センチメンタルな夜。
夜になってもの凄い虫の声の合唱になっている。これでもかと秋の気配を感じさせようとしていくれている。娘が電話してきて、バックに流れるこの音色に、「それって、生?」と聞くので、勿論生よと答える。パソコンの位置をずらしたお陰だろう。庭に近い。
そうなったら、俄然ワインが欲しくなった。で、先日お祝いに頂いていたワインを開けようとオープナーを探すが、どこにもない。試しに夫に聞いてみると急に怒りだした。私が家の中を色々片付け過ぎて、何がどこにあるのかさっぱり分からなくなってる、という。そこから波及してやれ自分の通り道が狭いだの、邪魔な物が多いだの、溜まっていたことを全部吐き出すかのようにあれこれ言い始める。(私はワインオープナーが欲しいだけなんだけど)で、なんだかガチャガチャやっていたら、一番原始的なのが出てきた。「これどう?」というので、まあこれ以上事を荒立てることもないと思って、それで了承。敵が二階に上がってからやおらそれを使って開け始めた。が、とにかく力がなくなっている。両足に挟んでコルクを引っ張っても、なかなか開かず、ついに途中でちぎれてしまった。そこから慎重にゆっくり力を入れてようやく開いた。
トクトクトクという小気味よい音を虫の音の伴奏で聴きながら、「ナント幸せ」と思ってしまう。そしてなみなみと注いだグラスを傾けつつ、ああ、終わったと、公演終了後初めて安堵の気持ちが湧いた。
それというのも先ほどまでお礼状を書き続けていたのだ。ある先生からは、「命の次に大切な物だったでしょう。」という文面のお葉書を頂いていたが、それには直接答えず、というか、答えられずと言った方が正しい。大切ではあったし、ある意味心血を注いだという思いもある。が、どこかでいつか終わるものとしてちぇちの活動を考えていたようにも思う。継続するにはテーマが大きすぎた。費やすエネルギーの大きさに継続の難しさを痛感していた。
以前、日本オペラネットワークの全国大会で沢山のオペラに取り組んでいる人達を前に、我々の「落後ペラ」を紹介した頃は、情熱に比例するエネルギーがあった。世の中もそういう前向きにオペラを全国に広めようという気運があった。ある意味恐れを知らず、果敢に挑戦していたのだ。とはいえその場にいた全員が日本におけるオペラの普及は如何に困難を極めるかということを、体験的に知っていた。
でもそれでもやりたい、やろうと気持ちは前向きだった。勿論それはちぇちだけではない。遠くからも参加していた多くの人達がナントカ、オペラを紹介したいとあの手この手を考えていたわけだ。
今思えば不思議な力があった。あれは何だったのか?
そして、その時のリーダー役だった方が、我々の活動に非常に興味を持ってくれて、近いうちに拝見したいと言ってくれたが、程なくしてその方は重病になられたと聞いた。そして、関係者もどんどん高齢化が進んだ。時間は兎に角早くて、あっという間にあの組織も、、、、どうなってるのか。東北大震災からコロナまで、多くの試練を受けているが、どうにか続いていてほしいものだ。
公演後いただいた多くのお便り。いずれも分不相応なお言葉が書き連ねられている。お言葉半分に受け取っても有り余るほどの賛辞だ。実際は色んな声でのご指摘も届いてはいる。いちいちごもっとも。だが、厳しいご意見の方でさえ、全体の印象は悪くなかったと言ってくださる。おそらくは、出演者のみんなの発揮した力のお陰だろう。「香川県から、このような市民団体が消えるのは寂しい。」とまで言ってくださる方が居て、その方が音楽教師というから余計有り難い。条件が揃えばずっと続けたかったのは本音。でも、こういう方々から、今後何かが生まれることも期待したいところだ。
いつまでも虫が鳴いているなあ。