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2022年8月10日 (水)

落語+オペラ=落後ペラ

相変わらず暑い日。ますます暑くなる事件勃発。今年リフォームしたお風呂場の排水が異様に悪い。在るときは便利屋さんに、在るときは専門と言われる業者に来て貰ってナントカして貰おうとしたが、結局今日になって、大もとの配水管を直す事に決まった。リフォームを依頼した業者さんに立ち会って貰い、何だか大ごとに。新しいお風呂がお気に入りの孫べえも、何度かに分けて排水するという面倒にうんざりしていたが、直ったら頻繁に使おうと楽しみにしている。

一連の流れを見ていて思うのは、餅は餅屋というものの近頃分業化されすぎていて、出来る範囲が狭いような気がする。昔の医師が全体を診ていたのが、近頃は完全に分業化していて、体の部位ごとに専門家がいるが、全体を見て関連を調べる医師が少ないのと似ている。実はわがおみ足も、確かに股関節が悪いんだが、腰や膝だってかなり来ている。が、担当医師はそれには全く触れず、痛いと訴える部位のみに集中して診てくれている。内心これで良いのかなあ?と不安があるが、気弱なアチクシはそれを口に出すことが出来ないままだ。それに、もしそれを言い始めると際限なくアチコチ故障だらけなんだろうとも思うから触れないに限るとも思っている。この矛盾。やれやれ。

分業といえば、長く「落後ペラ」なる物をやってきて、その落後部門をこけ枝師匠に担って貰ってきた。落語とは本当に面白いものだが、面白くない落語もあるにはある。何が違うのか?矢張り空気を読む力と話芸だろう。その意味で、こけ枝師匠は適任だった。観客を舞台に引きつけてくれてから始めることが出来た。その上、芝居のなかにも登場して頂くことで、その空気をずっと舞台に流し続けて貰うのが狙いだった。

オペラと落語の最も違う点が、この空気を読むという作業で、演奏家にはそれが無いということだ。勿論観客の感動が舞台に伝わり、それに触発されて良い演奏が出来る事はあるだろうが、客席の空気を見て歌い方を変えるとか、演奏形態を変化させるなんて事はない。ただ、それも日本では、という枕詞をつける必要があるかも知れない。海外のオペラでは、特に喜劇なんかでは大声で笑う観客に呼応するように歌ったり演技したりしているのも多々ある。これは観客と舞台が一緒に一つの作品を創り上げていると言える。

実は、この団体を立ち上げる時にやりたかったのがこれだ。何をやっても観客が置いてけぼりになってしまうのが現存のオペラ。そのかしこまった空気を先ず最初に落語で変えて貰う。ああ、笑っても良いんだ、と思って貰ってからその後のストーリーにリラックスして臨んで貰うということだった。この考え方は段々エスカレートして、師匠には色々無理難題をお願いしてきたが、嫌な顔一つせずノリノリでやってくださった。チュチュを着て踊ったり、死体になって貰ったり、亀の中身にもなって貰った。その度にこれぞプロ、と思わせてもらった。、、、楽しかった。舞台が楽しんでいると、観客も楽しい。

今回も、変なおじさんのパジャマを見付けて取り寄せ着て頂いたが、カーテンコールで着替えようかどうしようかと一瞬迷い、結局そのままでご挨拶して頂いた。偶然見付けた物だったが、どうやら人気で、みんながそのスタイルで写真を撮りたがった。確かにお似合いだったか。ふ。

ご縁とは不思議な物。一番最初に知人のTさんという落語家にお願いしたが、丁度既に予定があり、僕の親友を紹介しますと言って貰ったのが始まり。お目にかかれば好印象のこけ枝さん。あの笑顔と好人物らしき風貌に一目惚れ。以来ん十年のお付き合いとなるが、どんどん知名度が上がり、近頃ではラジオ番組でも大活躍。これからは落語寄席で楽しませて頂こうと思っている。

本当にお世話になりました。

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