何かにつけて、ちぇちの活動を考える。
ロシアロシアと言ってたら、今度は北が日本の上空を勝手に飛んでミサイルを撃ち込んだ。昨日は昨日でインドネシアのサッカー場での乱闘エスカレートでの死者が百人越え。現代は、様々な危機が渦巻いている時代。日本だっていつ何がどうなるか分かったもんじゃない。この小さな国の小さな街で、その日その日を恙なく暮らせていると、信じて疑わないのは、自分は絶対死なないかのように暮らしているのと似ている。そして突然とんでもないことが起きて、間違いに気付くのだろうか。
ずっとテレビがつきっぱなしで、声だけ聴きながら色々やっているが、ホント見る気にならない。バラエティではゲラゲラゲラ。出ている人は全員大笑いの狂想曲。人よりもしっかり笑おうと競っているかのよう。いや、笑いは大事。薬よりも良いことは確かだ。にしても、ちかごろの番組は度が過ぎてない?時間帯によってはどこもかしこも同じように出演者が爆笑してる。
落語は弁士が笑ってはいけないというルールがあって、それこそが芸だろう。ま、それは望むべくもないことだろうが、何とかして欲しいと、我が周辺の人達は多くの人がそういう感想を持っている。若者は別の意味でテレビ離れが進んでいるようで、我々高齢者が離れたら、困るんじゃないの?と思うけどねえ。
ようやく一人になってテレビを切る。わが家は夫の職業病で、帰宅してから就寝までワンワンかけてないと気が済まないから、こうしてお休み遊ばしたあとの静けさがなんとも言えない至福の時間。が、テレビ好きは何も夫だけではなく、わが友人に二人ほど同じような人が居る。見てようが見て無かろうが、兎に角まずテレビをつける。内一人Mはお先に失礼とあの世に早々と逝ってしまったが、彼女とNYのホテルに泊まった時も、部屋に入るやいなやすぐスイッチオン。「あんた、英語分かるの?」「うんにゃ。でも聴いていたい。」「はあ?よう分かりませんわ~。」とかなんとか、会話したのを覚えている。国内旅行もよく一緒に行ったが、どこに行っても全く同じ。熱心に見てる訳でもなさそうだが、必ず部屋に入るとテレビ。。。。もう一人は人生の先輩だが、このお方も全く同じ。「私にとってはテレビはお友達よ。」だそうだ。ま、良いけど。そういう人も居ないとねえ。
午後は娘とピアニストとの三人の最後の練習だった。流石、先日此方が勝手な注文をしたのを料理して、180度違った感じの演奏をしてくれて大満足。これを聴いたお客様の声が聞きたいなあ。これはとある男性が、「僕、これがシャンソンの中で一番好きなんです。」と言ってた曲だ。ドラマチックで、激しい。
あとは本番、二人の呼吸で作り出すものだ。二人とも本番が近づいてわくわくしてきたようだ。今回が満足できる仕上がりになったら、毎年やりたいと、今から話し合っている。ゆくゆくは全国色んな所に演奏旅行したいとか。。。良いなあ。若いって事は。それに、こちらとしても是非そうやってシャンソンの良さを広めて欲しいという思いもある。
練習後にみんなで、雑談している中で、オペラは嫌いじゃないけど敷居が高いのに、シャンソンには惹かれるのは何故かしら?という話になった。ピアニストはここまで本格的にシャンソンを弾いたことはなかった人で、これまではクラシック畑の中にいた人だ。3人とも音楽好きではあり、オペラのガラコンサートなんかにはよく行く方だが、例えば、シャンソンは20曲聴いてもそこまで疲れないが、オペラのアリアだったら、どうだろう?的な話になった。勿論一曲の長さも違うし、そもそもオペラの声の出し方が限界まで使うというやり方だから、聴く方は疲れるというのはある。第一内容が分からないというのも大きな要素だろう。人は分からないものは敬遠する傾向がある。ひとたびのめり込んだらどこまでも追求したくなるのはオペラの鑑賞も同じではあるんだけど。。。やっぱり、出会いだろうなあ。
これまで、この溝を埋めるべく長い間ちぇちは頑張ってきたが、、、。