« 心の中にも雨が降る。 | トップページ | 音楽。その深遠なるもの。 »

2024年5月 4日 (土)

短歌。その深淵なるもの。

本日は歌会。お嬢の路上コンサートと重なり、途中歌の出来具合がどうなったかが気になったが、一応歌会は順調に時間通り終えることが出来た。同時にコンサートも終わった時間だったので、本人からの電話がいつ来るかと気になったものの、本日は晴天なり。洗濯物も乾くし、冷蔵庫を確認して本日の夕飯も大丈夫と踏んで新聞など広げていたが一向に連絡が無い。余程こちらからかけてみようかと思ったが、朝の軽い発声練習でしっかりした声を出していたので大丈夫だろうと料理に掛かったのが5時も過ぎていたか。遂に電話があり、無事終了したとのこと。思いがけない人達が来てくれて話しをしたりと忙しかったようだ。ピアニストも大変な中頑張ったと言い、月曜日の岡山は行けるようだ。この日は車で行くつもりにしていたが、どうやら結構な雨模様。しかも帰省の帰省ラッシュで渋滞が予想されるため、結局電車で行くこととした。ま、賢明だろう。

歌会では、短歌は難しいを連発することとなったが、止めない理由はその辺にあるのかも知れないとも思った。簡単な事だったら飽きて止めてしまうだろう。誰しも。この手強い感じが続投の要因かも知れない。まあネット歌会の難しさはあり、湯豆腐をお箸で取ろうとしても直ぐに崩れてしまうようなもどかしさに翻弄される場面もある。来月は対面歌会となっていて、なんとなくホッとしている。

考えさせられたのは、短歌を一首解釈するというのは、ある種推理小説を読むような面があり、歌会で作者の話を聞かなければその歌の真意が分からないことも結構多い。聞いて初めて、ああそういうことだったのかと腑に落ちる事が多々ある。その原因は読み手の読解力もあるだろうが、作者の表現力も大いにある。どうしても独りよがりになってしまうこの「作詠」という作業。今日の参加者の中に、わが同窓生でもあるIさん。歌会の連絡網に、「歌が詠めないので、今回は休もうかと思っていたが、なんとか出られて良かった。、、、、。」とあり、そんなのみんな一緒だけどねえ、と内心思っていたら、出した歌がとても良く、全員絶賛。ご本人は、「一分で詠んだ歌をそんなに褒められると身が縮みます。」と尚もご謙遜だったが、彼女は元々文学系の人。古典も良く知っているし、何よりもの凄い読書家だ。そして短歌歴も長い。そのことを考えると、矢張り継続の力というか、短歌にしたためるのが例え一分でも、その下支えがあって出てくる言の葉には重みがある。だから、歌一首と言っても、それが出てくるベースにはその人の人生や生きざまが自ずと現れると言うことだろう。師匠がよく言われる、「生活即短歌」という言葉も、そこに重なるように思う。こんなに褒めると彼女のことだ、ケロケロ笑って、そんなの買いかぶりよ、と言うだろうが、彼女に憧れている若い人もいるようだ。さにあらん。

ま、色んな人がいるということを再認識させられるのも、歌会の魅力の一つだ。

明日は水戸から車で帰省したムスクお家族と再会の予定。まずは女孫の成人式の為の衣装選びからだ。その後、みんなでランチ会。ゆっくり会うのは本当に久しぶり。楽しみなことだ。あれよあれよと時が過ぎていくが。。。

« 心の中にも雨が降る。 | トップページ | 音楽。その深遠なるもの。 »