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2024年6月

2024年6月30日 (日)

孤独というもの。

孤独というある種捉えどころの無い心模様について、近頃度々考える。現在闘病中の人の感じる孤独とは、健康に日常を送っている人には計り知れないものかも知れないと思う一方で、人には想像力があるとも思う。だから、幸福と思って生活している人も、ひとりぼっちと落ち込んでいる人も、みんな同じかも知れない。そもそも終わりのある人生を与えられた人間にとって、孤独で無い人はいないのかも知れないと思うのだ。

今日の朝日新聞にあの寂聴さんの俳句について出ていたが、孤独についてのものが幾つか。

 死ぬる日もひとりがよろし陽だけ照れ

 生ぜしも死するもひとり柚子湯かな

 ひとりなりこころにあられふりしきる

得度してあれ程の人だったが、この寂寥感は万人のものと変わらない。これこそが我々に与えられた試練なのだろう。家族が居ても居なくても、健康だろうと病気だろうと、どんな環境にいたとしてもそれぞれみんな孤独だ。

そうと分かれば優しくなれる。

なかなか良いドラマを最近何話か観たが、「1122」という題名。これを良い夫婦と読むそうな。若い男女が恋愛して結婚して、互いに思ったように行ったり行かなかったりで公認不倫の約束までして実際そうなって心が波立ち、修復のつもりの不妊治療に疲れて離婚する。が、彼女の母親の突然死によって人の孤独や本当の優しさに気付き元に戻る、というストーリー。かなり乱暴なあらすじのようだが、実際は丁寧に丁寧に二人の心情を描いていて腑に落ちる内容だった。出演者の力も大きいと思うが、監督の脚本家の目線が素晴らしい。日本にも良い作品が出てきたなあ、と思った。アラフォー世代の悩みのようなものがよく出ていた。

この作品の一つのテーマが孤独だったと思う。離婚したとき彼女が女友達に、「離婚して自分の輪郭がハッキリしてきたように思う。」と告白する場面があり、これから一人で生きていく覚悟のようなものが描かれた一方、最後に住み慣れた我が家を売却する段になって、「ここに住み続けたい。」と号泣する場面も。

ま、色々あっての人生だ。

孤独だからこそ、互いに優しく生きれば良い。

2024年6月29日 (土)

長袖のブラウスでもホールは寒い。

日々やることに追われて昨日何をしていたか?思い出せない。とある書類を仕上げて、とっくにお休み遊ばしている夫の席の前にその原稿を置き、校正やご意見をお願いして寝たのが深夜3時頃だったと記憶する。当然のことながら朝の起床時間は10時に設定し直し、スマホの目覚ましに頼る。それが出来るのは、翌日の予定が午後の場合。

でもって、本日はご招待されていた演奏会に出かけた。ところがギッチョン。嫌な予感が的中して、駐車場がどこも満車。ホールに近い所はゲートまで10台くらい並んでいる。そういえば今日は大ホールでコバケンの指揮によるオーケストラの演奏会。前にもこういう事があって、丸い亀さんまで移動してそこからタクシーで駆けつけるという離れ業をやったことがある。でも今日は、実は同時刻に近くのサンポートでもコンサートがあって、此方の裏方にはお嬢が入っていたため、本当は其方に行きたいと思っていたが、体は一つってことで、諦めていたのだが、この際駐車場を探している内に時間が経ちそうだったので思い切ってUターンしてサンポートに移動。ここはナンとか停められて急ぎ会場へ。受付から色んな知人に会うこととなり、元ちぇちのメンバーとも久々に会ったので並んで見た。ある方にお会いして再会を約したりと、収穫もある。終演後は出演者も出てきていたので、とにかく挨拶で忙しい。皆さんに二言三言言葉を交わして失礼したが、まあこうして皆さんと元気で会えることは嬉しい。

公演は全体にメルヘンというか、ゆる~い感じに仕上げていて、主催者のお人柄を感じた。オカリナ、良い音色で胸に風が吹き抜けたような気分に。童謡唱歌を沢山取り入れて、朗読も二十四の瞳や猪熊源一郎の随筆で、郷愁を感じさせるものとなっていた。こういうのも良いなあ。わが番組にも何度か出ていただいたことのある口笛奏者の方の口笛が少なくて残念。あのテクニックは素晴らしいんだけどなあ。

夕方まではこうしたのんびりした時間が持てたのだが、そこからがいつものように忙しい。気候のせいだろう、異常に疲れて夕食後は仮眠してしまった。

さあ、明日は朝寝は出来ない日だなあ。ま、適当に早寝と致しましょう。

宿命って言葉は好きじゃない。けどねえ。

我が家のブラックベリーがたわわに実り、間もなく収穫の時だが、購入した時の親株はとっくに枯れていて、こぼれた種から出た茎がドンドン手足を伸ばし、今やグリーンカーテンのようにブロック塀を被っている。これはまるで親離れした彼らが自立して繁栄しているようで面白い。植物の生命力は時折驚かせてくれる。、、、これをナンとか一首に詠もうと悪戦苦闘しているが、何首造っても思ったような短歌が詠めない。盛り込みたい内容が多すぎるのか?基本的な短歌の手法が分かってないのか?駄作なら何首でも出来るんだけどねえ。やれやれ。

「聖なる犯罪者」という映画を見てしまった。しまったというのは、主演俳優が好きなタイプでもなく、実話を元にした作品らしいが、何が言いたいのか?分かるような分からないような、、、モヤモヤモヤ。少年院から仮出所した青年が本来の紹介先である材木工場に行かず、同じ町の教会に迷い込み、元々聖職者になりたい願望のあった彼を勘違いから司祭にと仕立てられ、その職にのめり込んでいき、町の重要な精神的支えになっていく。最後はそれがばれて、古巣の少年院に逆戻りになる。そこでの暴力沙汰で命からがら逃げ出すというところでジ・エンド。折々に出てくる言葉は、「人がどのようなことになろうとも、そこに神は必ず居る。」であり、彼が毎回のミサで大きなキリスト像を見上げて、「我々は彼のようにはなれないくずみたいなものです。」と言う。それは間違いとは言えない。

町の人は完全に騙されて、彼の言うことを全面的に肯定し、心の解放を覚えていく。その部分を見れば宗教の危うさが見えるし、「言葉」というものは、取りようでどのようにも解釈できるし、鰯の頭も信心から、ということわざの通りかも。

本物の司祭が現れて彼の折角築いた地位はあっけなく崩壊するが、町の人々はその後どうなったのか?マンネリ化していた元の司祭より圧倒的に熱い信頼を寄せていた彼らはどうなったのか?そこが描かれてない。

昔からエセ宗教家は沢山出てきた歴史があるし、例のOム真理教のような人身を操るのもいる。彼ら教祖は一般人より罪深い人種だと思うが、その一般人もこうした事件に晒されるのは人間の弱さだろう。弱い人間は色んな悪に狙われる。現代の詐欺師たちの生け贄になっている大勢の人達もそういうことだろう。

心底安心して暮らせる世の中にはならないのが人間の宿命か。

おみっちゃんはワインでも飲んで寝~ましょ。

2024年6月27日 (木)

大雨の予報。

娘ファミリーのお勧めでNHK「魔改造の夜」という番組を見続けている。確かに面白い。結果にはかなり舞台での緊張が影響しているのを見て、そこまでの苦労が一瞬にして崩れる事に同情してしまう。これは全ての舞台芸術に言えることで、この番組はそこんところを徹底的に演出し、いやが上にも緊張するように仕向けている。そしてかくも大の大人が緊張して扱っているパーツが、ほぼおもちゃというのもギャップがあって面白い。

ただ、それだけではないところが制作側の意図する所だろうと思う。与えられたテーマに社員や学生が一丸となって物作りに挑戦する様は、結果が何でアレ感動する。殆どの出演者が最後には涙涙で抱き合い、そこまでの互いの努力を健闘し合う姿は美しい。そして競合の相手チームに惜しみない拍手や涙を送るのも美しい。

凄い番組だと思う。

そして今の日本が物作りに弱いということを知ることとなった。昔はそっちが強い国では無かったか?いつの間にか置いてけぼりに?誠実で、手先が器用で、頭が良いという日本の物作りの人達は一体どこへ?

わが孫べえが一時はまっていたロボット教室での産物を、いとも簡単に「もう要らない」と捨ててもいいと言うのを我が家に持ち帰ったが、つくづく残念。記念に置いてはおくが、ムムム。あの子は向いていると思うけどねえ。才能を見つけ伸ばすのは難しい。どんな人生を送るのか?果たしてその行く末をいつまで見続けられるのか?母親が言うように、元気でさえいてくれたら良いとも言えるんだけどねえ。

どうやら線状降水帯がもうすぐ通過するらしい。沢山置き土産を置かないで欲しいものだ。

よく働きよく遊ぶ。

円安が続きなんと自分が海外旅行に行っていた頃の水準1ドル160円が付いたようだ。あの頃はまだ世の中の景気が悪いという程でもなかったが、今は違う。これから日本はどうなっていくのだろうという不安が過る。物価の高騰はあるし、戦争のおかげで品薄のものもかなり出てきているようだ。これは、よほど大きな覚悟で世直し対策をしないとみんな共倒れになるかも。対策の一つで、以前から自分が考えていることの一つ、海外からの輸入に頼るのではなく、自力で農業の立て直しをやれば良いのでは?と思うがどうだろう?国が広い土地を畑やたんぼに転用して、会社組織にすれば、雇用も増えるし、機械化によって潤う業種も出てくるだろう。我が家の近所もほぼほぼ田んぼはなくなって、住宅ばかりがにょきにょきと建つ。もう飽和状態かと思ったがまだまだ新築物件が建ち続けている。それほど農業離れが進んでいるということだ。近視眼的な対策ではなく大きなプランが必要なのでは?

とか思いつつ、一日の終わりに大泉洋の真面目映画を見る。一昨日から見始めて、ようやく今日終わった。シリーズものは次々とみたくなるのがイヤでチョイスしないんだけど、彼の作品ならと見始めたら、案の定止められない。10エピソードを見終えて号泣とまでは行かないが、ケッコウ泣かされた。

テーマは「悪」と「善」そして「親子の又は兄弟の愛情」。なんだけど、それに終わらない、悪が成されるその裏側にある人間の弱さに言及しているのが、ドラマを深みのある物にしている。古くは松本清張が、悪人はいないという筋立てで読者を泣かせたが、この作品もそんな感じ。

それはさておき、彼の相手役が福山雅治で、キャリアからいうと福山の方がベテランだと思うが、大泉の体当たりの演技の方が荒削りなのに泣けた。大泉洋という役者はホントに良い。どうしてもお笑いのイメージが付き纏うが、それを出さずに頑張っていた。

とまあ、個人的生活は一応平和。ぼちぼち短歌に取りかからなくては、と思ってはいるが、スイッチがはいらない。

さあ、明日はどんな一日になるのか?毎日飛ぶように月日が流れる。

2024年6月22日 (土)

性のお話。

雨の日に限って洗濯したくなるのはな~ぜ?室内干しが普通の娘に話しても鼻であしらわれるだけだから言ってないが、結局しぶしぶ室内干し決行。まあ、最後に少し乾燥機にかければどってことないんだけど。太陽の恵みに勝る物は無いと思うのは古いのか?

古いといえば、今放映中の大河ドラマは平安時代のもの。あれはドラマだとはいえ、時代考証もしているし、かなりの部分は信じて良いのでは?と思いつつ着物の裾捌きや生活の様子を興味深く見ている。特に筆字が素敵過ぎて書いてみたくなる。琵琶は一向に上達しないような感じだが、音色は良い。そして、性の描き方がかなり奔放に見えるが、先日古典に強い友人の話を聞くと、昔の日本は今ほど陰湿ではなく、からっとした性を謳歌していたようだから、まあ、ああいうことも無くはないのかもしれない。現代の映画界ではどうも日本の作品は性の描き方が隠微で、あの谷崎潤一郎の描くものに似通っている。西欧のものは開けっぴろげ過ぎるようにも思うが、、、、。にしても、最近のNHKも変わってきた。別の番組も肌の露出が結構なもの。まあ自然だとは思うけどねえ。

がしかし、現代のある一面では、とんでもないことに子供達の性被害による自殺などの事件が多くなってきているようだ。上手く言いくるめられて軽い気持ちで動画や写真を送るとそれがお金で売買されて、取り返しが付かない状況が生まれその結果絶望して自殺するんだそうだ。一方で、そのネットの胴締めはヤバイとなったら直ぐに転売してそれが億単位の取引だと言うから驚く。色々調査しても大元まで踏み込めずNHKと捜査会社の今の所の成果は上々とは行ってない。闇が深く、限界があるようだった。子供達をこういうものからどう守れるのか?本当に難しい。

最近のニュースでもお堅い役所や警察官や教育者などがいろいろ性のはけ口でドジってやり玉に上がっているが、あれは一体何だろう?そうなってしまう男性の性を気の毒だとも思うが、世の中の何かと関連があるような気もしている。こういうのを特化して研究してる学者はいるんだろうか?

変な世の中になった、と傍観するしかないのか?

 

昨日見た特番の、非行少年に寄り添い続ける「ばっちゃん」に思わず涙したが、「人間、お腹が空いたらろくなこと考えんから。」と何十年もご飯を提供し続けてきた凄い人だった。こういう凄い人もいるんだなあ。御年90歳。凄すぎる。

2024年6月19日 (水)

年齢不相応な動きの日。

一日一つだけ用事をしようと、ちぇちを終えてからの目標にしていたが、矢張りそうはいかない。今日もバタバタのバタ。

午前は会議で、午後はシャンソン教室の発声部門担当。急ぎ帰宅して本業の前に洗濯物を取り込む。この時点で汗がびっしょり。なんせ今日も暑かった。

声というのは出してないと段々無くなってくる。その意味で、こうしてレッスンする中で自分も声を出すので、自分自身の訓練にもなっている。が、冷房が効いてる部屋でも暑かったあ。声を出すのはスポーツをしているのと同じ。みんな汗をかきかきだ。

練習場所はアートな空間で、普段は彫刻や絵が展示されている。今日も辻野栄一夫妻のものが飾られていたが、斬新なフォルム。ユニークな構図の作品にレッスンも忘れて見入ってしまった。こういうの作る人の頭の中はどうなっているんだろう?と思うほどある意味奇抜。何でも人がしないことをやるのも面白い。

 

先日花巡りをしたが、不思議と足腰は痛くない。同行した友人は手術をお断りというか、延期して貰っていて、大丈夫か?と気になっていたが、案外行けてるようだ。痛みがなければ手術なんかしたくないわなあ。

今日101歳の母上を連れてこられた娘さんは、歩くとか何もしない母ですけど不思議とこうして元気なんです。と言われる。確かにお年とは思えないほどシャキシャキしている。冬はこたつのお守り、夏は暑いからと一切外に出ようとしない、と言われる、、、、。そういえばわが周辺でも運動おタクみたいな人が早く逝ってしまった。 運動と寿命は関係あるのか?無いのか?

 

明日も暑そうだなあ~。まだ6月!!

2024年6月18日 (火)

ずるずると花見。

ずるずると花見に行くというのも変な話しだが、今日は一日ずるずるだった。朝婿殿が映画に誘ってくれたにもかかわらず、先約があり残念ながらお断り。で、その後約束通りまずは八栗寺の菩提樹の花見。その前にチョイと腹ごしらえと道中に見つけていたビーガン料理のレストランに行ってみると本日休業。で、その直ぐ側の人気のうどん屋さんへ。く~っ。うどんだけは食べるまいと思っていたのに旦那の呪いか。が、20人ほどの列を待って、「スダチ冷やしうどん」を初めて食べたらこれが美味しい。どんぶり一面にスダチの輪切りが乗っていてうどんが見えない。アッサリと良いお味で大満足。

八栗寺まではもちろんケーブルカーで往復したが、幸い今日は涼しくてそよ吹く風に「今日はサイコー」を連発。行き交う人達との会釈や挨拶も楽しく、全てが美しい緑に染まっていて、これぞ仏様に抱かれている感じ?お目当ての菩提樹は今が盛りで蝋のような光沢の小花が一面に咲き乱れている。中には何をお願いしているのかお百度を踏んでいる若い女性もいて心引かれた。多くはないが紫陽花もきれいでうっとり。もちろん鐘も突かせていただく。静かな境内にゴ~~ンと響き渡る鐘の音は快感。鐘に刻まれた歌をなぞりつつ、これは次回再度キチンと教えていただくのが良いなあ、と以前確かに教わったにもかかわらず記憶にないのを内心恥じている。

ゆったりと歩くと初めて来たような気になって、二人ともこれ、年のせいかしら?と妙に納得。若い頃は何もかもささっと動いて、そのせいで鑑賞力とでもいうべきものはそれほどなかったと思われる。同行のK女史は短歌もよく知っていて、會津八一の歌集も読んだらしい。奈良にも歌碑があって、そらんじていたのには感心した。彼女からは沢山勉強させて貰っている。

殆ど貸し切りのケーブルカーに再び乗って下山。次は仏生山公園の西洋菩提樹を目指す。少々迷子になりながらなんとかたどり着き、そこのダリアやバラも沢山あるのを楽しむ。ただ、こちらの菩提樹は既に花は終わっていて、少々遅かった。来年だわねえ、と話しながら帰路につく。

往復すると結構な小旅行。途中で別の友人から電話が入り、お寿司を上げるからこっちにおいでよ、と言われそのままとあるカフェに。ここのソフトクリームが美味しいのよねえ。かなりの距離歩いたので、罪悪感は無し。しばらく店主も入れて歓談し友人をお送りして帰る。我が家で待っていたお嬢は本日新聞社の取材3時間も受けたあとでお疲れモード。その顛末を聞きながら早速お寿司や友人の手作りお惣菜で晩ご飯。今日はラッキーだった。というか、流石に疲れていて、お料理する気はゼロ。丁度良いタイミングだった。何もかも。

雨は夜まで待ってくれて、それもラッキーだった。

麗しい一日だった。

2024年6月15日 (土)

考え行動する若者達。

ここ数日は娘の主催する「ヒロシマ被爆手記朗読の会」のチラシの作成にかなりエネルギーを取られたが、まあ出来る内が花。出来る事は、そして生きてる内にやった方が良いことは、出来るだけやろうと思っていて、その一環だ。この会は戦争を知らない世代の人達が自分達の勉強もかねてやっていることに意義があると思っている。だから今回のように大勢の人を巻き込んでの開催は大いに応援したい。

特別なイデオロギーの下に動くのでもなく、特別な団体との結びつきもない、一般ピープルとしての活動は、もっともっと広く浸透して欲しいものだ。小さな小さな活動ではあるが、今を生きる人として彼らの準備段階からの懸命な姿勢は尊い。

にしてもチラシ担当は疲れる~。完成したと思ってもどっかが違ってたりして、何度も修正の上漸く本日完成。

でまあ、お嬢もよく頑張ってると思う。連日の打ち合わせ。昨日も今日も夕方からで、たまたま我が家がそういうのに向いている造りでまるで会議室。夫のTVがうるさいとか言われることもあるが、それ以外は大丈夫。古い家でも役に立っている。

家といえば、ぽつんと一軒家という番組をたまに見るが、もの凄い山奥にもしっかり住んでいる人が居ることに驚く。殆どの人が元気。矢張り空気が良いのと運動かな?しかし、こういいうのどかな暮らしを発表して、何か事件に巻き込まれるなんてことないんだろうか?他人事ながら心配になる。最近の犯罪が以前と変わってきているから。どうぞ皆さん今の生活を無事続けて欲しいものだ。ま、どこが安全かなんて、今の時代全くわからないけどね。

明日も暑いらしいなあ。

2024年6月12日 (水)

夏が来た。

連日何かしらあって、少々お疲れモード。でもまあ、楽しいことばかりなので疲労とはいえ嫌な疲労ではない。ある意味贅沢な疲労だ。

まずは何年ぶりかで一昨日遠方までイタリアンのランチに娘夫婦と出かけた。山の中にあるこのお店は鶏や山羊を飼っていて、時々その手の鳴き声が聞こえる。道中はのどかな田んぼが続き米所の水主あたりを過ぎていく。昔短歌の会員の方のお家で美味しい筍の天ぷらを沢山頂いたのを思い出す。

お店は予約が取れないほどの人気店だが、やや遅い時間だったので取れてラッキーだねと言いながら入店。彼らは入り口から写真を撮るのに夢中。インスタか何かに上げたいのだろう。食事が運ばれてきても写真。みんな好きだな。

矢張り美味しくて、ランチコースは完食。三人が別の物を注文してシェアして食べるのが我々のやり方。どれもこれも美味しい。帰りには紫陽花ロードなる場所につれてってくれて、連日の花見。というのも、その前の日には婿殿と二人で、亀鶴公園やら勝名寺の紫陽花で花見をしたところ。彼は花が好きなんだと改めて感心。

お嬢の発案でマンションのセルフリフォームに付き合わされていたのでその疲れが少し抜けた感あり。と思ったら、続きをやろうと拉致されたままマンションへ。結局一度は夫の晩ご飯のため帰宅して再度出かけるという離れ業。。。。つかれる~~~。

でもって、本日は女三人でランチ会。彼女達はお初のお店で随分喜んでくれて良かった。緑がいっぱいの庭を眺めながら手の込んだ料理を食べつつお互いの近況やら昔の旅の想い出、そして家庭における女性と男性の力関係とか、話しは尽きない。だから、なんといっても、我々の会食は半分は会話がメインのお惣菜だ。ゆったりと楽しく時間を過ごし、炎天下解散。中でもKさんという人は子供さんを育てる中で半年もヨーロッパに家出?していたという豪傑。「そうでもしないと男性には分からないのよ。」とさらっと言われてなるほどと納得。お金が無くなれば帰ろうと出かけたというが、ホント度胸がある。時代もバブル期で行きやすかったのもあったようだ。

こうして楽しく食事していると別の友人からランチのお誘いが。また別の日にと約束して電話を終えたが、やれやれ。明日も予約しているし、ムムム。ま、夫とのうどん屋さん地獄からは抜け出せて有り難いくらいなものだが。

明日も暑くなると言う。ついにこうした時期がやってきた。自分の身も夫の身も、案じながらの夏が来た。

2024年6月10日 (月)

お片付け~お片付け。

本日はお嬢の部屋の模様替えを手伝ってという、お願いと言うより命令に近い申し出を受けて、午後からマンションへ。孫べえは友達とネットでのゲームに夢中。女二人でせっせとやって、気が付けばもう夕飯の時間。慌てて一度帰宅して一緒に食事中に夫にその旨を伝えて再度引き返し続きをやる。まあ、考えてみると自分も母に頼んでよく一緒に片付けをやったものだった。母がかなり高齢になっても口だけで参加。ああしたら?とかこっちが良いとか、長年の経験からの生活の知恵は役立ったものだ。そしてこの客観的に物事を見て進めるのは孤独に一人でやるよりは効率が良い。発想の違いもあるし、思わぬ成果もある。

が、TVの位置を大幅に変更したら、ケーブルの長さが足りなくなってしまった。で、今日は「光る君へ」を見たいが為に雨の中電気屋さんへと車を走らせる。ところが、今時の電気屋さんは早く閉まっていて夢タウンしか開いてない。仕方なく雨の中移動したが、丁度放映中の時間と重なり、結局は車の中で見たという結果に。大画面で見ようと思っていたのに~。

ま、我ながらよく動く。

結局お嬢の一番やりたいことは明日に延ばして、取りあえず帰宅。家が近いのが良いのか悪いのか?こき使われの巻き。

まあ、A型のお嬢とO型の自分とでは性格が違い、意見も違う。そこを衝突せずに互いに譲り合って良い結果を生むのも訓練だ。時々衝突、時々爆笑、時々おやつで時間が過ぎる。取りあえず、お嬢のやっている広島原爆手記朗読の会が来月に迫り、いよいよ今年も準備がスタートしている。きっと片付けをやりながらも頭の中ではそれがいくらか去来しているのだろう。ヘルプは必要だ。

その会は今年も多くの人を巻き込んで開催するようだ。今を生きる人として、こういうことをやり続けるのは意義深いものだと思っている。自分自身は表に出ないで裏を支えることに徹してきたが、今後もそのスタンスで関わり続けようと思っている。

本当に人間は忘れる動物だ。

2024年6月 8日 (土)

婿殿とデイト。

今日は婿殿のおかげで楽しい一日となった。送迎してくれて、まずはランチ。お初~のお店で鼻のきく彼は外れがない。プレハブかと疑うような外装で、中はちゃんとしているこじんまりした店内。青年が一人で営業している。ピアノとギターがあったので、ライブでもするのかと聞いてみたら、誰かやってくれると嬉しいんですが、とのこと。食事はソフトフランスパンにたっぷりのローストビーフや野菜のサンドイッチと生野菜のサラダ等がワンプレートに色々付いている。どれも行ける。婿殿はキッシュにしたが、分厚くて美味しそうだった。

満足してそこから亀鶴公園に菖蒲の花を観に行きましょうとなり、行ってみるとまあまあの人出。土曜日だからかと思ったら、偶然出会った従兄弟夫婦は新聞に出てたので来たと言い、この人出に納得。彼らとは本当に久しぶりの再会。彼女が「旦那さん?」と聞くので、「そうだったら嬉しいわ。」ととんちんかんな会話。従兄弟の旦那の方が、「あんたは主語がないから変なことになるんだよ。」と奥さんをたしなめて一笑い。ま、遠出のおまけ。

で、大分前に言ったことがある紫陽花寺にも行こうとなり、少し早いかと思いつつ回る。確かにあと一週間後が見頃だろうだろうが、彼も言うように、その頃はごった返して狭い道での離合も大変だったろう。それなりに咲いてくれていて楽しめたし、今日で良かったわねと下山。

最後に最近お気に入りの珈琲屋さんのソフトクリームが食べたいとまだ知らないと言う彼に回って貰う。実はこの場所は彼のマンションの直ぐ側なんだが、遠回りして貰った。その甲斐があったでしょう?と押しつけがましくペロペロ。これで満足して自宅まで送って貰いご機嫌。「また行きましょう!」と別れる。

ポチポチ振り始めたので洗濯物を取り込んだら夫のご帰還。今日の顛末を話し、夕食の準備へとなだれ込む。

菖蒲を見ているときが暑くて、きっとそのせいで疲れていて、食後は仮眠。10分寝たら元気が出るのはまだ大丈夫か?

夜になってお嬢から電話で、「お婿とデイトなんて、なかなか無いことよ~。」と冷やかされる。ハイハイそうでしょうとも。

サンキューベリマッチョな一日でありんした。

2024年6月 6日 (木)

息子の誕生日。

昼間友人とその娘さんのお二人が来てくれて、思いがけず2時間ほどもお喋り。特に内容がある話しではないが、まあ、四方山話。4時の時計を見てアッと驚き解散だ。女三人寄ればまずはこうなる。

実を言うと本日はハッキリ目覚めたのは昼過ぎ。下りてキッチンのテーブルを見ると夫から会議とプールに行くと書き置きがある。ラッキーとばかり昨夜のシチューと食パンで一人ご飯。洗濯したりお掃除したりしてると彼女達がやって来たわけだ。

なぜんこんなに朝寝だったかというと、昨日はなんだか疲れていて、夕食後にうたた寝したのが悪かった。いざ寝ようとするとベッドでのたうち回るほど眠れない。3時に諦めて睡眠導入剤を飲む。出かけなければ大丈夫と踏んでのことだったが、これで大正解。気分もスッキリ。今スマートウオッチで見て見ると9時間49分も寝たらしい。ちょくちょくこれをやると充電できて復活出来るような気がしている。薬の効果は抜群だ。

明日は絵本の読み聞かせの予定。一人で歌も歌うので、今もって暗譜中。何事もノーと言わない性格故の試練だ。

今日は息子の誕生日。昭和4666日、午前616分生まれ。これほど6が続くというのはどんな運命なんだろう?今日は令和6年といういことで、多くの人がJRとかのチケットを買っているという。驚いた。予定よりも二週間早く世の中に出てきたのは、彼の意志だったのか?摩訶不思議。

ま、ビデオ電話でもしようか。

2024年6月 5日 (水)

晴れたら晴れたで、しんどいな~。

本日は午前中に本業を済ませ、午後からのシャンソン教室の発声練習を担当。皆さん段々良い声が出るようになってくれて嬉しい。やっぱり歌は良いなあ。歌う人の真剣な表情はとても良い。

で、後はお嬢にバトンタッチ。そこからもし偶然居たら会いにいこうと3人に連絡を取る。最初の人は孫のお迎えがあり次回に。次の人は病院だった!ようやく3人目の人が在宅で、少なくとも一つの用件が済んだ。おまけにそこのお家の畑の枇杷を沢山頂いて帰ったというおまけ付き。カンカン照りの中、チトお疲れモード。夕飯済ませて一寝入り。さ、今から自分お時間。短歌の〆切りでもあり、新しい童謡を覚えなくては。キッチンの片付けからやらなくては!!ふ~っ。

2024年6月 4日 (火)

忘れっぽい親子のお話。

忘れ物三連発。酷すぎるでしょ!?

まずはとある会議に出かけるのに必要な書類一式を忘れて駆けつける。

会議中にお嬢から忘れ物を届けてくれると嬉しい、なんて甘えたメールが。親が親なら子も子。

で、一日のプランを立て直す。頂いたお便りの返事を書くべく○タウンではがきなど購入。フト見るとお気に入りのマッサージ器が。空腹を横に置いて取りあえず体をほぐす。このチョイとした寄り道が多重ミスに繋がる。

お嬢の忘れ物を取りに行き、昼ご飯を夫のおうどんに付き合わない今日は、食べたいものをどっかで食べようと意気込むが、アイデアが浮かばない。で、行き当たりばったりで近くのとんかつ屋さんへ。野菜をいっぱい食べられるのが魅力。そこで食後に手紙を二通書いて、フト見ると腕時計がない。アッと思い出したのはマッサージ器に掛かるときに外したこと。これは間違いなくあのデカい椅子のどっかに落としてきたと思い当たり、ならばついでに郵便を出して、送るべき物も送ってしまおう、とUターンして再び○タウンへ。

サービスセンターに行くとワンダフル!既に届いていた。大した時計でもないのに、貴重品扱いで、本人確認やら受け取り書類の提出やらあったが、何はともあれめでたく出てきた。書類にサインしながら、「日本は良いですよねえ。こうして出てくるから。」と言うと、店員さんも合点してくれたが、ホント、これ海外だと先ずない。

御礼を言って次なる目的、ある人に讃岐のお菓子をお送りする為店内を移動。で、選択していざ送り状に記入の段になって、あっちゃ~宛先を書くべき資料のはがきを車の中に忘れてきている。が、そこは熟女の知恵で、先に料金を支払い、駐車場から電話をするという約束を取り付ける。若い女の子だったが感じよく対応してくれて、願いは叶う。

この時点で、もうもう疲れ切っていて、予定していたチョコザップと温泉行きは断念。お嬢の職場に届けて、疲れ切ったと告げると帰ってきた言葉は、「色々やり過ぎ。一つにしなさい!」それアンタが言う?ったく、親の顔が見たいわ。

で、帰宅してから何もする気が起きず、暫しソファで休憩。やがて夫がこれまた疲れたを連発しつつご帰還。お嬢の家からお引っ越ししてきた便利な電気鍋は、顔を見てから作っても間に合うので大助かり。でまあ、今日も終わろうとしている。

も~う、ブータンタンに入って寝るべし!明日も朝から忙しい。やれやれ。

2024年6月 3日 (月)

せめて花を活けて癒されよう。

昨日の高松ジェンヌN嬢が朝お花のお裾分けを、と届けてくれる。お花は大好きで有り難く頂き、暫くお茶をしながら昨日の舞台の話しや、そこまでの練習の話しに花が咲く。彼女はちぇち時代から兎に角素直な性格が際立っていて、指導を受けるのを与えられた水を吸収するが如く全部取り入れる人。そして舞台で最高の自分を発揮できるという得がたい性格の持ち主。想像した通りの出来映えだったが、ご本人もとても楽しく大満足だったようだ。このまま終わってしまうのは勿体ないと、みんなで慰問に行くとかしたら?と話した事だが、そうなるとそれはそれでエネルギーが必要だ。実現出来ると良いが。。。

彼女の母親とは中学の同窓生。今は家族に病人がいて、心が落ち着かない日々を送る中、娘のやってることに力づけられているようで、「貴女は親孝行ね。」と言ったことだ。実際その母親は客席で終始楽しそうに舞台を見ていたのを側の席で見ていたし、終演後に満面の笑顔だった。わが娘は単発ではなく長く困難な道を行こうとしているので、彼女達と同じとは行かないが、それでも、娘のしていることは母親として応援したいと言う点は同じ。どこまで併走出来るか分からないが、見守っていこうと思っている。

今日はお昼に暫くぶりに夫とうどん屋さんへ。その分消化しようとジムにも行く。珍しく白人の男性が来ていて遠巻きに見ていたが、こういう所に来る人は多分長くこちらに住んでいる人だろうなあと思った。外国でその国のシステムに乗っかって生活するのは相当慣れた人だろう。昔は海外でで暮らすことも可能だとうそぶいていたが、今は全くその自信が無い。まずは病気になった時の事が心配。。。。いつの間にか、何もかもが縮小、消極、く~っ。情けない。

2024年6月 2日 (日)

疲れに麻痺してきた?

昨日は地獄のような動き方。近年にない密度の濃すぎる一日だった。

朝は前日と打って変わりカンカン照りの好天気。ここからがそもそもの試練の始まり。洗濯物などしてからチョイと迷ったが車で中学まで。予想通り中には入れず、仕方なくやや離れたとあるお店に行き少々買いものをして駐車したまま正門まで歩く。途中数回立ち止まり、一服しては歩き始めると言った具合で、我ながら情けない。術後の股関節は順調といっても、片方が弱っている為、長距離の歩行はかなり大変。しかもか弱い(?)老女に容赦なく照りつける真夏の様な太陽。汗が流れ始めた頃漸く到着。後から婿殿が声をかけてきてくれてホッとする。少しプログラムが早めに進行しているようだと言われ、急ぎ運動場へ。程なくリレーが始まり、お目当ての孫べえの順番となり、身を乗り出して応援の態勢。構えたカメラはその姿を捉えにくく、後からお嬢が言うにはビデオで撮れば良かったのにー、なるほど。が、なんとかキャッチして、早々にその場を離れた。自転車でやって来た婿殿に泣きついて、車を取りに行ってもらい、これまた後からお嬢にそんなことで婿殿をこき使って!と呆れられる羽目に。

この次の予定は歌会。暫くぶりに会う人もいて、和気藹々楽しく進行した。中でもAさんとBさんの丁々発止のやりとりには全員が爆笑。互いに譲らないで自分の考えを主張する姿勢が小気味よく、それが男女という構図も面白い。その二人の発言を師匠初め全員が許容する空気の中、適度にエスカレートしてそれぞれが、「解釈は自由。」と落とし所で一致してチョン、というのも落語の落ちのようで面白い。毎回の対面歌会ではこうした愉快な事件があり、これはリモートでは経験しづらい。

そして同行したAさんをお送りしてから次なる目的地は、絵本の読み聞かせの練習場所。あとの事を考えて、ギリで間に合うと踏んで夫の晩ご飯のお惣菜もゲットして冷蔵庫に放り込んでから移動。ナンとか時間に間に合って、金曜日の段取りを打ち合わせたり時間を計ったり。かろうじて覚えた童謡も歌い、二時間で帰宅。

上京していたお嬢が空港に着いてから孫べえも一緒に寿司○―へ行くという予定があり、こっちの晩ご飯はつまみ食い程度。夫にお付き合いしてから又又車を出す。孫べえは友達とのゲームが面白く、自転車で後から行くなんぞと言う。成長したなとも思いつつで、久しぶりに空港へ。漸くこの時間になって涼しいと感じたが、ホント毎日気温が違うのに参る。

でまあ、めでたく三人でお寿司を食べて、マンションにお嬢を送り届けてこれで遂に一日が終わったと猛烈な疲労感を抱えたまま玄関に。そのままキッチンに行ってあっと驚いた。あのイタチの捕獲事件以来、どうも気のせいでは無い何かが侵入したらしい雰囲気が気になって、前日購入した粘着シートに、どうやらあの子供らしきやっぱりイタチが見事に掛かって暴れている。電気は煌々と付いていたが誰もいないと踏んで侵入したらしい。で、こっちの自動車の止まる音に驚いて逃げようとして引っかかったらしい。

ここからが大変。疲れたなんて言ってられない。これをどうするか?暴れまくっているつぶらな瞳のこの小動物を、どうするか?危険になると猛烈な臭いのガスを噴射する為、部屋がもの凄く臭くなっている。取りあえず換気扇を回して今回は殺処分しようと決めた。このまま放置しておいてもきっとあの世行きは間違いない。それなら一思いにと水攻めの刑と決めた。で、暴れるその物体を厚手のビニール袋に入れ、堅く縛る。といっても穴は開いている。それをバケツに入れて、その中に水を張る。その上に板を置き、空のポリタンクを重石に。この時点で、自分は一体何をやっているんだろうとこの計画の適当さにケチを付けながらではあった。本気なら空のポリタンクでなく満タンにしただろう。そして確かイタチは泳いだりするから水は得意。あの粘着シートも取れないとは限らない。とムクムクと湧いてくる疑念を振り払って、「これで脱走できたら、それはそれでこのイタ公の勲章だ。」なんてこと思いつつお風呂に入って寝た。

翌日は朝7時から、今日の宝塚のショーに出演するN嬢の宝塚メイクを頼まれていて、6時半という通常あり得ない時間に起きる。もちろん一番に現場を観に行こうとドアを開けてみると、案の定バケツは移動しているし空のポリタンクは飛んでいる。もちろんビニール袋はボロボロに引きちぎられ中身はいない。この状況にホッとしている自分に呆れもしたが、ま、殺生しなかったことには安堵した。おそらくは二度とあの子は現れないのではないか?お仕置きしたに過ぎないってことだ。やれやれ。

で、メイクをしたN嬢は元気に頑張りますと出発。こっちはもう一度ベッドイン。そこから二度寝と相成った。

会場に着いてみるとぎょっとするほどの行列が出来ている。本日は満席だそうだ。案内されるままにその最後尾に付くと知人がチラホラ挨拶を。N嬢はちぇちの元メンバーだし、外のメンバーがいるのは当然。それ以外にもあっちからもこっちからも手を振ってくれる。高松は狭い。

ショーは構成が素晴らしく50人という出演者の殆どが素人とは思えないダンスと動きに大いに楽しんだ。本物の宝ジェンヌは二人だけだが、高松ジェンヌと称して外のみんなも持てる力を精一杯出し切っていたのがうかがえた。N嬢は表情が素晴らしく、ちぇちで培った舞台度胸と相まって上々の出来。きっと気分は最高だっただろう。厳しい訓練に耐えただけある。偶然隣の席だった女性は一人暮らしだと言い、色んな事を話しているウチに、共通の知人がいることも分かり、ホント高松は狭いわねえ、となる。

、、、とまあ、日々退屈するということがない。有り難いのか?

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