忘却。
人間は忘れる。今年の元旦に大地震があり、翌日には あの飛行機事故。もの凄い衝撃だったはずが、いつの間にか記憶が薄れてきている。もちろん当事者には忘れ得ない事ではあるが、一般ピープルには遠くなってきた感が否めない。それというのも、それらを上書きするかのように次々と衝撃的な事件が生まれるからではある。明るいニュースもないではないが、例えば大谷の移籍や活躍を喜んだと思ったら早速通訳の詐欺事件だ。色んなえらい人や有名人も次々と亡くなり、もうもう誰が生きていて誰が亡くなったのかも定かでなくなってきた。日本のアニメがアメリカで賞を貰ったら松本某の変なニュースが飛び込んでくる。悲喜こもごもで半年が来る。
考えてみると、この忘れるというのは、有り難い事なのかも。全部知ったときと同じ衝撃を繰り返し感じていたら心身が持たないだろう。すっかり忘れるのではないというのも、人生にとって意味があることだろう。
さっき認知症外来が徳島に出来たとニュースで流れたが、進んでしまった患者が対象ではないらしい。この先自分がどうなっていくのか、、、。罹患したら高村光太郎の詩ではないが、「わたし もうじき だめになる、、、」とレモンでもかじろうか?
そういえば国産レモンがこれまでになく売れ出したらしい。ウクライナなど海外の作物が取れなくなって、輸入出来ないという。で、単純に喜べないと言うから世の中の仕組みは摩訶不思議だ。農家を継ぐ若い人が少なくなる一方で、これ以上は沢山作れる筈がないと、ある農家の人は悲観的。そうなってくると経済の循環がおかしくなって、とんでもないことが起きる、と言ってた。
なんだろう?とんでもないこと?段々生きづらくなるってことだろうなあ。
ある友人が最近癌と分かり、覚悟は出来てるから次の段階を知りたいと言う。自分がどうなっていくのか、それが知りたいだけだと。この人はあっぱれだ。最愛の夫を早くに亡くし、これまで頑張って生きてきた。あくまで朗らかな彼女の笑顔は多くの人を幸せにしてきた。色々あって長く会えてないが、彼女の再入院までには絶対会いたいと思う。かく言う自分は、明後日胃と、大腸のカメラだ。先日電話で、「お互いお大事にだわね!」と大笑いしたものだが。。。余り時間が無いなあ。