演劇。
昨日のお芝居は予想通り寝た。前から3列目という寝るには難しい席だったにもかかわらず、、、、。隣の友人も盗み見るとやっぱり寝てる。これは話しの内容というより脚本のせいだ。あの内容を料理するならもっともっとやり方がああったように思う。
短歌をやっているときに思うのが、自分が短歌を詠むときの状況そのものを詠もうとすると面白くないものになる。他人の作品でも同じで、短歌を詠むときの苦労話なんかは良い歌に出会ったことが無い。
それと同じことが昨日のお芝居に感じられた、というわけだ。
実際に東京にあった移動演劇集団が終戦前にやむを得ず東京から広島に本拠地を移すことになり、当時危険だと言われていたにもかかわらず全員が移動。そこであの原爆で全滅する、という痛ましいお話。それをあまりにも真っ正面から取り上げていて、劇中劇の扱いまであったのは、個人的感想だが、余り効果的とは思えなかった。人の生き死にを扱う芝居。戦中の不自由さや、徐々に世の中が変化していく様。どこをとってもテーマに溢れている時代。それを描くのにしては、なんだか普通すぎて、まるで他人事みたいに感じた。もっと危機感が前面出でていてもおかしくなかったように思われる。そもそも私たちオバタリアンを眠らせてはいけないでしょうに!なんちゃって!!
にしても、役者さんたちは皆根っからお芝居が好きなんだろうと思わせてくれた。あの近い席からは彼らの汗までしっかり見えたし、一瞬も役からはみ出して自分に返ってるのは見せなかった。これぞプロ集団。
で、この日はお当番で色々お仕事があり、夕飯を食べずに出かけたので、Kさんを送った途端空腹を感じて、お嬢に電話してみる。すると同じ思いだったようで、どっかにいこう、となったが、9時半から行ける所が無い。散々迷った挙げ句10年以上行ってないDHというファミレスに。最後に行った時母と二人で45分待たされたのを今も覚えている。あの頃と内装が全く同じというのも意外だった。満席では無いが結構埋まっているし、まあ時代だなあ。食事の時間がマチマチ。そういう自分もだが、あのマッサージ師が言うような規則正しい食生活は、到底無理。
やれやれ。
お嬢はといえば、早くにインタビューの仕事を終えて、こっそり一人でエビスやのかき氷を食べていたらしい。すると悪いことは出来ない。隣の席にわが短歌の師匠のグループがおかけ遊ばしたらしい。告白のライン写真が送られてきてひと笑い。おもろいおもろい。