頼を勝ち得ていない部分があったのかも知れない。

しかし、一つの才能が消えた事には間違いなく残念だ。こういう人がいたことを知らなかった。このあとどういう経過を辿って亡くなったのか、次を読みたいとおもってる。

こんなに時間が経ってもこうして感動して彼女の心に人生に寄り添いたいと思う人間が現れると言うことは、「本」の力だ。夫に勧められて書いたらしいが、素晴らしい選択だ。一番の理解者だったんだろう。

読書も音楽するのも、健康が大事。速く元の体に戻りたいよう~~。

2024年9月 2日 (月)

読書出来る夜がやってきた。

今日も嫌なニュースばかり。中でも命に関わるニュースが多く本当に落ち込む。国内では飲酒運転により一気に三人もの人が死亡した件。家族のインタビューには泣かされる。家族でしか知り得ない遺体の状況は、事故ならではの悲惨さだ。未だに飲酒運転が無くならない事実に信じられない思いだ。

そしてイスラエルの人質が拷問の末殺害されて、それをきっかけにイスラエルで大きな反政府デモが起きているというニュース。大統領のしらっとした説明にはプーチンのそれと重なるものがある。とても人間とは思えない。

こういう政治家達を諭すことが出来る例えば宗教家や哲学者はいないのか?どこの国にも優れた思想家がいるはずだ。

一方で大谷の活躍が毎日の様に報じられる時代。このアンバランス。

今、取り寄せた本を読んでいるが、絵門ゆう子という人の「がんと一緒にゆっくりと」というのは、体験者が書いていることもあって学ぶことが多い。誰もが直面する可能性があり、その時人はどうなるか、ということをリアルに書いてある。決して他人事では無いと思える内容。元NHKアヌンサーだったらしくその後女優としても活動していたらしい。闘病の末49歳で他界したという。このように丁寧な生き方が出来るのも平和ならではだと思う。

さ、完読しよう。

2024年9月 1日 (日)

喉元過ぎれば、、、。

これは奇跡ではないかと思うほど今回も台風はかすっただけで訪れてこなかった。全国的にもかなり認知されて来たらしい香川県の安全性。昨日の予報図を見て思わず笑ってしまった。周辺は全部雨雲に被われているのに、ぽっかりと香川県の上だけ穴が開いている。こんなのある?と言いながら晩ご飯。近県はかなり大きな被害が出たところもあるようだが、、、。

しかし予報は今日も一日中警戒せよと出ている。洗濯物が良く乾くほどの晴天だというのに。夫はいつものように嬉々としてプールに出かけた。あの恐怖心は一体なんだったのか。

夕食時にTVを見ていると今日は24時間TVということで、夫は一回目から地方の司会をしたというのを思い出す。で、萩本欽一物語が流れて少しばかり見ていた。もちろんあの当時の情景は覚えているが、今見ると驚くほど昔っぽい。当時はもちろん時代の最先端の映像だったはずが、今見ると百年前かと思うくらいダサい。当時のスターでも今の一般人よりダサい。それこそ数十年後に生きてる人が今を映像で振り返ると同じ事思うんだろう。

そこで思った。自分はどれくらいの未来だったら生きていたいのだろうと。丁度そう思ったところに空飛ぶ車を駆使する若い女性が暴走しているCMが映った。たかがCMだが、思わず「その時代に生きたい」と思ってしまった。今は荒唐無稽に想えることも多分実現していくんだろう。しかし、この願いはきっと無理。ただ生きていても空を暴走出来る年齢では無いだろう。ハハハ。想像は面白い。

しかし、この番組で欽ちゃん物語が放映されていて、あまりにCMが多くて途中でお風呂に入ったが、当時は世の中が彼を必要としていたんだろうなあと思った。才能もあっただろうが、時流に乗ったとも言えるだろう。彼から続くコメディアンもその時々の世の中が欲しているんだろう。個人的には「笑い」は大好きだが、今時のやかましいのは勘弁して欲しい。所謂バラエティ的なものは、どうもねえ。わが周辺でも昨今のテレビ番組に批判的な人は大勢居る。ということは全国的にも似たようなものだと思うが、こういう声って、制作側に届かないものなんだろうか。みんな必死に生きてるのは分かるんだけれどねえ。

今日は庭の雑草に余りにキレイに同化しているバッタを見つけて暫し見とれてしまった。姿形もこの虫は大好き。うちの孫べえはこんなちっちゃいのでもぎょっとして飛び退くからなあ。残念至極。

秋がそこまで来てるなあ。

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