術後18日目。
夕べも痛みで眠れなかったが、眠剤と痛み止めでなんとか眠ったようだ。ただ、起きてからも体がだるくて、食欲も無い。ナイチンゲールのような若い看護師さんが、「今日は午前中ゆっくりお過ごし下さいねえ。無理しないで。」と優しく声をかけてくれる。夕べの担当の看護師さんも、余りにしんどそうな様子を見て血圧を測り、異常に高いからシャワーは止めてゆっくりして下さいと声をかけてくれて、朝イチで血圧が正常に戻っているのを確認して、「良かったです~。ホントに良かった。」と我がことのように喜んでくれる。本当にこの職業は凄いと思う。
彼女達に支えられて回復し、午後はシャワーを浴びることも出来、こうしてパソコンに向かうことも出来ている。有り難い事だ。
この入院で、色々な発見があったが、面白いのは、入院に際しては必要最小限の身の回りのものを持ち込んでいるが、これで十分暮らしていけることの不思議。自分は、スマホは勿論のこと、パソコンやiPad、本も沢山持ち込んでいるから全く困らない。時々オーディブルで朗読も聴く。今は、三浦綾子の、「銃口」を聴いている。、、、イコール如何に普段不要なものに囲まれて暮らしているかということだ。
この所読んでいる本は、多くが昔の日本、大正明治江戸時代の物語。ものが無くても、いや無いからこその飽くなき好奇心と探究心と僅かな事にも感動する心の充実があった時代のことだ。むしろ現代よりも人々が生き生きと暮らしていたのかも知れない。そう思わせるのは作者の力量だろうが、実際そうだったのでは無いかと思う。何もかもが満ち足りている現代。そこに暮らす人々が、必ずしも幸せでは無いと思えるのは何故か。
たまたま読んでいるのが、作陶家、絵描き、彫刻家、作家と呼ばれる人達の事だが、こうした芸術への希求も今よりも強かったのかも知れない。そしてそれらは全て特別なものではなく、一般の多くの人々の心に響くものだったことに今更ながら驚く。太古の昔より、人間は芸術を持っていた。それこそが、人間を人間たらしめる原点かも知れない。
今日は外は雨模様で、公園や街路樹が雨にけぶっている様子が、なんとなくモンマルトルを彷彿とさせる。、、、まあ、旅しているようなものかも知れないなあ。