歌の力。平和への願い。
今日は友人Kさんととあるコンサートに出かけた。70代のソプラノNさんが歌うというのもあり、その人が我々の共通の友人Mさんの妹さんだというので、是非Mさんの近況をお尋ねしたいという思いもあった。2時間程度の楽器中心の演奏会で、実力ある演奏家の音楽はとても楽しいものではあった。でもやっぱり歌が聴きたいという自分のような人のためか、お目当てのNさんが登場して最後を飾った。年代のせいかもしれないが、お話しも曲も、とにかく平和についてのメッセージ性が強いものだった。「死んだ男の残したものは」「芭蕉布」「カッチーニのアヴェマリア」などは特に思いがこもっていて涙を拭う人も居た。惜しむらくは声楽家としての声量に陰りがみえたことか。これはご本人が一番よく分かっていることだろうが、全く他人事ではない。自分よりも多少お若い人でもこれだ。兼ねてから声は無くなる、と思っていたが、残念ながら例外なくそうなる。でも、こうして歌い続けるというのはその発信力と共に意義があることではないかと思った。Nさん曰く、「力の無い私に出来る事は、せめて平和を願い歌い続けることです。」確かに。大切な事だ。
最後にお側に行き、Mさんのことをお聞きしたが、想像以上に残念な状況でKさん共々絶句したことだ。あれほど才能に恵まれ、文学の素養もあり、朗らかで家庭では二人の老人の介護をしてそれらを看取って後の人生に、まさかの難病に襲われ、突然我々の前から姿を消したMさん。笑顔しか思い出さないわねえ、と帰る道々話したことだが、まるでヨブ記そのもの。さぞ悔しいことだろうと思う。飲める女性だったので、わが家でもしたたか飲んだ若い日もあった。
「考えてみると、周辺に居たあの人もこの人も段々色んな事になってきて、寂しくなってきたわねえ。せめて、私たちは何事も笑い飛ばしてしぶとく生きていこうねえ。」と老人の誓い。
実はKさんは夕方お通夜に出かけると言う。姪御さんのご主人がくも膜下出血で突然亡くなられたというのだ。姪御さんのお母さんも60歳で未亡人になられていて、同じ年齢でそうなったらしい。不思議なことがあるもの。そういうのを聞くと長く生きてるなあと自分を思う。
Kさんをご自宅まで送ってから帰宅すると丁度夕飯の時間。Kさんからいただいた豆ご飯に今日のおかずは、昨日元気だった孫べえが今日の部活中に熱中症の話し。快復はしたらしいが、伊達にデカい?なんてね。テレビにはゼレンスキーのニュースが流れ、その厳しい表情に彼の真剣さがひしひしと伝わる。最後のスピーチの中に、直前に広島で見て感じたことを直ぐ内容に組み入れていたのに驚いた。頭のいい人だと思ったし、この状況下でも未来を見据えているのにも驚く。母国の支持率が90パーセントを超えるというがさもありなん。このサミットが少しでも平和に近づく礎になれば良いが、真反対の結果を呼ばないよう願いたい。
いみじくもKさんが行った。「ヒロシマはプーチンさんに行って貰いたい。」まさしく!
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