純粋から生まれる尊いもの。
とある宗教団体が世の中を暑い上にさらに暑苦しくしている。自分自身は、かねてから独断と偏見により、「祈」と「信心」は別物だと思っている。前者には何も弊害がないが後者は、例えば「盲信」という言葉があるように、又は「狂信」とも言われるように、いつの間にか自分が無くなってしまう危険があると思っている。本来は苦しみを抱えている人からその苦しみを解いてくれるもの、又は悲しみに耐えがたい境遇の人の支えになってくれるものではないのか?イコール信者を幸福にしてくれるものではないのか?
にしては、信心したが故に逆に苦労を背負い込んだり、家庭が破滅したりするケースがよく聞かれる。こういう場合は明らかにその宗教に出会わなければそんな結果にはならなかった訳で、一体何のための宗教か?ということになる。今回取り沙汰されている事案は、勿論元総理暗殺がきっかけで再燃したものだが、過去にも相当議論を呼んだものだ。最近静かになったと思っていたが、水面下では変わらず活発な活動が続いていたようだ。
この元総理暗殺に関しては、単にとばっちり以上の原因があったということのようだ。宗教団体が政治を利用し、逆に政治が宗教団体を利用する。どちらも権力の拡大を狙ったもので、利害関係が一致している。そして、どちらもその存在意義から離脱していることを全く無視、というか意に介していないように見える。それで良いのか?良い筈はない。政治も宗教も、人々の幸福を守るべき立場だ。
結局今の政治は多数派でないと動かない仕組みになっている。だから、一人でも多くの人間を政界に、自分の派閥に入れたがる。そのためには手段を厭わないという事だ。三桁に上る議員がなんらかの繋がりを持っていたとされ、大慌ての内閣改造。これとても本来の目的からは逸脱しているように見える。新大臣からもほころびが見えているようで、まだまだ幕引きとは行かない気配。この根深い問題をホントに解決する気はあるのかしら?もしここに本気でメスを入れる人が現れたら、その人は英雄だろう。
げに恐ろしきは政治と宗教。、、、こないだまでは、政治と金だったように思うが、、、、?兎に角組織が大きくなるとろくな事が無い。トップ争いやそれに関わるあらゆる悪事が横行する。人間の性かも知れないなあ。余程注意深く自分を律していなくてはイケマセンよ、政治家さんたち。
今日は丸亀まで、とある若き画家の展覧会に連れて行ってもらった。婿殿の静か過ぎる車の助手席で帰路はかなり眠った。やはり展覧会は疲れる。多分色彩のせいかもしれない。
この作家石川嘉成君は28歳くらい。自閉症の障害児として生まれ、母親の素晴らしいサポートで凄い絵を描く少年に育ったが、彼が11歳の時他界されている。今日の会場にどうやら彼の祖父母らしき人がいて何くれと無く世話を焼いていた。おじいさんは大作の前で、彼と一緒に写真まで撮ってくれた。一番感銘を受けたのは、絵の背景だ。考えも及ばないような色使い。大胆な筆致。ぐ~っと描き込んだらしい動物達の眼。私のお気に入りは、「考えている振りをしているオランウータン」という題名が付いているもの。なんともユーモラス。画面一杯に無心に書いただろうと思わせる動物たちの一瞬の表情。いやあ、素晴らしい。で、受付辺りに立っていた彼を見て会釈をすると、「元気で長生きしてください。」と大きな声で言われる。こちらが車椅子だったせいかもしれないが、彼が早くに母親と死別していることを思えば、特別な感情が湧く。「これからもどんどん描いてくださいね。又見せていただきます。」と返すと、小さく激しく手を振ってくれた。いやあ、絶対又見たいモノだ。明らかに描いた年代によって成長しているし。楽しみ。
純粋は良いなあ。汚れのない彼の目を持つ政治家はいないんだろうか?