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2022年8月

2022年8月31日 (水)

恵みの食材。

今日は来店客から珍しいお野菜や、フルーツを頂いてご機嫌。内お一人Mさんはは明日から雨になるかもというので、味が変わらないうちにと大量の無花果を往復1時間もかけて届けてくださる。この自然の恵みのお裾分けは本当に嬉しい。Nさんの冬瓜も久しぶり。バターナッツという名前の瓜のようなのは、初めて。明日は早速頂こうとレシピを探っている。

もう一人の方は植物を育てるのがとてもお上手。わが家の失敗作の話から、育て方のアドバイスをして頂く。これまた早速実践しなくては、と考えているところ。それは良いが、洗濯物を取りに庭に出ると、もの凄い草ボウボウ。これはナントカしなくては、、、とは思ったが、あまりに暑い。台風が来るかも知れないと言うから、その雨の後にしようと思っている。ただ、この足ではねえ。今の所、医師にアドバイスして貰った通りに暮らしていて、そのお陰だろう。段々痛くなくなってきている。室内では以前と同様に歩けるところまで回復した。但し、外は怖くてやっぱり松葉杖に頼っているが。。。ただ、素人考えでは、減ってしまったものがそう簡単に回復形成するとは思えないし、いずれは手術になるんだろうと思う。。が、めぼしい病因がただ今コロナクラスターで大変らしい。何もこんな時にしなくても、、、よね?

聴く読書二冊目を聴き終わった。「同志少女よ、敵を撃て。」というものだが、これがもし紙の本だったら、とてもじゃないが読めなかったと思う。ロシアがナチスと戦っていたあたりのお話で、ある少女が目の前で家族も含む村人が全員惨殺され只一人生き残って訓練を受け、やがて優秀な女狙撃兵として生きていく過程が描かれている。まず驚いたのは過激な内容だのに、非常にリアリティのある描写で、主人公の言動や心の葛藤に納得出来ること。「戦争の現実」がこれでもかと克明に描かれている。ロシアやウクライナの名前が随所に出てくるので、まるで今のお話かと思うほどだ。最後の方で、「戦争は男の顔をしている」という下りがあったが、まさにその通り。作者が女性かと思うほど女性心理を上手く表現している。あちらの人達の難しい名前の羅列など、本だと沢山読み飛ばすか、最後までたどり着かないと思った。15時間34分。やや短めだと思って聞き始めたが、内容が濃くて疲れた。。。

 

 

2022年8月30日 (火)

会計、その不毛なるもの。

夕べはちぇちの会計君と公演の収支決算書を作るべく長時間に及ぶ作業。結構面倒くさい作業だ、これは。おつりが出る話ならやり甲斐があるが、結局ギリギリで赤の顛末。まあ、仕方が無い。団体を解散するとなると、残しても困るし、さりとて赤が多くても大変だ。なので、本番最中にも、会計君は落ち着かない立場だった。真面目を絵に描いたような人間だから適任ではあったが、このお人好し君は、最後は自腹を切る気持ちだったようだ。まさかそれは出来ないと会長と我々三人がナントカすることとしたが、最後までちぇちらしいと言えばらしい終り方だ。「お金をかけずにやる」がモットーだったから、どこかに無理がにじみ出る。そもそもホールがコロナで県民になったところから予感はあった。今工事中のサンポートなら違ったと思うが、これもコロナのお陰だ。

どこからも助成金を貰わずに始めたが、終わってみるとコロナ助成金の対象になると連絡が来た。しかし、それは今後も団体を継続するという条件付き。故にこれの対象からも外れる。てことで、最後の会議でその顛末を発表してジ・エンド。あとは衣裳部屋の整理だ。これも結構大変だ。結婚と同じで、始めるのは簡単だが、終わるのは大変だ。ハハハ。

それぞれが持てる力を出し合っての会の運営だった。この会計君も(歴代の会計さんも)一円も貰うわけではない。会長が沢山ピアノ伴奏をやってくれたが、全部無料奉仕の上に公演となればノルマは最高額。かく言うアチクシのやることも全てボランティア。プリンターは2台パーになったし、パソコンも買い換えた。勿論ノルマも出演しないが最高額。他にも様々な作業にエネルギーを出してくれた皆も、全て気持ちで動いてくれたものだ。それもこれも、ひとえに発起人のI先生のポリシー、「見る人も演じる人もなるべくお金を使わないで、音楽を楽しむ。」に近寄せるため。そのことに個人的には悔いは無い。きっと世にも稀な団体だったとは思うが。

 

で、一つ重荷が下りたと思ったら、今度は娘の立ち上げた二つの会の事務局をやらされる羽目に。早速郵便局へ団体の通帳を作りに行ったが、まあ、めんどくさい!一杯揃える書類があり、昔とは大違い。気の毒そうに担当者が言う。「申し訳ありませんが、これを全部揃えてくださったとしても、すんなり終わるとは限りませんので、ご理解ください。」だって!これじゃあ、みんな嫌になって、違法でもなんでも簡単に済ませようと思うんじゃない?こういうのがもっとスムーズに行くようにならないかなあ?結局何かあったときの責任逃れを考えてるんだろうなあ。やれやれ。

 

2022年8月29日 (月)

切り替え。

あまりの疲労困憊に夕べは泥のように眠った。

コンサートの司会という大役をやるには少々不味い体調。司会席の後ろには椅子を用意して貰い、勿論演奏の間は座っていたが、にしてもかなり疲れた。本当に何をやるにしても健康が一番大事と痛感する。新聞にも出たとかで思いのほか多くのお客様。が、趣旨はH先生の追悼コンサートの意味合いが濃い。どうしても気持ちはセンチメンタルミチコになってしまう。最後のアヴェマリアではそれが抑えきれず涙声で終わってしまった。先生ゴメンナサイ、って感じ。年と共に涙腺が弱くなり、、、最後に久しくお会いしてなかったT氏が、「H先生ありがとう!」と叫ばれたことで余計ブレーキがきかなかった。

先生似のご子息が茨城からご夫婦で参加されていて、初めてチャンとご挨拶できたのは良かった。我が息子と同じ水戸にお住まいというご縁もある。短い会話だったが、本当にお父様によく似ておられて優しさに包まれた。

帰宅してまったりしていると娘からスカイプ。そこにスマホで割り込んできた息子とGoogle  duoに切り替えて3者での会話。それぞれが飲み物を片手ににわか通信宴会とあいなる。丁度息子は新潟に出張中。アルコール片手に家族に気兼ねなく喋っている。娘の背景には時折孫べえが顔を出す。宿題の絵が未完成でごちゃごちゃやっている。まあ、世の中便利になったもんだ。これなら離れていても互いの近況程度は分かるし電話よりも良い。

確か午前様にはならず終えたが、お風呂に入る元気もなくそのままベッドイン。泥のように眠り7時、8時、9時と起きてはベッドに倒れ込み繰り返し眠る。流石に10時になって起き出して遅い朝ご飯を食べこれからお風呂。しっかり目覚めたら友人をピックアップして彼女の用事に付き合うことになっている。

 

こうして、日々過ぎていく。

2022年8月27日 (土)

読書の秋の夜だけど、、、。

今日手に取った本も面白い。笑いの琴線が同じ人からの紹介ものはきっと通じるものがあるんだろう。五木寛之「マサカの時代」というものだが、85歳の時に書かれた物らしい。トランプがマサカの大統領とか、アベノミクス、だとかが出てくる。まだウクライナは出てこない。だから今、という訳ではないが今非常に分かる内容。傑作なのは、「近頃10年位前の経済誌を読むのが楽しい。」というのだが、それは10年先のことを予想して書かれたものが、悉くそうはなってないからそこが面白いというのだ。なんとも皮肉やさんだ。

まあ、たしかにマサカや~という朝の連ドラのセリフのように、日々驚かされている。「人生は小説より奇なり」とは死語のようだが、実際現代を生きる人々はみんな波瀾万丈のドラマの主人公を生きている。

まだ少ししか読めてないが、既にこの方は先見の明があるように思う。「世間はなるべく耳をふさいで、雷が鳴っていても聞こえないかのように暮らしている。、、、、略。どんな時代にも国民感情というものはある。、、、略。無意識のストレスとして人々の心の裡に積み重なる物があるはずだ。それが理性をすり抜け、やがて膨れ上がった感情が全体意志となり、事態を大きく動かす。そういうことは今後、十分ありうるのではないだろうか。」と書いている。戦争体験者として、「現実感も切迫感もないまま、突然、いきなり戦争が始まる。その「マサカ」だってあり得るのではないだろうか。」と書いている。あなおそろしや。

そしてマスコミ批判も的を得ている。「マスコミはつくづく因果な職業だと思う。」とあり、「悲惨な事故や事件が起こるとたちまち水をえた魚のように生き生きしてくる種族である。」「マスコミは本能的に血に飢えている。」とはまさしく言い得て妙。

 

全部読んでると明日に響くから、本日はこれまで。最近翌日の予定が気になって眠れない、なんてことがたまに勃発する。

さあ、寝ましょ~。

2022年8月26日 (金)

退化。

先日聴き読んだ?平野啓一郎の本の話を娘にしたら、「だからそれ、『マチネの終りに』の人じゃん!?」と言われてしまう。あ、そうだった。その本を読んだし、映画も見たのに作者の名前を忘れていた。どちらかというと、主演の福山雅治に気を取られていた。昔はなかった事だとしょげてもみるが、実は以前からそういう毛はあったとも思ってみたり。

そして、「私とはなにか」の内容を喋り始めると、「個人の中の分人?そんなの、演劇やってたら、分人をもっと細分化する作業をやらされるからね。。。。」と皆まで言わせない。いや、あの、そういうことじゃなくて、、、と何故か本の弁護をしているアチクシ。かいつまんで話せる内容ではないし、あっちが聞く態勢でないときに喋るべき内容でもない。段々面倒になってきて、チョン。エネルギー切れだ。

昨日息子にも同じように話し始めたら、流石教師だけある。辛抱強く聞いてくれて、此方が言いたい事の先を読んでくれる。勿論、車内で全て話せるはずもなく、さわりだけだったが、母親がそういう本に感心を持つことを厭わないでいてくれて有り難い。

本当は、以前の様にお酒を飲みつつ夜中まで喋ると言うことが出来ると良いのだが、、、今回は全くそれも叶わず残念無念。ま、仕方が無い。

しかし、最近自分の退化を思い知らされることが多い。進化することは何一つ無い寂しさ。

今、日曜日の司会の原稿をまとめているが、なかなかまとまらない。こんなの以前ならチョチョイノチョイだったのに~~。これもエネルギー切れ。

ん~む。せめて読書でも。次は何を読もうかな?

お久しぶ~り~ね~。。。

今日は母校でお仕事があるという息子を、我が母校でもある高校へ迎えに行く。殆どの校舎は改築が済んでいて、今は体育館のみの建設中だ。息子は予想通り新校舎の見学もさせて貰い、生徒間のコミニュケーションを考えた設計に感心していた。

息子は帰省はしたが、空港からはバスで往復し、お泊まりはホテル。なかなか以前の様にはいかない。が、まあ、顔を見られただけでも良かった。夫が「老けたなあ~」と慨嘆する。そりゃあ当たり前。こっちだって相当なもんだ。年内に家族で車に乗って帰省するかも知れないとは言ってたが、どうなることか。寂しい限りだ。

結局コロナめ!ってことになる。

やれやれ。

 

今宵の虫は中音域が良く響いているなあ~。

 

2022年8月24日 (水)

読むこと、聞くこと。

こないだから借りてきた本をぼちぼち読んでいるが、秋の気配が迫ってきたせいもあるのか、妙に本に親しみたいと思う日々。が、色々事情があって、本に首っ引きというわけにもいかず、フト思い出して会員になっていてさっぱり聞いてなかったオーディブルを聞いてみても居る。これまでは所謂ハウツー本とかは聞く気になれず主に小説ばかり聞いていたが、チョット気になるタイトルの本があり、「私とは何か」という平野啓一郎のものを聞き始めた。これが以外と良かった。小説はストーリーが気になって物によっては20時間にも及ぶものもあり、睡眠不足になったりしていたが、この手のものはせいぜい8時間くらいのもので、例えば30分のスリープライマーにセットして聞きながら寝てると、いつの間にか眠っている。記憶にないところは再度巻きもどして聞けば良い。先が気がかりで眠れないという程ではない。だからその意味でも聞きやすい。

この本の内容はなるほどと合点するところも多い。しかも読み手が非常に上手い。自分が理解して読んでいるということがよく分かり、これはもう巧みといえる読み方。あと少しになったので、今日にも聞き終えるだろう。

結局自分にとっての読書とは、脳の活性化に他ならない。目は活字を追っていても、脳内に必ずしもその活字だけが映っているとは限らないのと同じで、耳で聞いていながら、脳内は色々と考えている。言い換えれば作者と対話しているわけだ。それが面白い。

さ、今宵も本を聞きながらベッドイン。

2022年8月23日 (火)

アナ恐ろしや~。

たまたまかかっていたテレビで、中国の歴史を変えた女性達を特集していた。如何に知らなかったか、を思い知った。これまで、女性の特質として、みんなが平和主義で、人を殺戮するなんてこと、オトコの発想だと思い込んでいた。が、この画面に出でてくる女性たちの多くは人を殺めることなんか平気だったようだ。国を動かすほどの運動が起こったとき、その先頭に立った女性達はいとも簡単に同じ国民を大量殺人したようだ。例えそれが自分を育てた家族や恩師だったとしても、「革命」のためには平気でできたという。後に反省して謝罪した人もいたようだが、にしても、何故そこまでのことが出来たのか?見終わっても信じられない。

例えば、今話題の宗教団体に影響を受けた人が、自分の全てを捧げても構わないとなるのと同じ臭いがする。

只さえ人間は弱い生き物だ。心身共にと言えるだろう。自分を保ち、自分の足で立ち続けることが如何に大変か。今股関節を痛めているから言うのではないが、些細なことで、ぐらつくわけだ。正しくそれを救済するものとしての宗教は哲学として医学と同じく存在価値があると思うが、弱みにつけ込んで何もかも奪うというやり方は糾弾されるべきだろう。この番組で紹介されていた激動の時代の女性達も、何か得体の知れない物に支配されていた様に見えた。時間が経って、まるで夢から覚めたように頭を垂れるその女性達。誰もがもしかしたら条件が揃えばああなれたのかも知れない。そこに男女の差は無いのだろうか。

今日ニュースで、15歳の少女が通り縋りの女性親子をナイフで襲ったと流れた。、、、なんともかんともゾッとする事件だ。

 

今日はトンボがやってきた。何トンボか?かなり大きく、キレイな色。今も虫の音を伴奏に書いている。救われる~。

 

2022年8月22日 (月)

虫がか細く鳴いている。うら悲し。

昨日のメンバーからラインが入る。どうも私の顔付きが柔らかくなったように見えたらしい。額の皺がなくなってたとか。。。あっちゃ~。全く気にしてなかったが、そうだったかも知れないなあ。兎に角限界までやっていた。最後はぶっ倒れても本望だと思うくらいに。火事場のバカちからとはあのことだ。

しかし、当然のことながら今回の解散はそれぞれの胸に寂しさを残したようだ。彼女の文面に寄れば、「人が集えば、人数分だけ事情があり、それを抱えながら目標に向かう。今後、損得勘定無く、駆け引きもなく、ONE TEAMになれる人間関係を構築出来る集いに出逢えるかな~出逢いたいな~と思う日々です。」そう、そういうことだった。皆がそれぞれ力を出し合って同じ目標に向かっていくというのは、得がたい経験だったに違いない。そこに利害関係もなく、ひたすら音楽にのみ、公演にのみエネルギーを注入し続けたのは、苦しいけれど快感もあったのではないか。他にも、「今回は十分満足するほど出来なかったけど、何だか、又歌を本気でやりたくなりました。」と言ってきた人が居る。良いことだ。今までの経験がどのように今後花開くか、それぞれの花を咲かせて欲しい。

日曜日のコンサートの司会用に準備をしているが、H先生の追悼の意味のあるコンサート。先生のお若い頃のエピソードを盛り込む予定だが、奥様にお聞きすると知らなかった事が分かり、今更ながら音楽に彩られた先生の人生を想う。工学博士としての人生と並行して音楽を携えておられた先生。亡くなられる前、しきりにご自宅に皆を集めて次々と新曲を提供され、参加する我々は奥様の伴奏だけでない手厚いおもてなしに恐縮するばかりだったが、今思えば、そうすることで、先生亡き後もみんなが行き易い状況を作っておられたのだと思う。それが先生流の奥様への愛情だったのではないか。風光明媚とはいえ、寂しい一軒家にお一人になられた奥様は東京生まれの東京育ち。そういう状況になっても、絶えず音楽仲間が訪れて楽しい時間を過ごすことが出来るようにと、考えておられたのではないか。、、、「素晴らしい!」これが先生の口癖だった。

2022年8月21日 (日)

リハーサルの日。

今日は間違わずに会場入り。なんせリハーサルだ。着くやいなや、早速始まる。この会場では、昔ちぇちの練習もかなり頻繁にやった。結構遠かったが、あの頃は若かったんだろう。それほど遠くに感じなかった。コミセンで、ピアノがあるところが非常に少ない。これは文化の程度の問題だろう。ン十年前からちっとも変わってないのは残念だ。

ちぇちの公演が終わっても、こうして音楽に関わることが出来ているのはホントに幸せなこと。H先生聴いてるかな~?とふと思ったり。今回のコンサートはH先生追悼の意味が濃い。二年なんてあっという間だった。未だにそこにおられないのが嘘みたいな感じだ。

みんな前回とは違って、調子が上向いてきている。自主練しているんだろうなあ。そしていよいよ迫ってきたから気持ちも違ってきてるんだろう。「歌」は「心」だ。心の状態がそのまま出る。

自分のやるべき事を確認して、ピアニストとお先に失礼して帰ったが、彼女のお嬢さんは明日がコンクール本番だという。上手く行ってくれると良いなあ。母として自分の事以上にハラハラドキドキしてるようだが、親子で同じ道を行くということはそういういことだ。いつかそれも良い思い出になるだろう。

なんだか懐かしくて、通っていた頃使っていた裏道を通って帰路についた。俄然こっちが早いんだが、今日は三回も車にすれ違ってお互い巧みに切り抜けたことだ。何故か狭い道を通りたがるアチクシではある。

 

友人kさんから借りて帰った本を早速一冊読破。朝井まかてさんの物で、「藪医 ふらここ堂」という作品。なるほど面白い。和物というのは言葉遣いも結構好きで、これは我が父親の影響だろうと思う。そして、やっぱり日本人なんだろう。微細に語らなくても映像を見ているような気分にさせてもらえる。今時世に出た物にしては感情がかなり抑えられた読み物になっている。日本人的だ。他の作品も読んでみようと思っている。なんせ沢山ある。

2022年8月18日 (木)

高校野球。

元々野球フアンでもなく、高校野球もニュースで見る程度。それが、本日ひょんな事からとある友人宅でキッチリ最初から最後まで甲子園の試合を見てしまった。途中息子からの電話であちらの子供達は髙商に興味は無く、相手の方を応援しているという。ま、そんなもんだろう。立場が違えば応援するのも違って当然だ。

ただ、今日は3人で見ていたのもあり、画面に映る高校生達の表情をそれぞれが違う視点で見ては楽しんだ。応援席もとても自然で、自分の高校の上向きなときは満面の笑顔。逆に負けそうなときの表情はそれぞれが不安一色で、見ていて、「ナント素直な!」とわれわれオバアタリアンはそこにも感動した。可愛い。一日で最も暑い時間帯の試合。水をかぶったかのような汗まみれの選手達には同情するばかり。そして、「これが若さよねえ。」と感心する。「もし我々だったら10分で死んでるわねえ。」と一人が言えば、「応援席でも無理。」とみんなで笑うが、実際高校野球の良さはこのはじける若さかも知れない。でも、せめて夜なら良かったのに可哀想、とあくまで同情する。しかもベンチ席ではマスクしてる!試合内容はそっちのけ。まあ激戦だったのもあり、どちらが勝っても満足だった。監督の采配にはイチイチいちゃもんを付け、「監督の監督が要るんじゃない?」とか言いたい放題。これも「カラスの勝手でしょ!?」的な、、、、兎に角楽しんだ。最後に近江高校の校歌が流れ、平井康三郎作曲とあったなあ。

で、帰る段になってこの家の主Kさんが、もの凄い読書家で、読んだ本を持って帰れと山ほどくれる。読んだ事の無い作家の物が多く、有り難く頂いたが、さて、読めるだろうか?ま、ぼちぼちだ。

 

夕食後くつろいでいると、イギリスから帰国したY女史が電話をくれて、相変わらずの冒険ぶりを長い時間話してくれる。「今が一番幸せ。」と言われ、ちぇちの最後の公演に行けなかった事を残念がってもくれる。私より大分お姉さんだが、素晴らしいこの自由な生き方。ご子息から大分叱られたようだが、、、、。どう生きても一生だ。

2022年8月17日 (水)

あれ鈴虫が~鳴いている。。。

ついにキッチンに新しいクーラーが付いた。何が驚いたって、27度に設定しても涼しい。そして音声であれこれ言うから、夫が操作しながらなんか独り言喋ってるのかと思ったが、クーラーが喋っていたというお粗末。近頃何でも喋るなあ。必要なの?

でも、確かに今日付いたのは良かったが、この日に限って雨。気温も少し下がっている。夕べ虫が大合唱してたのはこの雨の予告だったと夫が似合わないことを言う。へえ。そうなんだ。たまには風流なこと言うねえ。すると明日はそれほど降らないか、又は晴れ?虫の声が遠くに聞こえる。と思いスマホの予報を見てみると、90パーセントとある。さて。どちらが当たりか。興味深いこと。

 

今日、ご来店のKさんは、以前股関節の手術をされている。なので、色々情報を聞くことが出来た。現在すっかり快復されて、日常生活に支障は全く無いそうだ。やっぱり手術かなあ?とはいえ、今のコロナのクラスターとかでは、どの病院も手術は難しいかも知れない。今暫く様子を見ようと思っている。それにしても一向に収束の気配が見えないなあ。お上がひとことウイズコロナ言うだけで、人出がぐんと増え、その結果がこれだ。どうなっていくのか?月末の演奏会が心配だ。むむむ。







 

 

センチメンタルな夜。

夜になってもの凄い虫の声の合唱になっている。これでもかと秋の気配を感じさせようとしていくれている。娘が電話してきて、バックに流れるこの音色に、「それって、生?」と聞くので、勿論生よと答える。パソコンの位置をずらしたお陰だろう。庭に近い。

そうなったら、俄然ワインが欲しくなった。で、先日お祝いに頂いていたワインを開けようとオープナーを探すが、どこにもない。試しに夫に聞いてみると急に怒りだした。私が家の中を色々片付け過ぎて、何がどこにあるのかさっぱり分からなくなってる、という。そこから波及してやれ自分の通り道が狭いだの、邪魔な物が多いだの、溜まっていたことを全部吐き出すかのようにあれこれ言い始める。(私はワインオープナーが欲しいだけなんだけど)で、なんだかガチャガチャやっていたら、一番原始的なのが出てきた。「これどう?」というので、まあこれ以上事を荒立てることもないと思って、それで了承。敵が二階に上がってからやおらそれを使って開け始めた。が、とにかく力がなくなっている。両足に挟んでコルクを引っ張っても、なかなか開かず、ついに途中でちぎれてしまった。そこから慎重にゆっくり力を入れてようやく開いた。

トクトクトクという小気味よい音を虫の音の伴奏で聴きながら、「ナント幸せ」と思ってしまう。そしてなみなみと注いだグラスを傾けつつ、ああ、終わったと、公演終了後初めて安堵の気持ちが湧いた。

それというのも先ほどまでお礼状を書き続けていたのだ。ある先生からは、「命の次に大切な物だったでしょう。」という文面のお葉書を頂いていたが、それには直接答えず、というか、答えられずと言った方が正しい。大切ではあったし、ある意味心血を注いだという思いもある。が、どこかでいつか終わるものとしてちぇちの活動を考えていたようにも思う。継続するにはテーマが大きすぎた。費やすエネルギーの大きさに継続の難しさを痛感していた。

以前、日本オペラネットワークの全国大会で沢山のオペラに取り組んでいる人達を前に、我々の「落後ペラ」を紹介した頃は、情熱に比例するエネルギーがあった。世の中もそういう前向きにオペラを全国に広めようという気運があった。ある意味恐れを知らず、果敢に挑戦していたのだ。とはいえその場にいた全員が日本におけるオペラの普及は如何に困難を極めるかということを、体験的に知っていた。

でもそれでもやりたい、やろうと気持ちは前向きだった。勿論それはちぇちだけではない。遠くからも参加していた多くの人達がナントカ、オペラを紹介したいとあの手この手を考えていたわけだ。

今思えば不思議な力があった。あれは何だったのか?

そして、その時のリーダー役だった方が、我々の活動に非常に興味を持ってくれて、近いうちに拝見したいと言ってくれたが、程なくしてその方は重病になられたと聞いた。そして、関係者もどんどん高齢化が進んだ。時間は兎に角早くて、あっという間にあの組織も、、、、どうなってるのか。東北大震災からコロナまで、多くの試練を受けているが、どうにか続いていてほしいものだ。

公演後いただいた多くのお便り。いずれも分不相応なお言葉が書き連ねられている。お言葉半分に受け取っても有り余るほどの賛辞だ。実際は色んな声でのご指摘も届いてはいる。いちいちごもっとも。だが、厳しいご意見の方でさえ、全体の印象は悪くなかったと言ってくださる。おそらくは、出演者のみんなの発揮した力のお陰だろう。「香川県から、このような市民団体が消えるのは寂しい。」とまで言ってくださる方が居て、その方が音楽教師というから余計有り難い。条件が揃えばずっと続けたかったのは本音。でも、こういう方々から、今後何かが生まれることも期待したいところだ。

 

いつまでも虫が鳴いているなあ。

 

 

2022年8月14日 (日)

真剣に遊ぶ。

遂にキッチンのクーラーがお釈迦になった。先日プロにお掃除して貰ったばかりだが、具合が悪いのはお掃除のせいではなかった。経年劣化だろうが、最も頻繁に使用する場所だから無理もない。早速先日のお兄さんに一台依頼したら、早速明後日取り付けてくれるらしい。今繁忙期らしいが、ガンバッテ交渉してくれたらしい。助かった。

と思ったら、今日は炊飯器の調子が悪い。スイッチを入れてもいつの間にか切れてしまっている。何度もやってみたが無駄だった。結局今日の炊き込みご飯は鍋に移して手作業で炊き上げた。失敗するかと思ったがナントカ上手く行って、丁度来ていた娘親子と4人で食べるとあっという間に空っぽになった。次から次へと、も~どうしてくれるの?と思っているが、明日は少し自分流にチェックしてみようとも思っている。接触不良かも知れないから。(希望的観測)

形ある物は必ず壊れる。確かに。あれもこれも壊れ、ついには人間様も壊れかかっている。おしまいにはこの家も壊れるだろうが、娘は将来この家をリフォームしていろいろな活動の場に使おうというビジョンを語る。まあ、好きにしてくれたら良いが、、、、。

ちぇちもある意味壊れた訳だが、今回友情出演して貰った合唱団Fさん達6人は、長くW先生と団をまとめているらしい。コロナでも壊れず大会に参加したりと多忙なようだ。毎回参加して貰って思うのが、皆さん本当にお優しいこと。いくら初めての参加ではないとは言え、普段一緒に練習している仲間ではない。なのに皆に溶け込もうと努力してくれていたし、何より常に笑顔が溢れているのは素晴らしい。何を言っても返事が軽いのは、私としてはとても有り難かった。大勢の人が関わる舞台。人と人がそれぞれ自分を主張し始めると収拾が付かなくなる。疑問点があっても、一先ず言われたことには素直に反応してくれるのは進める上で兎に角有り難かった。タイミングを見て疑問点は必ず此方まで届けてくれるので、非常にやりやすかった。そして何より楽しんで参加してくれたらしい事が伝わった。この人達ともう一緒の時間が訪れないかと思うと、寂しさを覚える。

思うに、ちぇちの、「真剣に遊ぶ」という精神は最後まで全員を繋いだのではないか。

2022年8月13日 (土)

心の洗濯。

先日のパワー溢れる極彩色の絵と違って、静謐な風が吹き渡るような現代アートK画伯の展覧会に出かけた。といっても鑑賞だけでなく受け付けお手伝いに私の代わりに娘が行くのにくっついていった次第。いつもはドリームフレンズという女性ばかりのグループが展覧会のお手伝いに回る仕組み。その中の一メンバーのアチクシは、さっぱり使い物にならないため、身代わりに娘に参加して貰った。孫べえの夏休みの宿題もあってのことだった。

午前中はお仕事は娘に任せてこちらは階下でもっぱらご夫妻とお喋り。最近亡くなられたヴァイオリニスト佐藤陽子さんの思い出話や、それにまつわる様々な人々との昔話に花が咲いた。本日の画伯のTシャツは池田満寿夫氏の手になる絵が描かれたもの。追悼の意味があるのか?

そしてお互いに時の流れの早さに驚くばかり。帰国してもう六年にもなる。そのNYから帰国した折のとんでもないエピソード。以前にも聞いて驚いたと思うが、細部にわたり聞いてさらに驚く。SOHOのアトリエを引き払って帰国した折、あちらの運送業者に依頼したが、個数にして2200個もあったため、日本の本社からこの数は間違いではないのか?と支社に問い合わせがあったそうな。会社の移動でも500個あればいい位で、個人でその数は信じられないと言われたそうな。しかし、会社も色々調べてあり得ない数ではないと納得してGOサインが出たという。一旦横浜港に荷下ろしをして大型トラック27台分に積み直し、そこから大阪港で再度積み直しだったそうだ。家が一軒建つほどの費用をかけてそっくり移動したという。なんと豪快な。言われてみれば確かに画伯の趣味(?)で集めた原住民の木彫りの人形などもかなりの数に上る。石の彫刻も今回オープンした彫刻スペースに鎮座している。とにかく大きな作品が沢山あって、そういえばSOHOのアトリエで拝見した時もまるで運動場みたいなところで製作されていて、これは移動が大変だろうなあ、と漠然と思ったことがある。あの時はまさか日本に帰国されるとは思わなかったが。

この一連の事は、奥様の大きな愛情から来ている。これまでの画伯の全てを何一つ捨て去ることなく、そっくり日本に持ち帰り、これまでと変わらず絵の制作に取り組んで欲しいということだろう。住む場所が変わっても製作は同じように続けて欲しいという気持ちの表れだ。そう思っても叶わないケースが殆どだろうが、この奥様の立ち位置は明確だ。「夫に、絵をずっと描き続けてもらいたい。」それ以外は何も要らない、ということだ。画家のパートナーとしてこれ以上の人は居ないだろう。

生活は決して華美ではなくどちらかというと質素だが、ご夫妻のまわりはいつも輝いている。昔、此方での帰国パーティの折、沢山の人が集まるというのに、ペラペラの500円のTシャツに旦那様のステテコという出で立ちで出ようとして、ある上流階級の奥様からたしなめられて、その方がたまたま買ってきていた洋服に着替えさせられたと愉快そうに話す。実際はセンスの良い人で何を着ても様になる素敵な女性だが、流石に日本のしかも田舎では、なかなか通用しなかったのだろう。

今日はスマホではあったが、公演の舞台写真をいくつか見てもらった。すると一番に、「シンプルな舞台だけどお金がなくてそうしたって感じじゃないわよねえ。」という感想。「そうか、照明のおかげね。照明は大事。」と言われる。流石の視点。

長い間無理ばかり言ってきた照明さん。今回も無茶なお願いをして、しかもそれをダメとも言わずやってくれた。これまでも、「出世払いで」とかなんとか言い逃れをして安くやって貰ってきたのに、出世しないままお別れになったのは心苦しい。舞台製作のYさんも、「今回も蓮井ワールドを楽しみにしています。」と優しい言葉だった。アマチュアをこうしたプロの人々がサポートしてくれたのは有り難い事だった。

いつか、恩返しすることがあれば良いが、、、。

 

2022年8月12日 (金)

出来るオトコ。

リフォームの不具合が本日めでたく解決した。結果は単純なことが出来てなかっただけのことだったが、まあ、手こずった。以前入ってくれた業者さんが、又入ってくれて数ヶ月ぶりの対面だったがとても嬉しかった。私はこの人の腕に惚れている。腕もそうだが、きっぷに惚れても居る。仕事を楽しんでやっている感じが好き。丁度彼が到着したとき、実はリフォーム担当のお兄さんに余分なお仕事を頼んでいて、真面目な彼が汗水垂らしてやろうとしてくれたのだが、どうにも動かないブツを前に絶望的になっていた時だった。「困りましたねええ。無理っぽいですねえ。」と彼が言ったその時ドアを開けてニヤッと笑って、その出来るオトコが入ってきた。「一体何やっとるんでですか?」「いやあ、これがねえ、ちっとも動かないんですよ。」途方に暮れているお兄さんを一瞥して、「分かったから、ちょっと先に裏見るから。」ともう一人の作業員共々あっという間に消えた。「誰がやってもこれは無理でしょう」的な顔つきで汗を拭い続けるお兄さん。「やっぱり古いから、デザインが今時のとは違うからもうダメかなあ?」と私も内心諦めかけた。そこに舞い戻ってきてくれた出来るオトコは、手短に不具合の説明を聞いて、「これはね」と言うが早いかあっという間に直してくれた。お兄さんの顔は丸つぶれ。なので、あからさまな拍手は出来なかったが、内心ブラボーを連呼。私の目に星が出ていたのだろう。「いやいや、これはね。ここがこうなっているから、こうしてやれば簡単に出来るんですよ。」と朗らかに笑う。いや~。前回も感動物だったが、今回も素晴らしい。、、、いつもはソフトドリンを差し上げるのが常だったが、本日はよく冷えた「エビス」を、「家で飲んでね」と念を押して渡したが、それでも気になって追加でサイダーなど渡したもんだ。こういう人、一家に一人欲しいよねえ。

「出来る」というのは勿論そのスキルがあるということだが、それだけでは人は感動しない。そのスキルをどう使うか?どう見せるか?それ以前に人間性だなあ。ここも大事な要素だと思う。例えばちぇちの楽団がそうだった。皆さん地域で引っ張りだこの人達。特に長くコンマスをやってくれたN女史は、ちぇちの公演前後でもずっと多忙だった人。そのお忙しい方が、我々の練習日程を聞いてこられて、一人でも参加して良いですか?と聞いて下さった。ほぼほぼ皆さんがそういう方で、バラバラに参加して下さったこともあった。アマチュアの団体を側面から熱く支えてくれた人達。本当に有り難かった。今回も含めて何度か指揮をして下さったW先生も、私たちをまるごと抱きしめてくれた。その証のように、二日目の終演後、ロビーでの簡単なセレモニーの時、皆さん泣きながらスピーチをして下さったのは、私たち全員の心にしみたことだ。私たちはなんという果報者か。今回初めて参加して下さったヴァイオリンの女性は、これが最後とは知らずに参加しました。と言われて、無念の思いを吐露して下さる場面も。

早速9月4日には志度ホールで、「ストラディヴァリウスの音を聴いてみたい」という素敵な演奏会が志度ホールで開催される。テレビで見たことのある永峰高志氏が弾くらしいが、そこにN女史は共演される。今からとても楽しみ。

純粋から生まれる尊いもの。

とある宗教団体が世の中を暑い上にさらに暑苦しくしている。自分自身は、かねてから独断と偏見により、「祈」と「信心」は別物だと思っている。前者には何も弊害がないが後者は、例えば「盲信」という言葉があるように、又は「狂信」とも言われるように、いつの間にか自分が無くなってしまう危険があると思っている。本来は苦しみを抱えている人からその苦しみを解いてくれるもの、又は悲しみに耐えがたい境遇の人の支えになってくれるものではないのか?イコール信者を幸福にしてくれるものではないのか?

にしては、信心したが故に逆に苦労を背負い込んだり、家庭が破滅したりするケースがよく聞かれる。こういう場合は明らかにその宗教に出会わなければそんな結果にはならなかった訳で、一体何のための宗教か?ということになる。今回取り沙汰されている事案は、勿論元総理暗殺がきっかけで再燃したものだが、過去にも相当議論を呼んだものだ。最近静かになったと思っていたが、水面下では変わらず活発な活動が続いていたようだ。

この元総理暗殺に関しては、単にとばっちり以上の原因があったということのようだ。宗教団体が政治を利用し、逆に政治が宗教団体を利用する。どちらも権力の拡大を狙ったもので、利害関係が一致している。そして、どちらもその存在意義から離脱していることを全く無視、というか意に介していないように見える。それで良いのか?良い筈はない。政治も宗教も、人々の幸福を守るべき立場だ。

結局今の政治は多数派でないと動かない仕組みになっている。だから、一人でも多くの人間を政界に、自分の派閥に入れたがる。そのためには手段を厭わないという事だ。三桁に上る議員がなんらかの繋がりを持っていたとされ、大慌ての内閣改造。これとても本来の目的からは逸脱しているように見える。新大臣からもほころびが見えているようで、まだまだ幕引きとは行かない気配。この根深い問題をホントに解決する気はあるのかしら?もしここに本気でメスを入れる人が現れたら、その人は英雄だろう。

げに恐ろしきは政治と宗教。、、、こないだまでは、政治と金だったように思うが、、、、?兎に角組織が大きくなるとろくな事が無い。トップ争いやそれに関わるあらゆる悪事が横行する。人間の性かも知れないなあ。余程注意深く自分を律していなくてはイケマセンよ、政治家さんたち。

 

今日は丸亀まで、とある若き画家の展覧会に連れて行ってもらった。婿殿の静か過ぎる車の助手席で帰路はかなり眠った。やはり展覧会は疲れる。多分色彩のせいかもしれない。

この作家石川嘉成君は28歳くらい。自閉症の障害児として生まれ、母親の素晴らしいサポートで凄い絵を描く少年に育ったが、彼が11歳の時他界されている。今日の会場にどうやら彼の祖父母らしき人がいて何くれと無く世話を焼いていた。おじいさんは大作の前で、彼と一緒に写真まで撮ってくれた。一番感銘を受けたのは、絵の背景だ。考えも及ばないような色使い。大胆な筆致。ぐ~っと描き込んだらしい動物達の眼。私のお気に入りは、「考えている振りをしているオランウータン」という題名が付いているもの。なんともユーモラス。画面一杯に無心に書いただろうと思わせる動物たちの一瞬の表情。いやあ、素晴らしい。で、受付辺りに立っていた彼を見て会釈をすると、「元気で長生きしてください。」と大きな声で言われる。こちらが車椅子だったせいかもしれないが、彼が早くに母親と死別していることを思えば、特別な感情が湧く。「これからもどんどん描いてくださいね。又見せていただきます。」と返すと、小さく激しく手を振ってくれた。いやあ、絶対又見たいモノだ。明らかに描いた年代によって成長しているし。楽しみ。

純粋は良いなあ。汚れのない彼の目を持つ政治家はいないんだろうか?

 

 

2022年8月10日 (水)

元メンバー。

長くやってくると、どうしても諸事情で退団を余儀なくされて仕舞う人が出てくる。現在多くの、「元メンバー」が存在する。そして、ある意味そういう人達に支えられての上演だったとも言える。今回も沢山の元メンバーから物心両面の応援をもらった。H女史はあれ程歌が大好きだったが、大病の末退団し、今回は得意な「書」で参加してもらった。又ある人は、舞台に立てなかったがパソコンのスキルがあり、台本作成に関わってくれた。その前には練習用の音源の作成までやってくれた。そしてある人は本番当日の受付けに入ってくれた。又ある人は東京から駆けつけてくれての裏方をやってくれた。彼女は信じられない位の働きをしてくれて、10人分くらいの動きだった。終演の二日後に移動する彼女にささやかなお礼のランチ。本当はそんな物では申し訳無かったが、お気持ちを有り難く頂く。何より嬉しかったのは、東京に住みながらも高松が、ちぇちがとても懐かしいと言ってくれること。確かに彼女とは楽しい思い出がいっぱいある。ナントいっても舞台でオルロフスキーを演じたこと。男装してムチをふるったのが我々のお気に入り。実はそれは自分も同じ役を別の日にやったのだが、ビシッという床をはじく音が妙に快感だったと、思い出しては互いに大笑い。まあ、色んな事をやったものだ。

実は今回のコロナ騒動で、職場から指令が出たため休団せざるを得なかったという人が居る。メンバーは殆ど仕事をしているからそういう事が起きてもおかしくない。彼女Mさん一人だったことが不思議なくらいだ。長い間舞台ではソロをやって来て、個性的な役をこなしていたし、今回も台本を書くときから期待していた。が、蓋を開ければそういう事になってしまって、これまた急遽代役を探した。しかし、時間的に歌うことに集中する他なく、彼女以上に動ける筈もなく、地味な演技に終始したのは無念さが残る。本番前に突如楽屋見舞いにやってきたMさん。長く居られないから見られないという。もの凄い差し入れと多額のお祝い金が彼女から手渡されたとき、無念さがこみ上げた。最後の公演だったのに。。。。

この彼女の行為はなかなか出来るものではない。いくら内情を知っているからとはいえ、だからといってその気持ちを形に、行動に移すことは誰にでも出来る事ではない。Mさん、有り難う。みんな頑張ったよ!

落語+オペラ=落後ペラ

相変わらず暑い日。ますます暑くなる事件勃発。今年リフォームしたお風呂場の排水が異様に悪い。在るときは便利屋さんに、在るときは専門と言われる業者に来て貰ってナントカして貰おうとしたが、結局今日になって、大もとの配水管を直す事に決まった。リフォームを依頼した業者さんに立ち会って貰い、何だか大ごとに。新しいお風呂がお気に入りの孫べえも、何度かに分けて排水するという面倒にうんざりしていたが、直ったら頻繁に使おうと楽しみにしている。

一連の流れを見ていて思うのは、餅は餅屋というものの近頃分業化されすぎていて、出来る範囲が狭いような気がする。昔の医師が全体を診ていたのが、近頃は完全に分業化していて、体の部位ごとに専門家がいるが、全体を見て関連を調べる医師が少ないのと似ている。実はわがおみ足も、確かに股関節が悪いんだが、腰や膝だってかなり来ている。が、担当医師はそれには全く触れず、痛いと訴える部位のみに集中して診てくれている。内心これで良いのかなあ?と不安があるが、気弱なアチクシはそれを口に出すことが出来ないままだ。それに、もしそれを言い始めると際限なくアチコチ故障だらけなんだろうとも思うから触れないに限るとも思っている。この矛盾。やれやれ。

分業といえば、長く「落後ペラ」なる物をやってきて、その落後部門をこけ枝師匠に担って貰ってきた。落語とは本当に面白いものだが、面白くない落語もあるにはある。何が違うのか?矢張り空気を読む力と話芸だろう。その意味で、こけ枝師匠は適任だった。観客を舞台に引きつけてくれてから始めることが出来た。その上、芝居のなかにも登場して頂くことで、その空気をずっと舞台に流し続けて貰うのが狙いだった。

オペラと落語の最も違う点が、この空気を読むという作業で、演奏家にはそれが無いということだ。勿論観客の感動が舞台に伝わり、それに触発されて良い演奏が出来る事はあるだろうが、客席の空気を見て歌い方を変えるとか、演奏形態を変化させるなんて事はない。ただ、それも日本では、という枕詞をつける必要があるかも知れない。海外のオペラでは、特に喜劇なんかでは大声で笑う観客に呼応するように歌ったり演技したりしているのも多々ある。これは観客と舞台が一緒に一つの作品を創り上げていると言える。

実は、この団体を立ち上げる時にやりたかったのがこれだ。何をやっても観客が置いてけぼりになってしまうのが現存のオペラ。そのかしこまった空気を先ず最初に落語で変えて貰う。ああ、笑っても良いんだ、と思って貰ってからその後のストーリーにリラックスして臨んで貰うということだった。この考え方は段々エスカレートして、師匠には色々無理難題をお願いしてきたが、嫌な顔一つせずノリノリでやってくださった。チュチュを着て踊ったり、死体になって貰ったり、亀の中身にもなって貰った。その度にこれぞプロ、と思わせてもらった。、、、楽しかった。舞台が楽しんでいると、観客も楽しい。

今回も、変なおじさんのパジャマを見付けて取り寄せ着て頂いたが、カーテンコールで着替えようかどうしようかと一瞬迷い、結局そのままでご挨拶して頂いた。偶然見付けた物だったが、どうやら人気で、みんながそのスタイルで写真を撮りたがった。確かにお似合いだったか。ふ。

ご縁とは不思議な物。一番最初に知人のTさんという落語家にお願いしたが、丁度既に予定があり、僕の親友を紹介しますと言って貰ったのが始まり。お目にかかれば好印象のこけ枝さん。あの笑顔と好人物らしき風貌に一目惚れ。以来ん十年のお付き合いとなるが、どんどん知名度が上がり、近頃ではラジオ番組でも大活躍。これからは落語寄席で楽しませて頂こうと思っている。

本当にお世話になりました。

2022年8月 8日 (月)

繋がるということ。

昨日は歌会と娘の主催する「ヒロシマ朗読の会」がブッキングしてしまって、今後のための提案もあるので、孫を連れて後者の方に出かけた。暑さとコロナで集客を心配したが、思いのほか大勢の50人以上の人が参加してくれた。何より、悪条件を押してまで、ヒロシマについて考える時間を持とうと考えて下さった人々に感謝。別に私が感謝する立場にはないが、、、。今年は特にウクライナ問題もあり、より身近にヒロシマを感じた人が多かったようだ。元々この会を立ち上げたH女史に終演後声をかける。「お幾つになられても、車椅子でもこの会で朗読をお続け下さい。」と。するとすぐさま、「ハイ、そのつもりです。」とにこやかな笑顔。そして、「お聞きになって安心されたでしょう?」と言われたが、親としてはまだまだ勉強の余地があると感じましたとお返事したことだ。何をするにしても、これで達成できたと考えたときから後は落ちる一方だ。確かに前回より全体に良くはなってるが、まだまだ考えることがありそうだ。

孫と友人を乗せて帰宅して、孫には夕飯を食べさせ、やがて迎えに来た娘とは、色々話し合った。此方が注意点を話しても、素直に聞き入れる点は成長の証だと感じた。良いところは良い、改善の余地があるところはそう伝えて、彼らが帰って行き漸く長い一日が終わった。相当疲れている様子だったが、次回の話をしているところをみると、まだまだやる気はあるようだ。こういうことは継続が大変だ。意義はあるが、ただ自分勝手にやれば良いというものでもない。まあしかし、今回は中学生も出て、空気が一変したのも良かった。「ヒロシマ」を通じて「戦争」を考える。一年に一度、こうして真剣に多くの人々と考える時間を共有出来ることは良いことだ。「広島被爆者の会高松支部」というところが在るようだ。全国の被爆者が高齢化して、やがて体験者はいなくなることを思えば、戦争を知らない世代が、引き継いで行くことには大きな意味が生じる。今回のために、娘達は沢山の文書を読み、しかるべき所に朗読許可を貰い、準備のために相当なエネルギーを使った。こうした全てが、自分たちの血となり肉となる。演劇で培ったノウハウを実質的に役立てる好機だし、シャンソンを歌うための心の栄養にもなる。と私は思う。全ては繋がっている。

 

今回のちぇちの公演に限らず、これまでにも多くの場合、ゲストとしてダンサーに参加して貰ってきた。というのもオペラが総合芸術だからという側面があり、その意味するところは、芸術は全て繋がっていると思うからに他ならない。その希望をいつも快諾して下さった二人のダンサー。バレエのIさんは、先日ご挨拶に伺うと、「高松で何も分からない時から出演させて貰い、そこからご縁が拡がりました。」と言ってくださる。いやいや、こちらはただただ美しくて半端ない技術の持ち主の彼女に惚れ込んで、こんなことお願いできるのかどうかと半信半疑ながら妄想の膨らむ限り色んな事をお願いしてきた。いつも快く引き受けてくださって、期待以上のものを披露してくださった。彼女の登場ではメンバーが一番楽しんだのではないか?

もう一人のダンサーはフラメンコのNさんだ。この方は最初にお目にかかってからだと随分と立派になられた。熟女とはこの方のためにあるような言葉だ。指先からつま先まで色気があり、自在な発想力もある。この方をただのダンサーにしておくのは勿体ないとは常々思っていたが、今回漸くお芝居を絡めて貰うことに成功した。ご本人も大いに乗ってくださって、楽しんで頂いたようだ。

何が有り難いって、この貧乏団体にはお二人ともボランティアでのご出演。沢山の時間と労力を割いて頂いた。感謝しかない。これからも、地域のみならず、多方面でご活躍して頂きたいものだ。高松にこんな逸材があることに、もっともっとみんな気づいて欲しい。

2022年8月 7日 (日)

不幸は続く。

ちぇちの相談役というか顧問をやってくれていたH先生が亡くなられて2年になる。今日はその先生が立ち上げた三人のコンサートを引き継いだ人達の練習日だった。こちらは司会だから今日はおまけみたいなもの。4時からというので早めに出たが、あまりの暑さに一駅だのに高速に乗る。信号待ちをチンタラする気が起きなかったのだ。で、時間よりも早く着き見渡してもメンバーが誰もいない。ラインで確認するとにゃんと会場間違い。国分寺ホールかと思いきや国分寺コミセンだった。急ぎUターンして駆けつけたが、間違えたのが私だけって、どういうこと?確かにホールと聞いたんだけど。まあ、あのバタバタの時期に何か言われても半分しか聞いてなかったのかも知れない。

で、順調に練習が進んだ時、ピアニストのM先生が、急遽お帰りになると言われ、ナントH先生の実弟が突然亡くなられたと言うのだった。そういえばニュースでその池に転落事故のことが流れていたと思い出す。お住まいの近くだったが、ご住所の地名が違っていたので、関係ない方だろうと思っていたら、なんということ。。。。何が起こるか分からない。

 

何が起こるか分からないといえば、今回ある人の代打で入って貰って、オペラの舞台なんて初めてで、と二の足を踏んでいたTさん。実はこの方は短歌の会で一緒の人。そのご縁で声楽を習っていると知り、大分前にお誘いしたことがあるが、一度見学に来て到底無理、とその時は拒否。それから大分時間が経ったが、ちぇちが最後の公演になってしまったので、猶予は出来ないから、如何?とお誘いして、渋々ながらナントカ参加して貰ったといういきさつがある。非常に慎重派で石橋を叩いて渡らない人と自称する。それが日々練習に参加する内におや?と思うほど台本を読み込み、歌は個人レッスンまで受け始めたという。これは簡単なことではない。実質3ヶ月で本番を迎えたのだから、まさしく突貫工事だった。ご本人もしきりに言ってたように、長年やって来た人の3ヶ月とは違う。私には基礎がない、とは彼女の口癖。まあ確かにそれはあったが、じゃあ、他の人達は長くやって来て最高の演技が出来たかというと、残念ながらそれはノーだ。長くやって来た分、経験が豊富な分、もっと出来たはずという後悔があっても、完璧だったと胸を張れる人が何人居るだろうか?もっと時間があればもっとやれたと思っている人が多いはず。3ヶ月でスタートラインに立ったのは、ほぼ全員だった。確かに楽譜や台本は早くに手にしていたが、コロナ禍で本当にやれるんだろうか?没になるんじゃないか?とか、疑心暗鬼の状態が長く続いた。そのためにモチベーションがだだ下がり状態。そうなると、そこに色々出来ない理由もくっついてくる。流石にその状況では、いよいよちぇちの解散は「無」の中での解散になるのか?と思ったこともある。

そんなとき、Tさんが現れた。液状化した土砂の中に、石の塊が紛れこんだように。彼女はまっさらな気持ちでこの作品に向かっていった。右も左も分からない中、とにかく必死だった。確かに彼女が言うようにオペラは難しい。未経験者にとってはなおさらだ。すると窮状を見かねたNさんがヘルプに回ってくれる。そうした状況をみんな見て無いようで見ていたのだ。中には何故あの人は入ってきたのか?的な目もあったかも知れない。しかし、私は信じていた。いつか出来ると。あるときから、「Tさん頑張ってますね。ちゃんと音も取れてるし。セリフもしっかりしてきましたね。」と色んな人から言われるようになる。このまま順調に本番まで突っ走ってくれるだろうと踏んだ矢先、実兄の病状が芳しくないことを知らさせる。が、コロナ禍で会いにも行けず、ジリジリ手をこまねいていたようだ。色々そのお兄さんの事をお聞きするとジャーナリストで、正義感の強い人だと分かる。ネットで読めるというのでその方の文章を読ませて貰ったが、確かに記者らしい客観的に物事を見、中庸を文章に載せてはいるが、本来の正義感が随所ににじみ出ている。「今書き残したいことがある。」と言われたそうな。尊敬するお兄さんを持たれて本当に良かった。そのお陰で彼女はこの舞台を乗り切ったと言えるだろう。兄の真剣な生きざまは妹に影響を与えずにはおかなかったということだ。

誰でも、懸命に生きているときは美しい。

 

2022年8月 5日 (金)

嬉しくもあり、寂しくもあり、、、。

今日の午後は昔ちぇちの舞台に立ってくれていた、ソプラノSさんがはるばる京都から来てくれた。PCR検査して車での移動。明後日のK女史のリサイタルのために来たと言う。しばらく合わない間に劇的に環境が変化したSさん。小学校の音楽の先生から今や老舗旅館のオーナーになっていた。これが最後は地球は狭いというお話になるのだが、、、。はるばる車を飛ばして会いに来てくれるとは、なんと嬉しい事。

彼女は美しい声と素直な心を持つスリムで素敵な女性だったが、今はかなり逞しくなっていてビックリした。まあ歌に相応しい体型になっていたということだが、現在も声楽のレッスンを受け続けていて、郷里が同じということでK女史とは親密な関係になっているようだ。そしてK女史がニューヨーク時代懇意にしていたK画伯ご夫妻を明日一緒に訪問する事になり、話している内に画伯ご夫妻と懇意な女性が日本での定宿にしていたのが、このSさんの旅館だったというから驚く。かくも地球は狭いのだ。

やはり歌が好きな人だけあって、丘に建てた自宅にグランドピアノを置き、サロン風にして楽しんでいるようだ。子育てが終わり、今が一番自由なんですと言う。ちぇちが解散しなければ入会して通いたかったと言ってくれる。メンバーはそれぞれ次のステージに出演予定がありますというと、「オペラじゃないんでしょう?」と言われる。確かに、そう言われてみると、オペラはやりたくてもちぇち以外ではなかなか可能性が低い。この言葉には少々参った。初めて寂しいという感情が湧いた。

 

朝は、早起きしてプールでの指導の二回目を受ける。受講メンバーが半分に減っていてこれまたビックリ。矢張りコロナのせいか?他のレーンも一人か二人という寂しさ。ただ、今日も一時間やって明らかにリハビリ効果はあったように思う。やっぱり暫くは続けた方が良いようだが、過去にもジム通いをしては続かず挫折してしまった前科がある。ま、考えよう。

ジムと言えば、今回の公演では主役を越える働きをしたA氏も長く体を鍛えるため、ジム通いやマラソンにも参加するなどしていた。最初に、「着替えを見せる」という構想を話したところ、意外にもすんなりと、「分かりました。何でもやります。」と口をもごもごさせながらもOKしてくれた。が、最後のリハーサルで初めて皆の前で上半身裸になると、女性陣からブーイング続出。ナントカ陳列罪になるとかどうとか、、、。少しはそういう意見が出るかもとは思ったが、あそこまで言われるとは、、、ニャントモカンとも。かくして肌色の下着を着用と相成ったA氏。聞けばコロナ禍でマラソンも中止、ジムもお休みで鍛えるところまで行かなかったようだ。なるへそな、肉体美。無念。

 

 

2022年8月 4日 (木)

有り難い地域、高松。

このうんざりする暑さの中で、キッチンのクーラーが壊れた。お掃除でなんとかなるかと業者にやって貰ったが、結局その分高く付いたという結果に。近年次から次へと電気製品が壊れる。購入したのが同時期だったと思うから仕方が無いのだろうが、、、。

しかしこういうお仕事の人は大変だ。クーラーのスイッチはオフにしての作業はモーレツに暑い筈だ。何か秘訣があるんだろうか?私だったらとっくに倒れている。子の若い人、慣れてはいるようで二時間足らずで二台のクーラーのお掃除をやってくれた。ありがたかったが、他のはどうする?ちと痛い額だ。、、こういうこと考えると老後はホントは狭い家に住み、なるだけシンプルな生活をするべきなんだろうと思うなあ。生活を縮小するのはなかなかに難しいが。

テレビでは東北地方や北陸地方の酷い災害報道が流れているが、本当に高松という所は何も起きない。気象庁の人が、「今まで無かった地域の人達も安心は出来ない。」と言ってたが、信じられない。本当だろうか?

 

先日の公演前夜。搬入の日だが、可能な人は参加と言ってあったら、結構な数が集まってくれた。お陰で急遽Nさんと一緒に購入して行った布を裁断して、マスク代わりの小物を作成するという作業をみんなでやってくれた。この作業の中心人物はYさんだった。布選びからデザインまで彼女のアイデアで、マスクに見えないマスクを黙々とやってくれた。意外にも彼女は器用で、主役のT先生のガウンのベルトからナイトキャップまでサテンで縫ってくれた。これが若さかも知れない。明日が本番という日の夜、仕事帰りにああいうことが出来てしまう。しかも主役の一人だから内心心配ではあった。が、見ているとそこからの彼女は二日目の終演まで、ぶっとばしていた。自分の事だけでなく、あれこれと他の人の面倒を見ている。長くやって来てるだけあって、今何をすべきかが明確に分かっている。彼女の指示で動けた人が沢山居たに違いない。

彼女は県外の合唱団に所属していたとき、ちぇちの見学に来て、いきなり、「歌って見て下さい。」と言われ、臆せず歌ったのが記憶にある。以来しっかりした声と歌唱力で主要な役をやってきた。彼女の良さは、舞台で全く物怖じしない点。どんな役を振っても提案した以上の事をやってくれる。こういう人が居て舞台は面白くなる。

今後も他の合唱団でのステージが幾つも彼女を待っている。どこに居ても、そこを自分の居場所に出来る人だ。これからも充実の音楽生活が出来る事だろう。

一難去って又一難、、、。

漸くちぇちの事務的な事が終わりに近づいたというのに、今度はお嬢のシャンソンリサイタルの裏方が差し迫ってきた。この個人情報保護法が盛んに取り沙汰される世の中で、わが住まいも電話も全てオープン。ちぇちの事務局であったし、シャンソン教室をやっていたときはこれの連絡先でもあった。夫も同じく、ボランティア活動関連は全て自宅の電話と住所を公開している。その上に、お嬢の活動全てを此方を事務局として登録するという。まあ、本人は日中留守が多いだろうし仕方が無いとも言えるが。

この事務局、ただの事務ではない。今日はチラシの作成に追いかけられる。本職に頼む方がチャンとしたのが出来ると思うが、あまりに細かい注文が多いので、流石に余所様には言いたくないのだろう。ってことで、こっちへの注文の多いこと!何度も試作品を作らされ、悉く却下される。ま、呆け防止と諦めて従ってはいるが、、、、。どうなることやら。

 

チラシといえば、ちぇちの公演のパンフレットに唯ひとり二枚の写真が掲載された人がいる。会長のT先生だ。そもそもちぇちの今回の解散の一番の要因はこの方の今後にあった。何故?というほどピアノもお上手で、練習時はよくみんなの伴奏を引き受けてくれた。一度は、「カルメン」のハバネラだったか?リクエストされて、「う~ん、弾けるかなあ?」と言いながら殆ど完璧に弾いてくれたこともある。勿論楽譜はない。往年の大学の先生とはこうした特技というか本業とは別の顔を持つ人が多かった。そういう時間があったとも言えるかも知れないが、T先生はその時代と現代のとてつもなく多忙な先生家業との狭間にいらした人だ。今はいつ聞いてもチョー多忙というお返事だが、、、。近々定年を迎えられるが、その後はご実家の方へ移り住むと聞いている。ということはあの、オペラにおける博学を提供してくださる機会もない。今回にしても、日本での上演は僅かの筈。西日本では初演らしいという作品。ドニゼッティは誰でも知っているが、このオペラを知る人は少ない。こういう種類の発掘的なものをオーケストラ譜から探してくる。そこから訳詞をして、曲想まで掴んで皆をリードして下さる。こういう人が居ないでは、この団体は継続が難しい。有名な作品ならそれ程の苦労はなく資料が集まるが、こういった類いの物は本当に無理。

こうして探し出してきた作品を私が料理して、色々妄想した挙げ句一つの物が完成する、という仕組み。なので、I先生やH先生亡き後、我々二人が揃わないと継続は難しいのだ。丁度この機会に合わせたかのようにわがおみ足の怪我。なんとしてでも継続するという気力も体力も無くしてしまった。早くから分かっていたことで、いずれこの日が来ると思っていたのだが、公演初日でお客様にご挨拶したように、目覚まし時計が鳴っているのに、グズグズと夢を見ていた。

そう言えば昔、油絵を描いた。「醒めない夢」というタイトルだ。絵の中に、弦の切れたヴァイオリンや壊れたピアノ、破れた楽譜を書き込んだ。もろもろが無くなっても、夢は覚め無かったという絵だ。哀しい目をした白い犬は、当時飼っていたワンちゃん。あの頃からだと随分長く夢を見ていたモノだ。

T先生は、歌も大好きな人で、良い声を持ち今回もしっかり歌われたと思う。長い長い歌詞を、よくぞ!確かにこれ以上年齢を重ねるとああいうのは難しいですわねえ。とはいえ、先生は古楽もやっている人だから、まだまだ音楽人生は終わっていない。でも、ちぇちでの活動は人生で特別なものになりましたよねえ。先生。

 

2022年8月 3日 (水)

暑過ぎる。

NHKの深夜番組「アナザストーリー」を偶然観た。美智子妃殿下誕生パレードの裏話だった。各局が良いアングルで撮ろうと躍起になっていて、良い場所をとるため鎬を削ったようだ。そんなことには興味が無かったが、面白かったのは、並み居る群衆のアップの顔顔顔。ある人は陶然とし、あるひとは呆けたように鼻の下を伸ばしている。なんとも庶民の人の好い笑顔のオンパレード。あれは一体何だったのか? 自分自身は高校生だったと思うが、何か世の中が騒然としてやたら明るくなった空気が感じられたのを思い出す。あの日以来テレビの売り上げが飛躍的に伸び、世の中は情報化社会へと変貌していったというが、時代はこうして作られるのだと実感する。その意味で皇室は矢張り象徴なのだろう。ご成婚という皇室の節目は時代が何かしらの変化をするときのようだ。きっとそれは価値観の変化だろうとも思う。

今日久しぶりに真子さんの事がSNSの記事になっていたが、これまた久しぶりに良いコメントが載っていた。「真子さんと圭さんはパッシングしても好い対象か?」というものだったが、週間誌の見出しだけ見ても不快感を覚えている筆者が、岡田なにがしというコロナで有名になった研究者がバッシングされたことも出していた。考えるに誰かが誰かをバッシングするなんてこと自体、やるべきでないということだ。見えない刃で相手をとことん追い詰める、というのはこの筆者でなくとも気分が悪い。

今日は義妹のMを伴って何カ所か回り、お礼やチケットの回収を炎天下にもかかわらずやってきた。こっちが松葉杖なので、一緒に行ってくれると助かる。お訪ねした方々はそれぞれに今回の公演に関われたことを喜んでくれる。その方々はこれからも素敵な舞台を繰り広げると思うが、今度は客席でしっかり楽しませて貰おうと思っている。

 

道中色々二人で公演について振り返ったが、まあ彼女はよくぞ頑張ったものだ。舞台で歌う中では最高齢者だったし、眼科では長時間のコンタクトは禁止されている。そして自律神経系の病気もあり、練習の参加さえままならなかった。運転免許証も返納してもっぱら私やメンバーの送迎付きの練習だった。それが申し訳無いという思いもあっただろう。体力的に裏のお仕事は無理だった。なので悉く仕事らしい仕事はスルーして身を守った。出演を止めようかどうしようかと悩みに悩み、息子の、「最後だったら頑張ったら?」という一言で出演を決めた。元々熱心な方だから音は既に取れていたが、実際には本番がどうなるか自他共に不安なまま本番を迎えた。身内を褒めるのもどうかとは思うが、想定外に素晴らしい出来で、舞台袖にいて心の中で拍手したものだ。仕事を免除してもらえたから歌えた、と本人の言葉。確かに。なかなか両方は大変な年だ。みんなに感謝しているようだ。

助けたり、助けられたり。。。ここでも。

 

2022年8月 1日 (月)

友たち。

後期高齢者になって新しい友人が出来るということは、確かに嬉しいことだろう。わが旧友のYさんは、「今日は暇で体を持て余しているのよね~」とラインしてくる。丁度、とあるお店でわっぱ飯を買ってKさん宅でお昼を食べることになっていた。ちょっと迷ったが誘ってみる。すると意外にもすんなりと、「行きたい。」と言う。じゃあ、ということで、娘の車をYさん宅に廻して同行する。

これが私流と言えるかも知れない。知らない人同士を紹介して友達の友達は皆友達にしてしまう。今日はたまたまKさんのお誕生日。「会話に飢えてるんよ。」というKさんだったので、受け入れてもらえると踏んだ。実はYさんという女性はかなり我が儘で、年取っても子供みたいなところがある。嫌なことはイヤとハッキリ言うし、嫌いな人は嫌いとこれまたハッキリしている。従って、馬が合うかどうか、内心ちょっぴり心配ではあった。でも、わが親友同士なら、絶対共通項を持ち合わせているはずだから、大丈夫だろうと思ってのことだったが、この二人予想以上に馬が合って会話が弾むこと弾むこと。帰り道、「今日は楽しかった~。」を連発していたY女史は帰ってからもラインしてくる。「今日は有り難う。Kさんと仲良しになれて良かったわあ。」まるで女学生のラインだ。で、彼女がそう言ってますとKさんに。すると、「会話が楽しくて、何よりのプレゼントでした、」とお喜びの由。めでたしめでたし。

人生は結局出会いの連続で彩られている。昨日まで赤の他人だった人が今日はなくてはならない友人になることもある。そうして互いに助けたり助けられたり、、、ちぇちの仲間たちもそういう関係が生まれると良いなあと思ってやって来たが、意外とシャイな人ばかりで、目的達成の共有時間以外では深く入らないまま終わってしまった人もいるようだ。

そんな中、入団以来、積極的に人と関わろうとするNさんがいた。看護師というお仕事柄多様な人と接しているためか、初対面でも臆するところがない。実は彼女の母上とは中学時代の同窓生。彼女は昔から世話好きで、同窓生のみんなが頼っている人だ。明るくて登山が大好き。生きざまも自然体を好む女性だ。そのDNAをしっかり受け継いでいるらしいNさんは、看護師という職業は天職だろうと思う。今回の公演でも縁の下の力持ち的な働きをしてくれた。男勝りの行動力で、軽トラの運転などへっちゃらでやってくれた。「力はありますから。何でもやりますから。」といつも私を励ましてくれた。自粛期間もずっと発声練習をおこたらず、もしかしたら誰よりも練習したかも知れない。が、実はその人の良さが裏目に出でて、ホール入りしてからも立ち働きすぎて肝心の声が本番で怪しくなってきた。しまった、と思ったのは私だけかも知れないが、もっと気をつけてあげれば良かったと後悔しきり。自分を守ることも本番に向かう大事な要素だ。色々アドバイスする中でなんとか修復は出来て、舞台で声がれして歌えないと言うことはなかった。が、本人は悔しかったのではないか。本番で一番良い声を出したかったはずだ。でも、それが自分の実力だと終わった後言い切った潔さ。チケットを某所に預けたり取りに行ったりというお仕事も軽々とやってくれた。変更に次ぐ変更で大変だったお弁当の担当者でもあった。とにかく、彼女は全力で走りきった。

有り難う。Nさん。

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