出歩くのもリハビリ。
今日も今日とて娘の車でお出かけと相成る。娘のお目当ての雑貨やさんは随分遠いところにある。なので、その近くでランチをと計画して善通寺まで出かけた。近頃流行の古民家を改装して今風なレストランにしている。やはり日本人だ。こういう雰囲気はどこか懐かしく、それだけで半分満足している。麦ご飯に豆腐のハンバーグ、筍の天ぷら、春野菜のおひたしやサラダ、煮卵に美味しい味噌汁が付く。この店の売りはパフェらしく、ランチよりもお高い。試しに一個、ブラッドオレンジとイチゴのパフェを取ってみたが、想像通りのお味。美味しい部類に入るが、、、、。
その後雑貨やさんを訪ねて行ってみたが、二人とも全く買う物が無い。わざわざここまできて何も交わずに帰るとは!てことで、その足で、観音寺の琴弾回廊に車を回す。多分そうなることを予想して、お風呂グッズは用意してきている。
長い長い道中は、我々親子の会話が続き、時々孫べえも入ってくる。で、今日はたまたま昨日読破した朝井まかて氏作「恋歌」について話し始めようとしたら、即刻ストップが掛かる。「良かったンなら、私が読むから説明はしないで!」と言うのだ。なので、ごく一部良かった所を話した。
この本が良かったと思えたのは、自分が多少短歌に首を突っ込んでいるからというのもあり、同じ感想を彼女がもつかどうかは分からない。
この小説の解説は女流書評家が書いている。この文章もとても良かった。ポイント突いていて無駄がない。この人の文章に次のような事が書かれていた。
「君にこそ恋しきふしは習ひつれ さらば忘るることもおしへよ」
伝統的な様式に則った歌子(中島)の和歌は、与えられた歌題で詠む「題詠」という手法を採っている。本編には登場しないが、この歌に添えられた題―というより説明に近い詞書きがこれだ。
「いひかはしける人の今は思ひ忘れぬといへりければといふことを題にて」
実在の歌人、中島歌子の生涯を、特に初めての恋からの人生を描いたこの「恋歌」作者がこれを書こうと思ったとき、この歌とお題があったのだ。雅な歌ばかりを詠んでいた歌子がほとばしるような恋の歌を詠んだ、その背景に興味が惹かれたらしい。
本当に、男は戦い、志に死ぬが、女はどう生き抜いたのか。
それにしても日本が大きく変わる時、水戸藩の内乱はかくもすさまじいものがあったのだと、驚くばかり。歴史の表舞台にその名を連ねることはないが、確実に彼らは戦ってはいた。ただ、戦う相手が同じ藩の者同士であった為、ニッポンのど真ん中で大志を振りかざしていた連中とは相まみえることはなく、生涯を終えた人が多かったらしい。彼らの死は無駄死にと見えなくもない。読後深いため息が出たことだ。