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2022年8月 7日 (日)

不幸は続く。

ちぇちの相談役というか顧問をやってくれていたH先生が亡くなられて2年になる。今日はその先生が立ち上げた三人のコンサートを引き継いだ人達の練習日だった。こちらは司会だから今日はおまけみたいなもの。4時からというので早めに出たが、あまりの暑さに一駅だのに高速に乗る。信号待ちをチンタラする気が起きなかったのだ。で、時間よりも早く着き見渡してもメンバーが誰もいない。ラインで確認するとにゃんと会場間違い。国分寺ホールかと思いきや国分寺コミセンだった。急ぎUターンして駆けつけたが、間違えたのが私だけって、どういうこと?確かにホールと聞いたんだけど。まあ、あのバタバタの時期に何か言われても半分しか聞いてなかったのかも知れない。

で、順調に練習が進んだ時、ピアニストのM先生が、急遽お帰りになると言われ、ナントH先生の実弟が突然亡くなられたと言うのだった。そういえばニュースでその池に転落事故のことが流れていたと思い出す。お住まいの近くだったが、ご住所の地名が違っていたので、関係ない方だろうと思っていたら、なんということ。。。。何が起こるか分からない。

 

何が起こるか分からないといえば、今回ある人の代打で入って貰って、オペラの舞台なんて初めてで、と二の足を踏んでいたTさん。実はこの方は短歌の会で一緒の人。そのご縁で声楽を習っていると知り、大分前にお誘いしたことがあるが、一度見学に来て到底無理、とその時は拒否。それから大分時間が経ったが、ちぇちが最後の公演になってしまったので、猶予は出来ないから、如何?とお誘いして、渋々ながらナントカ参加して貰ったといういきさつがある。非常に慎重派で石橋を叩いて渡らない人と自称する。それが日々練習に参加する内におや?と思うほど台本を読み込み、歌は個人レッスンまで受け始めたという。これは簡単なことではない。実質3ヶ月で本番を迎えたのだから、まさしく突貫工事だった。ご本人もしきりに言ってたように、長年やって来た人の3ヶ月とは違う。私には基礎がない、とは彼女の口癖。まあ確かにそれはあったが、じゃあ、他の人達は長くやって来て最高の演技が出来たかというと、残念ながらそれはノーだ。長くやって来た分、経験が豊富な分、もっと出来たはずという後悔があっても、完璧だったと胸を張れる人が何人居るだろうか?もっと時間があればもっとやれたと思っている人が多いはず。3ヶ月でスタートラインに立ったのは、ほぼ全員だった。確かに楽譜や台本は早くに手にしていたが、コロナ禍で本当にやれるんだろうか?没になるんじゃないか?とか、疑心暗鬼の状態が長く続いた。そのためにモチベーションがだだ下がり状態。そうなると、そこに色々出来ない理由もくっついてくる。流石にその状況では、いよいよちぇちの解散は「無」の中での解散になるのか?と思ったこともある。

そんなとき、Tさんが現れた。液状化した土砂の中に、石の塊が紛れこんだように。彼女はまっさらな気持ちでこの作品に向かっていった。右も左も分からない中、とにかく必死だった。確かに彼女が言うようにオペラは難しい。未経験者にとってはなおさらだ。すると窮状を見かねたNさんがヘルプに回ってくれる。そうした状況をみんな見て無いようで見ていたのだ。中には何故あの人は入ってきたのか?的な目もあったかも知れない。しかし、私は信じていた。いつか出来ると。あるときから、「Tさん頑張ってますね。ちゃんと音も取れてるし。セリフもしっかりしてきましたね。」と色んな人から言われるようになる。このまま順調に本番まで突っ走ってくれるだろうと踏んだ矢先、実兄の病状が芳しくないことを知らさせる。が、コロナ禍で会いにも行けず、ジリジリ手をこまねいていたようだ。色々そのお兄さんの事をお聞きするとジャーナリストで、正義感の強い人だと分かる。ネットで読めるというのでその方の文章を読ませて貰ったが、確かに記者らしい客観的に物事を見、中庸を文章に載せてはいるが、本来の正義感が随所ににじみ出ている。「今書き残したいことがある。」と言われたそうな。尊敬するお兄さんを持たれて本当に良かった。そのお陰で彼女はこの舞台を乗り切ったと言えるだろう。兄の真剣な生きざまは妹に影響を与えずにはおかなかったということだ。

誰でも、懸命に生きているときは美しい。

 

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