お葬式。これまで沢山参列してきたが、今日のお通夜は色んな意味で異色だった。50歳のピアニストというのもあっただろう。まだまだ活発に活動している最中の出来事だ。関係する人も多い。二階の葬儀ホールはもちろんのこと、階段を埋め尽くす人で一杯になった。平均年齢も若い。音楽療法に力を注いできた人でもあったからだろう、小さなお子さん達も結構いた。発病してからずっと寄り添い続けて、最近では目を背けたくなるほどの憔悴ぶりだったご主人が、少しずつ本人が書き留めた手紙を紹介し、それぞれの人に手渡すのは、癌という特別な病気だったせいもあるだろう。時期がある程度読めたということか。
一番の異色は、お嬢がアカペラで一曲歌ったことだ。お互いどちらかが先に亡くなったら、それぞれの分野で一曲披露するという約束があったそうな。たまたまお嬢が残ったから歌を披露することとなった。「ケサラ」はYさん本人の思い入れが強い曲で、CDの収録でも絶対これ入れる、と譲らなかった曲だ。
平和で美しい国 信じ合える人ばかり
だけど明日は どうなることやら 誰も分かりはしないさ。
ケサラケサラケサラ 私たちの人生は 階段を手探りで歩くようなもの
ケサラサラクェルケサラ
堅く心結ばれて 誓い交わした友達
だけど背き合うことも きっとあるだろう 誰も分かりはしないさ
ケサラケサラケサラ 私たちの人生は 涙とギター道連れにして
夢見ていれば良いのさ、、、、、、、、、
確かにこのある種の諦念を含んだこの曲は彼女の人生を考える上で、実感を伴ったのだろう。
しかし、今日それを弔問客を前に歌えるかどうか?正直私だったら無理、と思っていた。もちろん本人も、「もし泣いたら歌えない」と言っていたし、もしそうなったらそれも彼女は許してくれるんじゃない?と慰めていたものだった。
ところが、お嬢は頑張って最後まで歌いきった。時ならぬ拍手が沢山出て、これが最も異色だった。こういう場で拍手というのも気が引けると思う人もいたようだったが、事前にご主人が、「本人からは、暗いジメジメしたお葬式にしないでね、と言われてました。」との言葉があったので、これもありかと思ったが。。。どうやら明日も歌うようだ。
明日は別な用事があって、参列出来ないが、多分ちゃんと歌えることだろう。何より、遺影が美しく笑っていて、「美加、しっかりしなさいよ!」と訴えているんだから。
今にして思えばとても強い女性だった。激痛に耐えるだけ耐えて、殆ど顔に苦痛の表情を見たことが無かった。病床にありながらも常に相棒を叱咤激励し続けていた。彼女の病気をおもんばかって気弱になると直ぐに背中を叩かれた。次へ次へとプランを立てて、まるで、罹病してる人とは思えない前向きな生き方だった。自分自身、若い彼女から多くの事を学んだ。だのに、最後のビデオ電話では、「廸子さんにはたっくさん教えてもらった。感謝してる~。」なんてこと言う。いつも相手を気遣っていて、彼女の笑顔は直ぐに思い浮かべることが出来るが、怒った顔やべそをかいた顔は見たことが無かった。泣く場面でも涙とともに笑顔があり、歯を食いしばっていた。
どうしてこんなに早く逝ってしまったの?と棺に向かいながらも、泣くのは違うと思っていた。長い長い苦しみからようやく解放されて、やっと楽になれたんだから、むしろ良かったねと言うべきだろう。そして見事な生きざま。
歌手の中西圭三氏から大きな花が届いていたが、歌手のクミコさんもご自身のブログに彼女の事を書かれていた。「音楽の河で再会するだろう。」とあった。パリ祭の関係者からもインスタに、「岡山パリ祭の歴史に残る名演奏でした。」と書き込まれた。
ああ、これからだったのに、、、。無念。
彼女から貰った宿題を胸に、懸命に生きるしかないなあ。みんな。