寂しい目。
毎日毎日色んな事件が報じられるが、自分の日常だって、家庭ニュースとでもいうものがあれば、相当イロイロあるのだから、日本国中、地球上の人々のできごとは当たり前に多いのだろう。にしても、よくもまあ、次から次へと新しい事件が勃発するものだと、半ば呆れながらテレビを見、SNSを、新聞を読む。これが全て他人事とばかり門外漢の顔をしてやりすごして行けるならまあ良いが、どれもこれも考えさせられるニュースが多い。
そんな中、強度な障害者の人が芥川賞を受賞したというニュースが流れて、これを明るいニュースとして単純に捉えられないという思いがした。作者のコメントにもあったが、これまでこういう例が無いことが問題だろうし、このことは多くの事を考えさせる。頭脳がとても明晰なこの女性が、「快挙」としてのみ受け止められてもそれは空しいだろうと思う。これを一つのきっかけとして、同じような障害を持つ人々にも様々な分野での表現が評価される世の中であって欲しい。今回はその文学性に於いて全員一致で決定したらしいが、他にもそういう能力のある人は沢山居るのではないか。ひとまず、こういう人をきちんと評価出来たのは現代に生きる我々にとっては喜ばしいことだ。
身体的な障害も多岐にわたるが、この所の新聞紙面では所謂性的マイノリティの人々の苦悩が取り上げられていて、社会がどう対応するべきかが論じられても居る。昔は価値観が極めてハッキリしていて一般的で無い人達は排除されるしかなかったが、ようやくここに来て変化が起き始めたように思う。本当の意味で色んな人に優しい社会になっていくんだろうか?ただ、まだまだ過渡期ではあり、その犠牲となる人が後を絶たない。若くしてその苦悩故に自死を選択する人も次々と出ているのは本当に悲しいことだ。るーちぇるという若者は、いつも目が寂しそうだったと、今思う。