感動した!
レクザムホールでの「パバロッティ」の映画は素晴らしかった。彼の一番良いときの歌が何曲も聴ける上に、彼の人生が実像と共に綴られていた。そのため、実際に彼が発した言葉も明瞭に残っている。一番琴線に触れたのは、「心にないことを歌えない。」と言う言葉。あれ程の技術者であっても、技術で歌は歌えないと言う。
そして、難しい離婚問題を抱えていた時、「例え心に苦悩を抱えていても、自分は歌い手として道化を演じる。」そう言って「道化師」の舞台へと出ていく苦しそうな顔。
これまで、何度も聴いてきた「トスカ」の中の「星も光りぬ」は嗚咽が出ないようにこらえながら聴いた。それは彼が「死」を意識していた事から来る説得力のある歌唱で、その時指揮者だったドミンゴが、「これまで聴いてきた中で最も素晴らしい」と、友人として心からの賛辞を送っていたのも印象的だった。
最初の結婚で女の子を三人持ち、最高の父親だった彼の事を、離婚した後も妻は言う。「辛くなかったとは言えないが、彼は他の人と違って、普通の上を行く人だった。」と死の床に手料理を運んだことを話す。
最後のパートナーとなった34歳も若い妻は、自分が難病になった事を告げたとき、「僕はこれまで君を愛してきたが、今は崇拝している。」と抱きしめたと言う。かくも優しい男性だった。純粋で、特別な存在だった彼の生涯。100年前のカルーソーと並び称されるが、本当に100年に一度の歌手だった。
印象に残ったエピソードの一つ。イギリスでの野外コンサートの日、猛烈な土砂降りに襲われた会場では、アリーナ席の人達が一斉に傘をさし、後ろの席の人達が見えないという事態が起こった。そこで、「傘を畳んでいただきたい」というアナウンスを入れる。すると、最前列にいたダイアナ妃が一番に傘を畳み周辺のおつきの人々にもそうするように促したそうな。それがきっかけで全ての人が傘を畳んで行く様子を見ていたパバロッティが、「皇太子のお許しが頂けるなら、次の歌はダイアナ妃に捧げたい。」と言い歌ったのが、「なんと美しい人。これまで見たことも無い。。。」というもの。これは彼女の外見をさしているのではないだろう。会場は割れんばかりの拍手だった。
これがきっかけで、彼はダイアナ妃とともに、年一回チャリティコンサートを実施。多くの恵まれない子供達に力を尽くした。「パバロッティ&フレンズ」というその会は、有名なロック歌手やポップス歌手を巻き込んで、凄い集客をしたという。
同行した友と話した事だ。「私たちの青春時代に、生の彼の声が聴けたことは凄い財産よね。」
確かに。
車中で余韻に浸りながら娘に電話。感動のお裾分けは新鮮な内が良い。イチイチ反応していた娘は言う。「今度パバロッティとポップ歌手が歌ってるあの曲を舞台で一緒に歌おうよ!」う~~~む。いつのことやら。