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2022年10月16日 (日)

コンサートの日。

今日は、以前ちぇちの公演で指揮をして下さったことのあるバリトンT先生のリサイタルだった。友人と二人で出かけたが、その間孫べえを一人で留守番させなくてはならずちと心配ではあった。マンションの方が安全だとは思ったが、イチイチ送り迎えを繰り返すのが面倒で、本人もここに居ると主張するので、絶対人が尋ねてきても出るなと言い含めて出かけた。

秋晴れの清々しい天候で、友人とおしゃべりしながらの往復ドライブも楽しんだ。

T先生がかつて大手術を3回もされていたのは全く知らず、ご案内を貰って大丈夫なんだろうか?と心配しつつ出向いた。

確かに以前よりも少々スリムになられて表情も以前の精悍なお顔つきとは違っていた。そしてイタリア歌曲から日本歌曲からオペラへとプログラムが進み、確かに病後を思わせる場面も何カ所かあった。高音が極めて困難な様子が見て取れた。しかし、観客の拍手には段々力がこもり、一曲一曲しっかり聴いているよというメッセージの様になった。私の知る限り以前のT先生ならあり得ない歌唱になっていたのだが、当然観客もそれを察知しての拍手だった。途中、ピアニストが曲の解説をされて、それがまあ、とてもピアニストとは思えない流ちょうな話運びで、一曲一曲丁寧に話された。時々のユーモアも嫌味の無い自然なもので、友人と二人大いに笑った。そして何より、そのピアニストの優しい気遣いがT先生を大いに助けた。そして、予定されていたのかどうか、途中でT先生がマイクを手に取り、「皆さんお気づきとは思いますが、、、」と正直なご自分の気持ちを話されて、過去の病歴や歌にかける情熱について話された。これは歌い手にとってはかなりのプレッシャーだったのではないか?こういうことは、賛否が分かれるかも知れない。仮にも入場料をとって聞かせるコンサートで、歌い手が言い訳とも取れることを話してしまうというのは、けっこう辛いものがあったと思うのだ。しかし、T先生が赤裸々にご自分の現在を告白し、深々と頭を上げられた姿には、会場の誰もが応援の拍手を送ったと思う。多少なりとも歌を勉強している自分自身も、T先生の高音を出す前の恐怖が理解出来た。懸命にやるべき事をやっても、思うように歌えないという現実に、打ちのめされている様子もよくわかる。しかし、それ以外の部分は以前のままの素晴らしい歌唱力と声で会場を魅了したのも事実。流石、しっかり研鑽を積んだ人の歌だった。

それら全てを俯瞰して、今日のコンサートは行って良かったコンサートだった。友人も、「人の声って、何故か癒やされるのよねえ。」と満足した様子。これだよねえ。大切なのは。立派な破綻のない演奏もそれはそれで良いけど、人間同士、心の交流も大事。ひょっとしたらそっちの方が大切かも知れない。

人間の紡ぎ出す美しい心の織物、今日も身に纏う。

 

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