可愛いかったり憎らしかったり。
ちぇちの公演があったため、ずいぶん前から孫べえのお泊りはなかった。本当に久しぶりに我が家での自由を満喫している。といっても、よくよく聞けば自分ちでも同じように自由にしてるというが。
しかし、孫というのは面白いもんだ。その外見の変化もものすごいスピードで、花の蕾がだんだん花弁を開き形を変えるように。あるいは小さな若木が枝を伸ばし葉をつけどんどん繁るように、著しい変化だ。容貌なんかも本当に驚くほどで、食事をパクパクむしゃむしゃと食べているのを見ていると、これが本当にあの孫だろうか?と疑うほどの変化で、しげしげと眺めてしまう。いつの間にかニキビ面だし、あと数年もしたらおっさんの雰囲気も出てくるんだろうか。
が、二階で寝るときに、「みっちゃんの部屋の窓を閉めてね。」と声をかけると、急に真顔になって、「絶対無理。自分の部屋だけで精一杯だから。」と宣言する。すでに夫は二階の自室で寝ているんだし、独りぼっちというわけでもないのに、折り紙付きの「おとっちゃま」である。こういうところは全く子供のまま。
わが子のことを考えても、兄のほうがだめで、いつも二階に上がるときは妹に一緒に行って、と頼んでいたのを思い出す。いまや偉そうに大学で教鞭をとっているが、、、、そういう時期もあったんだよ。と内心ほくそ笑む。
でまあ、食事は優に我々の倍の量をパクリと食べてしまう。文句も言わず食べるのは、作り甲斐があるというものだ。が、今宵食卓に着くや否や、「よく考えたらみっちゃんちでお泊りするメリットって、無くない?」ときた。「それどういうこと?」と聞くと、どうやら親との話し合いで自宅にいてもだいぶ自分流に時間を過ごせるようになったらしい。自分の意見を十分伝えきれてなかったときは、爺さんばあさんを手玉に取る方が簡単だったようだが、自分の成長とともにそこはクリアになったようだ。振り返って、「どうしてあんなにみっちゃんちにお泊りしたかったんだろう?」と自問している。ちぇっ!つまんないなあ。
が、親の都合でこれからもこっちにお泊りというのはあるあるだろうが。
友人も今日そんなこと言ってたなあ。うちの孫べえと同い年だが、女の子の方がそういうのも早いらしく、もう長いこと一緒に買い物や食事に行けてないよ、という。なるほど。これも成長というものなのか。
時は流れる。