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2024年5月

2024年5月31日 (金)

戦争と平和。

変な事件が次々と起こり、これ日本のこと?と疑いたくなるほどだ。殺人事件なんかもこれまであまり無かったような性質のものが起きている。が、こういうニュースを見ていて、どっか、「戦争だとこんなのニュースにならない事件、事件とも呼べないんだよなあ~。」と感じている。一人の命の重さが、状況によって全く違う。これが同じ時間に同じ地球で起きて居る不思議。こちら側に住んでいて本当に有り難いと思う日々。

夕べは孫べえに我が家にご飯食べに来るよう言いつけて、いつになく張り切って料理した。とにかく食べ盛りの中二。この日食べたのは山盛りご飯に、スペアリブのトマト煮込み、刺身三人前にキャベツのお好み焼き風、ポテトサラダのハム巻き数本にたっぷりの生野菜サラダ+ポンジュース1リットルときた。夫はそのスペアリブをミンチ状に砕いたものとマグロのトロを二、三枚。ポテトサラダは少々。この落差。方や伸び盛り、こちらは縮む一方。当然と言えば当然だが、、、、。自分も孫べえに釣られていつもより食べたせいか、お風呂上がりにちょいと吐き気が。まったく情けない。

実はこの日の買いもののついでにチョコザップでサイクリングを少々。その疲れもあったのかも知れない。とにかく何をやっても驚くほど疲れる。

明日の歌会にピックアップすることになった友人とつくずくこの、「疲れ」について慨嘆することとなった。その点吾らが師匠の元気には尊敬を通り越して驚いていると、意見が合う。われわれの10年後あのようでいられるか?と言うことだ。二人とも全く自信が無いと笑ったり驚嘆したり。

そういえば、明日の歌会には登山が趣味のお方も参加らしいが、この人も凄い。なんでも継続することがその秘訣なんだろうなあ。

わかっちゃいるけど、、、チャンチャン。

2024年5月28日 (火)

ひねり出したが、、、。

歌会の詠草ようやく提出。まるでマヨネーズのチューブの最後までひねり出すように絞ったが、結局満足できるようなものではなかった。みんなどうやって作詠してるんだろうか?油絵を描いていた頃は、気に食わない部分を絵の具で上書きをドンドンしていたが、その行為はひたすら楽しかったと記憶する。しかし短歌は塗り直せばますますドツボにはまり、元の意図するところが隠れてしまって、初心に戻る、なんてことがしょっちゅうだ。疲れた。

今日客としてやってきた友人Kは、カットしてる間中眠ってたなあ。彼女も疲れてるんだろうが、そういう自分も今日はやたら眠かった。連チャンで夜お出かけの旦那の専用ソファで横になった途端眠ってた。矢張り気圧のせいかもねえ。Kは確かに日中眠くなっても仕方が無い働き者だ。取り巻く環境も老々介護の想像できる状況になっている。あの人もこの人も本当に老いてきた。もちろん自分も。

明日も送迎の予約があるし、孫べえの晩ご飯も言いつかっている。一人で息抜きでもすんべえか。ってね。

2024年5月27日 (月)

雨が降る。

久しぶりに雨が降っている。そのせいか体がだるくて実際の雨を見る気も起こらない。ただ音を聴いている。雨音は何故か寂しい。寂しくない雨音ってあるんだろうか?と思うくらい。会議に出かけた夫が帰宅する時刻にサイレンが鳴ったような気がしたが、確かめる元気もなく、Amazonで映画を見ている。帰宅した夫の話では近くで事故があったようだ。やっぱりね、と思いつつ、現実離れした内容の映画から目が離せない。奇想天外なその映画は見たことも無いような美しい山や滝を映し出し、ジャングルさえも行ってみたいと思わせる。スケールに於いて、どうしてもこういうアメリカ映画には他国は負けている。大して内容があるものではないのに、ついつい見てしまう。

週末は孫べえの運動会らしい。両親とも留守の時間で、こっちにお鉢が回ってきそうだが、この日短歌の歌会はあるし、絵本の読み聞かせの為の練習もある。よりによって忙しい日。まあ、中学生だからどうしてもって訳でもないんだろうが、写真の一枚くらい撮ってやりたいと思うなあ。我が子の場合も祖父母にほぼほぼ任せっぱなしだったことを思えば、少し頑張ろうかと、、、。ただ、あの頃はわが両親は若かった。わが子供達は自分より結婚も子育ても10年遅いということは、こっちの体力も当然落ちているってことだ。、、なんて愚痴ってもしょうが無い。ま、出来る事しかできないことだし。そういえばその読み聞かせの時に歌う童謡を覚えて欲しいと言われていて、全く知らない歌に驚いた。聞いたこともない。矢張り今時の子供達が聞いて育つ歌は我々が子供の時とは随分違うんだろうなあ。

歌会の方はナンとか出すべく推敲しているが、思うように詠めないでいる。描く情景は出来上がっているのに、それを言葉で表現するのがとても難しい。どう詠んでも自分の感動とは違うものになる。〆切りまでにナンとかなるか?ムムム。

フジコヘミング。大輪の花の散る。

NHKの番組でフジコヘミングの特集が組まれていて、熱心に見ることとなった。それというのも娘が大フアンで取りにくいチケットを取っては聴きに出かけていたのを知っているからでもあった。娘と自分とは興味の向く方向は似ていても全く同じではない。感想を聞いてなるほどと思ったり、音楽にとって大切な事を教えてくれていることは理解出来た。だからこの番組は興味があった。東京でこの人の日本の住居の側を通ったこともある。お留守のようだったが、なんとなく雰囲気のある佇まいに思えた。よりによってその家で階段落ちしたのが原因で入院し、膵臓癌まで見付かり元々聞こえにくかった耳が駄目になり、目も見えなくなって病院のピアノに手を置いたものの、少し弾いただけで自らピアノの蓋を閉じたようだ。このとき、自分の終わりを受け容れたのだろう。感情を顔に出さず多くを語る表情だった。92歳。生き切ったのではないか。

偉大な人もいずれこうして終わりを迎える。そして、自分の人生に完全に満足なんて出来ないのだろう。

いくつかの言葉の中で一番印象に残ったのは、「楽譜どおりきちきち弾けばコンクールには一番取れるでしょうが、楽譜の裏にある物が見えないようでは駄目。」という下り。極めた人ならではの重い言葉。これはピアノに限らない。歌でも同じ事が言える。

昼間は知人に頼まれてバザーに友人と出かけたが。あまりの暑さで10分少々で逃げ帰った。それでも数点はゲットして、来年も行きたいと思ったなあ。なかなか面白い。

その後は○○流の華道を長年やっている友人からの誘いで締め切り時間ギリギリに飛び込んだ。元々好きな世界だ。このグループは先生が最近亡くなられて、それでも好きな人が集まって続けようと少数ながら継続し始めたんだそうだ。生け花というのも活ける人の個性が出る。同じ素材を使うとそれが顕著になり面白い。

みんな、何かしら動いているなあ。

2024年5月25日 (土)

人は救いを求めている。

連日の好天で、洗濯物も乾けば仕事も捗る。友人とのお出かけも気分が軽い。昨日は夫といつものうどんではなく、おそば屋さんへ。子供が小さい頃ご近所で交流のあった人が個性的なおそば屋さんを始めてずいぶんになる。行く度に奥さんが懐かしく迎えて下さって色んな変化の話しになる。子供達はもちろん、自分たちの老化についても。いかにもおそば屋さんらしく店内も拘りが随所に見られ、絵画や陶芸、古びたランプなどもつるしてあって、そもそも建物自体が古民家のようにしつらえてあり、面白い建て方になっている。広い空間でゆったりと食事できる仕組みだ。

予約を頂いていたこの日のうちのお客さまは高齢になって送迎している。夫もまんざら知らない人ではないので、ついでに一緒にご自宅まで。この方は仕事上のお付き合いだけでなく、趣味も一致していて、そのためお話しもお互い尽きることがない。大変ユーモアがあり、例えば、最近のわが夫への流動食の話しには、「まあ、かみ砕いて口移し?」なんぞと言われてのけぞって笑う羽目になる。「ヘルパーさんはやっぱりイケメンが良いわねえ。」なんぞと真顔で言われるので、「どんな人がイケメンなのか、人それぞれですけどね。」と言うと、「そうだわねえ、その基準も朧になってきてるもんねえ。」と直ぐに返されて又又爆笑だ。

朧といえば、先日観劇の帰り、車に同乗のKさんとYさんのお二人の会話も面白かった。英語に堪能なお二人ではあるが、Yさんは大学で教鞭を執っていた専門家。Kさんは今俳句もやっている為、日本語に拘りがある。「朧なんて言葉、ホントに日本人て素敵な言葉を使い分ける素晴らしい感性を持ってるわよねえ。」「そうそう、おぼろ月なんて言葉外国人にはなかなか通じないモンねえ。」という高尚な会話に、「こっちもいろいろ朧になってきてるけどねえ。」と混ぜっ返す。。。老人には老人にのみ通じる楽しい会話があるんだよねえ。

TVでは能登の震災の復旧が全く進んでないといった気の毒過ぎるものや、一体何が正義なのか全く分からない世界情勢や国際政治が流れるばかり。今夜は日本の司法のあり方についての疑問特集とでも言うべきものが流れていたが、本当にどうなってるの?と言いたいことが山とある。

ORUNE」に大谷翔平のグッズコーナーが出来て今日なんかほぼ売り切れていたのも、こんな世の中故かもと思ってしまう。自分はまあ買わないが。

なんかスッキリしないなあ。緑が美しい季節だというのに。。。

2024年5月24日 (金)

芸術の相互作用。

本日は人形劇。普通の劇と違って少々毛色が変わっている。面白いとは思うが、何故人形?と思ってしまう。もちろん意図するところはあるんだろうし、プークと言えば日本を代表する劇団になっている。でも、人形を使う後ろの黒子が声を出し、演技もしているのを見ると、人間その人が何故その役にならないのかが不思議な気がする。声もしっかりしているし、、、、人形浄瑠璃というのとはチト違うなあ。絵本の読み聞かせに似てる部分があるかも。

ま、色んな表現法があるってことだ。

そういえば、今日の演目、「死に神」は落語から取った物だというから、まさに色んな表現法の一つとして楽しむべき物なんだ。例えばオペラ「カルメン」も、黒人ばかりが出演するミュージカルで見たことがあるし、オペラ「蝶々夫人」も、イギリスでミュージカル化された「ミスサイゴン」として見た。様々なジャンルが自分のよしとする表現方法で一つの作品として創作するのも確かに面白い試みだ。

こうした交流の中から新たな魅力ある作品が生まれるってことは確かにあるんだろう。

時代と共に果てしない可能性が生まれるって事だ。人間は面白い!

2024年5月23日 (木)

ジビエ料理。

今日は婿殿に誘われて料理教室に行く。それもジビエ料理というもので、あまり口にしたことのない、猪とか鹿肉だ。ネットに出ていたのは、スーパーで買えるような牛肉のかたまり肉などを使いますとあり、ジビエと分かりぎょっとしたが、まあ、みんなが美味しいと言うものだからきっと美味しいんだろうと、覚悟を決めて着席。昔、馬の刺身を知らないで食べてあとから吐きそうになったのを思い出す。

結論から言うと、思った程奇妙なお味でもなく、余り味のないアッサリしたもので、食べにくくはなかった。が、食べてる間、目の前を鹿や猪がチラチラする。やっぱり慣れてないということだろう。たっぷりの野菜サラダとご飯にコーンスープ、デザートのパンナコッタなどは標準以上のお味。ドリンクのハッサクジュースもフルーツそのもののお味が濃厚でとても良かった。普段は普通にカフェレストランとして営業しているらしく、何組かが訪れて、今日はイベントなので、と断っていた。外から見てもここがカフェだとは分からないようなお店だ。みんな最近はネットで見つけれるんだろう。で、そこから何カ所かドライブして買いものもして送って貰ったが、久しぶりのデイトは楽しかった。彼が忙しそうにしているので、余り誘わなかったが、たまにはこうして若者とドライブしたりショッピングも良い。気分だけでも若返る。

昨日いつもの短歌の会誌「青風」が届き、パラパラとめくってみる。自分的にはまずは文章から読んでしまう。というのも矢張り分かりやすいからだ。短歌となると、一瞬で分かる物もあるが、内容を理解するのに相当苦労する物もある。だから、こうして文章と歌が両方入っている誌面は楽しい。

先日久々に会った友人に短歌をしてるというと不思議な顔をされた。そうは見えないんだろうなあ。まあ、暫くぶりに会う友人というのは、わが趣味や生活に驚く人は多い。特に高校時代の友人にとっては、かなりイメージが違うらしい。以前、「あなたが運転してるなんて!」と驚かれたし、その友人こそ活動的な人だったが止めて久しいと言う。ま、だから人生は人間は面白い。高校時代から想像できるような人生なんてねえ。

嫌なニュースが多い中、大谷選手のあれこれだけが、明るくて癒やされるなあ。

2024年5月19日 (日)

人間かロボットか?

たまたま孫べえを伴ってうどん屋へ行くこととなり、気乗りしないでグズグズ言うのを無理矢理連れて行く。チョイスしたのは肉うどん。が、本当はお寿司が良かったらしい。ま、だんだん要求が難しくなってくるんだろう。まだ反抗しないで付いて来るだけましか。

にしても、今日は日曜日とあってかなりの混雑。やっぱりこういう日にうどん屋は止めといた方が良いのだろう。夫の主張を入れた結果だが。。。こっちも好い加減飽き飽きしている。

ところがある友人は三度のご飯がうどんでも大丈夫という。色々考えて控えているだけだとも。ま、なんにせよ食べられていることには様々な理由で感謝ではある。

で、帰宅後用事で出かけた夫の留守の間にチョコザップ。いつもより長めにやってみる。といっても、40分弱。すると親子連れの女性が入ってくる。どうやら母親のヘルプの為に娘さんが付いて来たようだ。が、いつの間にかいなくなっている。これぞコンビニ感覚のジムだ。みんなちょこっとやれば気が済むのだろうか。

帰りに買い物に行って帰宅。早速晩ご飯の準備。母の日のプレゼントをなんとか使いこなそうと今日もレシピ通りにやってみる。「カボチャのポタージュ、茄子とベーコンのリゾット風、オニオンチキンポタージュ」とこれまでやって来て、本日は「海老のビスク」明日あたり「アサリのクラムチャウダー」にチャレンジのつもり。とにかく材料さえ入れておけば30分くらいで自動的に調理してくれる。慣れればというか使いこなすことが出来ればこれほど便利な物は無いということになる。味が思うようではないのだが、これは多分慣れれば上手く行くだろう。まあスープ状で栄養が取れれば今の夫の状態には最善。ガンバロウ。

夜の番組で「本態性振戦」についての特集があり、全く自分の事だといつになく熱心に見る。医学の進歩に驚くばかり。この手のふるえが手術で治るという。さて、どうするか?やっぱり脳をいじるのには抵抗はあるなあ。

こうして次々と体の不調を手術で治し続け、最後にはロボットの様になっているのか?なんてね。ま、よ~く考えよう。だね。

2024年5月18日 (土)

暑い日。

いやあ、暑かった!薄手だが、長袖のTシャツではホントに真夏の暑さを感じた。本日の目的はとある会議だったが、それに同行してくれた友人と少々ドライブ。「キレイな花をみたい!」という目的は最後に取っておいて、まずは時々行くガーデニングのお店に行き、以前作った寄せ植えが時と共に哀れな感じになってきたので新しい苗を補給する。こつを聞くためでもあったが、このお店の空間が好き。で、こっちが買い物をしている間に、岡山から来ているという女性達とKさんがいつの間にか打ち解けて話している。で、どこかランチが美味しいお店を教えてくれと言われ、お鉢がこっちに回ってきた。まあ我が家に近いので縄張りかもと、和洋中それぞれ教えてあげる。すると店名で直ぐにスマホ検索していたが、皆さん我々と似たような年齢に見える。女性達はホント元気だ。月一回くらいは高松に来るらしい。

我々は続いて工学部の前のおしゃれ空間に。ここは色んなお店が次々とオープンしてなかなか楽しい空間になっている。地域の特産品には目もくれず、小さな八百屋さんへ。そこでチョットした事件が。同行したKさんがレジで会計をしているとき、新人らしい店員さんがちょっともたもた。するとすぐ後ろで待っていた若い女性が待ちきれないという感じで、手に持っていた品物を全部返して、とっとと外へ出てしまう。あらら、ごめんねえ、と言いながらKさんはその店員さんに言ったことだ。「大丈夫よ。あの人は逃がしたけど、私はね、福の神だから、きっと直ぐお客さんが次々とくるから心配しないで。」本気にした様子のない店員さんに言い捨てて一先ずそこの止まり木でお茶を。数分後だったか。その言葉通り一人二人と客が入ってくる。まあ、時間的にそういう時間だし、今日は土曜日だ。当てずっぽうでも当たる時間帯ではある。Kさんはそれみたことかと、「ねっ、私の言ったとおりでしょ。私はこういうことがしょっちゅうあるから。」と真顔で言い放つ。本気にしたのかどうか、その若い店員さんの笑顔がこぼれ、こちらも良い気分で店を出る。「あれ、ホントなのよ。」とKさんは真顔で言う。こっちは内心、そう信じられる人は幸せだなあ、なんて考えているが口には出さない。まあ、確かにこうして何事にもこだわらずカラカラ笑って暮らしていると福もやってくるのかも知れない。

予定通り会議に出るとコロナ期とは比較にならない人の集まり。終わるのを待ちかねてその後サンポートのバラ園に。一番良い時期は過ぎた感があったが、それでもまだまだ楽しめた。結構花好きな人も出ていて、中には外国の人も。Kさんは気軽にどんな人ともコミュニケーションが取れる人で、若い二人連れの女性達に声をかけ、出身を訊いている。ミャンマーからと答えるので、今お国は大変みたいね?と聞くと、どうして詳しいか?と聞いてくる。いやニュースで見ただけだと言うと、一瞬顔が曇ったが、直ぐ自分たちには関係ないというように笑顔に戻り、日本で一年働いたとも。頑張ってねと別れたが、少なくとも彼女達は不幸な感じはしなかった。色んな事情を抱えて日本に来ている人達が大勢いるようだ。バイデンさん。日本人は外国人を嫌ってなんかいませんよ。てね。

2024年5月17日 (金)

孤独に無縁。

長く会えてなかった友人Mに会いに出かけた。手八丁口八丁は相変わらずで、少々の健康不安は余り話題に上らなかったのは幸いだった。庭のイチゴを出してくれてもう小さくなったけどと言うが、甘くてとても美味。

彼女の家の近くの海は、折からの強風でいつになく白波が立ち、見晴るかす瀬戸内海は何時もと全く違う表情を見せている。あまりの美しさに思わず見入ってしまった。晴れた空の下、キレイな曲線を描くアリーナの建物や、あの界隈の建造物も初めて観る風景の如く美しかった。彼女は、羨ましい立地に住みながら、見ようと思えばいつでも見られるものには興味が湧かないと言い、こっちが見てきた風景を告げる結果に。ま、それはそうかも知れないが、勿体ない。

そこから約二時間近くず~っと喋りに喋った。会えてない時間を埋めるかのような会話になったが、この日の為に取っておいた一枚の写真を渡すと、「うへー」っと驚く。それもそのはず、20年も前の写真だ。我々二人と東京在住のA女史がいかにも楽しげに笑っている写真だ。このときは久しぶりに帰省したAを招いて我が家でお食事会をしたものだ。この写真を見つけたとき、まるで先月の事の様に思ったものだが、ニャント20年も前。ある人が、「私、20年くらい夢見ていたような気がする。」と言ってたが、正しくそんな感じ。

Mとは高校の同窓生Aの友人という関係で、長い付き合いになった。お互いの家族についてもある程度は知っているのだが、余りそういうことに話題が向かない。というのも、自分たちをテーマに話すことが山ほどあるからだ。でまあ彼女は本当に頑張っている。とてもじゃないが同じ生活は出来ない。

彼女の手作りのマーマレードを貰って、今度はランチでも一緒にね、と別れたが、実現するだろうか?夢見ている間に、それぞれ状況が少しずつ変化してきているのは事実。そもそも前回晩ご飯の約束をして以来1年以上経っている。

今朝のモーニングショーで言ってたが、人間人生の終わりに近づいての孤独は耐えがたいものがあるといい、老人問題のほぼ全てがそこから来るから、なるべく人と関わって生きていくべきとのことだった。おかげさまで自分の場合はその心配は無さそうだが、、、。そういえば、友人Yが、「昔占いでみて貰ったとき、アンタは、絶えず周囲に30人くらいの人がいる生活を送る。って言われてたよ。覚えている?」と言うのだが、それは全く覚えてない。が、当たらずといえども遠からずって所かも。実は孤独って、嫌いじゃないんだけど。ハ。

2024年5月15日 (水)

溶連菌。知らないことだらけ。

昨夜10時間近くの睡眠を取ったおかげで、今日は全く眠くない。胃も腸も空っぽになったせいかどうも内臓が変な感じ。出るべき物も出ないし、やたら喉が乾く。チョコザップで運動しながらどこか頼りない感じ。まあ、体の7割が水だと言うから、水を飲むのは良いことなんだろうと、2リットル容器の水を目安に飲んでいる。今の所これが限界。正常にもどるのはいつのことか?一応元気ではあるが。

友人から早速検査結果が異常なしなら「遊びましょ」とラインが入る。好天に惹かれて週末は彼女とデイト。といっても市民劇場の会議に引っかけてではあるが。

今日のNHKのクローズアップ現代。わが友人のF女史が突然罹患してあっという間に亡くなったあの恐ろしい感染症、劇症型溶連菌のことが特集されていた。その根も人食いバクテリア。細菌世界中で異常に増えているのはコロナでマスク生活になり、人との接触がなくなり、その結果免疫が低下したせいだという。変な感じ。一方を退けようとして又別のものに襲われるというのは、結局人間は弱い生き物だということになる。まあ、これは以前から分かっていたことではあるが。大分頑張って知恵も付けてきていたと思い込んでいたのが全くそうでは無かった。身近な人が罹患しただけに、不安が募る。どこまでも細菌と人間の戦いは続くのだろう。

そんなこと思いながら、毎日死に近づいている。

2024年5月13日 (月)

検査終了。

胃と大腸カメラは無事終了。結果も無罪判決が出てホッとしている。麻酔が残っている感じでまだまだ眠いので、もう寝てしまおうと思っている。何もかも明日から。

夫は、前回鼻の頭のおできで、その原因ストレスが今度は内臓に来ての痛みだったんだろうという。そうかも知れない。人間の体はそういう摩訶不思議な表現をする。自分では何も気にしているつもりがなくても、体が勝手に忖度してくる。

こうなったら、今度は友人の顔を見て、切羽詰まった話しを聞かなくちゃ、と思っている。

彼女の場合はハッキリ癌との戦いに突入だ。

2024年5月12日 (日)

フラメンコの日。

フラメンコ人口、世界中でスペインの次が日本と今日知って驚いた。確かに舞台はもちろんのこと、映画や、レストランで触れることは多かった。早逝してしまった友人も若い頃日立のコマーシャルで起用されるほどのダンスの名手だった。

自分が好きな理由の一つがオペラ「カルメン」だ。音楽的にも優れたあの作品は、ジプシー女の奔放さと情熱を描いていて魅力的な作品だ。、、、こう考えると自分自身れっきとしたフラメンコフアン。もし20年若ければ踊りたいくらいのものだ。

ところが以前、今日の舞台の立役者N女史は年を取れば取るだけ踊りが魅力的になります、とのたもうた。で、勧めてはくれたが、あの時点ではちぇちで手一杯だった。今日舞台を見て、あの膨大なエネルギーの放出に、無理、と確信した。凄い迫力。ゆったりした音楽でも踊りの足はかなり速い。ま、これからもこうして眺めて楽しませて頂こうと思ったことだ。

舞台のトップバッターの中に、よちよち歩きの女の子がいて、観客は沸いた。いっちょ前に踊ろうとする気概が見て取れる。その可愛いこと。で、最後の舞台では抱っこされて現れた。どんなに説得されても下に下りようとしない感じ。ところがギッチョン。最後の最後に下ろされた途端、オーレイ!という全員のかけ声に合わせて片手を頭上高く上げてポーズを取る。もう観客は沸きに沸いた。観客の視線を全部持っていった感じ。いや~あの子がこれからどうなっていくのか?見たいような気がする。

二部構成の後の方が本格的なフラメンコで、プロとおぼしき男性が見事なダンスを披露した。切れのある、キビキビした動き。無駄のない体の使い方。感嘆した。シーンとした会場に彼のステップと小道具に使ったステッキの強い音色が交錯して、彼の意のままに操られているかのように感情が増幅した。これぞフラメンコ!我々オバタリアンは興奮に継ぐ興奮で終わって外に出てもまだ元気。薬よりもきっと良いかも。

忘れてはならないのが歌い手の女性。若くない歌手だったが、独特の発声でジプシーの民族的哀愁を歌い上げ、迫力でダンサーを鼓舞した。

そして女性の中でも主催者とその先輩格の二人の踊りは見事だった。珍しいことに、社交ダンスの男性と組んでの踊りは格段に面白かった。社交ダンスのタンゴを思わせるステップもあったが、二人の息の合った踊りに観客は引き込まれた。

お送りした友人Kからラインが来て、今日も楽しかったねーとある。来月膝の手術を控えているが、取りあえず今日は二重丸。

こっちは明日の検査の為に朝からろくな物を食べず水ばかり飲んでいる。今日は下剤を飲んでとっとと寝なくっちゃ。やれやれ。

2024年5月11日 (土)

忘却。

人間は忘れる。今年の元旦に大地震があり、翌日には あの飛行機事故。もの凄い衝撃だったはずが、いつの間にか記憶が薄れてきている。もちろん当事者には忘れ得ない事ではあるが、一般ピープルには遠くなってきた感が否めない。それというのも、それらを上書きするかのように次々と衝撃的な事件が生まれるからではある。明るいニュースもないではないが、例えば大谷の移籍や活躍を喜んだと思ったら早速通訳の詐欺事件だ。色んなえらい人や有名人も次々と亡くなり、もうもう誰が生きていて誰が亡くなったのかも定かでなくなってきた。日本のアニメがアメリカで賞を貰ったら松本某の変なニュースが飛び込んでくる。悲喜こもごもで半年が来る。

考えてみると、この忘れるというのは、有り難い事なのかも。全部知ったときと同じ衝撃を繰り返し感じていたら心身が持たないだろう。すっかり忘れるのではないというのも、人生にとって意味があることだろう。

さっき認知症外来が徳島に出来たとニュースで流れたが、進んでしまった患者が対象ではないらしい。この先自分がどうなっていくのか、、、。罹患したら高村光太郎の詩ではないが、「わたし もうじき だめになる、、、」とレモンでもかじろうか?

そういえば国産レモンがこれまでになく売れ出したらしい。ウクライナなど海外の作物が取れなくなって、輸入出来ないという。で、単純に喜べないと言うから世の中の仕組みは摩訶不思議だ。農家を継ぐ若い人が少なくなる一方で、これ以上は沢山作れる筈がないと、ある農家の人は悲観的。そうなってくると経済の循環がおかしくなって、とんでもないことが起きる、と言ってた。

なんだろう?とんでもないこと?段々生きづらくなるってことだろうなあ。

ある友人が最近癌と分かり、覚悟は出来てるから次の段階を知りたいと言う。自分がどうなっていくのか、それが知りたいだけだと。この人はあっぱれだ。最愛の夫を早くに亡くし、これまで頑張って生きてきた。あくまで朗らかな彼女の笑顔は多くの人を幸せにしてきた。色々あって長く会えてないが、彼女の再入院までには絶対会いたいと思う。かく言う自分は、明後日胃と、大腸のカメラだ。先日電話で、「お互いお大事にだわね!」と大笑いしたものだが。。。余り時間が無いなあ。

2024年5月10日 (金)

坊主あたま。の効用。

初めて丸坊主カットをした。それも娘に。実は少し抵抗したし、ギリギリまでベリーショートにしたら?とか色々アイデアで押さえ込もうとしたが、本人の意志が固く、逆に説得されてしまった。夫がプールに行く前に美容室を覗いて、考え直したら?とか、少しは残したら?と色々言っていたが無駄だった。結果、以外にも似合っていて驚くことに。

そういえば娘達の結婚式では披露宴で丸坊主の女性が参列していたし、東京では女性の丸坊主は珍しくも奇抜でもないらしい。それ故か婿殿は反対もせず、孫べえも別に、の反応。学校に来るときだけカツラでとは言ったそうだが。は。

ちょうどカットの真っ最中に、今度の宝塚の舞台に出演するNさんが宝塚メイクのアドバイスをして欲しいとやって来て、驚いたものの、自分も実はやりたいと思ってるんです、と事もなげに言う。やっぱり時代の流れ?

わざと剃り残しを作ったりしてわいわい言いながら完成したが、今度はそれにターバンを巻いたり帽子をあてがったりして遊んでいる。まあ、意外にも似合ってはいると全員一致の意見。プールから帰宅した夫も予想とは違ったようで、呆れながらも似合ってはいると、、、。

肝心のご本人はとても快適なんだそうな。頭が軽いのはもちろん、気分も爽快なんだそうな。不思議な事に、髪の毛が全く無くなったのに、何かを纏っているような気がする、なんてことを言い、お母さんもやってみれば!?とも。いや勘弁してよ。それだけはナントいわれてもノー!

てなことで、本日はよく笑った。

そして、娘の心意気に感心もした一日だった。

2024年5月 8日 (水)

音楽。その深遠なるもの。

快復するだけまだましか?先日来のバタバタで、体力の消耗がすさまじくもしや限界まで行ってしまうかと不安だったが、ナンとか乗り切った。

一番疲れたのは、お嬢の歌を聴きに岡山まで、行きは電車、帰りは運転手という流れ。全く予定してなかったが、訳あって急遽ホテルに一泊。随分とフットワークが軽いお母さんですねと言われたと娘は言うが、毎日飲む薬も持たず、もちろん着替えもなく、着た切り雀の婆さんがこなすにはちとハードルが高かった。充分寝たとは言いがたく帰りの運転は必死。が、何時もと違うピアニストでゲストとして歌うというプレッシャーと闘ったお嬢よりはましだったか。この日は裏方の手伝いもして、ハードなスケジュールをこなした彼女。翌日も打ち合わせなどで3時間は離ればなれ。その間こっちは美観地区を散策。この日約1万歩杖なしで歩けたのはめでたい。

が、夕べは両足に消炎剤を貼って痛み止めも飲んで寝た。あとから見て見るとナント9時間も寝たようだ。おかげで今日は午前午後と仕事も出来て、友人がバラをあげるから採りに来てというので遠慮無く頂きに行ったりもした。

「私、動けてる。」というのが今日一日脳裏を過る言葉だった。

ただし、ダウン寸前のお嬢と一緒に温泉に行き疲れを取ったのも効果があったようだ。

岡山まで行ったのは、パリ祭出演権獲得オーディションの最終審査のオーディエンス。24名という人が色んな歌を歌うのを聴いてきたわけだ。

これは当初の予想と違って、なかなか楽しめた。そして色々勉強にもなった。一人一人審査員になったつもりで点数を付けながら聞いたのだが、結果は全く違うものだった。どこを取るかで随分と結果は違ってくる。大会の趣旨に添うという要素も必要なようだった。去年は娘達が優勝したが、それは全員一致で文句なしだったようだが、今回は5組くらいで争ったという。

「歌が上手い」というのはどういうことか?「音程」「声」「リズム」「歌唱力」これが全部整っていても、受賞に至らなかった人がいる。Aさんご本人も多分自信があったんだろうし、それなりに必死で努力して臨んだんだろう。賞の発表では気の毒なほど涙涙だった。「これ以上私に何をせよと言うの?」的な絶望感も漂っていたと思う。自分も聴いていて、この人はうまい人だなあ、ととても感心した。歌にその勉強のあとがハッキリ出ていた。が、申し訳無いが、胸打たれるという歌でなかったのは確かだ。誰よりも上手かったのにだ。

だから歌は難しいのだ。聴いた人が感動するかどうか?実はこれが全てかも知れないのが音楽の世界だ。この漠とした捉えどころのないものを、我が物とした人が成功者なのだ。ここが、アスリートと決定的に違う。例えば目標まで何分かを競うのは、ハッキリしている。何メートル飛ぶかを競うものも、キッチリした答えが出る。それが例え何秒の何分の1でも順位は付く。が、そこに芸術点が付くとなると、途端に難しくなるが、それでもフィギアーなどは技術という点でハッキリした評価が出る。でも、音楽は違う。聴く人の主観で決まっていく。。。。この難しい大海にお嬢は泳ぎだした。どこまでたどり着けるのか?

2024年5月 4日 (土)

短歌。その深淵なるもの。

本日は歌会。お嬢の路上コンサートと重なり、途中歌の出来具合がどうなったかが気になったが、一応歌会は順調に時間通り終えることが出来た。同時にコンサートも終わった時間だったので、本人からの電話がいつ来るかと気になったものの、本日は晴天なり。洗濯物も乾くし、冷蔵庫を確認して本日の夕飯も大丈夫と踏んで新聞など広げていたが一向に連絡が無い。余程こちらからかけてみようかと思ったが、朝の軽い発声練習でしっかりした声を出していたので大丈夫だろうと料理に掛かったのが5時も過ぎていたか。遂に電話があり、無事終了したとのこと。思いがけない人達が来てくれて話しをしたりと忙しかったようだ。ピアニストも大変な中頑張ったと言い、月曜日の岡山は行けるようだ。この日は車で行くつもりにしていたが、どうやら結構な雨模様。しかも帰省の帰省ラッシュで渋滞が予想されるため、結局電車で行くこととした。ま、賢明だろう。

歌会では、短歌は難しいを連発することとなったが、止めない理由はその辺にあるのかも知れないとも思った。簡単な事だったら飽きて止めてしまうだろう。誰しも。この手強い感じが続投の要因かも知れない。まあネット歌会の難しさはあり、湯豆腐をお箸で取ろうとしても直ぐに崩れてしまうようなもどかしさに翻弄される場面もある。来月は対面歌会となっていて、なんとなくホッとしている。

考えさせられたのは、短歌を一首解釈するというのは、ある種推理小説を読むような面があり、歌会で作者の話を聞かなければその歌の真意が分からないことも結構多い。聞いて初めて、ああそういうことだったのかと腑に落ちる事が多々ある。その原因は読み手の読解力もあるだろうが、作者の表現力も大いにある。どうしても独りよがりになってしまうこの「作詠」という作業。今日の参加者の中に、わが同窓生でもあるIさん。歌会の連絡網に、「歌が詠めないので、今回は休もうかと思っていたが、なんとか出られて良かった。、、、、。」とあり、そんなのみんな一緒だけどねえ、と内心思っていたら、出した歌がとても良く、全員絶賛。ご本人は、「一分で詠んだ歌をそんなに褒められると身が縮みます。」と尚もご謙遜だったが、彼女は元々文学系の人。古典も良く知っているし、何よりもの凄い読書家だ。そして短歌歴も長い。そのことを考えると、矢張り継続の力というか、短歌にしたためるのが例え一分でも、その下支えがあって出てくる言の葉には重みがある。だから、歌一首と言っても、それが出てくるベースにはその人の人生や生きざまが自ずと現れると言うことだろう。師匠がよく言われる、「生活即短歌」という言葉も、そこに重なるように思う。こんなに褒めると彼女のことだ、ケロケロ笑って、そんなの買いかぶりよ、と言うだろうが、彼女に憧れている若い人もいるようだ。さにあらん。

ま、色んな人がいるということを再認識させられるのも、歌会の魅力の一つだ。

明日は水戸から車で帰省したムスクお家族と再会の予定。まずは女孫の成人式の為の衣装選びからだ。その後、みんなでランチ会。ゆっくり会うのは本当に久しぶり。楽しみなことだ。あれよあれよと時が過ぎていくが。。。

2024年5月 2日 (木)

心の中にも雨が降る。

催促されて初めて今日が短歌の歌評書き込みだったことに気付いたというお粗末ながら、一応提出来てめでたしめでたし。持つべき者は友人だ。

ここんところのバタバタで、申し訳無いが短歌のことは忘れていた。

でも、参加者全員の歌を読むと皆さん真面目に(当たり前?)提出している。これは土曜日の歌会、頑張らねば。

今日も今日とて、とある友人が何度書けても出ず、何度目かにようやく電話に出てくれたは良いが、最初の会話はちんぷんかんぷん。これには参った。矢張り少し進んできているようだった。分かる部分もあって、なんとかかんとか会話らしきものを互いに交わして、「お互い頑張ろう」とワケワカメの言葉で電話を切ったが、後味が悪いものになった。何をしてあげる訳にもいかず、気をもむことしか出来ない。不思議な事に分かる部分もあって、へ?と思うような事も彼女が覚えていたりする。人間の脳って、一体どうなってるんだろう?彼女とはいつも電話で 延々とお喋りしてそれが楽しかったんだが、、、。寂しいなあ。

この土曜日に三越近くで歌うことになっているお嬢達が、今日は我が家で練習した。なんせ、客観的に意見を聞くのはとても重要。近頃食欲がないというピアニスト、少し痩せたように見えるが、ひとたびピアノに手を置くと、素晴らしい指運び。どんどん感性が研ぎ澄まされてきている。実は月曜日には岡山でゲストとして出演する。それには友人を乗せて車ではせ参じる予定にしているが、この土曜日は歌会と重なっていてアウト。代わりに友人達に大いに宣伝して、行って貰うように依頼した。みんな優しい返事をくれて嬉しい。

こうしてどんどん時は流れる。

2024年5月 1日 (水)

本日はミュージアムでお疲れ。

昨日の疲れが全く取れず、朝寝していると友人が昨日話した県立ミュージアムに行ける?と聞いてきた。まあ行けなくはないので、それを汐に起き出した。時計は10時。だるい体を運びつつ階下に下りると夫が午後の授業の前に一緒にうどん屋へと手ぐすね引いて待っている。ハイハイ、分かりました。友人Yと一緒に行きませうとなり、慌てて朝のルーティンをすませる。間もなくやってきたYとすぐ近くのH○うどんへ。ここは麺が少なくて老人向き。ただ、出汁が濃いのが玉に瑕。出来た頃よりは色々美味しくはなっているが、、、。

それを皮切りにバタバタと出かけた。最初は予定通りYが行きたかった展示。彼女の目的は若冲だった。こちらは何度も見ているし、この作家に特化した展覧会も見てるからそれほど感動はない。それより何より、ウロウロ歩くのが疲れる。スーパーと違って押すべきカートもない。私より6歳もお姉さんの彼女は嬉々として見ている。それにしても65歳以上は無料とは知らなかった~。受付で証明書を見せろと言われて、「顔見てくれれば分かるのに~」とごそごそとバッグを漁り免許証を出すY.こっちも見せて丁寧に送り出される。

結局一番上の常設展まで見て、お目当てのものが見つけられずちょっとがっかり。

で、そこを出て、孫に用事があるからと駅前に車を回す。すると曾孫もいて、ORUNEに行きたいというので、こっちは点滅していたメーターが気になってガソリンを入れに行って待ち合わせ。矢張り混んでいたが、そのお坊ちゃまと私はラーメン。Yは、げげっ!やっぱり若いねえと感心してくれるが、もちろん夜は抜くつもり。ただ口が欲しいと言うのに逆らえなかった。食べたあと、ウロウロしていると、直ぐに時間が経ち、まだ小学生の彼は母親の待つ場所に帰っていった。どうやら我々が好き勝手に行動するので、面倒見切れないと言ってた様だ。「子供みたい」と子供に言われた日であった。タハ。

お兄さんがデイサービスから帰宅するからと我が家では表でバイバイ。しかし、彼女は凄い人だ。老々介護のベテランと化した。

まあ、何故か毎日忙しい。一日の中で眠くなる時間があるのは矢張り年齢のせいだろう。が、夫と違って余程のことが無い限り日中眠ることはしない。そして計算を間違えると寝つきが悪くなるってことが起き始めた。

おお、もう零時を回った。明日も多忙な予定。

おみっちゃん頑張る。エイエイオー!

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