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2024年4月

2024年4月30日 (火)

濃い一日。無事終了。

今日は予想通り密度の濃い一日となった。

まずは昼前にドライブを兼ねて、お初の農家のレストランを訪ねてのランチ。大変辺鄙な場所で、行く前にお店から相当道順を説かれたおかげで迷子にはならなかったが、用心しすぎて早く着きすぎた。なので、場所が分かったからと今度はその奥の山道に入り、藤尾神社まで行き終わりかけてはいたが藤の花を愛でる。丁度雨が降ったりやんだりの状態で、緑の美しさに何度も感嘆の声を上げる。

ほどよく時間調整できて少し早めに店内に入る。なんせこのお店はいつも一杯で、奇跡的に予約が取れたわけで、駐車場は一杯だった。ここの売りは、そこで収穫した野菜を使い、ほぼ野菜中心のお料理。決して高くはなく、品数の多いお料理。今日は筍を使ったパエリアメインで、美味しかった。どれも丁寧に作られたお料理ばかり。

ゆったりとした空間で、女三人喋りに喋って楽しい時間を過ごす。

で、只では帰らない。行く道中に見た芝桜のキレイな所にも寄りたいというので、そこもチラリと寄ってみる。ただ、もう終わりかけていた。

で、Y女子を送り届ける道筋に、先日急逝した同窓生の展覧会場があり、そこへ寄ってみる。聞けば今日が最終日だったとか。彼女が呼んでくれたのかも。これまでアート刺繍をしているとは聞いていたが、結局機会が無くて初めて観た事になる。これが想像以上にダイナミックな力作で、素晴らしいの一言。お姉さんが画家で、矢張り同じ血が流れているのだろうと思った。そのお姉さんは丁度ニューヨークから帰国していて、ここでうん十年ぶりにお会いした。そして驚いたことに、旧知の女性作家Tさんも来ていて、お互い不思議な縁を話し合った。外にも知り合いがいて、高松は狭いねえとなる。

しばしアートの面白さに触れてから、Y女子を送り届け、そこから町中の本屋兼カフェで時間を潰そうとなった。二人とも本が好きで、こういうとき困らない。美味しい紅茶を飲みながら数十分過ごしていると、今宵のお芝居に同行予定のKさんから今どこ?と電話が入る。彼女は「おるね」のツタヤで時間を潰しているといい、じゃあいっそサンポートで一緒に待とうか?となる。お互い考えることは一緒だねえと似たもの同士で笑い合う。

今宵のお芝居は7000円という高額ながら満席で全くチケットが取れなかったが、地元出身の高畑淳子女史は娘の先輩にも当たり、売り出し前から良い席を貰っていたので、まるで貴賓席の様な席に座ることが出来た。知事も市長も来られていたが、お二人より良い席。だった。

アングラ一筋の渡辺えりと新劇の高畑淳子のナンとも奇妙なお芝居が情熱的に繰り広げられて、最初から大笑い。爆笑に次ぐ爆笑で最後はキッチリ人生とはなんぞや、と終われるところが凄い。ま、二人ともそういう年齢でそういう境地に入ってきたと言うことだろうが、、、。観劇が終わり、渡辺えりのCDを購入。サインして貰うために行列に並んだが、彼女は口がきけないくらい疲れ果てていた。なので、「お疲れ様でした。大変なお芝居できっとお疲れでしようねええ。私たちはとっても楽しみましたが。これからも頑張って面白い舞台を見せて下さいね。」とサインの間に声をかけると、一言も喋らないで、(喋れない?)で強い握手を求めてきた。一緒にいたK女子も一緒に握手。ホントに大変だ~。本音は休みたいところだろうが、諸事情もありそうはいかないんだろう。ちょっとお気の毒だった。

で、今度は昼とは違う三人で、クレメントの料理屋さんで軽く夕飯。ここでも相変わらず口角泡を飛ばす勢いの話題で盛り上がる。

K女子とはそこで別れて友人ををお送りして帰宅したら時計は11時を回っていた。

流石に疲れた。

おお、ねむ~。

2024年4月28日 (日)

選挙。

たった今、補欠選挙の速報が流れた。国民を舐めちゃあイケナイよ、の結果だったか。この物価高や円安のおかげで汲々としている国民にとって、あの裏金問題はホントに頭にくる、ということだろう。しかし、国会議員といえば、いわゆる高級国民であり、皆さんおつむのよろしいお方ばかりだと思うが、何故、こんなことになるのだろう。

人間の欲は果てしないし、時に人の目をくらませる力を持つのだろう。大昔からこの欲望と戦い続けてきたのが修行僧だと思うが、確かに彼らの存在価値は相当なものだと思う。

宗教の基本的な部分、人間は弱い者、というところから出発することの大切さ。今の戦争など全てが人間の奢りから出ているものではないのか?大いなる者の前に、いつもいつもへりくだって生きることの難しさと大切さ。

最近のテレビ番組では、世界中の自然体系の崩壊を描いていて、それこそ戦争なんかやってる場合ではないと、やいやい言ってるが、これは当事者達に届いているのだろうか?

こういう時代に生きる若者達が無気力になりがちなのも分かる気がする。空しさの裏返しのはしゃぎに見える行楽シーズン。ゴールデンウイークならぬシルバーウイークが幕を空けたなあ。

2024年4月27日 (土)

雨から雨へ。

寒いのか暖かいのかさっぱり分からない近頃の陽気。なんだか元気が出ない。が、検査の日が決まると、もしやその結果次第では制限が掛かるかも知れず、今のうちに美味しいもの食べたいと思うようになった。折も折、退院したばかりの暇な友人が映画に行ったりしているものの、どうやら人恋しいようだったので、ファーマーズカフェに誘ってみた。もちろん二つ返事で行くと言い、別の友人も誘って出かける事とした。その日は夕方から、高畑淳子、渡辺えりのお芝居に行く予定で、丁度良いタイミングだった。又濃い一日になりそうな予感。

今朝の来店客はこの人の結婚式まで関わった古いお付き合いの人。近頃は実家のお母さんが認知症になっていて一人に出来ないので、週末は必ず一緒に動いているようだ。一時期のわが母と自分を思い出す。西に東にとよく連れ出したものだ。

果たしてこの私がおなじようなケアを受けられるかどうか心許ないが、ま、それも致し方無い。

ぼんやり考え事をしていて、ふと遺言めいたものをパソコンにでも残しておこうかという考えが脳裏を過ったが、あのパバロッテイの言葉を思い出し止めることとした。どんなことであれ、子供達を縛る言葉を残さないでおこうと思った訳だ。

今日はしとしと雨が降るなあ。

2024年4月26日 (金)

病院。

病院というところはホントに疲れる。どうしても気になってこの度大腸と胃のカメラを同時に撮ってもらうことにした。婿殿の胃がんを初期の初期で見つけてくれた人が院長。故に絶大なる信頼を寄せる人だ。行ってみればこれが随分とお若い先生。待合に出てきて患者をいちいち診察室へ案内する。エネルギーが余っている感じだ。

予約が混んでいて半月ばかり待たされることになって、勢いが削がれたが仕方ない。貰ってきた注意書きを丁寧に読んで見る。こういうものは年々簡便になってきていて、以前やったときより楽なようだ。一筆書いて、全身麻酔でやって貰うことにした。

友人が大腸癌で亡くなっていたり、死因の一番がそれだと知って、そのせいかどうかお腹が痛い。これは怪しいと思ってのことだったが、娘はケロケロ笑って気のせいだと言う。そりゃあそうかも知れない。だし、そうで無いかも知れないじゃないの。変なものができていたら取ってもらうのが一番。と思うがどうだろう?ま、ここまで出来たらまな板の上の鯉。やるっきゃない。

この所の断捨離マイブームはこの日の為だったのか?と疑う気もあるが、古い写真なんかは感慨深い。一人でイタリアはカプリ島のてっぺんで誰かに撮ってもらった写真は丁度今の娘くらいの年か?海から吹き上げてくる突風に髪をなびかせ颯爽と映っている。ああ、若かったなあ。冒険心に満ちあふれ、何をやっても大丈夫な気がしていた。実際大丈夫だった。今思えば危険だらけの一人旅。石橋を叩くどころか飛び越えていたあの時代。ま、時代も良かったんだろう。

まだ少し残っている断捨離を検査までにやっつけようか。結果次第では何の意味も無い事だが。。。。

2024年4月25日 (木)

本日は晴天なり。

今日は余りの好天で、「晴れたら行く」という約束の友人宅へと出かけた。これが驚くばかりの楽園と化していた。以前何度かおとずれてから10年以上は経つだろうか?お互い忙しかったので、ゆっくり行き来することもなく、数ヶ月前、久々に顔を合わせたら二人とも白髪頭になっていた。彼女は10歳若いので、まだ体力はあるとはいえ、この庭には心底おろろいた!高台にあるそのお家は目の前に八栗連峰が広がる絶景が見渡せる場所にあり、それだけでもすんごい贅沢と思うが、この庭は芝生の絨毯に色とりどりの花が咲き乱れ、見たことも無いような花もあり、庭にはピザ釜やウッドテラス、四阿のしつらえの休憩所からバーベキューが出来る窯など、すんばらしいしつらえ。間もなくバラのアーチも花が咲く予定だとか。屋内でそのお庭を見ながらお茶を頂いたが、これじゃあ毎日が旅行気分でどこにも行かなくていいよね?と言うと、その通りで、毎日毎日飽きることなく庭の手入れや草抜きをして過ごしていると言う。最近野菜も初めて、去年はほぼほぼ自給自足だったとも。ただこうしてゆっくりのんびり庭を眺める時間はそうそうは無いんだそうだ。次々と生える雑草と戦い、斜面に建っているため作業が大変で、おかげで足腰が強くなったんだとか。自分でもこんなことが出来る人間だとは全く思ってなかったが、とても楽しいと言う。いや~羨ましい。人間最後は土に返ると言うが、彼女の場合がまさしくそれだ。

あっという間に二時間が経ち、今宵は孫べえのご飯を頼まれているからと後ろ髪を引かれながら帰宅の途についた。

彼女は若い頃小説を地で行くような激しい人生経験を重ね、ようやくこの境地にたどり着いたようだった。色んな試練は尚も降りかかってはいるようだが、ま、何事にも終わりは来る。内心でエールお送りながら彼女の話を聞いていた。

照りつける太陽に向かい車を走らせながら、「みんな幸せになろう!」と思ったことだ。

抵抗か受容か。

夕べ矢張り眠れず、多分ホントに眠ったのは午前3時半頃だったとは思うが、なんと友人Yからの電話で目覚めたのが12時という時間。Yは昨夜同窓生が急逝したとラインで知らせていて、あまり熱心にチェックしないため、この時間に初めて気付いたらしい。おかげで睡眠を妨げられることも無かったわけだ。兎に角驚いていたが、詳細はこの時点では分かって無くて、大した話しの展開はなかったが、初めてYと昨夜無くなったKとが密に付き合っていたのだと分かる。で、又詳細が分かれば連絡すると言って電話を切る。

で、外からも色々情報が入ってきたが、一様に驚きの電話だ。

夜になって東京からも入ってきた。この電話ではFご本人が膠原病で退院したばかりだという。その親友Hも昨日から入院しちゃったのよ、と言い驚くばかり。このFHもテニスを未だに続けていた人で、どちらも元気印だったはず。一体何がどうなってるの?という感じ。

で、Fから頼まれて、最近まで電話やメールで親しくしていた人が急に音信不通になっているから、誰かに消息を聞いてもらえない?と言われ、早速此方の友人Sに訊いてみると、どうも亡くなってるみたい、と言われる。コロナのおかげで同窓会も長く開いてないし、身近な人としか情報交換が出来てない結果だ。「私たちもうすぐ80代よ!」と言い合ってカンラカンラと笑えた幸せ。Sは言う。「頑張ってしぶとく生きましょうね。」

もちろんんそうは思うが、何をどうすればしぶとく行けるのかが分からない。だって、運動オタクの人も元気印の人も次々とお先に~と逝ってしまう。血圧高め、高脂血症で肥満気味の私が股関節手術はしたものの、一応元気。今日も部屋の片付けをほぼ一日かかってやり続けた。今日なんざ、大きな本棚を一人でえっちらおっちらと少しずつ動かして別の場所に移動した。汗びっしょり。誰も手伝ってくれないからだが、ここは母譲り。母は何でも一人でやっていたもんねえ。

そして夜は、今度の宝塚ショーの為の練習から帰る途中のNがアクセサリーなど借りにやって来て、一頻り練習の大変さを語った後、癌を患って抗がん剤を使用しないと決めて自宅療養している父親の近況を話してくれた。副作用に苦しむことなく自然体で過ごしているようだ。Nの母はわが中学時代の同窓生。妻としてこの方向で決めるには抵抗もあったようだが、今は納得して日常を過ごしているようだ。確かに抗がん剤の副作用は聞くだに恐ろしい。自分が自分でなくなるまでやり続けるという。治せない医学に委ねるしかない現代。この選択は正しい事かも知れない。「みんな死にますから。」とは、看護師として長く仕事をしてきた人Nの真実味の籠もった言葉だった。

ホントにそう。受け容れるしかない。

2024年4月24日 (水)

友の急逝。

たった今同窓生Kさんが亡くなったと連絡が入った。信じられない思いで一杯の今、彼女の笑顔しか思い出さない。独身でアーティストで確か最近もどこかで展覧会していたはずだ。どこへ行くにも徒歩。もしくは電車バス。それだけ元気印という印象しかない。何故?どうして?一体何があったの?と思いは募るが、なんせ深夜だ。明日になれば何か入ってくるだろう。

昼間は共通の友人と久しぶりにマックなんぞという場所で半時間ばかりお喋りした。彼女も夫が先か自分が先か?を話題にしていたが、まあ、どちらが先でもおかしくない年齢ではある。彼女はほぼ出かける事が無い人で、喋ってないと言葉を忘れそう、というだけあってのべつ幕なし喋った。確かに時々これは必要な事だ。話題は家族の事が中心になり、時々共通の友人達の話題も出たが、Kさんのことは出なかった。ただ、同窓生が段々先に逝ってしまうねえ、と慨嘆したことは覚えていて、それは主に男性のことだった。ま、元気出していこうと別れたのだが、きっと驚くだろうなあ。

今夜はお嬢が仕事帰りにとある演奏会に行くので、孫べえの晩ご飯お願いと頼まれていて、夕方からの会議に行く夫の食事共々用意してからマンション。体の節々が痛くて運転も足がつりそうだったのは、朝から本棚を空にして中身を断捨離していたため、重いモノを二階から階下へ移動するので目一杯体を酷使したせいだ。こんなことをやるというのも、一昨日深夜に着換えるときつるっと滑って自室のTVなんかの上にバタッと倒れかかり凄い音を出したことがあり、段々色んな事が出来なくなりそうと思ってのことだった。床が冷たくて薄めの絨毯を敷いていたのが動いてバランスを崩しての結果だった。あちこち青たんが出来て、今頃になってとても痛い。これからゆくりお風呂でほぐすつもりだが、段々ね~~。まだあれもこれも片付けようと思ってはいるが、どこまで出来るか?

そういえば先日T会長のお見送りの時、彼は此方以上にCDやら楽譜やらを持っていて、これから一生かけて聴かなくてはと笑ったが、ホント、あっちからこっちへと動かしながらこれってホントに聴くことがあるのかなあ?と懐疑的。無駄なエネルギーを費やしているような気もする。

で、孫はこっちが持って行ったおかずを刺身3人前、肉に野菜にエビマヨサラダと全て完食。その上遅くに帰宅した母親にラーメンかパスタ無い?と訊いている。まあ、一番食べる時期だろうが。。。

2024年4月22日 (月)

お金。

時間というものは否応なしに流れていく。ここで一服、とか無いもんねえ。こっちが休んでいるときもあれよあれよという間に先に進んで、いつの間に?と思うこともしばしば。特にTV番組なんかはそれを思い知らされる最たるもの。えっ?もう笑点?とか、もうチコちゃん?とか。とか。

離れている孫ももうすぐ成人式だって?信じられない。その意味では日々驚きがあり新鮮とも言える。が、何か大事なことを忘れてしまっているような、頼りない気分に襲われるのもしょっちゅう。こんな気分で暮らしていて良いのか?と不安になるくらいだ。

で、世の中はもちろん勝手に流れていて、日々おかしな事件も見聞きする。今日も頂きなんとかの女の子、と言っても25歳だそうだが、見た目まるで幼い、ただの小娘?にしか見えないのだが、大それたことをしでかして懲役9年の判決が下ったという。あの通訳Mと比較されて、刑が重すぎるという人もTVで喋っていたが、どうだろう?

シャンソンでは無いがシャンソンとして広まっている、「百万本のバラ」とう歌を思い出す。歌詞の内容はある貧しい絵描きが家も何もかも売ってそのお金で町中のバラを買い、好きになった女優のホテルの窓の下に全部並べて、彼女がそれを眺めるのを見て満足する。その後はうんと貧しい暮らしを送ったが、一生その想い出は消えなかった。というもの。これぞ究極の無償の愛。今回の頂ナンチャラという女の子に騙されて大金をつぎ込んだ男性も、こういうことだったかと思ってニュースを見た。まあ、常識ではあり得ない話しだが現実にこういう事件が起こることを考えると、あの歌詞はまんざら絵空事ではなかったのかも知れない。人の幸不幸は必ずしも金銭では計れない。世のなかにはずれた絵画に何億という大金をつぎ込む人も要る。

そういえば先日ある人と話していて、その人が友人にうん百万円を貸したが、一向に返してくれないと言い、この際もう返さなくても良いと言ったらしい。その使い道が回り回って世のため人のためになるという確信があったからで、自分はそのお金がなくても困らないし、生活に変化はない。それならと決めたんだという。聞いたときはなんと奇特なと感心した。こういう人がいるのは本当に救われる。世知辛い世の中で、なかなか無い話し。自分より大分お姉さんで、自由に生きている人ではあるが、ある意味羨ましい。無くても良いお金がある自体、ってことだ。は。

お金にまつわる話しも色々あるなあ。

危機一髪。

今日のドジはかなりのものだった。今日は何も予定が無いと思い込み、朝から室内干しの片付けやらのんびりと新聞を広げたりお嬢にお昼一緒に行こうかと誘いの電話をかけては振られてみたり、で、夫から予定が早く終わったのでうどんに行こうと言う電話も断り、尚も家の片付けをしようと椅子ににぴらっと置いてあるチラシに目をやった。その途端ハッとした。あっちゃ~、今日が正しくこのチラシの寄席の日では無いか!!しかも一人お迎えに行くと約束していたのだ。すでにその時間を数分オーバーしている。慌てて電話をかけながら、ひた謝りに謝り続けてチョー特急で飛び出した。裏道を通ったが、信号が全く無いわけでもなく、イライラしながらナンとか到着。M女子は明るくてお優しいのではあるが、20分も待たされてそりゃあ文句の一つも出るわいなああ。カンラカンラと笑いつつではあったが。

会場に着いてみれば開演の20分前。やれやれ間に合って良かったあ。いつもより何故か時間に余裕を持って約束していたのが結果的には良かった。

寄席は本当に面白かった。特にさん蕎師匠のは爆笑と人情者で、日本話芸の凄さを見せつけてくれた。大体は埋まっていたが、満席でもおかしくない内容だ。集客は本当に難しい。

近くの病院に入院中の友人Kさんも歩いてこられて大いに楽しんでいた。ま、病院にいたら病気になると豪語する彼女の事。これ位の外出はど~って事無かったんだろう。

尚も町中のマッサージ店に行くと言う彼女も乗せてお二人を送って晩ご飯の買い物。お目当てのオリーブオイルが大瓶しかなくて、お嬢に電話して相談するも、そんなの外の料理にも使えば良いじゃん?と素っ気ない返事。こっちは朝食のパンに付けるのがメインで、小瓶が丁度良かったが、言われるがママ大瓶を購入。さあ、どんな料理をしようか?と考え中。体には良いらしいが、、、それほど洋食にも使わない。頑張って使ってみるか。イタリアでは何にでもかけていたし、どんな料理にも入っているようだった。。。。しかし、大きいなあ~。

ま、こうして日々老いていくわけだ。そのうち修復さえも出来なくなるのだろう。グスン。

2024年4月21日 (日)

考える葦。

月一回のミュージカル劇団のOB達の集まりが今日あって出かけた。昔舞台で切磋琢磨していた仲間達、懐かしいの一言。だが、今後何をどうするの話し合いとなり、なんとなくゆる~い集まりで進行しているこの会を、同窓会から少し進んだ集まりへと移行するかどうかがテーマとなった。

あのころはみんな若かったし、エネルギーもあったが、今はあるメンバーが言うように、「あとどれくらい活動出来るか?」を考える時期にさしかかっている。もちろん自分のことはその筆頭なのだが、「何かをやりたい」という気持ちだけは全員に残っている。この気持ちをどうするか?このままそこは見ないようにして、遊んで残りの人生をやり過ごすか?

日本のアチコチで高齢者の演劇集団が生まれている。世の中の高齢化がその主な原因だろうが、これは良いことではないだろうか?

ちぇちのメンバーで今度宝塚のOBを中心に繰り広げる舞台に参加する人がいて、厳しい訓練だが、とても楽しいらしい。本当に舞台というのは面白いもの。この味を一度知ったらなかなか捨てられないものだ。役者は三日やったら止められないとは昔から言われていること。その通りだ。

で、今朝はこの会の代表メンバーがわが夫の指導している朗読会で、発表してきたと言い、夜の食事時にそれがとても好評だったし、感動するほど上手だったと夫が言う。普通の朗読とはチト違うから、面白かったのだろうと思う。

「表現する」というのは、形はどうあれ、本当に面白いもの。

このグループが今年広島原爆手記朗読の会に参加することで話しが進んでいる。これはお嬢が引き継いだ活動だが、広く色んな人に関わって貰うことにも意義があることは間違いない。小さな試みも沢山集まれば大きな力となる。少なくとも考える葦でなくてはならないだろう。

無関心ではいられない世界情勢を前に、何か出来る人でありたいものだ。

2024年4月19日 (金)

黄砂。ヒドイ。

ここ二三日黄砂が酷くて、外に洗濯物を干す気にならず、室内干し。室温は高く問題なく乾くのだが、キレイな空気に戻って欲しい。夫から花粉よりも黄砂の方が粒が小さいと聞き、二階のベランダで実験してみたら、本当に黄砂の粒は小さい。おかげで車も真っ白。山も朧で外出したくない。こんなこと言ってたら砂漠に住んでる人はどうなるの?と思うが、実際自分は無理だと思う。それだけ空気が良いところに住んでいるということだ。

恵まれた地域に住んでいるという認識はあったが、今日のニュースではこの近くにAIの大きな会社が出来るらしい。災害が比較的少ないという理由で選ばれたというから、個人的な感想ではなかったんだと改めて思う。有り難い事だ。

今日来店されたNさんは、いつも前向きな性格だが、ご主人の認知症からくる病魔と闘っていて、日々疲弊しているようだった。でも、お見送りの時、「ああ、今日はよく喋ったわー。ストレス解消出来たわ。又頑張るわ。」と言われたのは嬉しかった。基本的な美容という仕事以外にある意味こうした心の交流が大切だと長年思いつつやってきたことが間違いではなかったと思える瞬間だった。

今日は短歌の会誌が送られてきて、夕食後に読み始めた。編集委員のご苦労が偲ばれる誌面となっていて全体に充実している。一面の土屋文明を師と仰ぎ、その歌を長く解説してこられた人の最後の文章に感動した。十年もの長きにわたり文明氏の歌を書写し、その歌に向き合い寄り添い、文明その人を理解しようとする純粋な思い。余程尊敬する人で無ければこれほどのエネルギーを注ぐことは出来なかっただろう。正直苦手な文体の文明の短歌故に、斜め読みの事もままあったが、自分のような者にも唸るものがあった。ご苦労様と思う半面申し訳無い思いもある訳だ。もし文明が今四十代だったらどんな歌を詠まれるだろうと思う。時代のギャップは致し方無い面も多々あると思うからだ。

オペラもシャンソンも古い音楽だが、こちらはメロディが訴える力を持っているせいか現代人にも伝わる。

不思議なことだ。

2024年4月18日 (木)

今日の黄砂はヒドイ!

今日は久しぶりに午前も午後も本業でのお仕事。午前の方は自分より大分お若いが骨粗鬆症による脊椎間狭窄症で歩くのがおぼつかないため、ご主人が送ってこられる。帰りは此方がお送りしたが、長い闘病生活で、大分ペースが出来てきたのか、表情は明るいしよくお話もされて、気分転換にもなっているのが分かる。キレイになって晴れやかな笑顔のままお別れした。午後の方は、幾つか年上のお姉様。毎朝かなりの距離を歩きに歩き、ご自宅の階段も日に何度も上がり降りしているようだ。意識的に。そうした自己管理が出来ている人は毎日の過ごし方をお手本にしたいくらい何事もキッチリしている。イコールお元気。丁度我が家の前でねずみ取りのパトカーが止まっていて、一頻り交通違反の話になる。この方は車には乗らないがバイクに乗っていた時期があるようで、一時停止で絶対止まったのに止まってないと言われ相当揉めたらしい。最後は結局数千円取られて、折角ちょいと安いお店まで買い物に行ったのが何にもならなかったと笑う。そんな話しをしていると案の定捕まった車がいてパトカーが追っかけて動き出した。そのあとを、小学生の男の子が二人面白そうに指さしては何かふざけている。いや~、この光景はホントイヤ。横断歩道の側に立ってるだけで良いんじゃ無いかと思う。それだけでも抑止力になるんじゃないの?そういう自分も長い間支払ってないからぼちぼち捕まる時期かも知れないが。なんか、やり方が好きじゃない。

久しぶりに仕事をしっかりしたら疲れて、チョコザップや買い物はカット。一服してから晩ご飯の準備。当然ある物で、となり。冷凍のハンバーグを取り出し焼き始めたが、すぐさま焦がす。それを取り繕うためケチャップや砂糖醤油などで味を調え煮込み風に。これが以外と美味しい。で、同時に山芋と卵でグラタンを作ってみる。チーズたっぷりにしたらこれまた美味しいじゃないの?いつもなら本日仕事で帰りが遅い筈のお嬢に「要る?」とラインして持って行くところだが、今日はお疲れの母。沈黙を決め込んだ。

そして今宵は眠いのを我慢して何か洋画を一本観ようと思っている。よく働いたご褒美だ。実際面白いかどうか?掛けみたいな物だが。。。

地震があったおかげで、色々と対策を講じることが出来てただ今玄関先は色々おいてある。もっと考えなくてはいけないだろうが、、、、。ま、明日だな。

地震だなあ。

厄日というのはホントにあるみたい。昨日がまさしくその日で、朝からろくな事が無かった。極めつけは、T会長がいよいよ昨日飛行機で帰省されるというので、お見送りがてらお迎えに行きますと連絡してあって、「当分讃岐うどんが食べられないので、ご一緒に如何ですか?」と言われ、もちろんそうしましょうと出かけた。築港でピックアップすると、なんと最後に感傷旅行のように、コトデンで長尾までただ乗ってきたそうで、偶然その電車にわが義妹が乗り込んできて驚いたと言う。で、よくよく聞いていると、どうやら時間的に運転中に長い長い踏切のストップに遭遇して、ボンヤリ電車を見ていたその電車に二人が乗っていたらしい。わ~お、こんな偶然ある?と大いに盛り上がった。までは良かった。

で、最後のうどん屋というのでかなり迷ったが、最近夫と初めて行ったところがまあまあ美味しかったので、そこに行ってみると、12時台だのにそれほどは混んでない。チョイとヤバイ感じだったが、まあ大丈夫だろうと入ってみた。食べ始めて驚いた。先日と全然違う。まず麺が太い。で、トッピングがしょぼい。出汁は悪くはないが、冷たいせいかイマイチ感動がない。大きな声では言えなかったが、がっかり。

で、リベンジと思い、先日友人Kが「空港近くの植物園がキレイだったよ。」というのを思いだし、そこへ寄ってみた。確かに花は沢山咲いていたが全て咲きすぎていて、ムムムな感じ。教えて貰った時は垂れ桜も満開で椿なんかもキレイだったのに~。辛うじて薔薇や多肉植物は楽しめたが、思ったようではなくこれまたがっかり。まあ、それぞれ互いの写真を撮りあったのだが、、、。

で、この日はとても暑かったので、冷たい飲み物を待合二階のカフェで。あとから考えると、ここでゆっくりお喋りは先生にとっては迷惑だったかも。お土産買いたかったかもしれないし、下で再度うどんを食べる手もあった。エレベーターに乗る私に深々と挨拶してくれたお姿を見ながら、これまた後悔しきり。

寂しいというオブラートに風穴を開けようとして、逆に絡まった感じで、妙に言葉も途切れがちになる。「今新橋です。やっぱり暑いです。」と返信が来て、おうどんのリベンジは必ず又今度、と出したものだ。やれやれ。

で、買い物をして帰宅。何時ものようにミキサーで作ったおかずを並べて夫に今日の顛末を話し、「あのお店、美味しいと思ったよねえ?」と言ってみる。「まあ、その時の体調とかにもよるから。」と返ってきたが、この店の評判を聞いてから出かけたんだけどなあ?

 

ここまで書いた途端地震の警報が鳴り響いた。久しぶりでちょいとおののいたが、準備しながらも揺れた感じはなかった。直ぐに娘夫婦から電話が入ったが、揺れなかったと言うと、そんなはずはない。一階のマンションでもかなり揺れたんだから。と言われる。でも、~と弱々しく反論していると、側から、「自分自身が揺れてて分かんなかったんじゃないの?カカカ」「そうだね?」と夫婦の笑い声が聞こえる。ま、めったにない地域の平和な会話だ。一番に伊方原発が気になったが、今の所無事でホッとした。ただ、今後もあるかも知れないと言うから、完全には安心出来ない。はて?どうなるか?

2024年4月16日 (火)

運動、食事、睡眠。生きるって大変。

朝の曇り空に又又気象病になるか?と思ったがあに図らんや体が動く動く。予定していた整理と洗濯、掃除は表回りまでちゃんとやれた。気象病って、ホントにあるのか?よくわかりませ~ん。

で、夫が何時ものようにプールにお出かけ遊ばす折りの捨て台詞?「お母さんもチョコザップに行けば?」朝からず~っと動いているのを見ていたはずなのに、こういう励まし方をする人。内心くっそ~と思いながらも、「ハイハイ、行ってらっしゃい。お気を付けて。」としか返さない。これ以上口返事などしても不毛な会話が続くだけ。で、林檎を食べながらテレビドラマ「相棒」を見る。これは絶対再放送だし、一度見てるな~、と思いながらもつい先が気になる。それを見終わってからやっぱりチョコザップに行くことにした。版ご飯の段取りは頭にある。夫の顔を見てからでも出来るメニューだ。

チョコザップは行くたんびに色々設備が増えている。きっと会員数が増えてきて、可能になってきたんだろうと思う。今日はマシンの目の前にTVが付いていた。大して役に立つことは流してないが、多分これも充実してくるんだろう。その中に「夜10時までに晩ご飯を食べないと、あんなこともこんなことも体の中で起きて居て、絶対良くないから、守って下さい。」とか、「食べてから23時間は寝ないように。」とか。まあ、知ってることばかり。だけど、知ってることも頻繁に言われるともしや効果があるのか?若者達は骨伝導のイヤホンでかっこよくマシンを使っているが、それは長時間いる場合だろう。こっちはコンビニジムとして、せいぜい10分から15分だから、イヤホンを装着しているウチに終わる。なので、結局買ったものの、ほぼ使わずだだっとマシンを使って慌ただしく帰宅する。ま、この自由感は良い。というわけで、 暇だから、たった15分前後でも目の前に流れる情報を見ることになる。こういう人向けなんだろうか?この動画。

予定通り帰宅してきた夫の為に、今日は大根や豚肉を使った炒め物をミキサーにかけてみた。こういう水分が出るものでないと我が家のミキサーは上手く回らない。作ってみた物の、とてもじゃないが自分なら食べる気がしない見てくれ。ご本人は兎に角タンパク質が取れるからと喜んでいるが。。。プラス山芋のすりおろしに卵。まあこれは普通に食べ慣れているから良いが、ムムム。こうしてでも口から食べることが大切ではあるんだろう。やれやれ。

2024年4月14日 (日)

春眠暁を覚えず。まさしく。

昨日は娘んとこの孫べえの14歳の誕生日。昼間は婿殿の車で丸亀にオープンしたショッピングモールに行き、夜のパーティの買い出しなど。新しいもの好きの讃岐人気質はここ丸亀にも波及?というか浸透していて、確かに混んではいた。まあしかし、それほど新鮮な感じもせず、そこそこの買い物でジ・エンド。車に乗り込むやいなや、二人から、なんでおはぎ買わなかったの?と聞かれるが、そりゃあ変な時間にそんなもの食べると後に響くからに他ならない。いかにも美味しそうだったが、どうやら有名店からのものらしい。こっっちに質問しつつ本人達も食べたかったようだ。

食事の後のケーキイベントに入る前、娘の想い出話しからヒントを得て、「宝探し」型式のお小遣い発見ゲームをやった。昼間のバレーの試合が祟り、食後にうたた寝していた孫ベえも、これをやると聞いた途端口元がニヤリと動いたのを見逃さなかった。余程好きな親子ゲームだったんだろう。

ホールケーキで定番のハッピイバースデーの唱和を終えてケーキを食べながらお嬢とつくづくこの子が赤ちゃんだった頃の話しをする。あんなに小さかったのに、こんなに大きくなるなんて、信じられない、とか、生まれたとき「この赤ちゃんは、肺に穴が開いてます。」と言われて仰天したことなど。きりが無い位の想い出バナシ。

こういう昔話は結構聞きたがる。ま、純粋で可愛いもんだ。

で、今日はマンションの片づけのお手伝いに出向き、1時間だけいて、6時からサンクリスタルでの朗読会があると思い込んでバタバタと夕飯を済ませて目的地に行くと全館閉っている。たまたまこに来た職員らしき人に聞くと、それなら昨日までで終わりましたよ。と言われてしまう。あっちゃあ、と娘に電話。「アンタの呪いでこんなことになったわ-」と言うと、「だからもっと手伝ってと言う事よ。」で、直ぐに再びマンションに車を回す。少しばかり手伝って遅くに昼ご飯を食べた親子がどっかで晩ご飯、というのに付き合って、○○ローに。9時半くらいだったと思うが、店内は結構一杯。現代は色んな時間にご飯の時代か。こっちもお相伴して幾つか食べることに。ま、こういう日があっても問題ない。

2024年4月13日 (土)

有り難い。まだ桜を楽しめる。

兼ねてから行く行くと空約束をいていたK画伯のアトリエにぽかぽか陽気に誘われて出かけてみた。外はクーラーが必要な程の気温。でおやつを買おうととあるケーキ屋さんに行く。お目当てのモノをゲットしてさあ帰ろうとしたとき車体に見覚えのあるロゴの入った車がやってくる。運転席から長身の男性が下りてきて、お互い顔を見合わせて「あっ」と声を上げる。彼は我が家のリフォームをやってくれた人で、この度転勤で外の町に行きますとわざわざ電話くれた人だった。しばし立ち話をして別れたが、ホント気持ちの良い人だった。彼がお休みの時店頭で名前を出すと、「ああ、彼は人間が良いんですよ。」とどんな人も好感を持って話してくれた。一セールスマンと客というだけの関係だが、我々夫婦も同じような感想を持っている。矢張り人間同士、物を介在しても最後は人間同士の心の交流だ。

本日アメリカから流れてきたニュースに多くの人が仰天したと思うが、あの大谷と通訳の関係は、少なくとも大谷を見る限り絶大な信頼関係にあったと見えた。それが、歴史に名が残るかも知れないほどの詐欺というか盗難事件になってしまったなんて、絶句する他ない。既に死語になっているだろうが、「袖擦れ合うも他生の縁。」と言うことがある。自分の人間関係は全てそれで成り立っている。ところがそれどころか親友関係にあったと思えるこの二人。ここまでの裏切りが存在するんだという、人間の怖さ。

目的地に着くまで桜並木に目を奪われながらも車中でこのことが去来し続けたのは、カーTVでもこれが取り上げられていたからでもあるが、流石にショックだった。

画伯ご夫妻は何時ものように明るく出迎えてくれて、久しぶりに楽しく歓談。約2時間のティータイムは濃い時間となった。画伯のパートナーJさんと話していると、話題が広く深くなる傾向があり、いつも感心してしまう。今日も年齢の話になって、お互い長い付き合いになるけど知らない間に年取ったわねえとなり、彼女曰く、「私ね、昨日までの自分の人生は今日のためのリハーサルだったと思ってるのよ。だって、毎日毎日新しいことばっかりだもの。」なるほど、これは行ける。確かに今日という日が一番新しい日だ。で、いくつか出た話題の中で、お互いに意見が一致したのは、次の天皇は愛子さんが相応しいというもの。どうやらアメリカ辺りでは男の子が生まれたことに陰謀説まで囁かれているらしい。流石にそれは信じたくないが、実際近頃の愛子さんは貫禄もあり、両親の美点を受け継いでドンドン成熟されているように見える。天皇制そのものに懐疑的な気持ちもあるが、継続するなら確かに愛子さんが適任の様な気がしている。

こうして尽きない話題に笑ったり憤慨したりしていて、ふと時計を見ると夫がプールから帰る時間になっている。それで慌てて腰を上げると、お二人が手を繋いでお見送りして下さる。桜の大木が門扉の側にあり、花びらがいっぱい降り注ぐ中、お二人が名残を惜しんでくれるのに手を振って再会を約し帰宅の途についた。が、もの凄い渋滞で、結局一駅だけど高速を使った。信号がないというだけでも随分時間が違う。

ま、こうして毎日毎日色々あって、飛ぶように月日が流れていく。

2024年4月 9日 (火)

嫌な電話。

先ほど夜の9時という時間に若い女性の声で怪しい電話がかかってきた。「お宅に22歳から77歳までの女性がいませんか?」というもの。これって、いったいどういう目的の電話?考えればきりが無い詐欺の匂いのするもの。毎日のようにこの手の怪しい電話がはいるが、ワン切りとか調べてみるとリサイクルショップからのものとかネットに出てくる。ホントに安心出来ない世の中になってきた。近頃そのせいもあり、固定電話を取り外している人が多くなってきたという。確かに、固定電話を持っている人は一定の年齢以上の人だろう。イコール騙しやすいと踏んでのことらしい。

世の中の若者が安易にこちらに走るのは、一体何が悪いのか?毎日流れるニュースを見ていると所謂教育者や、人の上に立つべき人の犯罪が増えているように思う。何かしっかりした信念のようなものを持っている人が以前より少なくなってきたのか?それはもしやその人達を育てている学校や家庭に問題があるのか?この疑問は今に始まった事でも無いが、矢張り大きくは政治の問題があるように思う。

大谷の通訳者があんなに大きな事件を起こしたのも、ある部分が麻痺していたのではないか?善悪、清濁の線引きが甘くなってきていて、あそこまでの大事件に繋がったのではないかと思う。今の若者がネットで簡単にバイトができると思いずるずると穴に引きずり込まれるのも、罪悪感が薄れていってのことのような気がしている。こちらはまるでゲームのように高齢者をターゲットに悪を成そうとしている。

一つには若者の活字離れが有るかも知れない。新聞を読まない、文学に触れない。そこから何かを学ぶという事が無い。。。。もちろん外にも色んな要因があるんだろうが、最低ラインの、「人に迷惑をかけずに生きる。」ということを伝え続ける世の中であって欲しい。優れた漫画にもそういうテーマのモノが沢山あると聞く。せめてそこから良いものを受け取って欲しい。

というか、何だかターゲットにされてるような嫌な予感がするな~。気分悪~。

2024年4月 8日 (月)

さくら~さくら~野山も里も~見渡すかぎり~♪

やっぱりそうなんだ。人間は、群れる動物だったんだ。と思えるここ数日。人と話すことはなんと楽しいことか。それが例え二人三人でも、やっぱり人間同士の会話は素晴らしい。

最近夫を亡くしている友人は、外の多くの夫婦と違って大変な会話好きだった。故にそれが出来なくなってともすれば鬱気味になると言い、毎日のようにお出かけしている。きっと自分を保つためにはそれが必要なんだろう。こちらも声をかけてお付き合いの日もあるが、それも限界がある。そういう友達を次々とお相手に選んでいるようだが、それも限界があるだろう。結局孤独というのは自分でなんとかするしかないのだろう。

それにしても、年取ってきて、例えば昨日の若者達の眩しいこと。それぞれに日々の葛藤は抱えているようだが、それでも外観の輝きは写真を見ても羨ましいと思う。自分にも確かにそういう時期があったはずだが、忘却の彼方。恐ろしいことに、そういう昔の写真を見ても一緒に映っている人が誰かが分からないということがある。確かに普通の暮らしからすると出会った人の数は多い方だろうが、でも写真に一緒に映ると言うことは少なくとも少しは会話を交わした人だろうに。情けなや。

その点短歌の師匠は凄い。元教員というお仕事柄とはいえ、各学年の受け持った生徒はほぼお忘れではないようだ。恐ろしいほどの記憶力だ。先日も歌会の帰りに、「多分先生が一番長生きよね。」と話したものだ。これぞ天職か?

今日は日ごろ家族のケアをして頑張っている友人Yがやってきて、夫と三人でうどん屋さんへ。お互いガス抜きの面がある。

で、珍しいことに夫婦で帰りに神明殿に回りお花見。期待してなかったが思いがけずしだれ桜がが満開。下のアスファルトに花びらを敷き詰めてなんとも美しい。思わず写真に収めて、インスタにアップした。桜の中でもこのしだれ桜が一番好き。折からの楚々と吹く風に揺られて、まるで天女の振り袖のごと。、、、これ以上ない平和な眺めではあった。

想い出は花びらのように、、、。

今日は愉快だった。ちぇちの会長T先生が間もなく故郷に帰られるため、ちぇちメンバー-中心に総勢30名ほどが集まり、こけ枝師匠まで顔を出してくれての大円団となった。これで本当にちぇちが消えたと思うのは矢張り寂しいモノだ。大きな白紙の団扇に全員で寄せ書きをして、18年も前の集合写真と共にプレゼント。それというのも、このときの公演はT先生が完全なる女装をしての出演で、これでもか、というコミカルな舞台を展開したので、強烈な印象が残っている。この所の我が家の断捨離中に発見したものだった。何がおかしかったのか、全員が大笑いしている写真で、中には先に逝かれたI先生もH先生も映っている。みんな、若かった。

今日は雨かも知れないと心配したが、桜を充分楽しめる程度の曇り空。今年初の花見も出来た。時間制限がないお店で、みんなのんびりタップリと食事して歓談。後では庭での撮影会。

このお店は農園レストランとでも言うべき場所で、そこで撮れたお野菜中心になる。だから体に負担がない食事。和洋食だから誰でもOK。ちょっと遠いけど、農園をするにはこうするしかないだろう。

帰りに岡山からのMご夫妻と屋島からのKさんを車でお送りしたが、この車内が又面白い。我々も古いお付き合いになったものだ。又是非お会いしましょうと高松駅でご夫妻とはお別れ。ご主人がしきりに疲れたを連発していたのが少々気になったが、実は自分自身も何故か疲労感がかなり出て、帰宅早々リクライニングソファーに倒れ込んだ。20分くらいは寝たか?そのタイミングでプールからお帰り遊ばした夫の晩ご飯。Kさんが気を利かして筍ご飯や煮物を持たせてくれてラッキー。あとは昨日のシチューをジューサーにかけてくれとのたまうので、おっしゃるままに。、、考えてみると、今日の気候にも寄るのかも知れない。なんとなくスッキリはしない天候だったから、それでだるいのかも。いわゆる気象病か?

毎日、色んな事が、起きるな~~~。

2024年4月 7日 (日)

晴れ晴れと歌会の日。

午後からの歌会。久々の対面歌会となった。師匠はしきりに此方の方が労力が要らず楽で良いと言われていたが、なかなか全員の意見が揃うのは難しい。来月はリモート歌会に戻るわけだ。

リモート歌会と違って大勢が参集し、賑々しく終始。大いに笑い、意見の交換もし、お勉強もした。帰りにわが車に乗り込んできた友人Iは開口一番「今日はホントに楽しかった~。先生がお元気でホントに良かった。」と饒舌だ。確かに、その通りだった。男性が多いというのも場の雰囲気が盛り上がる要因の一つ。こっちは司会でずっと気が抜けないというプレッシャーはあったが、それなりに頑張った。毎月こういう風に行くなら、確かに対面歌会が良いだろう。リモートでは笑うのも控えるようになるし、まずは聞き取りにくいという難点がある。

全精力を使い果たして夕飯は二人でスーパーに行き即食べられるものを購入。手抜き手抜き手抜きと三唱しては笑い合う。

しかし、何をやっても疲れるようになった。別に今話題のサプリを飲んだわけでもないのに、疲労感が半端ない。明日の送別会の為の準備もあって、、、、今宵はよく眠れそうだ。

2024年4月 6日 (土)

チカレタび~~。

眠い~~。ってことは疲れている。

午後の鼻のおできの再診が意外と早く終わったので、娘と二人「おるね」に行く。で、訳あって車椅子を持っていたので、館内を車椅子で移動。もちろん娘に押してもらってのこと。だったが、途中で「ちょっと交代してみる?」と提案。こっちもカートを押す代わりになり、まあ、これも良かった。娘曰く、「お婆ちゃんの目線はこんなに低かったんだね?」母を連れて色んな所に出かけたことを思い出しているようだ。確かに車椅子というのは乗り降りに便利なように低くなっている。が、全く贅沢を言うようだが、車椅子に乗り続けるのも疲れる。荷物を持たなければかなり歩ける今の状態なら、カートが一番。、、、という発見があった。

で、夜は約束の会食に出向く。最初は二人とも飲む予定だったが、明日の短歌の歌会を考えると結局飲むのは娘だけと結論を出した。やってきたHさんと娘がグビグビと飲む前で、ムムムな状態。ま、いっか。と思える自分が年取ったことを実感している。10年前なら、テクノを呼んでしっかり一緒に飲んだだろうが。飲んでないにもかかわらずただ今猛烈な睡魔に襲われつつある。

さ、寝よう!

2024年4月 4日 (木)

春雨に濡れた日。

今日からシャンソン教室を始めるお嬢たちの手伝いのため、雨降る中を出かけた。わが発声練習とお嬢の演劇朗読エチュード、一曲ピアノで歌う、というプログラム。生徒さん達は生き生きと楽しく練習に励んだ。この「楽しく」というのは外せない。2時間はあっという間に終わり、2週間後を約束して解散。

そのままサンポートホールまで、ホール使用の為のプランニングと正式申請に出かける。客席で打ち合わせしているときは特別な感想はなかったが、裏に入った途端、思わず「懐かしい~~この臭い!」を連発することとなる。楽屋とか裏の通路なんかの独特の空気感。そうだった。いよいよ本番となると、この匂いの中で全てが始まったものだ。

担当者の若者二人は、何故か私のことをよく知ってくれていて、共通の知人の舞台関係者の話にもなり、なかなか愉快な時間が過ごせた。お嬢達も色々試行錯誤していたが、矢張りこのホールでキッチリやりたいことをやると決めたようだ。仮予約の時点でぽっかりと、この日程だけが空いていたのも何かの暗示だったかも知れない。後は、無事開催出来る事をひたすら願うばかりだ。

それにしてもあのサンポート周辺は、大々的な改修が予定されていて驚く。アリーナは大分出来ていたが、先日オープンの「オルネ」とそれに続く緑地帯。アリーナの側には立派なホテルも出来るらしいが、困ったことに駐車場の整備がイマイチらしい。今でさえ、ホールでなにかイベントがあると地下の駐車場は満杯になる。一体どうするつもりなんだろう。上から眺めた感じでは、「オルネ」ももう空いているようだったが、讃岐人の新しいモノ好きで飽きっぽい性格がもう出ているのか?まだ行けてないが、近く覗いてみたいとは思っている。

毎日色んなことがあって、花見にさえ一度も行けてない状況。どっかに行きたいなあ。

2024年4月 2日 (火)

平和。

室内干し、というものにずっと抵抗を感じてきたが、こうも黄砂や花粉やPM25なんかの情報が連日報道されると、流石に世に習って室内干しに。。。と、昨日今日やっている。もちろんそれでも乾くのだが、なんか気に入らない。矢張り太陽が出るのを見計らって外に干したいのが本音だ。でもまあ、本当にそれが健康被害をもたらすと言われれば、時代の流れに逆らうわけにも行かない。自分自身はそういうことに鈍感でも、夫は色々持っているもんねえ。

明日はお嬢が始めるシャンソン教室に協力するために出かける予定だが、全く、蛙の子は蛙とはよく言ったものだ。同じような事をやっている。これはある意味幸せな事かもしれない。共通の話題が生まれるし、切磋琢磨という点でも良い結果を生む。少しであってもわが経験を伝承していくことも出来るだろう。それは先達から受け取ったモノでもあり、細い糸でも保つことが恩返しだろう。

さっきロシアの戦線にでている兵士の妻達によるデモのことがクローズアップされていたが、彼女達の抗議デモばかりは簡単には制御できないらしい。それは当然だろう。そういう所からでもあの強力な悪の縄張りにほころびが出来ればどれだけ良いだろうと思った。多くの人が犠牲になっているこの戦争が、兎に角終わって欲しい。

どんなニュースにもそれを聞きながら、わが心の底に今犠牲になっている人々のことが浮き沈みしているのを感じる。日本のニュースのナント平和なことか。

平和といえば、今日は昼間一人だからという理由で我々夫婦のうどん屋ランチに孫べえを誘って行き、セルフうどん屋さんが平日でも一杯だねえ、と驚きつつ食べ、夜ご飯は我々夫婦が食べたあと、仕事帰りにお嬢が孫ベえを連れて無銭飲食にやってくる。なんてことで一日が終わるなんて、平和以外の何物でも無い。

どうか、この平和がいつまでも続きますように、と願うばかりだ。

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