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2022年9月26日 (月)

ある人の死。

ある人の兄上が癌と闘って、余命宣告よりは長く生き延びたとは言え、勝つ事は無く天に召された。一時期からこの方の文章に触れることがあり、流石の元大手新聞社記者の説得力のある内容に感じるモノがあった。お元気な頃もう少しお話が聞きたかったと今思っている。が、書き残されたネット上の文章からも、学ぶことが多い。何より、このような思考が出来る人が思いを残してこの世を去らなければならなかった無念を思うとき、自分も襟を正して生きねば、と思う。

キリスト教信者の家に生まれ育ったが、とある学者との出会いで無神論者になった部分など、とても共感できたものだ。

いわゆる記者魂と言える正義感に満ち満ちた文章は、それを読む人の心を揺さぶらずには置かないだろう。死の間際まで、自らの「生」の使命感を果たすかのように発信し続けた生きざまに感動した。このように生き切ることは誰にでも可能なことではない。

願わくば、この方の思いが少しでも世の中に伝わり、一人でも多くの人が世の中の不条理に対して思いを馳せることがあれば良いなあ、と思う。明日の「国葬」に関してもその意味を問う厳しい眼差しがあった。

自分自身は、今回の「国葬」に関しては、例えば東京都の区民が弔意を表すかどうかで半分に割れているようなものが、勿論国民をも分断している現実がありながら、それでも行われてしまう、ということに不安を覚えている。仮に「戦争」が このような流れになっても、誰も止められないという構図ではないのか?今のロシアがそれだ。国が余所で戦争していても、それは自分の事ではなかったが、急に我が身に降りかかった時、若者や多くの人達が反対を叫んでも、検挙され罰されるだけ。その声は一切何も動かせられない。日本がそうならないよう、早くから心構えが要るだろう。

 

 

 

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