老害ねえ。
めまいの病名が、良性発作性頭位めまい症だというのを、覚えるのに時間がかかった。これも認知症予防のために必死で覚えたものだ。ただでさえ、毎日毎日、排尿や排便の回数、食事の進み具合などチェックされていて、薬の準備なども間違いなくやるよう言われるのも、矢張り認知症チェックだろうが、あんまり嬉しいものじゃ無い。
友人が又又どさっと本を差し入れてくれた。その中に、「老害の人」というのがあり、難しい本の合間に開いてみると、早速面白い文章が目に飛び込んでくる。「老人が、若さや頭脳や分別を自任したところで、たかが知れている。それより、自分が『老害の人』ではないかと、時々考えるべきだろう。」とある。これは常々自分も考えているところだが、こうして正面切って言われてしまうとムムム、、となってしまう。まあ、毒舌家の内舘牧子女史の作品だから歯に衣着せぬ言い回しでさぞかし面白い事だろうと思っている。最後まで読んで自分がどういう感想を持つのかが興味深いところだ。
こうして病院で日常と全く違う暮らしをしていると、色々考えてしまう。日中多くの時間、外を眺めているのだが、意外と近い屋島や、マンションや民家などの建築物は、百年後も同じ形でそこにあるだろうが、その中に暮らす人々も、周辺を歩く人々も、いわんやボンヤリとこうして外を眺めている自分も、そこにはいないという事実。、、、そんなこと考えてるからめまいが起きたのか?実際、めまいが起きてもおかしくないテーマだ。
実は夕べはよく眠れず、矢張り睡眠導入剤のお世話になった。自宅での「眠れない」と病室でのそれでは大いに違う。見回りに来た看護師さんがベッドに起き上がっているのをみて、例によって、「ビックリした~」と言うので、ついでに首筋に湿布をお願いした。これは少しは効果があったようだ。午前1時には眠りに入ったようだ。そもそもが夜型なので、9時に寝るのはなかなか大変。友人は、ラジオが良いわよ、と言ってくれるが、今宵はそれも試そうか。眠れないときは、無音で目を閉じていて、それがダメなので、音楽をかける。それもだめなので、朗読をタイマーにして聴く。それもダメなので、又無音に。。。。の繰り返し。無音と言っても、完全な無音では無い。むしろ静かだと病院内の色んな音が鮮明に聞こえてくるものだ。一番は空調。看護師さん達の作業音。入院患者の出す色んな音。。。ま、快復してきた証拠だろうが。
ガマン我慢だ。