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2022年8月 8日 (月)

繋がるということ。

昨日は歌会と娘の主催する「ヒロシマ朗読の会」がブッキングしてしまって、今後のための提案もあるので、孫を連れて後者の方に出かけた。暑さとコロナで集客を心配したが、思いのほか大勢の50人以上の人が参加してくれた。何より、悪条件を押してまで、ヒロシマについて考える時間を持とうと考えて下さった人々に感謝。別に私が感謝する立場にはないが、、、。今年は特にウクライナ問題もあり、より身近にヒロシマを感じた人が多かったようだ。元々この会を立ち上げたH女史に終演後声をかける。「お幾つになられても、車椅子でもこの会で朗読をお続け下さい。」と。するとすぐさま、「ハイ、そのつもりです。」とにこやかな笑顔。そして、「お聞きになって安心されたでしょう?」と言われたが、親としてはまだまだ勉強の余地があると感じましたとお返事したことだ。何をするにしても、これで達成できたと考えたときから後は落ちる一方だ。確かに前回より全体に良くはなってるが、まだまだ考えることがありそうだ。

孫と友人を乗せて帰宅して、孫には夕飯を食べさせ、やがて迎えに来た娘とは、色々話し合った。此方が注意点を話しても、素直に聞き入れる点は成長の証だと感じた。良いところは良い、改善の余地があるところはそう伝えて、彼らが帰って行き漸く長い一日が終わった。相当疲れている様子だったが、次回の話をしているところをみると、まだまだやる気はあるようだ。こういうことは継続が大変だ。意義はあるが、ただ自分勝手にやれば良いというものでもない。まあしかし、今回は中学生も出て、空気が一変したのも良かった。「ヒロシマ」を通じて「戦争」を考える。一年に一度、こうして真剣に多くの人々と考える時間を共有出来ることは良いことだ。「広島被爆者の会高松支部」というところが在るようだ。全国の被爆者が高齢化して、やがて体験者はいなくなることを思えば、戦争を知らない世代が、引き継いで行くことには大きな意味が生じる。今回のために、娘達は沢山の文書を読み、しかるべき所に朗読許可を貰い、準備のために相当なエネルギーを使った。こうした全てが、自分たちの血となり肉となる。演劇で培ったノウハウを実質的に役立てる好機だし、シャンソンを歌うための心の栄養にもなる。と私は思う。全ては繋がっている。

 

今回のちぇちの公演に限らず、これまでにも多くの場合、ゲストとしてダンサーに参加して貰ってきた。というのもオペラが総合芸術だからという側面があり、その意味するところは、芸術は全て繋がっていると思うからに他ならない。その希望をいつも快諾して下さった二人のダンサー。バレエのIさんは、先日ご挨拶に伺うと、「高松で何も分からない時から出演させて貰い、そこからご縁が拡がりました。」と言ってくださる。いやいや、こちらはただただ美しくて半端ない技術の持ち主の彼女に惚れ込んで、こんなことお願いできるのかどうかと半信半疑ながら妄想の膨らむ限り色んな事をお願いしてきた。いつも快く引き受けてくださって、期待以上のものを披露してくださった。彼女の登場ではメンバーが一番楽しんだのではないか?

もう一人のダンサーはフラメンコのNさんだ。この方は最初にお目にかかってからだと随分と立派になられた。熟女とはこの方のためにあるような言葉だ。指先からつま先まで色気があり、自在な発想力もある。この方をただのダンサーにしておくのは勿体ないとは常々思っていたが、今回漸くお芝居を絡めて貰うことに成功した。ご本人も大いに乗ってくださって、楽しんで頂いたようだ。

何が有り難いって、この貧乏団体にはお二人ともボランティアでのご出演。沢山の時間と労力を割いて頂いた。感謝しかない。これからも、地域のみならず、多方面でご活躍して頂きたいものだ。高松にこんな逸材があることに、もっともっとみんな気づいて欲しい。

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