今日も今日とて。。。
「街角に音楽を」というイベントで沢山の音楽団体が様々な場所で30分ずつのミニコンサートを繰り広げた今日、わが娘もサンポートでシャンソンを歌った。全て屋外で、座っていても高松駅辺りからも派手な音楽が聞こえていたし、お城の石垣の前でもやっていた。自粛自粛でくすぶっていたエネルギーが一気に吹き出した感じだ。娘とピアニストは最初から観客が少ないことは想定していたが、それでも多くの人が駆けつけてくれた。その中の何人かは先日の我々のお客様でもあって、色々声をかけてくださる。お礼を言うしかないのだが、そのお返事に、「行きたいから行くだけよ。」と言ってくれた人がいた。有り難い事だ。
こうした外でのイベントはまだしも、室内の人が集まる空間はどうしてもこのコロナ禍が影響している。思えば、我々の公演も奇跡だった。舞台には50人以上の人が関わったのだが、誰一人感染者も出さず、お客様からも何も入ってこないのは一応大丈夫なんだろう。
確かに医療関係が逼迫するのは避けたいところだが、にしても多くの文化的行事などが減ってしまうのは悲しい。政府の、「経済を廻す。」というのには多少の抵抗を感じるが、人間の生きていく上で必要なことがどんどん削られるのはホントに悲しい。大学生や高校中学の生徒達は、その学生時代を全てマスクで過ごす子供達も多いのだ。何か将来の事が不安になる。人間性に影響は出ないのか?
サンポートからそのまま今度は1ヶ月後のコンサートの準備のため綾川まで。この会も何度も延期に次ぐ延期で、流石にもうやろう、となっている。これでは司会を頼まれているが、楽しんでやらせて頂こうと思っている。
ちぇちのメンバーM君とOさんとがゲスト出演するため、練習もしたが本当に日本歌曲は難しい。そう感じるのは、日本語の語彙は意味の深いところまで分かるため、音楽として表現するのが難しいということだ。まあ、今日の娘のシャンソンも半分はフランス語だったが、その方がのびのびと歌えているようだ。聴く人も原語は最初から分からないものとして音楽を聴いている。これが日本語だと、歌詞の「詩」を読み取ろうとするから、難しく感じるというのもある。
Oさんは今回のちぇちの公演時はアレルギーが勃発して大変だったようだ。咳が出ると今時疑われるし、実際体調も相当悪かったようだ。そんな中、いち早くセリフも入れ、メイドさんという自分の役どころも把握して、よく頑張ったと思う。公演後メンバー宛にラインが入り、「優しさに支えられての17年でした。17年の日々は自分の人生の宝物です。」とあったのは、これこそがちぇちぃりぁの目指してきたものだった。必ずしも歌が得意という訳でもなかったらしい彼女が、長い年月続けて来られたのは私から見れば、団体の中での存在感もあったのではないかと思う。社会で事務職を長くやって来た彼女が人の嫌がる月会費等の徴収係としてキッチリお仕事をしてくれたお陰で団体の運営がスムーズに行った。適任だったのだろう。どちらかというと最初は引っ込み思案に見えた彼女に在るとき長いセリフをやってもらった。すると埋もれていた才能が俄然輝き始めた。これは楽しい発見だった。「演じる人も見る人も共に楽しむ。」これを音楽という、との思いだ。オペラは確かに簡単ではない。楽しむという域まではかなり距離がある。が、それだけにやり甲斐もあるということだ。出演して、その域まで到達出来た本人が一番幸せだろう。