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2022年10月 1日 (土)

秋色の空。

ニュースを見ながら食事というのがわが家の習慣だが、近頃はロシアのものが多くて、むしゃくしゃしてクシャクシャとよく食べて困る。ロシア人と一括りにしてしまうのは勿論良くない。プーの顔が全ロシア人の顔ではない。先日読んだ本もロシア正教を取り上げていて、人格者も沢山出てきたし、偏見を持つべきではないとは確かに思っている。そして、近頃では強制的に戦地に送られる一般の若者たち(中にはそれほど若くない人も居るようだが)には心から同情している。

プーのあの小さな目は、地球を見渡せる視野を持ち合わせていないのか?自分の周辺だけを見ているような気がしている。一時期は著しく体調が悪く余命が少ないからあんな事やらかしてるとかいう風評が流れたが、あれは単なる希望的観測からくるデマだったようだ。元気じゃん!?

今日は今日で、側近の中に急進的な思想家がいて、それらの連中に押されている現状かも知れない、とする意見が流れた。本当だろうか?そうだとしたら?この戦争は終わらないんじゃない?おーいやだいやだ。

こういうときこそ、神の鉄槌が天から降ってこないかと思ってしまう。大事な国宝とされていた坂出の寺院が雷で炎上したというのは、神さまも手元が狂ったんじゃない?あっちでしょ!!、、、おっと神の存在を信じてない者がなんたることを。

 

テレビの小さな画面には毎日色んな「死」が報道される。今年はとにかく次々と著名な人が亡くなっている。そして、小さな子供の行方不明や、やむにやまれぬ尊属殺人などから始まって、あらゆる愕然とする事故まで。毎日「死」が報道されない日がない。それでも日本では一つの死が大切に伝えられ、受け取る側も一つ一つ哀しみを持って受け止めている。ところが戦地では、十把一絡げ。昨日だったかも、女性ばかりの大量遺体を埋めたのが発見されたとか流れて慄然とした。戦争だから仕方がないと言えるのか?

友人から回ってきた本の中に、「死という最後の未来」という、石原慎太郎と曾野綾子両氏の対談もののタイトルが並んで知る。石原氏が亡くなった事を思えば、一読のタイミングかも知れない。

みんな「死」は他人事ではないんだ。当たり前だけど。

 

出るはずだった歌会に出ず、一日溜めていた書類の整理に追われた。この歌会のドジは他にもいたらしくちょっぴりホッとしたりして。。。夕方買い物ついでに娘をひらって車中打ち合わせもやる。母親のドジが遺伝して、運転免許の更新手続きに1週間以内に行かなくてはならないとか言う。もう、なにやってるんだか。随分時間があっただろうに。

帰路についた途端娘が空を指さして、「見て見て!キレイ!」というので思わず車を止めて暫く眺める。確かに夕焼けの空が秋の色に染まり、なんともいえない美しさだ。そして娘が述懐する。子育ての時代、散歩しながら子供に必ず空を見せて、凄いテンションで、「ほら見て見て~!空がキレイよ~!」と指さしていたら、かなり大きくなっても、空を見たらそう言うものだと思っていたらしい子供が、「空がキレイ」という部分だけ、異様な高音のテンションで発声して、その前後は普通の口調だったのを思い出し笑いしている。空をみたらそう言わなくてはならないと思ってたらしい。「可愛いかった~」と言う娘の声でこちらもほっこり。

平和って良いなあ。

 

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