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2024年7月

2024年7月31日 (水)

ままならぬ日々。

今日はどちらかというと苦手なお役所仕事を頼みに出かけた。とにかく書類が多い。担当者は大変親切な人で、お役所仕事とはかくも煩雑な物なんですと、弁解しながらも丁寧に指導してくれる。約1時間ず~っとその人と対面で話しを聞きつつ何回水を飲んだことか。というのも眠かったのだ。夕べ5時間しか寝てない。

というのも、短歌の歌会の為の一首を捻っていたら提出が深夜になってしまったのがその理由。

どよよんと、体の芯が疲れているのを感じる。しかもこの暑さ。やむを得ずの外出は思わず悲鳴が出るほどだ。友人からの電話で、「兎に角食べるのよっ!この暑さを乗り切るには食べること!」と檄が飛ぶ。確かにそうだろうとは思うが、ムムム。

日中は引きこもり夜外出のつもりが全くそうはいかない。世の中そんな風には動いてないということだ。

ま、寝られるときは寝~ましょ。

2024年7月30日 (火)

讃岐男=うどん好き。

今日の暑さは格別だった。にも関わらず夫はいつものようにおうどんをご所望。あれほど外食嫌いだったのに、何故か讃岐男になってしまった。で、毎日同じお店も飽きているアチクシ。今日は先日の急なお寿司の出前のお支払いを兼ねて遙か遠くのお店に行くこととした。ところがギッチョン。道中の暑さは異常で、道半ばで引き返そうかと思ったくらい。クーラーを最高レベルにして飛ばしたが、着いてみると既に行列。いやな予感がしたのよねえ。夏休みだった。外には大型の扇風機など置いてはあるが、そんなものではどうにもならないほど暑い。「うどんを食べるまでに倒れそう。」とは弱々しい夫のセリフ。このお方は前にも並んで並んで、「二度と来ない。」と宣言したお店。本人はそういったことなど忘れていて、あのお店がこっちに越してきただけよ。と言うとまたしても、「二度と来ない。」と毒を吐く。20分くらいは待っただろうか?じっと椅子に腰かけていても汗が流れる。実際こっちもあと5分待ったらもう帰ろうか?と言うところだった。なんとか限界寸前で中に入れて、取りあえず水のがぶ飲みから。夫はざるうどんに卵の半熟天ぷらなる物をトッピング。こっちは冷たいぶっかけ肉うどん。「この舌触りは好みじゃない。」と来るやいなや文句を言ってから食べ始めたが、いつもなら一玉全部食べられない夫が、あっという間に食べてしまう。やっぱりねえ。ここのうどんは柔らかくていける筈だと思ったのよね。てなことがありながら這々の体でそこを退散。ここは当分来られないなあ、この暑さじゃあ、と自分も内心思いながらではあった。

全国的に熱中症で倒れる人が増えているとか。危ないあぶない!

にも拘わらず夫は何時ものようにプール。全くこれには感心を通り越して呆れている。

夜になってお嬢のマンションに届ける物があって行ったが、帰りには久しぶりにチョコザップへ。これは涼しくてとても良い。これからこのパターンで、昼は引きこもり、何もかも夜のお出かけに変更しよう。買いものも夜開いてるお店。それなら運動も続きそう。ふ~む。

2024年7月28日 (日)

終わった。

今日は炎天下にもかかわらず会場は満員のお客さまで埋まった。これまで長きにわたり永永と続けて来られたH女史の力は確実に次の世代へとバトンタッチされたのを感じた。女史は今日聴衆者としてこられる予定が炎天下の外出は不可とのお達しで不参加だったが、きっと喜ばれることと推察する。こういう意味のある活動は、なかなか若い人には浸透し辛い。よくぞ今回「この指たかれ」のかけ声に応じてくれたと六名の出演者に、関わった人間として感謝。あとの反省会は当然の如く盛り上がり、話題も「戦争」の話しから「国際情勢」「それぞれの役者人生」「朗読について」など多岐にわたり、中には被爆二世だという人もいて、今日のテーマが全くの絵空事ではないという話にもなった。みんな真剣に取り組んできた結果のとても良い笑顔だった。実を言うと最初はこのテーマ故に彼らが尻込みする場面もあった。曰く、「テレビで戦地の映像が流れると近頃チャンネルを変える。」とか、「そんなことに関わっていると具合が悪くなりそう。」とか、色々あった。が、リーダーの力もあって、徐々に前向きになり、今日素晴らしいパフォーマンスとなった。そして、これは次々と伝え続けるべき事だと意見が一致。一年後どうなるか分からないが、又再び出演して欲しいと心から願う。

本日参加して下さった方の中に、「普段はこういうことに気付いていても見ないようにしたり知らん顔して過ごしている人達も、何かが起こったとき何かを選択しなくてはいけないとき、自分の考えのよすがにすれば良いのよ。そのためにもこういう活動は是非続けて欲しいわ。」と言われていた。そうだと思う。考える事が大切だ。

そして一番驚いたことは、入ってこられたある男性。こっちは短歌の会員が来てくれたと思い近づくと、劇団のMさんが寄ってきて、不思議そうに我々を見る。分かってみれば彼はMさんの元担任で、同時に短歌の会員でもあった。だから以前からよくミュージカルは見ていたと言われる。現在ペンネームだからそりゃあミュージカルの時の名前と同一人物とは分からないだろう。そんなにも前から見られていたとは!世間は狭すぎる。

全体を通して音楽が多く使われていたのも良かったと思う。重たい話しの潤滑油だけでなく、聴く人のイマジネーションを利用して話しに奥行きをもたせる役目も担っていた。ピアニストYさんの亡くなる少し前に自宅で収録した音源が使われた事を知っている人は多くは無かったと思うが、思いのこもったなんとも良い音色だった。その音に呼応するようにお嬢が歌ったのはわが涙を誘った。その涙が乾かないうちに放送局の取材を受ける羽目になった。あちらはむしろそっちを狙っていたかも知れないが、自分としてはYさんの気性を知っているだけに、涙は御法度だと思いつつ、どうしても泣けてしまう。色々切り貼りしてくれるとは思うが、全部カットして欲しい。

とか色々ありながらとにもかくにも、本日も終了。テクノで帰宅したが、疲れ過ぎていて、何も出来ない。お嬢の荷物をわが車にどさっと乗せてあったが、その中にお弁当のケースがあって、流石にこれは後始末しとかないと車内が凄い事になると思い仕分けしたが、、、。

ううう。疲れ切った。

2024年7月27日 (土)

兎に角暑い!!

猛暑の中、今日も一日中猛烈な忙しさ。昼の夫のおうどんに付き合う所から始まって、まずは明日のゲストとして出演する昔アチクシが所属していた劇団のメンバーの練習に数十分お付き合い。本当に真剣にやっていて、昔を思い出した。あのころはまだ若かったから、練習後のミーティングを終えると深夜二時。そこから車も人も通ってないレインボー通りを車で走って帰っていたもんだ。今もライトに照らされた並木が目に浮かぶ。

次は先日の観劇の反省会というか打ち上げに参加。色々な意見が交わされて同じ芝居を観ても人それぞれだと分かる。今回は高校生が参加したのがとにかく新鮮で、大人よりも真剣に細かいところまで観ていたのに驚いたとアチコチから感想が上がった。そして水俣病について、映画や写真集、本なども出ていると紹介され、ちょっと落ち着いたら当たってみようと思った。

そこから猛ダッシュで帰宅。途中車内で友人のお寿司屋さんに5時半にお寿司お願いと電話して、帰るやいなやまずはクーラーをアチコチにスイッチオン。でまあ、慌てて片付け。お寿司だけでは物足りないからと、有物でチャチャットお料理。

時間通りに帰宅した夫と同じくやってきたご夫妻。ホント久しぶりだった。奥方が若年性認知症になったため、ご主人はかなり苦労してきた。もちろん今も継続中だが、今日は薬のことで驚いた。前回会った時はしょんぼりしてほぼ喋らない状態だったのが、今日はまるで人が変わったようにハイテンション。強引に割って入らないと対話にならない。3時間あまり蕩々と喋り続けたが、これが薬のせいだと言うから、良いのか悪いのか分からない。ただ、以前のように、辻褄が合わないとか、何に対してもゴメンナサイと言うとかは全く無くなっていた。あまりの変わりように、我々夫婦は驚くばかりだったが、これはこれでご主人はお疲れのご様子。ここまで極端にならないようには出来ないんだろうか?医学の限界なのかも知れない。ある意味怖い。

まあ、明日も今日の様な多忙さになる感じ。熱中症にならないだけましか。体の芯は疲れているんだけどねえ。

2024年7月26日 (金)

カッチーニのアヴェマリア。

暑い暑いと言ってる内にあっという間に時間が過ぎていく。明後日はお嬢が中心になっているヒロシマ被爆手記朗読の会の本番。現在かなりの数の申し込みがあり、どうやら盛況の予想だ。その中でも歌う事となっている肝心のお嬢がこの所の疲れか喉が痛いだの声がかすれるだの言ってる。まあ、体の疲れが半端ないはずだからそれが原因だろうが、ナンとか踏ん張って本番をやり遂げて欲しい。ピアニストYさんの分まで担わなくてはならない。

夕べ、マンションで孫べえと留守番していて、帰宅したお嬢に録画番組を見せてもらった。フジコヘミングさんのピアノに魅了され、10年かけて独学で弾けるようになり、ついにご本人の知るところとなって前座で出演まで果たした男性のお話。人間やれば出来るんだ、という感動があったのと、音楽が人を繋ぐ素晴らしいエピソードだという両方の感動があった。番組の最後にピアニストの奥さんが弾く「カッチーニのアヴェマリア」が流れた。フジ子・ヘミングその人への挽歌だったろうが、実はこの曲はあるコンサートでお嬢が映画音楽「ひまわり」を取り上げ我が家でその構成などを検討していたとき、わが発想でこのカッチーニを挿入曲にしてはどうかと提案。その時直ぐにYさんが空で弾き始めたが、「難しいのよねえ、この曲。」と言いながらではあった。でも、弾く内にだんだん静謐な音色になっていき、このとき彼女がこんなにも早い自分の死を予感していたとは思えないが、この映画のもつ人生の抗えない運命を、音楽が語り癒やすという力を確信していったと思う。本番は聴衆の涙を絞った。

そんな想い出があるこの曲故に平静には聴けなかった。夕べは涙でぼやける夜道を走りながらハミングで歌ったものだ。改めて音楽の力を感じつつ。

合掌。

2024年7月24日 (水)

一歩も外へ出なかった日。

オリンピックが連日話題になっている。「若かったら行きたい」とは夫の言葉だが、私はよりによってそんな時には行きたくない派。あの石畳や、モンマルトルの丘、ロダンやカミーユ・クローデルの彫刻の庭、オペラ座やエッフェル塔が競技場や観客席になるかと思うと、そんな所には行きたくない。友人から、その知人が早くから出かけていて、前夜祭の動画を送ってきました、と転送してくれたが、見たことも無いような花火の芸術が展開されたようだ。盛り上がっているんだろうなあ。

毎度のことだが、オリンピックは色々問題を抱える。今回も19歳の女性の喫煙と飲酒で出場辞退となったが、ルール違反だが、犯罪ではない。そこまで厳しい措置が必要だったか疑問。そりゃあ良いこととは言わないが、もうすぐ二十歳。選挙権さえある。巷では、その年齢で飲酒している人は山ほどいるだろう。結局法というのは、それを遂行することで、人民を守るという役目があるのではないか?もうその年齢なら、自分で自分を管理すると判断しても良いのでは?

かくいう私自身も刑事だった父の晩酌のお相手をたまにしていた年齢だ。家の中なら良いだろう、的なゆる~い感覚だった。一方で、二十歳になって、晴れてどこででも飲めるとなった時にはなんだか嬉しかったのも覚えている。

今回の体操選手は誰かがチクった感じ。ジェラシーの対象になったのかも知れない。イヤだなあ。ま、仮にあの状態で出ても相当のバッシングを受けただろうし、やむを得ない措置だったのかも知れない。それもいやだ。もっと暖かく見られないのだろうか?一番大事なことは何?

ピアニストの旅立ちからわらわらと日が経ち、もう一週間。日にちの観念がおかしくなっていて、今朝夫に、「今日は金曜日?」と言われ、「何言ってるんですか?木曜日よっ!」とえらそうに言って、夕方お嬢からの電話で、今日が水曜日だと分かるというお粗末。いやあ、老化が著しい。さんざんお嬢から馬鹿にされたが、それって結局心配の裏返し。と受け止めた。すると腹がたたない。そうよ~、いつの間にかあんたの両親はこんな老人になってるのよ。と大きな態度を取ることとした。

でもね。認めるのは出来なくはないけど、その途端踏ん張りがきかなくなりそうなのも事実。いやあ、その時々で気分は変わるな~。自分を騙す。他人を騙す。そうすることで不思議と動けるのも事実。人間は精神的な生き物だからねえ。

とか思いながら、あと何年?と先を読むようになってきた。ここまで思って、今日も一日を終えるってことだ。

あまりの暑さで今日は一歩も外出せず、結局冷蔵庫の整理するような晩ご飯になった。結果、これも良いなあと思う。奥の方にあったものや、冷凍庫の隅っこにあった物を全部引っ張り出して、幾つか思いつきの料理。なかなか面白い物が数種類出来た。暑さの御利益?

ただ、疲れていていつも暑い眠いの波に揺れる一日だった。

2024年7月22日 (月)

乗り越える、ということ。

昨日も大変忙しい一日となった。市民劇場のこの日、朝は主役の音無美紀子のインタビューから始まった。自分は担当では無かったが、お願いした方がいて、ちょいとお付き合い。スムーズに進み、和やかな会話を交わして彼女達は場当たりへと移動。こちらは上でランチ。

お芝居は水俣病を扱いながら、家族の問題に焦点を当てた濃い内容だった。客席のアチコチからすすり泣きの声が聞こえたが、感動的な舞台だった。音無美紀子は74歳というが、足腰がしっかりしていて、舞台でも立ったり座ったり蹌踉けたりの演技がピカイチだった。この日の終演後、ロビー交流会の司会が当たっていて、予想以上に沢山の観客が集まったのは、偏に内容が良かったからだ。「同窓生に褒められるんですよね。足腰の強さとセリフを覚えるのが上手いって。」と笑いをとっていたが、確かに機敏な動きに年齢は全く感じ無かった。そして年下の夫役の太川陽介の渋い演技。こんなにもしっかりした演技力の有る人とは思わなかった。驚き!約30分の交流は何とか多くの意見を取り出せて時間通りに終えられたのは良かった。解散時色んな人から司会が良かったと褒められて内心忸怩たるものがあった。葬儀の日というタイミングが悪い日で、十分な下調べができてなかったから。なんとか終えられて良かったレベル。あとは、そこから多肥の人と屋島の人をお送りして、買いものをして孫べえの夕飯。とにかくバタバタ。しかもあまりの暑さに車といえども熱中症になりそうだった。

葬儀に参列した人から次々と報告が入る。なんとかお嬢は大役を果たしたようだった。お嬢はこれからも暫くは大変だろう。ナンとか乗り越えてほしいものだ。

乗り越えるといえば、この日のお芝居は実話を元に書かれているので、主人公の家族はそれこそ多くのものを乗り越えて行ったことが描かれていた。漁師の網元一家が一番最初に水俣病に罹患し、原因も何も分からないため、風評被害に苦しんだようだ。昨日まで一緒に仕事をしていた人たちから石を投げられることになるという過酷な変化。家族はバラバラになり、その病気で亡くなる人も出て、ようやく国と裁判の末今日に至っているが、先日のニュースでも国と当事者の間に軋轢が収まっていないことがあるようだ。なかなか終わりが見えない事件だ。しかし、この作者は凄い。水俣病を描きながら、家族に焦点を当て、普遍的な問題を描いている。これなら多くの人が共感出来るし、自分のこととして考えることも出来るだろう。意見を言った人の中に、「これを見るまで正直なところ、水俣病のことはすっかり忘れていました。思い出させて貰って有り難うございました。」と言う人がいた。そうなんだよねえ。人間は忘れる動物だ。

で、本日は、お役所に行く事案があり、初めて頭脳科センターなるところに行く。近頃のお役所はとってもフレンドリー。親切な担当者と個室で面談して初めての事を色々教えて貰う。感じの良い担当者で、ま、どんなことも「人」だなあ、と強く思った。

夜は会議に出るという夫の為に、ドロドロ料理を作り、時間差でこっちは普通に焼き肉など食べる。暑いとか、シンドイとか言いながら、プールも行けて、夜の会議も行けるのはまだましか。ま、何事もなるようになる。

2024年7月21日 (日)

今日の空は青かった。

お葬式。これまで沢山参列してきたが、今日のお通夜は色んな意味で異色だった。50歳のピアニストというのもあっただろう。まだまだ活発に活動している最中の出来事だ。関係する人も多い。二階の葬儀ホールはもちろんのこと、階段を埋め尽くす人で一杯になった。平均年齢も若い。音楽療法に力を注いできた人でもあったからだろう、小さなお子さん達も結構いた。発病してからずっと寄り添い続けて、最近では目を背けたくなるほどの憔悴ぶりだったご主人が、少しずつ本人が書き留めた手紙を紹介し、それぞれの人に手渡すのは、癌という特別な病気だったせいもあるだろう。時期がある程度読めたということか。

一番の異色は、お嬢がアカペラで一曲歌ったことだ。お互いどちらかが先に亡くなったら、それぞれの分野で一曲披露するという約束があったそうな。たまたまお嬢が残ったから歌を披露することとなった。「ケサラ」はYさん本人の思い入れが強い曲で、CDの収録でも絶対これ入れる、と譲らなかった曲だ。

 平和で美しい国 信じ合える人ばかり 

だけど明日は どうなることやら 誰も分かりはしないさ。

ケサラケサラケサラ 私たちの人生は 階段を手探りで歩くようなもの

ケサラサラクェルケサラ

 堅く心結ばれて 誓い交わした友達 

だけど背き合うことも きっとあるだろう 誰も分かりはしないさ

ケサラケサラケサラ 私たちの人生は 涙とギター道連れにして 

夢見ていれば良いのさ、、、、、、、、、

 

確かにこのある種の諦念を含んだこの曲は彼女の人生を考える上で、実感を伴ったのだろう。 

しかし、今日それを弔問客を前に歌えるかどうか?正直私だったら無理、と思っていた。もちろん本人も、「もし泣いたら歌えない」と言っていたし、もしそうなったらそれも彼女は許してくれるんじゃない?と慰めていたものだった。

ところが、お嬢は頑張って最後まで歌いきった。時ならぬ拍手が沢山出て、これが最も異色だった。こういう場で拍手というのも気が引けると思う人もいたようだったが、事前にご主人が、「本人からは、暗いジメジメしたお葬式にしないでね、と言われてました。」との言葉があったので、これもありかと思ったが。。。どうやら明日も歌うようだ。

明日は別な用事があって、参列出来ないが、多分ちゃんと歌えることだろう。何より、遺影が美しく笑っていて、「美加、しっかりしなさいよ!」と訴えているんだから。

今にして思えばとても強い女性だった。激痛に耐えるだけ耐えて、殆ど顔に苦痛の表情を見たことが無かった。病床にありながらも常に相棒を叱咤激励し続けていた。彼女の病気をおもんばかって気弱になると直ぐに背中を叩かれた。次へ次へとプランを立てて、まるで、罹病してる人とは思えない前向きな生き方だった。自分自身、若い彼女から多くの事を学んだ。だのに、最後のビデオ電話では、「廸子さんにはたっくさん教えてもらった。感謝してる~。」なんてこと言う。いつも相手を気遣っていて、彼女の笑顔は直ぐに思い浮かべることが出来るが、怒った顔やべそをかいた顔は見たことが無かった。泣く場面でも涙とともに笑顔があり、歯を食いしばっていた。

どうしてこんなに早く逝ってしまったの?と棺に向かいながらも、泣くのは違うと思っていた。長い長い苦しみからようやく解放されて、やっと楽になれたんだから、むしろ良かったねと言うべきだろう。そして見事な生きざま。

歌手の中西圭三氏から大きな花が届いていたが、歌手のクミコさんもご自身のブログに彼女の事を書かれていた。「音楽の河で再会するだろう。」とあった。パリ祭の関係者からもインスタに、「岡山パリ祭の歴史に残る名演奏でした。」と書き込まれた。

ああ、これからだったのに、、、。無念。

 

彼女から貰った宿題を胸に、懸命に生きるしかないなあ。みんな。

2024年7月19日 (金)

あるピアニストの死。

昨日は朝絵本の読み聞かせ。見学者のNさんと同行。彼女の車で現場へ行き、帰宅してから夫と共にうどん屋さんへ。彼女にとってはお初のお店だったが、美味しいと喜んでくれた。お互いに美味しいうどん屋さんの情報交換しては盛り上がる。

午後はお嬢のシャンソン教室。発声練習を担っているので、暑い中出かけた。順調に時間が過ぎた頃、突然お嬢に呼び出しが掛かる。ピアニストTさんの容体が急変したとのこと。お嬢は飛び出して行き、後のフォローはこっち。来年の春教室の発表会をやることが決まった。

ピアニストTさんはその後少し持ち直したが、又直ぐ体調が悪くなりとうとう今日の夕方身罷った。

ここまでの印象としては、人間なかなか逝けないというのが感想だ。苦しんで苦しんでそれを今の医学では対処出来ない。それをずっと見聞きしてきて、ああ、自分だったらあのように耐えられないなあ、と思っていた。死ぬなら癌が良いなんて言う医師がいるが、それは時期が分かるだけのこと。あの壮絶な痛みと闘うなんて、自分だったら嫌だな。

今回の彼女の死について、多くのマスコミが取り上げてくれた。新聞、ラジオ、ネットニュース、そして今日はTVのニュース番組で紹介された。そのきっかけを作ってくれたのは、パリ祭オーディションの審査員のお一人。二人の演奏にいたく感動して、彼女の病名も知り心を寄せて下さった。そこからだった。そして今日のテレビ放送まで繋がって行ったのだが、ずっと遡って考えていると全ては彼女の思い通りになったような気がしてくる。そもそもそのオーディションにあちらのピアニストじゃなくて絶対一緒に行って自分が弾くと宣言したのも彼女だし、「優勝しなければ解散だからね。」と言い切ったのも彼女。腰が引けてる娘はいつもお尻を叩かれていた感じ。

良いコンビだった。

が、どんな人にも死は訪れる。今日のテレビ放送中に身罷ったというのも彼女の気持ちの表れのような気が、、、。「私の役目は終わった。」というような、、。「皆さん、私、全力で生きましたよー。さようなら。」、、、というような。ここ数年の彼女の意志が伝わってきた。

さようなら。そして、有り難う。今はただそれだけ。

2024年7月16日 (火)

闇の中の一筋の光。

何から書こうかと迷うほど多彩な日々。まずは日曜日の岡山パリ祭。新しいホール、「ハレノア」中劇場がその舞台。婿殿が乗せてくれて雨の中到着したら開演まで1時間もあった。老人ばかり、どっかに座って待とうとなって、チケットに付属の500円チケットで側のパン屋さんに。珈琲とパンで早めの晩ご飯?で、やおらロビーまで移動すると既に沢山の人が並んでいる。すると目の前に以前シャンソン教室に来られていた女性が。思わず手を取り合って再会を喜ぶ。しかし、この入場整理には問題がある。早くに到着した人には早くに入場する権利があると誰しも思うじゃないの?自由席だし。ところがギッチョン。我々の整理番号700番代は随分待たされるらしいことが判明。ならばと先にトイレ。会場付きのは既に行列が出来ていて下に降りてみる。すると案の定車寄せに近い場所のトイレが余りにおしゃれな案内プレートのためか分かりにくく空いている。で、戻ってみるとチャッカリ同行の皆さんは椅子席をゲットして手招きしてくれる。指さされて椅子にかけると「ここ良いですか?」とやってきた80歳くらいの女性。「岡山の方ですか?」と聞くとそうだと言い、「このホールはね、」と耳打ちしてくれる。「兎に角デザイナーだかなんだか知らないけど変なもの造っちゃってね、階段が急で、危ないから絶対下りるときは壁伝いで下りた方が良いわよ。」丁度足の悪い人と一緒だったので、これは良い情報だった。ついでに大ホールの悪口も言ってくれて別れたが、その人と帰りにもバッタリ。沢山の人の中でよくぞ見つけてくれたものだ。

てなことがありながら、2時間半の長丁場にもかかわらず結構面白い舞台を飽きずに鑑賞できた。その理由の一つには男性歌手が多かった点。プロの歌手も、今年のオーディション優勝、準優勝のお二人も男性。初めての参加のハーフの男性4人グープも居て、殆どがハムサム揃い。声も皆さんとても素敵。こんなコンサートは珍しいのでは?同行した連中もかなり楽しんだようだった。

お嬢は今回は合唱だのに、ソリスト扱いの衣装でスピーチまでさせてもらえた。兎に角関係者が皆さん暖かい。お嬢の相方のピアニストYさんが病の床にいることを全員が知ってくれていて、色々フォローに回ってくれている。それに応えるようにお嬢も裏方を頑張っていた。音楽は人を繋ぐ。

往復の道中は予想以上にオバタリアンのお喋り炸裂。婿殿は一切口も挟めず、孫べえも無言でスマホいじりで通す。ある人が、「プーチンは必ずしも悪くないのよ。みんなそういう風に思わされてるけどね。」と言ったことで会話が炎上したのだ。自分以外はクリスチャンの人もいたので、話しは簡単には終わらない。言わずにいようかと思ったが、こっちもついついその議論に巻き込まれてしまう。彼女はTVも操作されているから見ないと言い、もっぱらYouTubeを見て判断材料にしているようだ。それは危険でしょう?と言うと、自分一人のことだから別に心配いらないわよ。私一人に何が出来るわけもないから。と平然としている。う~む。婿殿はどう思いながら聞いていたんだろう?かなり辟易していたのは想像に難くない。とりあえずやかましい。大人しい孫べえだから、文句も言わなかったが、、、、。

とにかく我が家まで送って貰い、そこからわが車に乗り換えて貰って、それぞれお送りしたが、妙に疲れて、めったにないことだが、マックのドライブスルーでハンバーグセットを購入。帰宅してからビールで流し込む。フライドポテトは食べきれなかったが、たまにはこういうのも良いなあ。

この日はアレクサにシャンソンを頼んで20分で爆睡した。老化だな、これも。

で、昨日も色々会ったが、本日は朝から兎に角忙しい。お昼は先日素晴らしい記念公演をされたばかりの主催者とランチ。たっぷりその苦労話やここまでの人生のあれこれを聞かせて貰った。偶然共通の知人がいて、昔昔からご縁があった人だと分かる。縁は異なもの味なものとはこのことだ。こうしてゆっくりお話しなければ到底知り得なかったことだ。彼女にとってはお初の店で気に入って貰えて良かった。店内にいるときもの凄い雨が降っていたが、帰る頃には止んで緑が美しい色になっていた。

帰宅してからバタバタと来店客を迎える。そこから約二時間、施術が終わってやれやれと椅子に座って思い出した。「あっ、お父さん、すっかり忘れていたわ。私6時から絵本の読み聞かせの練習に行くんだった!ゴメン。なんか買ってきて食べて。」すると敵も然る者。「お味噌汁だけチャチャッと作っといて!」と来た。そりゃあ出来ますよ、やりゃあ良いんでしょ、やりゃあ。というセリフは飲み込んで、「ハイハイ。」

慌てて飛び出して、予定通り2時間やっつけて帰宅。今回は知らない童謡を覚えなくて良かった~、って、本番は明日だからねえ。無理。

お嬢からの電話で、先日婿殿と夫の三人で塩江のおそば屋さんに行き、偶然隣り合わせになったヴァイオリニストが、今日ピアニストYさんとの面会のセッティングが出来たとのこと、連絡を受ける。この偶然は余りに凄い。もし私があのとき勇気を出して声をかけなければ、もしその時お嬢にラインでそれを連絡して無ければ、もしその時あの新聞をもってなければ、今回の邂逅は実現しなかっただろう。今にして思えば、まるでYさんに背中を押して促されたようなことだった。。。。良かった。

2024年7月14日 (日)

雨も気持ち良い。

今日も何かと忙しかった。午後には朗読の会の練習に付き合って、しばらく稽古風景を眺めていたが、久しぶりに昔のミュージカル時代を思い出していた。今回参加のメンバーは全員自分が籍を置いていた時代のメンバー。だから、プログラムの進め方や、一つの作品の表現を丁寧に細かく創り上げて行く様はとても面白かったし懐かしかった。あの頃は自分も若かったなあ。今回は歌はあるが、ダンスや動きはほぼ無いから、そこは少しPASSIONが違うが、真剣に向き合う姿はとても好ましいものだった。

中座して、孫の晩ご飯を頼まれていたので降り止まない雨の中を買いものに出かける。今日はいつも御用達のお惣菜屋さんだけでなく、パン屋さんにも行ってピザやカレーパンなどを購入した。届けたときどれかは要らないと言うかと思ったが、全部取っていく。「入らないの?」と寂しそうに聞いてくるので、「うん。じいじの晩ご飯作らなきゃね。」と言うと「分かった。じゃ、アリガト。」と消えた。なんとなく後ろ髪引かれたが、ま、こちらも体力に限界がある。再度出直す元気もない。そのまま帰宅して、バタバタと夕餉の支度。

お嬢は今頃明日の岡山パリ祭の準備に忙しい筈だ。こっちも明日は総勢四人で婿殿の車に乗せて貰って岡山入りの予定。新しいハレノアとかいうホールでのコンサート。出演者が多いらしいが楽しみにしている。道中だって、きっと楽しい。オバタリアン四人もつれて、婿殿には申し訳無いが、あ、孫べえも一緒に行くんだった。雨が降らないことを祈って。

夕食時に今日は音楽の日で、と長時間聴いたことのない音楽がほぼ若者のグループで繰り広げられていて、夫は食後にそれを聴きながらグッスリお寝みに。こっちは片付けやら考えることがあって、ぼんやりTVを眺めていた。時々熱心に聴いたのもあったが、歌い手よりも観客の歓声と動きに目を奪われていた。口の動きを見ていると観客も一体となって、みんな歌詞をそらんじているようだった。歌詞といえば、テロップで出てくる歌詞はみんな昔のフォークソングの様な内容。青春時代の生きにくさや、若さについてのジレンマなど、そういう時期は済んだ我々には、「分かるよ~、そういう気持ち」的な感想しかない。しかもタイトルがホープソングだったのに、フォークソングと聞き違えて、へえ、昔帰り?と思ったりして。イヤハヤイヤハヤ。ま、中には好きだなあと思うグループもあったが、だいたいやかましい。

その番組の中で、ある若い人が、「音楽の力って言うけど、音楽そのものに力があるとは思わない。その音楽を作る人、即ち人間に力があるんだと思います。」といかにも若者らしいコメントを語る人がいたが、ま、良いんじゃ無い?人間賛歌ねえ。

2024年7月13日 (土)

メディア

メディアの仕組みについて、全く知らなかったが、今日は驚きの連続だった。

先日読売新聞に娘のシャンソン20区の記事が出て、それがきっかけで山陽放送のネットニュースになり、それがきっかけでヤフーニュースに取り上げられた。最初は写真の露出も少なかったが、段々数が増えてあれよあれよという間にローカルから全国区のニュースになってしまった。それを見た娘の役者仲間が東京から見たよと連絡して来たと言うから、これぞネットの力だ。

われわれ世代でネットニュースを熱心に読む人は少ないかも知れないが、若者は矢張り読むんだとそちらにも驚いた。

だから近い話しだと先日の東京都知事選にその影響が色濃く出て、思いがけない結果になった訳だ。これからは色々変化してくるんだろう。

そしてひとたびこうした世界に足を踏み入れた途端、ネットの功罪も色々あるのは覚悟しなくてはならない。誹謗中傷はどこから飛んでくるか分からないし、所謂炎上というアレが起きるととんでもない暴力的な事になる。

娘達の事でいうと、この癌と闘っている人は世の中に五万と居るだろう。一人一人が様々な経緯を辿り残された時間を送っているはずだ。だから、これは決して他人事ではない。明日は我が身だし、その意味でもこういう記事は人々の関心を呼ぶのかも知れない。これもその多くの患者達の一つの例にしか過ぎないのではあるが、違いと言えば、病人と一緒に痛みを共有しているのが家族以外にもいて、この二人は音楽をやる人間だという点。きっとこれは数少ないだろう。これはおそらくは二人にとってとても幸せな事だ。音楽は精神を浄化してくれる。悩みも苦しみも。あるときは痛みさえも。

今日放送されたもう一つの気になる番組。吾らが森田学氏の解説になる、NHKFMのオペラファンタスティカという番組。今日は「アッティラ」というヴェルディの歌劇の解説。久しぶりに彼の声を聴いたが、ゆったりと落ち着いた声の運びに分かりやすい解説だった。4時間の長い番組だが、聴かせた。オーケストラで多彩な声が流れると矢張りオペラは良いなあと思う。この壮大さは独特のものだ。そしてこの作品は珍しくバスが主役。森田先生はバスだから取り上げたかな?なんちゃって。ヴェルディ独特の旋律も懐かしい。

今日は少ししのぎやすい気候だったが、明日は?明後日は?多忙な毎日。天候は気になる。

2024年7月12日 (金)

君よ君、死にたもうことなかれ。

娘がデユオを組んでいる相方のピアニストが厳しい病の床について久しい。もちろん本人の望んだことではないし事故のようなものだ。まだまだやりたいことがあってのことで、本人の無念も周囲の無念も半端ない。彼女達と音楽を創り上げる為に一緒にやって来た者として自分自身悲しいし辛いし、何かを呪いたくなることさえある。娘は毎日のように見舞っては、色々楽しい話しもしているようだが、、、。娘の気持ちとしては、言葉ほど空しいものはない、というところだ。有り難うも感謝もそれで言い表せるとは思えないと言う。確かにこういう場合そうに違いないと私も思う。でも、有り難うと言わなくちゃ、と頑張ってラインをしてみた。かろうじて読んではくれるらしいが、もちろん返信出来る状態ではない。今日娘にこのラインを読んだと言ってくれたらしく、逆に感謝の言葉が娘を通して返ってきた。特に以前詠んだわが短歌に勇気づけられたと言う。優しすぎる。

 命かけ演奏会に臨む君 最初の音は低音フォルテ

この歌は、彼女の無念をピアノに込めたという意味だが、あのときの演奏は今も心に響いている。

そしてCD収録の現場で、歯を食いしばりながら弾いた「ケサラ」。位置的に流れる涙を見たのは私だけだっただろう。

あるコンサートで「ひまわり」という映画を音楽で表現しようとなった時、カッチーニのアヴェマリアを挿入しようと言ったら、此方の意図をすぐさまくみ取って見事に弾いてくれた。シャンソンにクラシックの良さを合わせるという無謀な要求にきちんと応えてくれた。そしてその演奏は多くの人の胸を打ち、涙を誘った。

「表現者」になろうとしてくれた。

彼女の病状は耐えがたい苦しみを伴うもので、現代医学をもってしても十分な緩和を与えてもらえないのが又辛い。

この癌という病気は世の中に増え続け、今や二人に一人とまで言われているが、最後に大きな苦しみが来るというのが恐ろしい病だ。わが友人も同じように苦しんで亡くなった。我が身に置き換えてもあの苦しみだけはどうにかして取り除いて欲しい。スイスの安楽死の映像を見たことがあるが、それは理解出来る。絶対に治癒しないなら静かに逝きたい。何故それが許されないのか?いまだ理解出来てない。

彼女にはせめて夢の中だけでも平穏で、平和でいて欲しい。

何を書いても筆舌に尽くせないを実感している。

2024年7月 8日 (月)

逆縁。

世の中には逆縁の不幸というものが存在する。わが母は自分より先に逝くなと、健康に気をつけよ、危ないことはするなと常々言っていた。確かにこれ以上の悲しみはなかなか無いかもしれない。もちろん先立つ人も自分の意志でと言う人は少ないだろう。思いがけない病や、事故で親に先立つ人は多いと思う。我が身に置き換えると親としては矢張り耐えがたい苦しみだと思う。どうか我が子や孫達が少なくとも自分よりは長く生きて欲しいと願わずには居られない。

昨日の朗読練習会で、取り上げるテーマには当然のようにこの逆縁がある。戦争になっていやいやながら戦地に我が子を送り出し、次々息子を亡くしてしまう母親の悲しみ。こういう親子がどれほど多く存在するか。戦争とはどこを切り取っても悲惨極まりない。

夕べのNHKの番組でオリンピックにロシアの選手が出られない事について取り上げられていたが、正確には個人としては参加出来るが、国を代表するのは不可ということだ。夫婦で共にアスリートの夫は国外に逃げたが、妻は国の援助を受けてここまでになったのもあり、祖国を捨てることは出来ないと決裂したとあった。妻はプーチンから握手され、国家の誇りの為によく闘ったと賞賛されて満足げだった。夫は、多くの人を殺している戦争を仕掛けた国の代表でありたくないと言う。夫婦ですらこれだ。国民もおそらくは分断されていることだろう。

 

今まさにこの逆縁の不幸が身近で起きようとしている。癌の中でもたちの悪いものに捕まってしまったYさん。悪魔のような病気と闘ってはいるが、どこまで耐えられるか?彼女とは親子ではないが、自分よりも若い人の不幸は見たくない。実の母上の心中察して余りある。今も思い出すのは彼女の健気な生き方、笑顔、そして精神力だ。彼女との時間は得がたい美徳に満ちていた。何故こんな病があるのかと思わずにはいられない。

こういうとき、無力だ。

2024年7月 7日 (日)

選挙。戦争と平和。にしても今夏はあっつい!!

全体的に嫌な選挙が増えてきた感のある世界。今回の東京都も同じくこれまでと違った印象になってきた。予想通りネットを駆使したものもあり、かなりの票が若い人に集まったようだ。アメリカしかり。どちらにも入れたくないという選挙が多い。世の中には力のある人も脳力のある人も沢山居ると思うが、そういう人は選挙には背を向けているのかも知れない。

 

今日は今度の広島被爆手記朗読の会の練習及び通し稽古だった。冷房の中に4時間居て、他の人達は声を出したり動いたりしてるから良いが、こっちはただただじっと見たり聞いているだけで、凍りそうだった。

今回集まったのは中学三年生の女の子を筆頭に全員が戦争を知らない世代。まあ親からとか祖父母から聞いているという世代はまだしも、それ以外の人には全く実感がないのだろう。それでも今現在世界では複数の戦争が報道されており、戦争がいかなるものかは理解しているようだ。平和の尊さを謳うには戦争の悲惨さを無視出来ないので、この会では被爆や戦争関連の体験詩や手記、それを文学に昇華したものも表現する。

これはとても素敵なことだ。この戦争のない時代が長く長く続いていくためにこういう世代が考える時間は貴重だ。来て下さる観客の皆さんはもちろんだが、出演者がこうして熱心に練習に励んでいる姿は、日本の明るい未来を思わせてくれる。

舞台経験者たちが集まるので、それなりのパフォーマンスは出来るが、本番までは相当な練習が必要なようだ。段々仕上がっていくのを楽しみにしている。

にしても警戒アラートで不要不急のお出かけはするな出出ていたが、本当に刺すような太陽光に道中は辟易した。もちろん今夜の夕飯は出来合いのものばかり。あんまり美味しくないんだけどねえ。と、ぼそぼそぼ食べていると聞き慣れた声がする。いきなり孫べえが自転車でやってきた。何事かと思えばお小遣いが欲しくて、今回の成績表を持ってくる。まあ、自転車で来たかと思うとつい甘くなる。あとからこっちが母親に叱られて割に合わないことではあったが。ま、いっか。今の所家族は平和だ。

 

2024年7月 3日 (水)

猛暑、来たーっ!

いやああ~疲れた。というか、ここのところ毎日疲れを感じない日は無い。天候のせいも大いにあるが、なんといっても年齢から来るものだろうと、夕飯時の夫婦の会話。そして、夕食後に仮眠するのが日課になってきたのは怖い。少し眠ると又元気になって食後の後片付けやら諸々のやるべきことが出来るのだが、、、、。なんか、不安。夫の言うように少々オーバーワークなのかも知れない。自覚は全く無く、随分動きをセーブしていると思っているが。ムムム。

今日の午後はお嬢のシャンソン教室での発声練習を担当し、その後朗読会のチラシを貼ってくれるという友人を訪ねると、お茶しようとなり、ハワイを模したカフェで4時前にパンケーキを食べたが、このアチクシにして小さいパンケーキ一枚しか食べられない。出た物は残さない主義だったが余してしまった。しかもこれのせいで、晩ご飯はお米抜き。うへーっ。どうなってるの?普通の年寄りじゃん?これ。

さりとて一向に痩せる気配がないのは不思議。な~ぜ?

帰宅するとポスティングさせて貰ったチラシの事でラインを受ける。その人はナント実際の熱中症で嘔吐発熱目眩と大変だったらしい。急遽タクシーで病院にいったというが、一人暮らしの彼女は大分不安になっているようだ。そりゃそうだろう。

考えてみるとわが周辺は一人暮らしの女性だらけになってきた。

水戸の息子とその子供がコロナで今大変らしいが、此方にも罹患した人がチラホラ。しぶといコロナめ!というところだが、経験からいうとあれはキツイ。一瞬だったが死の恐怖も味わった自分としては、風邪と同じと言われても二度と掛かりたくない。皆さんご無事でありますように。

2024年7月 2日 (火)

予定は未定にして、、、。

朝起きてから立てた今日一日の予定は、洗濯外家事、クーラーのお掃除何機か、買いもの、コープに注文したスイカを取りに行く、今日からチョコザップに毎日行こう、と6件を頭に描いていたが、先日我が家にやって来たフットマッサージ器の居場所を作る羽目になり、そのためにはあれをこっちにやって、これをそっちにやって、と大移動。夕方から広島の朗読の練習に我が家を使うというので、汗びっしょりになってやっていると、そのスイカを取りに来るという友人が3時半に訪れる。かろうじてそれはセンターに取りに行けたので間に合ったが、結局彼女のヘアーカットで外の全ての予定はキャンセル。ジムは明日からだな~と速攻諦める。

とまあ、近頃計画通りには全くいかない日々だ。

孫がコロナになったと水戸から連絡が入る。やはり高熱らしい。完治する病気扱いにはなってるが、色々シンドイのは間違いない。短歌の会員にも罹患者が出て歌会は欠席されるという。ネット歌会でも頭痛や色々あって難しいんだろう。しぶといコロナだなあ。

しかし、毎日色々な事件が起きる。身内に癌の人が出たと今日知らされて驚く。ステージは初期らしいが、手術しないと本当のところは分からないだろう。大したことが無ければ良いが。医師の中には病気になるなら癌が良いという人が多いというが、色んなタイプがあるからねえ。この病気。

快癒を願うことしか出来ないなあ。無力。

カラオケ。短歌。

あるYという友人は元英語教師。ご主人を亡くされて10年くらいか?驚くほど自由に、健康的に生活してこられた人生の先輩。彼女がここ数年カラオケにはまっていて、「AIがね、あなたは好きに歌いすぎです。もっときちんと歌う訓練をすべきです。なんて言うけどね、私そんなの全く気にしないのよ。好きな歌を好きに歌って自分が楽しむんだから別に良いじゃない!?」と平然とうそぶく人でもある。何しろ一回25曲前後歌う日もあるというから凄い。で、一度聞かせてくださいと、今日別の友人と一緒にその現場カラオケカフェに出向いた。すると10人以上の客が入っていて、それぞれ常連さんのようだった。入店すると拍手で迎えられるほどの有名人Yさん。早速聴かせて頂く。

Yさんは全て英語の曲で、確かにAIならずとも同じ感想を持つ歌唱ぶり。でも、これがカラオケの良い所。音楽は勝手に正しく鳴っているし、字幕も出ているから、少々間違えてもどおってことない。曲の雰囲気とパワーがあれば本人も周囲も楽しめる。外の人達の歌も当然ながら聴かせていただいたが、これがビックリするほど上手い人がいる。それだけじゃない。どの曲も全く聴いたことがない曲で、思わず隣の友人と、「私たちタイムスリップして違う時代に来たみたいね。」と囁く。昔のカラオケは大体聞いたことがある曲が多かったと思うが、今日はホント驚いた。でもって、アンタも歌えと言われ、そのまま帰るのもなんだかお高くともっているようで仕方なく歌ったが、こういうシチュエーションで歌うことはホント久しくなかったのでムムム。孫達とカラオケルームに行くことはコロナ前にはあったけどねえ。一応お褒め頂いたが、そもそも昔のように分厚い選曲用の本もない。ぱっと思い着く曲と言えば「舟歌」くらいのもので、我ながら古っと思った。で、越路の「別離」もプラスしてみたが、イヤハヤイヤハヤ。隣の友人が、「こういうとこに来るのも勉強してないと駄目ね。」と彼らがどうやって覚えているのかにとても興味を持っていた。

てなことで、本日もわらわらと面白かった。出かける前に夫から、「カラオケは自分が歌う為に行くんで、人のを聴いても面白くないだろうに。」と冷やかされたが、そうでもない。中には親しく声をかけてくれる人もいて、一種の社交場なのだ。7対3くらいで女性が多かったが、経営者や手伝っているらしい人も男性で、みんな歌が好きな人達ばかりのよう。そういえば知的障害のあるような人も歌っていたが、ホントに楽しそうで熱心だった。歌は良いリハビリにもなるはずだ。

今日の天声人語は短歌に足を突っ込んでいる自分にとっては看過できない内容だった。能登の震災にあった人の歌を取り上げ、「うれしいことがあれば浮き立つ気持ちが消えないうちに詠む。言葉を紡ぎながら悲しみや苦労を乗り越える。この半年間それを繰り返してきた。」という作者の言葉を紹介している。そして「思えば万葉集の時代から人々は災害も病も戦いもあらゆる出来事を詠んできた。残された言葉をたどり、私たちは当時の状況や心情に思いをはせられる。古今の歌人たちに感謝したい。」とあった。自分と同じ会員のある方は、東北大震災をずっと詠み続けている。いつもその方の歌に触れる度、忘れてはならないと思わせて貰っている。いつか自分も詠むことで癒される日がくるのだろうか。

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