浮いたり沈んだり。
自分ながらかなり順調にリハビリが進み、退院間近と思っていたが、昨日のリハビリ中に突然の痛みに襲われ、自室に帰るには理学療法士のM君に付き添われての無残な姿。M君も首を傾げるばかりで原因がさっぱり分からない。ベッドに倒れ込み、静かに考えてみると、どうも靴が原因じゃないかと思えてきた。入院以来使用しているぺったん靴は軽いし通気性は良いし、かかとを踏んでも又元に戻るし言うことなしの優れもの。ずっと愛用していたものだが、流石にもう日常で履く靴に変えないと不味いだろうと、ここ数日廊下を歩くのも外を散歩するのも全て履いてきたものを使用していた。ところが、どうやらそれをするには少々早かったようで、昨夜看護師さんとも話したことだが、彼女がチェックすると靴底が堅過ぎる、と言う。「これでは、私でも足が痛くなるかも。」なるほど、これが原因だったかと納得。その時点から元に戻してみると確かに痛くない。今朝のリハビリもそう告げて前のでやってみると全く痛くない。矢張りこれだったかと納得するばかり。M君もよくよく調べてくれて、治療専用の靴の試着させてくれたりと大変だ。矢張り、まだまだなんだと納得。しかし、この一件で、昨夜は又眠れずに看護師さんから同情されたりと色々ある。曰く、「旦那さんにどこで買ったか思い出して貰ったら?私も欲しいわ。」と言われても、夫はさっぱり思い出さないらしい。いやはやいやはや。
と言う具合で、一歩進んで二歩下がる式の私の状態。
日曜日に自主練で歩いていて、偶然一緒になった高齢の女性が、「私も色んな病院に行ったけど、ここの食事のように不味い所は無かった。無理に食べたら戻しそうになって困った。」と言う。しっかりコンビニで色んなものを買ってきては食べているとか。聞けば50日近く入っているという。まあ、確かに気持ちの持ちようで、痛い痛いの時は食べ物にそれ程執着も無かった、が段々良くなってきて、欲というか、我が儘というか、食事に関心が高まってきているのは事実だ。自分自身もお米が喉を通らなくなることがたまにある。味の無い野菜のおひたしとか、今朝のパン食のハムらしきものとか、元々苦手な魚の料理には正直ウンザリしては居る。が、そういうときはシリアの震災地の人や戦地の人々の事を考えることにしている。食べられるだけでどれほど恵まれているか。
と言いつつ、退院の日は帰りに山田うどんの美味しいのが食べたいと、夕べはお嬢に約束して呆れられた所ではある。煩悩とはかくも扱いが難しい。