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2023年4月

2023年4月30日 (日)

これもリハビリ。

三越のオードリー・ヘップパーン写真展に行く。デパートは兎に角苦手。その上今日は人出がいつになく多い。普通には歩けそうになかったので娘に車椅子を押して貰うことに。お目当ての写真展は空いていてゆっくり見ることが出来た。この女優の出演作は結構見ているが、彼女の人生についてはそれ程知識が無かった。二人の男の子の母らしいが、63歳で亡くなるとは、美人薄命を地で行ったような人だ。最後の方では恵まれない子供達への支援をしていたらしいが、出演の映画の中にも、出身がベルギーだったためナチスに怯える経験があり、自身の経験に近い映画、「尼僧物語」に熱意を持って出演したらしい。

一時代を美しく駆け抜けた人生だったようだ。

帰宅して夫に告げると、予想通り昔のことを持ち出してきた。パリで彼女にすれ違いざま、「あなたはオードリーヘップパーンですか?」と英語で声をかけたらニコッとしてくれたというのだ。この話、娘をはじめ誰も信じてないんだが、、、。フフフ。

三越の地下で少々お惣菜もゲットして、早々に退場。明日は新しくできたイングリッシュガーデンに行こうと娘と約束。又雨らしいが、、、。ま、いっか。

2023年4月28日 (金)

睡眠に勝る良薬無し。

前回このブログをアップしてから既に4日も経っているとはおどろき桃の木山椒の木。毎日色んな事に追われて一応仕事もし、娘親子が夕飯を食べに来たり、とある所にご挨拶に出向いたり、振り返れば色々あった。そのせいで日にちの観念が怪しくなっている。その中でも、我ながら呆れるのは、かねてから気になっていた家の中の片づけ。重たいテーブルを動かそうと、その前にあった大きな椅子たちを取り除き、えっちらおっちらと動かした。大きな物はどうしても周辺にゴミも溜まっていて、まずはお掃除から。が、途中で心配になってきた。そもそも股関節の手術に相成ったのも、こうした家具の移動を一人でやったせいだった。まだ重いモノを持ってはいけない時期かも知れなかった。が、取りかかってしまったものをいまさら止めるのもイヤだった。なのでスピードを落として少しずつやっつけた。汗ばむほどの力仕事。終わってみると予想以上に良い空間になって、帰宅した夫が珍しく喜んだ。自分的にも気分スッキリ。当分良い感じに暮らせそう。

が、一晩寝たらアチコチ筋肉痛が出てきた。で、今日は一人で温泉に。まるで貸し切り状態で、少しは解れた感じ。こうしている間にもあくびが百回くらい出ている。さあ寝よう。

2023年4月24日 (月)

チョーチョー多忙な一日。

一昨日のパバロッティの映画の中で、幼い子供を残して先立つなら、その子供に何か言葉を残してやって欲しいと妻に言われるが、「言葉を残すと、子供がその言葉に縛られるから、何も残さない。どこまでも自由に生きて欲しいのが願いだ。」と語ったという。

実は、自分も子供達にそろそろ何か残しておこうかと思っていたので、これはとても参考になった。そうだよね。それでいい。良くも悪くも子供達は自分の人生を自分流に切り開いて生きていけば良い。そこで出会う困難も幸せも、全て自分のもの。人間、ある意味一人で生まれ、一人で生き、一人で死んでいく。多くの人に関わるが、最終的には一人だ。

 

昨日は友人と娘の三人で、かねてから行きたかった中華のお店に出かけた。無駄のない瀟洒な建物に入ると、瀬戸内海に面したウッドデッキからは間近に八栗山が見え、削られた岩肌が水面に映り素晴らしいシチュエーション。席について店内を見渡すと壁面一杯にK画伯の春夏秋冬という名の現代アートが掛かっている。聞いてみると東京にこのお店があった頃、NYから取り寄せたそうな。思いがけず画伯に遭遇したようで嬉しかった。

お料理はフランス料理にも通じる美しい盛り付けで、器も西洋風のものが多い。全てが懲りに凝ったもので、時間をかけて作られたものばかり。コースが終わる頃には三人とも満腹感で一杯に。でも別腹のデザートも美味しく頂く。大満足で女子会は終わり、友人を送ってから同窓生K氏の選挙事務所に向かう。途中同じく同窓生Mに電話してみると、10時過ぎにならないと何も分からないから遅めに行くと言う。じゃあ、とばかり近くのスーパーに車を止めて1時間ばかり仮眠。結局事務所に着いたのは11時という時間。既にMは着いていて、他にも同窓生が何人か集まっている。勿論地域の住民の人達も含む応援者達で事務所は既に一杯の人。結局1時過ぎにほぼ当確だろうということになり、バンザイ三唱してお開きに。第一回目からこうして集まっているが、まるでミニ同窓会。それを見た県外出身の人が、「Kさんは凄いですねえ。同窓生の方がこんなに応援してくれるなんて。なかなか無い光景ですよ。ホントに羨ましい。」と言う。まあひとえにK氏の人柄に寄るところが大きいだろうが。

帰宅したのは深夜2時過ぎ。流石にバタンキュー。それというのも、昼間は落語寄席の日で、さん蕎師匠のいつに変わらぬ凄い話芸を堪能して、おまけに会場入りの前に中央公園でアスパラ大騒ぎとかいうイベントをやっていてそれをちらっと見にも行き、ちぇちの元メンバーともバッタリ会い、会場では元会長にもバッタリ会い、少し話したり、、。

一日一件しか出来なくなっているアチクシとしたことが、メチャクチャ動いた一日だった。疲れがなかなか抜けていかないな~。

2023年4月22日 (土)

感動した!

 レクザムホールでの「パバロッティ」の映画は素晴らしかった。彼の一番良いときの歌が何曲も聴ける上に、彼の人生が実像と共に綴られていた。そのため、実際に彼が発した言葉も明瞭に残っている。一番琴線に触れたのは、「心にないことを歌えない。」と言う言葉。あれ程の技術者であっても、技術で歌は歌えないと言う。

そして、難しい離婚問題を抱えていた時、「例え心に苦悩を抱えていても、自分は歌い手として道化を演じる。」そう言って「道化師」の舞台へと出ていく苦しそうな顔。

これまで、何度も聴いてきた「トスカ」の中の「星も光りぬ」は嗚咽が出ないようにこらえながら聴いた。それは彼が「死」を意識していた事から来る説得力のある歌唱で、その時指揮者だったドミンゴが、「これまで聴いてきた中で最も素晴らしい」と、友人として心からの賛辞を送っていたのも印象的だった。

最初の結婚で女の子を三人持ち、最高の父親だった彼の事を、離婚した後も妻は言う。「辛くなかったとは言えないが、彼は他の人と違って、普通の上を行く人だった。」と死の床に手料理を運んだことを話す。

最後のパートナーとなった34歳も若い妻は、自分が難病になった事を告げたとき、「僕はこれまで君を愛してきたが、今は崇拝している。」と抱きしめたと言う。かくも優しい男性だった。純粋で、特別な存在だった彼の生涯。100年前のカルーソーと並び称されるが、本当に100年に一度の歌手だった。

印象に残ったエピソードの一つ。イギリスでの野外コンサートの日、猛烈な土砂降りに襲われた会場では、アリーナ席の人達が一斉に傘をさし、後ろの席の人達が見えないという事態が起こった。そこで、「傘を畳んでいただきたい」というアナウンスを入れる。すると、最前列にいたダイアナ妃が一番に傘を畳み周辺のおつきの人々にもそうするように促したそうな。それがきっかけで全ての人が傘を畳んで行く様子を見ていたパバロッティが、「皇太子のお許しが頂けるなら、次の歌はダイアナ妃に捧げたい。」と言い歌ったのが、「なんと美しい人。これまで見たことも無い。。。」というもの。これは彼女の外見をさしているのではないだろう。会場は割れんばかりの拍手だった。

これがきっかけで、彼はダイアナ妃とともに、年一回チャリティコンサートを実施。多くの恵まれない子供達に力を尽くした。「パバロッティ&フレンズ」というその会は、有名なロック歌手やポップス歌手を巻き込んで、凄い集客をしたという。

同行した友と話した事だ。「私たちの青春時代に、生の彼の声が聴けたことは凄い財産よね。」

確かに。

車中で余韻に浸りながら娘に電話。感動のお裾分けは新鮮な内が良い。イチイチ反応していた娘は言う。「今度パバロッティとポップ歌手が歌ってるあの曲を舞台で一緒に歌おうよ!」う~~~む。いつのことやら。

2023年4月21日 (金)

ライン。

近頃は普通のメールよりもラインでのやりとりの方が断然多くなっている。簡便さとスタンプ利用でなんとなく冷たい印象の文章でのやりとりがソフトになるせいだろう。

今日は、中一になった孫べえがスマホデビューしていて、母親と一緒の時にラインしてきた。鼻血でまっかになった自分の顔を送りつけて、「大事故の被害者」と書いてある。母親は騙されないだろうが、みっちゃんならと思って此方に送ったらしかったが、残念ながらこっちは運転中で助手席の母親が見て、「又鼻血~?」とさして驚くこともなく、平然と電話している。近頃時々こうして派手に鼻血だすのよねえ、と言いながら。

というわけで、孫の思惑は外れたが、しばらくはこうしてラインで遊ぶんだろう。ま、それも又楽しい。

その後買い物中には、娘のシャンソンコンサートに来てくれた、我が入院中の時にお世話になった看護師さんから長文の内容。コンサートで非常に感動したから必ず次も行くので知らせて欲しいとあり、ご家族が音楽をやっているのもあって、みんなで揃って行きたいと書いてくれている。あれから二週間も経っているのにいまだこうしたものが送られてくるのは嬉しい。

当の娘は次のプランを既に考え中で、車中ではもっぱらそれについての議論になる。ただ歌うのではなく、どうしてもお芝居を絡めたいのが彼女の希望。矢張り長年役者としてやってきた経験は捨てたくないらしい。確かに、そういう歌手がいてもいいし、そういう役者がいてもいい。ま、やりたいようにやれば?というのが此方のスタンス。

考えてみると、自分が長年やってきたオペラ自体がそういうものだった。ただ歌うだけでなく、それぞれが演技しながら、内容を深め広げて行ったものだ。

やっぱり蛙の子は蛙らしい。

明日は友人とパバロッティの映画を見に行く約束をしている。その前に美味しいお蕎麦屋さん。

明日も楽しいことがありそうだ。

2023年4月19日 (水)

友。

今日のリハビリはキツかった。初めて筋肉量を図り、その60パーセントの強さでの運動をマシンでやった。まずは筋肉量が、「れっきとした身障者です」の値。自分では、かなり快復したと思っていたが、矢張りそう甘いもんじゃなかった。しかも60パーセントに軽減してのマシン運動はヒーハー言うほどのもの。これは大変と思い知らされた。この可視化するというのは、自分のように何事も良い方に考えてしまう質の人間には効き目があるなあ。う~む。頑張らねば。

担当者は良く話しを聞いてくれて、アチコチ出歩くことは、ただ散歩するより効果が上がると言ってくれる。人間は目的があれば多少の無理もしてしまうからだそうだ。確かに。「美味しい店があるよ。」「良い景色を見に行こう。」なんてことで、気分が上がり、体も動くというわけだ。とにかく楽しい事をしながらだと、やる気も起きるし、きっとその分効果が出るんだろう。あと一月半が取りあえずの目標だ。

今、宮部みゆきの小説を読んでいるが、構成が面白いし、内容も大人の妖怪話で面白い。人間て、何故か怖いものに惹かれる。幼い頃、ひいお婆ちゃんと枕を並べて寝ながら、あるいは仏壇の前で、しょっちゅう怖い話しをして貰っていたのを思い出す。又そのお婆ちゃんは話しが上手かった。聞いている内にドンドン怖くなるのに、せがんでは何度も聞いていたものだ。そのお話の中には、知らず知らずに善悪の事があり、道徳があった。あれはお婆ちゃんの作り話だったのか?今読んでいる、分厚い本、「あやかし草紙」もそんな内容だ。

今、読書がマイブームになっているが、これも友人のお陰だ。

そういえば、今日リハビリでマッサージ中に、今日は友人から美味しいバリ料理のお店の話を聞いたと告げると、彼曰く、「そのお年でそういうお友達が沢山居るって良いですねえ。」と言われる。まあ確かにねえ。情報には事欠かない。

友人達。なんて有り難い存在か。必ずしも同窓生ばかりではないが、それぞれ色んな形で老いていく日々。別れの日までこの友情を持ち続けたいものだ。お互いどんな境遇になろうとも。。。。

ある時事詠。

今日は短歌の会誌が送られてきた。最近活字をよく読んでいるからか、誌面をスイスイと読めた。幾つか心に残る歌もあり、他者の文章の評論なども頷きながら読ませて貰う。中でも歌の中に、「はだしのゲン」について詠んだものがあり心底同感した。時事詠は難しいが、思いのままに詠まれていて、素直に共感できる。

 幾たびも「はだしのゲン」がこどもらの前より消さるる平和教育  MW

こういう問題が起きる度、どうして?という思いに駆られる。広島長崎の原爆被害は、何年経とうと忘れてはならないことだし、日本人ならなおさらであり、様々に形を変えて語り継がれなくてはならないことだと思うが、教科書から削除とは当の広島教育委員会のやることなのか?意味不明。

そして広島でのサミット。この地でやることには参加者にも意味のあることとして通じているはず。そのお膝元がこうでは本当に心許ない。

ドイツでは原発完全撤廃を実行した。出来るんじゃないか?やろうと思えばやれることなんだと改めて思う。一方で、そのドイツも意見が分かれ、国民が二分されているという。一度甘い生活を知ってしまった人間が逆戻りするには、相当なエネルギーが必要だ。

それにしても、地球上に多くの原発が存在し、ひとたびそれが事を起こすと人類は破滅するだろうことが予想される。この危険のリスクは次世代が引き継ぐことになる。

人間とは救われない存在なのか???ノアの箱舟の在るはずもなく。

2023年4月17日 (月)

嫌な事件。

人間は色んなことに慣れていく動物だと、つくずく思う。前回の元総理襲撃のニュースはもの凄い衝撃だったが、今回は自分も含めてそこまでのショックは受けていないかに見える。慣れたり、忘れたり、そうやって生きて行けるのが人間かも知れない。

ある解説者がコロナ禍の影響も上げていたが、どうなのか?もしそうであっても、妄想するのと実行に移すのではずいぶんな違いがあると思う。病んでいる若者、闇が深まっていくのを止められない若者が増えているのかも知れない。まだ何も分かってないが、近所の人や家族の前では良い子を演じていたようだ。だから、そうなんだ。人間は絶えず演じている。本当の自分を表に出すことが出来ずに日々を過ごしている人が多いのが現代だろう。もっとも自分をさらけ出しても良い筈の家族の前でさえ、それが出来ないのはこれ以上の不幸はないかも知れない。なんだか前回の若者の顔ととても似ていると思うのは私だけ?

今日は孫べえにわが家に積んであった娘の舞台道具を移動するお仕事をやって貰ったが、今はこうして素直に色々役に立ってくれているが、この先どうなっていくのか?兎に角不幸にだけはなって欲しくない。あれほど両親に愛されているのだから、きっと大丈夫だとは思うが、、、。それに私も居るし、、。でもねえ、、、。子供の子供なんて知らん!と思いたいけどねえ。

2023年4月15日 (土)

出歩くのもリハビリ。

今日も今日とて娘の車でお出かけと相成る。娘のお目当ての雑貨やさんは随分遠いところにある。なので、その近くでランチをと計画して善通寺まで出かけた。近頃流行の古民家を改装して今風なレストランにしている。やはり日本人だ。こういう雰囲気はどこか懐かしく、それだけで半分満足している。麦ご飯に豆腐のハンバーグ、筍の天ぷら、春野菜のおひたしやサラダ、煮卵に美味しい味噌汁が付く。この店の売りはパフェらしく、ランチよりもお高い。試しに一個、ブラッドオレンジとイチゴのパフェを取ってみたが、想像通りのお味。美味しい部類に入るが、、、、。

その後雑貨やさんを訪ねて行ってみたが、二人とも全く買う物が無い。わざわざここまできて何も交わずに帰るとは!てことで、その足で、観音寺の琴弾回廊に車を回す。多分そうなることを予想して、お風呂グッズは用意してきている。

長い長い道中は、我々親子の会話が続き、時々孫べえも入ってくる。で、今日はたまたま昨日読破した朝井まかて氏作「恋歌」について話し始めようとしたら、即刻ストップが掛かる。「良かったンなら、私が読むから説明はしないで!」と言うのだ。なので、ごく一部良かった所を話した。

この本が良かったと思えたのは、自分が多少短歌に首を突っ込んでいるからというのもあり、同じ感想を彼女がもつかどうかは分からない。

この小説の解説は女流書評家が書いている。この文章もとても良かった。ポイント突いていて無駄がない。この人の文章に次のような事が書かれていた。

 

 「君にこそ恋しきふしは習ひつれ さらば忘るることもおしへよ」

伝統的な様式に則った歌子(中島)の和歌は、与えられた歌題で詠む「題詠」という手法を採っている。本編には登場しないが、この歌に添えられた題―というより説明に近い詞書きがこれだ。

「いひかはしける人の今は思ひ忘れぬといへりければといふことを題にて」

 

実在の歌人、中島歌子の生涯を、特に初めての恋からの人生を描いたこの「恋歌」作者がこれを書こうと思ったとき、この歌とお題があったのだ。雅な歌ばかりを詠んでいた歌子がほとばしるような恋の歌を詠んだ、その背景に興味が惹かれたらしい。

本当に、男は戦い、志に死ぬが、女はどう生き抜いたのか。

それにしても日本が大きく変わる時、水戸藩の内乱はかくもすさまじいものがあったのだと、驚くばかり。歴史の表舞台にその名を連ねることはないが、確実に彼らは戦ってはいた。ただ、戦う相手が同じ藩の者同士であった為、ニッポンのど真ん中で大志を振りかざしていた連中とは相まみえることはなく、生涯を終えた人が多かったらしい。彼らの死は無駄死にと見えなくもない。読後深いため息が出たことだ。

2023年4月14日 (金)

飲んで食べてお花見の幸せ~。

夕べ、孫べえの誕生日とあって、新しく出来た焼き肉やさんに誘われ二つ返事でOK。夫は丁度会議で夜ご飯早めに済ませて外出。これは双方にとって好都合。最近全く堅いものが食べられなくなってきた夫は、たださえ出不精な上に食べる物が無いという情けない状況に。

で、4人で出かけて、久しぶりに生ビールとお肉を堪能した。運転は婿殿で、気の毒ながら、娘と二人るんるん。このお店はタンがメインだったが、サイドメニューも豊富でなかなか楽しめた。「リピートあり!」とみんなで確認して外へ。その時点で9時ごろだったが、次々と車が入ってくる。世の中が正常に戻ってきた感があるなあ。

その席で、「みっちゃん、明日僕とデートしませんか?」と婿殿に誘われてノーと言う訳がない。相変わらず優しい婿殿は、私が足に合う靴を探しているという噂を聞いて、寒川町の工場まで行きましょうと言うのだ。自分も欲しい物があるので、という事だったがまあお付き合いだろう。

で早速今日出かけてきた。ナンとか欲しい物に巡り会えてその足で最近話題のおうどん屋さんに立ち寄る。既に一杯の人で入る前から美味しいのがわかる。で、二人ともかけうどんを注文。トッピングも少し。お出しがとても優しい味付けで、二人とも大満足。麺の量がちと多いとは思ったが、働き盛りには丁度良いのだろう。

で、そこから娘に頼まれた買い物をして、婿殿の提案で、岩田神社というところに行ってみた。なんでも明日から「藤祭り」らしく、道案内の為か大きなのぼりがそこかしこに出ている。香西にあるこの神社は全く知らなかった。肝心の藤の花はまだ8割といったところだったが、満開になれば凄い花だろう。アニメ「鬼滅の刃」で何かがヒットして急に人気になったらしい。こういう説明は全く頭に残っていかないなあ~。

境内に「高松の木」と書かれたのがあり、その木の名前は、「いすの木」知らなかった~。出かけるとなにかしら 発見があるなあ。

2023年4月12日 (水)

病院参り、今日も。

疲れが取れないばかりか、ますますど~んと我が身に押し寄せている感じ。夕べは目眩で眠れず、今朝は遂に脳外科にMRIを撮りに行く。全く患者の顔を見ないで、カルテとパソコンのみを見て、「ああ、年ですからねえ。色んな事が起きますよ。まあ、目眩の状況とか脳の状態とか検査はしますけどねえ。」とあまりに素っ気ない。この先生夕べ夫婦喧嘩でもしたのか?とか思いつつ、出来るだけ朗らかに返事する。内心は、「せめて顔を見て喋りなさいよ。」のこころ。

が、確かに言われたとおり脳に異常は全く無く、バランス感覚も大丈夫とのことではあり、何も文句を言うことはないのだが、、、、。ムムム。

で、午後からはリハビリ。年を取るとやたらお金が要る。なあ

で、我々夫婦の結論としては、娘のコンサートでチョイと無理をしたのが祟ったのだろう~で、チョン。何をしても体に応えるようになっているのだろう。ううう、情けない。

昨日の中学の入学式の時の写真を見ると、学校の塀よりも背が高くて驚く。孫べえの友人達もみんな大きい。これまでの友人と同じクラスになれたとかで、親子共々ホッとしている。難しい年齢だ。何事もなく順調に過ごしてほしいものだ。

わが家のキッチンのテーブルの上でお風呂に入れていたあの孫が、信じられない早さで大きくなった。イコールこっちも年取ったわけだ。目眩くらいで済んで幸いな方だろう。

ま、加齢に負けずに頑張ろう。

 

2023年4月10日 (月)

コンサートのある旅路。

又一つ旅が終わった。という感じ。娘のシャンソンコンサートが無事終了した。準備から練習、段取り全て順調に終えて臨んだが、なんといっても本番は緊張する。自分自身年取ったなあと、会場での緊張と疲労感につくずく思う。「お母さんはもう歌われないんですか?」という複数のお客様からの質問に曖昧に答えつつ、チョットもうエネルギー不足かな?と考えている自分がいる。驚いたことに23年前にとある結婚式で歌わせていただいたことがあり、その時の新郎のお母様から声をかけていただいた。他にもある画伯のパーティで歌ったのを記憶してくれていた人もいて、あらま、てなもんだ。「蛙の子は蛙で同じような事をやっております。」と答えておいたが、よくぞ覚えていてくれたものだ。

コンサートは期待以上の出来だったと思う。PIANISTも此方の要望通り、というより、それ以上に乗りに乗って演奏したし、歌う娘もしっかりと表現出来たと思った。出口で送り出しの時に殆どの人から次回もお誘いくださいと言われ嬉しい限りだった。今回コラボして下さった画伯も大興奮で、娘とハグして大絶賛して下さったのは嬉しかった。

そして一番は「ひまわり」で多くの方が真剣に耳を傾け、涙涙の場面があったこと。これは心底ホッとした。何日もかけて構成を考えて、PIANISTと共に練りに練った編曲だったのだ。そして役者の娘の朗読が真に迫り、あの映画を彷彿とさせたのだろう。一口に「反戦」を歌うと言っても表現如何ではしらけたり反感を買うだけになる。聴く人の心の奥にまで届くものになったようで、これは本当にやって良かった。お客様の中に短歌の会から若い女性達や友人達がたくさん来てくれて、シャンソンは初めてだったけど好きになりました、凄い表現力に驚きましたと 口々に涙目で言ってくれたのも嬉しかった。

そして二日目の昨日の終演後は、手伝ってくれたスタッフとの打ち上げも和気藹々、楽しいものになった。公演の成功はこういう人達に支えられてのものだ。有り難い事。

が、もうもうエネルギー切れ。山ほどの大道具をこちらの車に積み込んで、帰宅してからは何もする気が起こらなかったが、もっと疲れているはずの娘が追っかけてやってきて、車からそれらの荷物を家の中へと運び込んだのには驚いた。流石に裏の二階までは無理だったが、舞台が上手く行って気分が高揚していたのだろう。二人でお茶で乾杯して午前様になる前に帰って行った娘を見ながら、その背中に声にならない声で声援を送ったものだ。よく頑張ったね!

とにかくこの日はメチャクチャなスケジュール。朝は母の三回忌。しかも、よりによってこの日しか空いてなかった業者が家中に手すりをつけにやってきた。夫が留守番に回り、こちらは娘が迎えに来た車に乗って出かける。そして選挙を済ませて、公演の準備。予定時間の午後2時半に現地到着。そこから終演ごの打ち上げの10時過ぎまで怒濤のように過ぎ去った。

で、今日は朝寝して、夕食前にはお風呂を済ませとっとと寝るつもりが、明日が入学式だという孫べえと再びやって来た娘。昨日がお婆ちゃんの三回忌だったけど、本当は今日亡くなったから、晩ご飯一緒に食べようと、ワケワカメの理由を言って結局一緒に食べる。おみっちゃん、甘いな~。

2023年4月 6日 (木)

なんだかねえ。春だのに~。

とっくに治ったとばかり思っていた良性発作性頭位めまい症が、リハビリ中に突然現れた。上向きの状態から横向きにと指示された途端、窓ガラスの桜の木がぐ~るぐると回り始めた。思わず目をつぶってしのぎ、理学療法士に告げると遠慮無く言ってくださいと言われる。帰宅してからレッスンを終え、小休止と椅子に座った途端またもめまいが出現して、これはやばいとリクライニングに横になり本格的に昼寝。なんとなく不安でネットで調べても、自分のケースがどれに当てはまるのか本当のところは分からない。となると又病院かあ~。イヤだなあ。

昨日全国ニュースで高松が25度という夏日になると流れたが、確かに今日はレッスン中にクーラーなしでは無理だった。この気温の変化や気圧の変化も禍してるのかも。

が、声にはこの気温は良いようで、レッスン生のOさんは殊の外良い声で歌ってくれた。声にストレスがないと素直な良い歌唱になる。そして表現も自由になり、良いことずくめ。気持ちよく歌えたら、気分も良くなってOさんはるんるんで帰って行った。11月にコンサートを予定しているが、素晴らしいことだ。まあ、自分のお役目としては、本人の持っている最も良い声を引き出し、隠れた表現力を育てることだと認識しているが、本人のやる気の継続が最も大切な要素。

歌は良いなあ。

それに引き換えニュースは暗い。今夜はウィシュマ・サンダマリさんの死の経緯について流れたが、この件はどうしても理解出来ない。何故日本の国内でこのような残酷な事が起きるのか。矢張り自分たちの知らない闇の部分がまだまだあるのだろう。

知ることは大切だ。

2023年4月 5日 (水)

うば桜、まだ散らない。

連日娘と孫が夕食にやってくる。三日続くともう大変。体力が如何に乏しくなっているか思い知らされる。まあそれでも曲がりなりにもやれていることを喜ぼう。

こないだ美味しいよもぎ餅を作って届けてくれた人が、今日は自宅のプランタン栽培での収穫物を持ってきてくれた。いつも感心させられているが、この方は独特な思想の持ち主。人が無駄と思うものを再生利用して、前よりも立派なものに変身させるとか、勿論自分の衣服類は殆ど手作り。今日持ってきてくれた野菜もユニーク。やけに葉っぱが長いタマネギだと思ったら、わざとそう作っているという。白い部分だけ食べるのがどうも気に入らなかったらしく、タマネギ部分を小さくして葉っぱも一緒に食べるのはどうだろうと工夫してみたというのだ。それに立派なレモンも。これは洗って冷凍しておくと何にでもすりおろして食べられるから重宝だという。早速試してみている。ラディッシュも生き生きしていて、とにかく全てプランタンで作るというのが凄い。この方はまるで主婦の鏡。いろんな生き方があるなあ。

昨日は、友人二人と桜を求めてドライブしたが、お目当ての小高い山は荒れ果てていて、僅かに残り桜がちらほら咲いているのみ。やれやれ。見に来た我々も姥桜でござい、ってね。もの凄い狭いくねくね道をするすると運転して友人に褒められたのが収穫か。しかし、本当の収穫は久しぶりに立ち寄ったテアトロン。美しい瀬戸内海の海を背中に変わらない美しさでそこにあった。足がこんなでなければ下まで降りて、一声歌ったかも知れないが、そういう思い出話しをしただけ。この日、殊の外美しい海だった。時々はこうした時間も欲しいよねえ、とつくずく話す。

車の中では例によっていいそこ間違いのオンパレードで爆笑に次ぐ爆笑。みんな認知症になるかも知れないという不安を胸に、全て笑い飛ばしているだけだ。が、先日偶然見たというか聞いたテレビ番組では、認知症を恐れるだけではなく、それと共に生きるという選択を推奨していたが、確かにそうかも知れない。昨日も癌のことが取り上げられて、矢張りウイズ癌という考え方を取り上げていた。怖がってばかりいても仕方が無い。したたかに生きる道を探すべきだろう。

明日はリハビリ二日目。ガンバロ。

2023年4月 3日 (月)

坂本龍一の早すぎる死。

例え有名人でも、自分より年下の人の訃報には衝撃を受ける。坂本龍一、この人の死もショックだった。この世でどれほどの偉業をなし終えたとしても、必ず死は訪れるということを、当たり前ながら思い知る。

そして今日はロシアのプーチン側の評論家が爆破テロで死亡したというニュースが流れた。26歳の女性がその首謀者として逮捕されているが、大将の首を狙わないでどうするんだろう?という疑問が湧いた。まあ大物はガードが堅いのだろうが、、、、。基本的にはこういったテロは目的如何に関わらず嫌いだが、これしか手段がないところまで国内は行ってるのかも知れない。色んな情報がネットにも飛び交っているが、実際はどうなのか?ウクライナの崩壊は時間の問題だとするニュースもある。そんなのあり?こんなに人間の知恵って浅いんだろうか?昨日はNHKで働くウクライナ出身女性が取り上げられてて思わず全部見ることになったが、気の毒でもらい泣きしてしまった。戦争前と今では同じ日本での生活でも日本人を見る目が随分変わったと言われて、自分が言われたような気がしてぎくっとなった。「日本人は、どんどんウクライナのことを忘れて行ってる。」と言うのだ。忘れているわけではないが、確かに連日のように映像に流れていた戦地の様子を見ることも殆ど無くなり、ニュースとして時折、それも短時間だけ見るようになっている。彼女と同じでは絶対無い。

そりゃあ、自分なりに色々やってはいる。今度の娘のコンサートでも、映画「ひまわり」を 取り上げて、元々の反戦歌に留まらないしっかりした構成のものに作り直して演奏することにした。この曲に朗読を採り入れて、より「戦争の悲劇」について表現することとしたのだ。これを言い出したのが娘だと言うことが母親の自分に取っては嬉しい。完成させるまでにいくらかお手伝いをしたが、ピアニストの試行錯誤も相まって、なかなか良いものに仕上がったと思う。

この映画の舞台が当時のロシア領ウクライナの州であり、ひまわり畑に一面花が咲いていたのがポスターにもなっている。こんな映画を合作で作った時代もあったのに、何故悲劇は繰り返されるのか。

今日も仕事帰りにやって来た娘はヘロヘロになりながらも発声練習をして帰った。仕事、子育てを抱えながらもこうした活動が出来ているのは、そこにやる事の意義のようなものを感じているからだろう。

今日は昼間新しい理学療法士によるリハビリに行ってきた。今度の彼もとても良い感じ。帰り際、「必ず良くなりますから、僕に任せてください。」ときっぱり言ってもらえたのが嬉しかったなあ。ガンバロウ。

2023年4月 1日 (土)

なんちゃって歌会。とか。

今日の歌会は初めての会場での対面歌会。実はそこにたどり着くまでに、古い古い大型テレビをリサイクルセンターまで持って行くというお仕事があり、少し早めに出て、迷いながらもなんとか目的を果たした上での到着。何事もギリギリに計画するタイプにしては、1時間も早くビルに到着。まあ丁度お昼時でもあり、10階のカフェに入ってみる。殆ど客はいず、座り心地の良さそうなソファに陣取る。が、余り満腹も脳に血が回らないと行けないと思い、サンドイッチと珈琲、だけにしとこうかと思ったが、メニューを見ているとやっぱりクリームあんみつも食後にと、ウエイトレスに向かって唇が勝手に動く。これが意外と美味しくて、何かの時はリピートありと思ってみたり。。。やがてご予約席というプレートが並んでいる席に自分と同じくらいの女性が二人で着席。聞こうと思わなくても聞こえてくる距離。毎月恒例の集まりだったのか、しきりに来ない人達のことを話題にしている。その内待ちきれなくなってか、次々と電話をかけ始めるが、どうも悉く怪我だの病気だので、行けないと言われているらしい返事の声が聞こえてくる。電話の間にはあの人は骨折したとかこの人は病気だとかの近況が話題に上っている。聞けば聞くほど自分の身に浸みるお話。しかも、こっちはその人達の眼前を杖を突いて退散だ。「あの人も気の毒にねえ。」と言われているだろうことと察しが付く。やれやれ。

 

対面歌会は本当に久しぶり。今回は司会を仰せつかり、時間の配分を気にしながら進行したが、終わってみると、ナント一時間も早く終わったと言われる。ネット歌会の時間が2時間だったので、対面もそうだろうと自分勝手に解釈していたわけだ。中には3時間と思っていたらしい人も居たが、こっちは次なる用事で帰るほか無い。皆さんにお詫びしつつ解散。イヤハヤイヤハヤ。こんなアチクシに司会を振らない方が良いと思いますけどねえ~~。グスン。。

それにしても生顔、生笑い、生発言はやっぱり魅力的。ネット歌会に随分慣れてきたとは思っていたが、やっぱりこうした対面歌会には及ばないなあ。全てがストレスフリー。師匠のきつ~いご指摘も、どこか柔らかく聞こえるから不思議だ。

人間同士の会話とは、不思議なものだ。発言の内容の、周りに漂う空気感も十分発言を補助している。

 

帰宅すると既にPIANISTと娘が最後の練習に取り組んでいる。水を一杯飲んでピアノの部屋に移動。そこからは集中して練習だ。5時に終わったときにはヘロヘロ。もう一日に幾つもがこなせなくなっている。

 

恐ろしい勢いで時間が過ぎていく。。。

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