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2024年5月 8日 (水)

音楽。その深遠なるもの。

快復するだけまだましか?先日来のバタバタで、体力の消耗がすさまじくもしや限界まで行ってしまうかと不安だったが、ナンとか乗り切った。

一番疲れたのは、お嬢の歌を聴きに岡山まで、行きは電車、帰りは運転手という流れ。全く予定してなかったが、訳あって急遽ホテルに一泊。随分とフットワークが軽いお母さんですねと言われたと娘は言うが、毎日飲む薬も持たず、もちろん着替えもなく、着た切り雀の婆さんがこなすにはちとハードルが高かった。充分寝たとは言いがたく帰りの運転は必死。が、何時もと違うピアニストでゲストとして歌うというプレッシャーと闘ったお嬢よりはましだったか。この日は裏方の手伝いもして、ハードなスケジュールをこなした彼女。翌日も打ち合わせなどで3時間は離ればなれ。その間こっちは美観地区を散策。この日約1万歩杖なしで歩けたのはめでたい。

が、夕べは両足に消炎剤を貼って痛み止めも飲んで寝た。あとから見て見るとナント9時間も寝たようだ。おかげで今日は午前午後と仕事も出来て、友人がバラをあげるから採りに来てというので遠慮無く頂きに行ったりもした。

「私、動けてる。」というのが今日一日脳裏を過る言葉だった。

ただし、ダウン寸前のお嬢と一緒に温泉に行き疲れを取ったのも効果があったようだ。

岡山まで行ったのは、パリ祭出演権獲得オーディションの最終審査のオーディエンス。24名という人が色んな歌を歌うのを聴いてきたわけだ。

これは当初の予想と違って、なかなか楽しめた。そして色々勉強にもなった。一人一人審査員になったつもりで点数を付けながら聞いたのだが、結果は全く違うものだった。どこを取るかで随分と結果は違ってくる。大会の趣旨に添うという要素も必要なようだった。去年は娘達が優勝したが、それは全員一致で文句なしだったようだが、今回は5組くらいで争ったという。

「歌が上手い」というのはどういうことか?「音程」「声」「リズム」「歌唱力」これが全部整っていても、受賞に至らなかった人がいる。Aさんご本人も多分自信があったんだろうし、それなりに必死で努力して臨んだんだろう。賞の発表では気の毒なほど涙涙だった。「これ以上私に何をせよと言うの?」的な絶望感も漂っていたと思う。自分も聴いていて、この人はうまい人だなあ、ととても感心した。歌にその勉強のあとがハッキリ出ていた。が、申し訳無いが、胸打たれるという歌でなかったのは確かだ。誰よりも上手かったのにだ。

だから歌は難しいのだ。聴いた人が感動するかどうか?実はこれが全てかも知れないのが音楽の世界だ。この漠とした捉えどころのないものを、我が物とした人が成功者なのだ。ここが、アスリートと決定的に違う。例えば目標まで何分かを競うのは、ハッキリしている。何メートル飛ぶかを競うものも、キッチリした答えが出る。それが例え何秒の何分の1でも順位は付く。が、そこに芸術点が付くとなると、途端に難しくなるが、それでもフィギアーなどは技術という点でハッキリした評価が出る。でも、音楽は違う。聴く人の主観で決まっていく。。。。この難しい大海にお嬢は泳ぎだした。どこまでたどり着けるのか?

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