お葬式。
お葬式日和というものがあるとしたら、正しく今日の様な日を言うのかも知れない。丁度太陽が燦々と降り注ぐ時間帯に、葬祭場へと夫婦で出かけたが、前の組の人がお見送りの途中でしばし車内で待つことに。目の前を霊柩車が通り過ぎると、まるで結婚式だったかのように晴れ晴れとした表情の人々が行きすぎる。全員が真っ黒というだけの違いで、老いも若きもにこやかな笑顔というのは、一体どういう人の葬儀だったのか?大往生の高齢者だったのか?「見送った」という安堵の表情が多くの人の顔に見られた。
此方の葬儀はそこまでではないが、悲しみの中にもある種の諦念があり、担当者の丁寧な指示通りに事は進んだ。「辛いけど仕方が無い」「仕方が無いけど悲しい」の汐が満ちては引いてを繰り返す。最近はいわゆる斎場でのお顔あわせのお別れは禁止事項になったらしく、これが最後ですと連呼されるせいでもあった。今日一番泣けたのは、年端もいかない男の子が、連れ合いを亡くして泣く祖母の姿を見て、充分意味も分からず自分も泣いているという景色だった。「お婆ちゃんが泣いてるから僕も悲しい。」ということだ。それに、長く同じ屋根の下で暮らしていたので、余り言葉の交換がなくてもこの家に居る人としての祖父への情愛も生まれていたのだろう。近頃珍しく最後まで自宅で世話をし続けておられたのは、本当に頭が下がる。「だって可哀想やもん。」とのみ言い続けていた気丈な女性も突然の事態に心の準備がなかったんだろうと思う。何度も何度もご遺体の頬をなで続けて、別れを惜しんだ。
自分の年になるとお葬式に出かけたのも両手両足の指以上の回数を経験している。いつ順番が来るのだろうと毎回思いながら。。。
今日のお坊さんの読経は声も良く朗々としてとても清々しかった。若い人とベテラン僧侶のコンビだったが、共に声の相性も良く、ちょっと教会音楽っぽかったかな?ま、これからは色々この世界も変わって行くんだろうなあ。
お式を終え、うららかな日差しの中、あまり喋ることなく帰路につく。夫も身につまされたかな?
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