考える葦。秋風に揺れる。
本日は葬儀。うららかな秋日和は、叔母の逞しくも充実した人生の最後を飾るに相応しいものとなった。こういう時期なので慎ましい葬儀ではあったが、高齢者から小さなお子さんまでが参列して、その幼い手が棺を担いだ時は思わずみんな微笑んだ。この子が叔母の年齢まで生きるにはあと90年以上あるわけだ。この場に居る殆どの人が居ないだろうが、この子はこの日の事をいつまで覚えているだろうか?
頂いたお弁当を海が見える岩壁に移動して娘と二人で叔母の事など話しながら食べた。これも供養のつもり。娘はそのまま出勤して、こちらは何をする気力も無くとにかく帰宅した。
途中でお借りしている軽トラの返却が必要だと判明するも、担当のM君は仕事中で大慌てするというおまけ付き。結局勘弁して貰って、彼の勤務が終わるのを待ち、ガソリンを満タンにしてお届けし、彼を家まで送り届ける。せっかく寒い中出かけたから、ついでにとばかりプールに通う申込書類を届けに行く。たまたま出てきたのがいつものインストラクターで、若いがしっかりと丁寧な対応で、決して年寄りを不愉快にさせない気遣いもある男性。継続のこつは、レッスンを受ける事だという。そこで顔見知りが出来、喋らないまでも笑みを交わすだけでもお友達になれて長続きします、と言う。な~るほど。それはあるかも。先日来一緒だった人達とも、最後の会に、「どうします?継続されます?」と二三人と声を掛け合ったもんねえ。どうやら今回20人近く居た中で、継続の申し込みは数人だったようだが、、、。さて、継続出来るか?これから寒さに向かうもんねえ。帰宅して夫に告げると大賛成。あちらは本日プールがお休みで、代わりにマッサージに出かけたようだった。ま、頑張ってみようか。叔母の年までは生きられないまでも、せめて元気で居たいもの。
今日のニュースで、安部元総理への追悼の演説を野田元総理がやったとあらましが流れた。完全版ではないが、いかにも野田氏らしい感傷的な内容だったと思う。ある意味美しい内容だったとも思う。と同時にこれが政権を交代せざるを得なかったこの人の弱さだったようにも思った。政治の世界はとかくこういう人が生き憎いのではないか。
ともあれ、一時期でもこういう人間的な人物が国のトップだったことは、当時の日本人がそれを求めていたことがあるということだ。そして、それは結局儚く散ってしまったが。。。後に続く政治不信の一端の責任がこの人にもあるように思うが、どうだろう?
しかし、誰もが、完璧ではない。完璧な人など存在しない。長くても一世紀しか生きられない人間のつかの間の右往左往。
せめて、自分を出来るだけ正しく慈しむことだなあ。自分に繋がる多くの人々を、、、。