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2024年7月 2日 (火)

カラオケ。短歌。

あるYという友人は元英語教師。ご主人を亡くされて10年くらいか?驚くほど自由に、健康的に生活してこられた人生の先輩。彼女がここ数年カラオケにはまっていて、「AIがね、あなたは好きに歌いすぎです。もっときちんと歌う訓練をすべきです。なんて言うけどね、私そんなの全く気にしないのよ。好きな歌を好きに歌って自分が楽しむんだから別に良いじゃない!?」と平然とうそぶく人でもある。何しろ一回25曲前後歌う日もあるというから凄い。で、一度聞かせてくださいと、今日別の友人と一緒にその現場カラオケカフェに出向いた。すると10人以上の客が入っていて、それぞれ常連さんのようだった。入店すると拍手で迎えられるほどの有名人Yさん。早速聴かせて頂く。

Yさんは全て英語の曲で、確かにAIならずとも同じ感想を持つ歌唱ぶり。でも、これがカラオケの良い所。音楽は勝手に正しく鳴っているし、字幕も出ているから、少々間違えてもどおってことない。曲の雰囲気とパワーがあれば本人も周囲も楽しめる。外の人達の歌も当然ながら聴かせていただいたが、これがビックリするほど上手い人がいる。それだけじゃない。どの曲も全く聴いたことがない曲で、思わず隣の友人と、「私たちタイムスリップして違う時代に来たみたいね。」と囁く。昔のカラオケは大体聞いたことがある曲が多かったと思うが、今日はホント驚いた。でもって、アンタも歌えと言われ、そのまま帰るのもなんだかお高くともっているようで仕方なく歌ったが、こういうシチュエーションで歌うことはホント久しくなかったのでムムム。孫達とカラオケルームに行くことはコロナ前にはあったけどねえ。一応お褒め頂いたが、そもそも昔のように分厚い選曲用の本もない。ぱっと思い着く曲と言えば「舟歌」くらいのもので、我ながら古っと思った。で、越路の「別離」もプラスしてみたが、イヤハヤイヤハヤ。隣の友人が、「こういうとこに来るのも勉強してないと駄目ね。」と彼らがどうやって覚えているのかにとても興味を持っていた。

てなことで、本日もわらわらと面白かった。出かける前に夫から、「カラオケは自分が歌う為に行くんで、人のを聴いても面白くないだろうに。」と冷やかされたが、そうでもない。中には親しく声をかけてくれる人もいて、一種の社交場なのだ。7対3くらいで女性が多かったが、経営者や手伝っているらしい人も男性で、みんな歌が好きな人達ばかりのよう。そういえば知的障害のあるような人も歌っていたが、ホントに楽しそうで熱心だった。歌は良いリハビリにもなるはずだ。

今日の天声人語は短歌に足を突っ込んでいる自分にとっては看過できない内容だった。能登の震災にあった人の歌を取り上げ、「うれしいことがあれば浮き立つ気持ちが消えないうちに詠む。言葉を紡ぎながら悲しみや苦労を乗り越える。この半年間それを繰り返してきた。」という作者の言葉を紹介している。そして「思えば万葉集の時代から人々は災害も病も戦いもあらゆる出来事を詠んできた。残された言葉をたどり、私たちは当時の状況や心情に思いをはせられる。古今の歌人たちに感謝したい。」とあった。自分と同じ会員のある方は、東北大震災をずっと詠み続けている。いつもその方の歌に触れる度、忘れてはならないと思わせて貰っている。いつか自分も詠むことで癒される日がくるのだろうか。

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