退化。
先日聴き読んだ?平野啓一郎の本の話を娘にしたら、「だからそれ、『マチネの終りに』の人じゃん!?」と言われてしまう。あ、そうだった。その本を読んだし、映画も見たのに作者の名前を忘れていた。どちらかというと、主演の福山雅治に気を取られていた。昔はなかった事だとしょげてもみるが、実は以前からそういう毛はあったとも思ってみたり。
そして、「私とはなにか」の内容を喋り始めると、「個人の中の分人?そんなの、演劇やってたら、分人をもっと細分化する作業をやらされるからね。。。。」と皆まで言わせない。いや、あの、そういうことじゃなくて、、、と何故か本の弁護をしているアチクシ。かいつまんで話せる内容ではないし、あっちが聞く態勢でないときに喋るべき内容でもない。段々面倒になってきて、チョン。エネルギー切れだ。
昨日息子にも同じように話し始めたら、流石教師だけある。辛抱強く聞いてくれて、此方が言いたい事の先を読んでくれる。勿論、車内で全て話せるはずもなく、さわりだけだったが、母親がそういう本に感心を持つことを厭わないでいてくれて有り難い。
本当は、以前の様にお酒を飲みつつ夜中まで喋ると言うことが出来ると良いのだが、、、今回は全くそれも叶わず残念無念。ま、仕方が無い。
しかし、最近自分の退化を思い知らされることが多い。進化することは何一つ無い寂しさ。
今、日曜日の司会の原稿をまとめているが、なかなかまとまらない。こんなの以前ならチョチョイノチョイだったのに~~。これもエネルギー切れ。
ん~む。せめて読書でも。次は何を読もうかな?