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2023年2月

2023年2月28日 (火)

AIは脅威か?

当たり前ながら、病院生活と違って日々変化のある暮らしは、これぞ生きている証拠ってなもんだ。少しずつ家の片付けや掃除が進み、ようやく落ち着いてきた。ほんのそこまでだが散歩にも行き、途中知人にも出くわす。労いの言葉をかけていただくと途端に病人になる。でも、おぼつかない足取りながら杖に頼りっきりにならない歩きも少し距離が伸びたかと思う。リハビリ中の病院では随分褒めてもらえたのだが、シャバの道路はまだ無意識に歩くほどキレイではない。慎重な上にも慎重にと気をつけている。

美味しいうどんが食べたいと念仏を唱えるように退院してからつぶやいているのに、未だにかなえられてない。今日も某うどん屋さんに夫と行ってみたがイマイチ。が、夜ビールは初めて飲んでみたら、これが美味しい。良かった。アルコールの味も分からなくなったかと心配していたが、今の所それはない。良かったあ!

今朝の羽鳥モーニングショーで興味深い話題があった。AIに命令して文章を作らせるというもの。かなりの所まで文章が書けるし、同じテーマでいくつものパターンを提示させることも出来る。将来的には小説も書かせることが出来るという。今現在ではまだ突っ込みどころが残るが、それも時間の問題だろうという。ということは短歌も俳句もAIの方が上手い、ってな時代がくるんだろうか?

夕べはNHKで俵万智が「プロフェッショナル」で紹介されていたが、一つの言葉を紡ぐのに6時間もかけているのを思うとムムムな話題だ。彼女は生活の中から言葉を編み出しているが、AIにはそれが無い。無いにもかかわらず驚くような表現が出来たりする。それは勿論、無限大に沢山の人々のものが合わさっている中から出てくるもので、AIが作るものではない。が、くしくも玉川氏が言ってたように、そもそも人間だって、自分が編み出したものだけで作品を作るわけではない。その知識などは、全て長い時間をかけて自らの血となり肉となったものを使って文章なり小説なりを作っている。AIとなんら変わらない、とも言える。およよよ。。。どんな時代が来るのか?

 

2023年2月26日 (日)

似合わない生活、、、

退院後初めて運転してみた。乗り降りで色々ギクシャクはあるものの、まあ大丈夫か。一つ一つ色んなものを取り戻しつつある。今の所次のステップには行けないが。。。一番困るのはお風呂。滑るのが怖くて、、、夫が心配して声をかけるほどの長風呂になってしまう。まだ背もたれのある椅子とかが届いてないので、とにかく事故を注意だ。プールでリハビリと言ってもお嬢の付き添い無しでは無理だろう。当分はヘルプミーの生活。致し方無い。全て受け入れて慎重に過ごす他ない。

病院生活の後遺症?で早くから眠い眠い。これを機会に早寝早起きに切り替えるかな?、、、似合わないが。

2023年2月24日 (金)

娑婆の味は蜜の味。

帰った途端お祝いのアレンジ花やフルーツやケーキまで届き、幸せ~な気分。が、退院時に、「太らないで」と釘を刺されている。少々後ろめたいながら早速頂く。たまたま来ていた友人Mに半分お持ち帰りいただいたが、健康体ならもっと食べたかった程の美味。我が留守中にさんざん夫の面倒を見て貰ったMには、感謝しても仕切れない。ちょいと夫を甘やかせすぎのきらいはあるが。。。

このケーキ、聞いたことのないお店だったが、近頃こういうお店が沢山出来ているらしい。それぞれにご贔屓すじが出来るんだろう。そういえば何ヶ月ぶりだったろうか?ケーキを口にするのは。こんなに美味しいものだったのだ。

ってな具合で、退院後はリハビリもさることながら、襲ってくる美味しいものを如何に少なく頂くかという闘いに突入だ。

にしても、家のご飯は美味しいな~。グスン。

退院時に短歌を今の内にお詠みなさいとのお達しがあったが、考えることが多くてとてもじゃないがむりだった。それこそ「立つ鳥跡を濁さず」のためにやることが多すぎ。来月のお題「鳥」に格好なタイミングだったが。。。

ま、ぼちぼち。。。

娑婆の味は蜜の味。

帰った途端お祝いのアレンジ花やフルーツやケーキまで届き、幸せ~な気分。が、退院時に、「太らないで」と釘を刺されている。少々後ろめたいながら早速頂く。たまたま来ていた友人Mに半分お持ち帰りいただいたが、健康体ならもっと食べたかった程の美味。我が留守中にさんざん夫の面倒を見て貰ったMには、感謝しても仕切れない。ちょいと夫を甘やかせすぎのきらいはあるが。。。

このケーキ、聞いたことのないお店だったが、近頃こういうお店が沢山出来ているらしい。それぞれにご贔屓すじが出来るんだろう。そういえば何ヶ月ぶりだったろうか?ケーキを口にするのは。こんなに美味しいものだったのだ。

ってな具合で、退院後はリハビリもさることながら、襲ってくる美味しいものを如何に少なく頂くかという闘いに突入だ。

にしても、家のご飯は美味しいな~。グスン。

退院時に短歌を今の内にお詠みなさいとのお達しがあったが、考えることが多くてとてもじゃないがむりだった。それこそ「立つ鳥跡を濁さず」のためにやることが多すぎ。来月のお題「鳥」に格好なタイミングだったが。。。

ま、ぼちぼち。。。

2023年2月22日 (水)

そろそろは~るですねえ。

いよいよ明日退院となり、これから荷造りに入る。先ほど最後のリハビリをやってもらい、担当者と記念写真を撮り、賑やかにお別れした。何度か関わってくださった他の理学療法士さん達も皆さん声をかけてくださる。総じて若い。

自室に帰るとこれまでの疲れがドッと出たように感じる。長かったな~。なんでも今日明日で退院の人がやたら多いらしい。「日が良い」とか。大安だろうか?そういうの全く気にしないアチクシとしては、へええ~てなもんだが。

とはいえ、まだまだ退院は難しそうな人も沢山居る。どうぞ、早いご快復を!の心。

 

毎朝向かいのマンションのアンテナに三羽のトンビ?が止まっていて、6時にカーテンを開けると必ず目に入る。今日のように好天だと悠々と青空を背に弧を描いて獲物を探す様子が見えて、なかなか面白い。写真に撮ろうとしてもどうしても撮れない。写真家は一瞬を狙ってタイミングを待つんだろうが、その根気と技はなく、ぼんやりと眺めるだけだ。気の利いた短歌も詠めず、、、、。

今日はそのマンションに引っ越しトラックが止まっていて、看護師さんに聞くと賃貸マンションらしい。そろそろ転勤の季節だなあ。イコール春か。

春ねえ~。

2023年2月21日 (火)

みっちゃん、雲に乗る?

いよいよ今日と明日の二日間だけの病院生活となった。午前中のリハビリをみっちり終え、部屋に戻ると汗が噴き出る。丁度看護師さんが来たので頑丈な窓を開けて貰うと、外は快晴でそれ程寒くもない。一気に幸せ感が漲ってくる。とうとうあの世界に戻れるのだと外を眺めて感無量。そして、今日のリハビリは最終チェックみたいなもので、理学療法士Mくんからお褒めの言葉を貰う。いやあ、本当によくして貰った。術後間もない頃からでは人が変わったかと思うほど、自分の鏡の顔も違って見える。「こうでなくっちゃ!」と我と我が身に言い聞かせ、あとは二次災害に遭わないためにともかく慎重に生活していかなくては、と改めて思っている。

自分が退院するという目でリハビリルームの人々を見回すと、色んな過程の人がいることに気付く。術後間もない人もいれば、もうすっかり良くなって最後の仕上げ的な人もチラホラ。半分くらいの人は、きっと相当長くかかるんじゃない?と思うような人だ。そういう人々に一人一人丁寧に付き添って、言葉をかけ、手を取り足を取りリハビリに当たっている人達、理学療法士というお仕事はこれからの時代にとても重要な仕事だと思う。高齢化の世の中、元気で高齢という人ばかりではない。むしろそうではない人のほうが多いかも知れない。そうした世の中で彼らのお仕事はとても重要な役割を果たすだろう。見ていると体のリハビリにとどまらず、全員が心のリハビリに力を注いでいる。かくいう自分自身も、それで大いに元気づけられた。

看護師に関するアンケートというものが届いた。今後の病院をより良くするためのものだと書いてある。が、自分としては何も言うことがなく、オール5だった。むしろ手厚すぎて今世界で起こっている医療崩壊を思うとき、なんという贅沢なこと!と日々感心していたくらいだ。日本の医療体制はこの田舎においても素晴らしいと身をもって実感した。

今日は新人らしき見習いの様な若い人がメモ帳を手に先輩達の仕事ぶりを観察していたが、彼女も逞しくも優しい看護師として成長していくんだろうと眺めたものだ。

個室というのは必然的に誰かと喋る機会が少ないものだが、入れ替わり立ち替わり入室してくる看護師他、衛生士、ドクター、レンタルの人、お掃除の人達、時には看護師長の訪問もあり、結構色んな人と話す機会はあった。黙って処置して帰る人は殆ど居ない。ここにもこの病院の血の通ったシステムがある。

今回、二人ほどこの病院を紹介してくれての決断だったが、確かに経験者に聞くのは良い。おそらくは自分だって誰かに尋ねられたら同じように紹介するだろう。

 

とはいえ、

これ以上長居はしたくない、というのが本音だが、、、。ふ。

2023年2月20日 (月)

友は京都に梅見遊山の日の私。

久しぶりに書いたものが消えるというアクシデントに見舞われて、今日は止めようかと思ったが、実はただ今顔にパック中。これが吸収されるまでに少々手持ち無沙汰なので、別の形で入力して貼り付けようとしている。イチイチ面倒なので、しばらくこういうのはやってこなかったが、矢張り必要な事だったか、残念無念。

この病室の乾燥は酷い。普段自宅ではめったにしないこうした潤いマスクもとてもじゃないがやらないとお肌ボロボロになりそう。持ち込んだニベアも間もなく一本空になる。看護師さんが傷口のためにも塗った方が良いですよ、とアドバイスしてくれて以来毎日欠かさずおみ足にも塗ったくっているが、直ぐに乾く。その分室温は常時22度にしてあって、寒さ知らず。帰宅したらまだまだ寒いらしいが、どうなることやら。

 

今日リハビリに行く途中で小柄なお婆ちゃんが理学療法士に付き添われて移動中とすれ違う。「もう死んだ方がましや」「とうに死んどってもおかしない年なんやから。」と繰り言のオンパレード。聞く方も返事に困っている。まあ、確かに自分の意志でここに来ているとは限らない。事故で運ばれたかも知れないし、家族の思いだったかも知れないが、予想外に辛いってことだろう。気持ちは解らないでも無いが、彼に言っても始まらない。それを聞きながらリハビリ室に入ってこちらはいつもの様にマッサージから入り、ストレッチや関節運動などのメニューをこなす。退院後の過ごし方や自宅でのリハビリについても詳しく指導してくれるが、さて、どこまでできるものやら。最後に自転車も使わせて貰った。たかだか10分だが、気分は爽快。すっかり直ったかのようだ。このように、使う場所によっては普通なんだが、ひとたび痛みのポイントに作用するとさっきのおばあさんじゃないが絶望的になる。そういうことがあると、暫くは不安に支配される。このまま帰宅して、本当にちゃんと暮らせるのだろうか?又又ここに逆戻り、なんてことにならないのかしら?等々。

兎に角今日の予定は全て終えたので、一階のコンビニまで出かけて、念願のアイスクリームやブドウジュース、グレープフルーツのシロップ漬けなど購入。急ぎ自室の冷蔵庫へ。勿論アイスクリームは適当に溶けるまで置いて、ゆっくり味わう。上手く誰も入ってこず、晴れた外の景色を眺めながら舌鼓。人間、不自由ななかにこそ喜びがある。な~。

 

2023年2月19日 (日)

あ~めは降~る降~る~屋島~のみ~ねに~~

病院の名誉のために訂正しておこう。昨日の騒ぎは予想とは違って、これまでのパソコンを一斉入れ替え的な事をやっていたらしい。そしてナースが各部屋に持ち込んでくる機器もこれまでと違いiPhoneに代わったらしい。なんでもこの病院はこういう先進的なものをいち早く採り入れるらしく、これまでのパソコンもどこよりも早く入れていたので経年劣化が著しかったようだ。そういえば、院内の雰囲気もそれほど深刻では無かったか。いやはや早とちりしてしまった。が、こうした新しいものに慣れるのも大変だとナースはこぼしていた。だろうねえ。

 

我が友人の分厚い本も漸く300ページまで読み進み、残り40ページほどになった。我ながら根気よく読んだものだと自画自賛。退院後は彼に感想を送ろうとは思うが、概してこれまで自分が感じていた彼の人となりは間違っていなかったと今思う。かなり共通項があり、興味の対象も似ている。が、彼ほど物事に執着出来ない自分としては、彼の探究心に舌を巻いている。多くの事に興味を満ちながらもそれを只の興味だけに終わらせない、芯のある好奇心の塊の様な人だと改めて思うのだ。好奇心が旺盛なのは自分もそうだけど、上っ面でやり過ごしている自分が恥ずかしい。一つ言えるのは、自分は直感的人間で、彼は直感だけに終わらせない、それに裏付けしていくエネルギーを持っていると言うことだ。好き嫌いで言えば、結果は同じ。自分が良いと思うものを彼も良いと思っているようだし、悪と思っているものに対する義憤も同じように持っていると感じた。

これはいつか会って話さなくては。さて、東京にいつ行けるか?

2023年2月18日 (土)

眠い。春眠にはまだだと思うが。。

何やら病院が騒々しい。いつもの土曜日とは何かが違う。見慣れない制服の人が大量に来ていて、それぞれ何かしらパソコン機器に類したものを運んだり調べたりと、白一色だったナースセンターも一気に濃紺に変わった。どうやらパソコンに異常が起きたらしい。道理で、今朝一番に部屋に来た看護師が、薬の要請を受けていたのがチョット見当たらなくて、、、ゴニョゴニョゴニョ。なるほど、院内のカルテなど保管してあるパソコンが何か起こしたらしい。便利ではあるけど、ひとたびこのような事が起きると直ぐパニックだ。

昨日娘に近づけなかったから言うのでは無いが、この人達は娘とどこが違うのか?彼らが保菌者でないという証拠は?

そんなことを思いながら彼らとすれ違い、今日は階段を降りるという運動をしてみた。4階から1階まで降りる。そこで一服オロナミンC。そしてえっちらおっちらと3階まで上る。もうこれで今日はおしまい、という気分になる。息が上がってしまい、足よりも心臓だ。夜の睡眠導入剤の残りカスの様に頭をぼやっとした物が被っている。好い加減この薬は止めたいが、よく眠ってしっかりリハビリした方が良いですよ、と言われここんとこ律儀に毎日飲んでいるわけだ。ま、アト少しの辛抱だ。

2023年2月17日 (金)

差し入れ。

まだまだ病院は厳しい。娘が差し入れを持ってきたが、4階の病棟の受付まで持ち込めるようになり、丁度時間だと部屋から出て声のする方へと歩いて行くと受け付けの看護師から、「来ないで!」とストップがかかる。それ以上近づくなということだ。およそ二ヶ月ぶりに生でお互いの顔を見て、本当ならハグでもしたいところだが全く駄目。すごすごと引き返す。

今日は入院して二度目の外歩き。前回とは明らかに違い、同じコースだけど一度も休むことなく歩けた。土日はしっかりと自主練をして下さいとM君に念押しされて、ハイと返事したが、今日は妙に疲れている。夕べ少し睡眠の質がよろしくなかったせいだろうと思う。自宅でグッスリと眠りたいものだ。

朝ドラは今日互いの思いが吐露出来て、結構毛だらけな展開だったが、肝心の短歌がそれに添ってもっと出てくるかと思いきやそうでもなくチョイとがっかり。ただその後の朝イチでは、俵万智がドラマに添った短歌をツイッターに投稿しているとか出てて、やっぱり自分の想像もまんざら間違いないらしいことが分かる。これで世の中が少し短歌の方に引っ張られるか?ってことだ。でもねえ。相聞歌は難しいよねえ。

 

2023年2月16日 (木)

地球温暖化。

入院中に読んでしまおうと持ち込んだ本の中にはなかなか手が伸びないものもある。その一つ、「樹下聴風の記」という分厚い友人から贈られたものは、かなり読んだが、疲れてきた。どうしても作者を知っていると丁寧に読み進めようとし過ぎて疲れるようだ。校正を頼まれた訳でもないのに誤植が気になってみたり、内容に頷く事も多いが、突っ込みを入れたくもなり、、、疲れる。今日読んだ中に、「地球温暖化」に付いてのものがあり、彼の主張は看過できない内容だった。簡単に言うと彼は現在巷で信じられている大半の温暖化の元凶とされるCO2とかの情報は殆ど誤りであり、今更人間社会がCO2廃絶に力を入れたところでどうにかなるようなものではない、という主張なのだ。それを様々な専門家の主張を取り上げて説明していて、データーも半端なく引用している。この件に関しては、自分的には確かに正確な情報を持っているわけではなく、日々テレビなんかでたれ長されるものを鵜呑みにしていて、こういうことは専門家に任せた方が良いと最初からスルーしている。そのための研究をしっかりしている科学者と地球規模のリーダーたちが頭を寄せ合って解決策を打ち出し、流れてきたその情報を自分たちで可能な限り努力して行くもの、とばかり思っていて、「感想」は持っていても「考え」はあなた任せだった。

しかし、彼は違った。そこまで?と思う程のデーターを調べ、何故そう思うかの立証を試みている。その中に、ある反核、反原発の論客物理学者が同じ事を主張していることも挙げている。この項の締めとして、「そして我々が『地球温暖化CO2主因説』の呪縛から解放されたとき、科学燃料発電より原子力発電の方がまだましだなどという妄言は跡形もなく消え去るだろう」と書いてある。

彼の事をそれこそ全て鵜呑みにするわけでは無いが、矢張りこういうものの見方考え方もあると言うことを知りながら、様々なニュースや主張に接することが大切だと思った次第。。。疲れた。

2023年2月15日 (水)

いよいよ退院が具体的になってきた。

今日は何だか眠くて仕方が無い。そう思いつつ最後のリハビリに出向いたら、隣の理学療法士Aと患者の話し声が聞こえてきた。Aが、「僕真面目なんで、こうして仕事してるときに眠くなるのを避けたいンです。」だろうねえ。過去に何度か娑婆のマッサージ師に居眠りされた経験があるのでよく分かる。なるほどここではやたら施術者と患者が会話してると思ったら、居眠り防止もあるんだと分かった。Aが言う。「7時間は寝ないとねえ。そうすると、夜12時にはどうしても寝付かないと駄目なんで。」そうだろうねえ。とすると、自分の時間がかなり少ないなあ。この人も妻帯者で子持ちだと聞いた。今時にありがちなというか今は普通になった、「良く出来た亭主」をやってるらしいから、家事も大変だろう。週休二日で持ってる感じだろう。体を酷使する職業だ。

このリハビリルーム、多いときは30人前後をいっぺんにやっている。だから全員が喋っているとかなりうるさい。そういう自分も毎回結構色々話しながらやって貰っている。今日は昔に経験したオレオレ詐欺についてだった。これは受けたなあ。実際に経験した人の話はそうそう聞けるものではないだろうから、かなり面白かったみたい。M君も話し上手で聞き上手。彼自身の体験談や家庭の事情やもっと若い頃の思い出バナシや趣味の車の話しなど、次から次へと出てくる。子供の話しには目を細めて語り、奥さんのことものろけられている。良いなあ、若いって事は。

 

この所朝の連ドラを毎日見ているが、「若者に短歌を」という我が師の言葉を絵に描いたような内容になっている。自分の心を客観的に見て、どこまでも掘り下げてみるという行為は、確かに短歌や詩でも作らないとなかなか出来ないだろう。そしてその行為が在るときは自分を救い、在るときは励まし慰めてくれるということだろう。このドラマでは、平易な言葉を使った短歌が表に出ているが、その方が若い人に受けるということだろう。確かに日常で使う言葉の方が、身にしみるというか実感が湧くだろう。今日から「相聞歌」に入ったが、今後の展開に興味深いものがある。、、、このドラマを観ている若者がきっと沢山短歌に興味を持つのではないか。私が言うのもなんだけど、その芽を伸ばして欲しいなあ。

 

2023年2月14日 (火)

浮いたり沈んだり。

自分ながらかなり順調にリハビリが進み、退院間近と思っていたが、昨日のリハビリ中に突然の痛みに襲われ、自室に帰るには理学療法士のM君に付き添われての無残な姿。M君も首を傾げるばかりで原因がさっぱり分からない。ベッドに倒れ込み、静かに考えてみると、どうも靴が原因じゃないかと思えてきた。入院以来使用しているぺったん靴は軽いし通気性は良いし、かかとを踏んでも又元に戻るし言うことなしの優れもの。ずっと愛用していたものだが、流石にもう日常で履く靴に変えないと不味いだろうと、ここ数日廊下を歩くのも外を散歩するのも全て履いてきたものを使用していた。ところが、どうやらそれをするには少々早かったようで、昨夜看護師さんとも話したことだが、彼女がチェックすると靴底が堅過ぎる、と言う。「これでは、私でも足が痛くなるかも。」なるほど、これが原因だったかと納得。その時点から元に戻してみると確かに痛くない。今朝のリハビリもそう告げて前のでやってみると全く痛くない。矢張りこれだったかと納得するばかり。M君もよくよく調べてくれて、治療専用の靴の試着させてくれたりと大変だ。矢張り、まだまだなんだと納得。しかし、この一件で、昨夜は又眠れずに看護師さんから同情されたりと色々ある。曰く、「旦那さんにどこで買ったか思い出して貰ったら?私も欲しいわ。」と言われても、夫はさっぱり思い出さないらしい。いやはやいやはや。

と言う具合で、一歩進んで二歩下がる式の私の状態。

日曜日に自主練で歩いていて、偶然一緒になった高齢の女性が、「私も色んな病院に行ったけど、ここの食事のように不味い所は無かった。無理に食べたら戻しそうになって困った。」と言う。しっかりコンビニで色んなものを買ってきては食べているとか。聞けば50日近く入っているという。まあ、確かに気持ちの持ちようで、痛い痛いの時は食べ物にそれ程執着も無かった、が段々良くなってきて、欲というか、我が儘というか、食事に関心が高まってきているのは事実だ。自分自身もお米が喉を通らなくなることがたまにある。味の無い野菜のおひたしとか、今朝のパン食のハムらしきものとか、元々苦手な魚の料理には正直ウンザリしては居る。が、そういうときはシリアの震災地の人や戦地の人々の事を考えることにしている。食べられるだけでどれほど恵まれているか。

と言いつつ、退院の日は帰りに山田うどんの美味しいのが食べたいと、夕べはお嬢に約束して呆れられた所ではある。煩悩とはかくも扱いが難しい。

2023年2月12日 (日)

外は春模様。

今日はいつになく好天気で、外はまるで春のようだ。とはいえ、本当の外の様子は知るべくもない。看護師の報告を聞いてガラス越しに外を眺めて、ああそうか、と思うだけだ。友人達から自宅に咲いた花々の写真を送ってくれるが、なるほどそんな時期なんだと思うばかり。老人性鬱じゃないの?と思う夫からのネガティブなラインが入ってくると家に帰りたくないなあと思ってしまう。兎に角寒いの連発。そりゃあまあ、家事をドンドンやるお人では無いから、じっとしてたら寒いでしょうよ、と思うがそうも言えず。。。

そのくせどんなリハビリをしているのか?とか聞いてくる。自主練の日は、大体350m歩き、4階から1階まで降りて、3階まで上がり、自室でストレッチや腹筋をやってます~と出したら、べた褒め。自分もこれから散歩してくるというメール。鍵かけて出てるかなあ?、、、だんだん娑婆が近くなってくる不安。

相変わらず本を読んでいるが、娘がこれで勉強して、と渡してくれた「芸術の売り方」という翻訳物がこれまた分厚い。まあ、内容はこれまで自分たちがやってきた、「観客の事を考えた公演」ということなので、特別新しいとも思えない。読み進めていく内に、自分が考えてきた公演のあり方はやっぱり間違ってなかったと思うばかりだ。主にクラシックやオペラについて書かれてあって、こういうことに関わっている人達は確かにこの本で学ぶべきじゃないかと思うことも多い。

この本には矢張りアメリカ人ならではのユーモアが満載で、「クラシックというネーミングがそもそも間違っている。クラシック=古いんじゃないか、と若者は思うだろう。クラシックと聞いただけで人々は死んだものと思うだろう。ベートーベンも真っ青だ。」とかとか。まあ確かに誰が付けたのかは知らないがもっとましなネーミングが無かったかと思う。いままで読んだ中で印象的なのは、人々を劇場に誘う為に何が必要か?という下りだ。破傷風のワクチンを接種する必要性を書いたパンフレットを二種類用意して学生に提示。A=罹患した場合の写真など具体的なものを掲示したうえに、恐ろしい恐怖を煽るような文章も載せた。B=ただのパンフレットにした上写真もなし。どちらのパンフレットがよりワクチン接種に彼らを駆り立てたかという実験だ。A=確かに関心を呼び、それを読んだ彼らは破傷風というものに強い関心と理解を示した。が、結果は両方ともそれ程大きな効果は無く期待ほどの接種者が現れなかったようだ。そこで、こんどは両方に接種可能な日時と地図に赤い丸印を付けたところ、接種者が飛躍的に伸びた、というものだ。この実験は確かに面白い。チラシ、いわゆるフライヤーなどに出演者の名前や主催者側が大事と思うものを大きく載せるのが通常だが、実は、もっとも人々の関心を呼ぶのは、日時と場所なんだ。と言えば身も蓋もない感じだが、考えるべき点だろう。そして、最も最後に検討すべきが料金だという。まあ、確かに、自分の事を振り返っても、何かの公演を観に行ってもそれがいくらだったかをまず覚えていないのが現実だ。余りに高額だと行く前に逡巡することはあるが、それでも記憶にはそれ程残っていないものだ。実際メトロポリタン劇場で観たオペラの入場料がいくらだったか、パリのオペラ座は?フィレンツェのオペラは?日本での三大テノールがいくらだったか?ボンヤリとしか思い出せない。これは私だけ?じゃないってことだ。

というわけで、あと半分この本を読んでみて、何を得られるか?ふ~む。

2023年2月10日 (金)

ステージ。

ぼちぼち自分の脳裏には「退院」の二文字が点滅し始めては居るが、今日のリハビリではなんだか調子が出ない。たまたまいつもと違う理学療法士の女性が、「天気悪いですからねえ。」と言う。なるほど、そういうこともあるかも知れないなあ。痛みさえ無くなればかなり普通にもどれるんだけどねえ。

親戚の女性からラインが入り、一家全員がコロナにかかりようやく終わりました~、とあった。巷ではやっぱりそういうことが多々あり、病院でも神経質になっているんだなあ。しかし、例えば理学療法士なんていう職業の彼らは大変だ。二重マスクにゴーグル。元々メガネの人は二重だ。そして手袋だから、指先の感覚も鈍くなるらしい。毎回使用したベッドはじめ、用具類は全て消毒しているし、室内の出入りは患者だって必ずアルコール消毒だ。お陰で手が荒れてしょうが無い。

しかし、マスク外しても良し、と言われても多分多くの人がマスクはするんじゃないの?と思うけどねえ。特に日本人は元々風邪が流行っているというだけでもしてたもんねえ。どうなるんだろう?

 

一日三回のリハビリは結構忙しい。三度の食事の間にはやれ検温だの血圧測定だのという看護師さんのチェックから始まり、お掃除の人、衣類レンタルの人などの出入りがあり、ドクターの訪問もある。 その合間に自主練したり、洗濯したり、シャワーの時間を予約して使ったり。。その合間にこうしてパソコンだ。人間あれこれやってる方が間が持つというか、気分が良いものだ。お嬢からは時折遠隔操作であれやれこれやれと言われて作文などやっているが、ま、それも悪くは無い。自分が役に立っている感は大事だ。

昨日は看護師が林檎の実の形にかたどった大きな色紙を持ってきて、これに将来の夢や希望を書いてという。あれやこれや言われている内に、「美しい姿勢で、もう一度ステージに立ちたい。その前に、自宅の二階に手すりなしで上がりたい。」とオチがついた文章を書いたものだ。あとで、皆さんのを覗いてみると、みんな現実的なものばかり。早く歩きたいとか、一人の力で歩きたいとか、とか、、、。だよねえ。うまうまと看護師に乗せられてしまったなあ。

ステージか~。

 

2023年2月 9日 (木)

浮いたり沈んだり~。

昨日初めての外回り散歩だったが、たかが600m歩くなかで3回も休憩しなくてはならずショック!確かにリハビリ室のすべすべの廊下と違い、芝生だったり砂利道だったりではあったが、それにしても体力の衰えたるや!暗澹たるものがある。

で、今日になって、その時履いた靴の底を拭いているとビックリした。なんと長さ1㎝ほどのネジが靴底にしっかりと突き刺さっている。あの散歩の時のお土産らしい。幸い表には突き出てなかったので、抜こうとしたがさっぱり力が足りない。結局朝のリハビリに行きM君に取ってもらう。彼も大笑いして、僕の長い仕事の中で初めての事です~。と言う。

そうやって今日も笑いの中でスタートしたリハビリ。彼も飽きが来ないようにと工夫して、時々色んなグッズを持ち出しては遊ばせてくれる。体を捻らないと歩けないように林立させたポールを立て、そこを抜けていくものが本日の課題。「こういうの蓮井さんは得意ですよね~。」と彼は笑う。よく見ている。ほんの少しでもゲーム性があるものには積極的なお婆ちゃんなのだ。

 

昨日の夜の担当看護師は、ちょっと時間を取って四方山話をしてくれることもある。その中で、思わず聞いてみた。「夜のお仕事って、大変ねえ。家庭もあって、、、、」と言うと、「そうなんです。こういう仕事に就くって言って、家族の猛反対を受けたんですよ。一番は祖母ですが、全員に反対されましたねえ。」そうか。そうだろうと思う。でも、こういう人が居てくれないと困る。出来る年齢というのもあるだろうが、ガンバッテ欲しいものだ。

病院という所は、色んな人が働いている。

2023年2月 8日 (水)

晴れの日。

今朝早くは外が霧に被われ、昼近くになって春を思わせる良い天気となった。理学療法士M君の提案で、午後は初めて外を歩いてみることになった。これは嬉しい。めまいもかなり収まり、段々快復しているのを感じているが、一旦外に出たら里心が付くだろうなあ、と思っている。一昨日は刑務所の囚人よろしく院内のテラスをM君の手引き?でソロリソロリと歩いたが、それだけでも嬉しかった。矢張り人間は外気の中でこそ本当の息がつけるのだろう。

M君はとても面白い青年で、毎回のリハビリでは笑わせてくれている。それだけでなく、此方にも優しい質問を投げかけてくれることも多く、二人で大笑いすることもしばしば。見回してみるとどの担当者もそれぞれの患者とそうやって絶えずお喋りをしながらやっている。これは色んな意味で重要なことだと思う。コミュニケーションこそが治療の要だろう。今日はMくんがホストの勧誘を受けた事などで盛り上がった。イケメン君の彼ならではのエピソードだろう。そういえば、こうやって老人にも優しく接する技術は、ホスト君たちのそれと同じ要素があるのかも知れないなあ。

 

2023年2月 6日 (月)

一気読み。

「老害の人」という本は予想通りの面白さだった。が、著者も年を取ってきたのか登場人物=老害の人にかなり同情的なのが意外だった。この人は自分よりも三歳若いだけの人。当然感じ方も考え方もこの年齢に相応しいものになるのだろう。

この作者は人間の裏表を容赦なく描く。確かに当たっているとも思えるが、オーバーに過ぎるとも思う。なにも老人の事なら何でも分かっているわよ、というのでもないだろうが、あまりの容赦ない言葉に「そんな老人ばかりじゃ無いわよ」と言いたくもなる。が、全く居ないという程でも無い。「イルかも知れない」と思わせてくれるのがこの人独特の筆力だろう。

先ほど今日の最終のリハビリが終ったが、たまたまこの時間は後期高齢者の女性が多く、若い人は少ないし、男性の老人も2,3人。小説の余韻があったので、ついついその人達を観察することになった。が、一人もこの小説に出てくるような老害をまき散らす人は居ない。静かに若い理学療法士に老いて傷ついた体を任せ、話しかけられれば優しく笑みを浮かべて対応している人が殆どだ。それ以外の人は、そういう対応さえままならない重症の人で、支えられて漸く動いているという状況だ。

この作者の言う老害とは、「人の話を聞かない」「自分勝手に自分の事ばかり喋る」「何度も自慢話に興じる」「過去の栄光を繰り返し蒸し返す」「誰彼構わずお説教する」等々。その枕詞に、「迷惑」が付く。これでは、世代間ギャップどころか、アメリカの分断を連想させる。そこまでではないと信じたい。あれは小説で、従って、何もかも膨らませているだけなんだと思いたい。自分の周辺を見渡してみても、自分より高齢の人々はみんな節度があり、知性もあり、尊敬するべき人々だ。

ま、とはいえ「面白おかしく読んで、そして我が身を振り返る」為の読書だったかも。ち~~ん。

2023年2月 5日 (日)

老害ねえ。

めまいの病名が、良性発作性頭位めまい症だというのを、覚えるのに時間がかかった。これも認知症予防のために必死で覚えたものだ。ただでさえ、毎日毎日、排尿や排便の回数、食事の進み具合などチェックされていて、薬の準備なども間違いなくやるよう言われるのも、矢張り認知症チェックだろうが、あんまり嬉しいものじゃ無い。

友人が又又どさっと本を差し入れてくれた。その中に、「老害の人」というのがあり、難しい本の合間に開いてみると、早速面白い文章が目に飛び込んでくる。「老人が、若さや頭脳や分別を自任したところで、たかが知れている。それより、自分が『老害の人』ではないかと、時々考えるべきだろう。」とある。これは常々自分も考えているところだが、こうして正面切って言われてしまうとムムム、、となってしまう。まあ、毒舌家の内舘牧子女史の作品だから歯に衣着せぬ言い回しでさぞかし面白い事だろうと思っている。最後まで読んで自分がどういう感想を持つのかが興味深いところだ。

こうして病院で日常と全く違う暮らしをしていると、色々考えてしまう。日中多くの時間、外を眺めているのだが、意外と近い屋島や、マンションや民家などの建築物は、百年後も同じ形でそこにあるだろうが、その中に暮らす人々も、周辺を歩く人々も、いわんやボンヤリとこうして外を眺めている自分も、そこにはいないという事実。、、、そんなこと考えてるからめまいが起きたのか?実際、めまいが起きてもおかしくないテーマだ。

 

実は夕べはよく眠れず、矢張り睡眠導入剤のお世話になった。自宅での「眠れない」と病室でのそれでは大いに違う。見回りに来た看護師さんがベッドに起き上がっているのをみて、例によって、「ビックリした~」と言うので、ついでに首筋に湿布をお願いした。これは少しは効果があったようだ。午前1時には眠りに入ったようだ。そもそもが夜型なので、9時に寝るのはなかなか大変。友人は、ラジオが良いわよ、と言ってくれるが、今宵はそれも試そうか。眠れないときは、無音で目を閉じていて、それがダメなので、音楽をかける。それもだめなので、朗読をタイマーにして聴く。それもダメなので、又無音に。。。。の繰り返し。無音と言っても、完全な無音では無い。むしろ静かだと病院内の色んな音が鮮明に聞こえてくるものだ。一番は空調。看護師さん達の作業音。入院患者の出す色んな音。。。ま、快復してきた証拠だろうが。

ガマン我慢だ。

2023年2月 1日 (水)

アクシデント。

突然のめまいに襲われて目が覚めた。まるで大地震に見舞われたように、ベッドが真っ二つに縦に割れたように感じて狼狽え、それが地震などではなく、めまいのせいだと分かるまでに数回発作に襲われた。しかし、これには身に覚えがあった。12年前に東京で救急車で運ばれたときの状態と全く同じなのだ。が、あのときより症状は軽い様に思った。吐き気も無い。この深夜に大騒ぎしても医師も居ないし、朝まで待とう、と考えた。そして6時になってナースコールに手を伸ばし、「すぐに行きますから」という夜担当の看護師の声にホッとした。彼女が駆けつけた時もまさしく目の前がグルグルしていて、頭を持ち上げることも出来ない。吐き気はないか、頭痛はないか、他に異常はないか?という矢継ぎ早の質問に我ながら心細げな返事をする。そして、一度引っ込んだ看護師は再び現れて、「ドクターが来ますからそれまでお待ちください。耳鼻科の医師にも連絡をしてありますから。」

とんだ大騒動だ。やっぱり朝で正解だ。と思った時、担当医師がいつものように顔を出してくれた。曰く、この病院にはめまいの専門医がいますから、後で診察して貰ってください。

そして、暫くして車椅子で階下に降りる。12年前の経験を話すと、予想通りそれと同じだと言われる。ただ、矢張り12年前とは診察方法が全く違った。やっぱり医学はかなり進歩している。そして、医師は事もなげに、「まあ、一ヶ月くらいで良くなるでしょう。入院中ですよね?1週間後に又診ましょう。」と薬は無いことを告げる。そして、日常の過ごし方をアドバイスしてくれる。それも、以前とは全く違う。驚くことに、「めまいをドンドン引き起こすようにして下さい。それによって、浮遊しているものが在るべき場所に落ち着くのを待ちます。」理屈はとても良く分かったが、これはかなり苦痛。あのめまいを耐えなくてはならないのかと考えただけでウンザリした。が、そうするしか方法が無いと言われ、覚悟を決めた。で、自宅だと相当動いているのが、入院で全く動き方が変わっているのがその主な原因でしょう、と言われ、それにも納得した。「ストレスもありますしねえ。」

自分ではかなりストレスと戦っていると思っていたが、日常とは相当違うということだろう。発作の時は、脳梗塞やくも膜下出血を疑ったが、どうやらそれでは無いらしい。助かった!というのが本音。

で、一昨日は初めて部屋でのリハビリとなる。そしてそこからは毎日理学療法士が部屋までお迎えに来てくれる。チョイと逆戻りの感があるが、ま、なんとかなるだろう。

ガマンの日々が薄れるどころか、濃くなった。こうなったら矢でも鉄砲でも持ってこい!ってね。

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