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2022年4月

2022年4月29日 (金)

ショック。

なんてこった!数日分のブログが

私に黙って消えてしまった。

きっと自分が悪いんだろうが、、、。グスン。

なんだかねえ。

空しいなあ。

今日はわが心と同じような雨だった。

テスト

テステステス

2022年4月24日 (日)

終わらないなあ。

戦争が終わらない。毎日テレビを観ながらため息をつくばかり。そうこうしていると、今度は日本で船の事故。26人という乗客が行方が知れず、ほぼ生存は難しいと言う。多くのヘリコプターや探索機や救助ボートなどが出て捜しているが、この寒さに段々絶望的になってくる。

本当に人間は弱い。こうしたことが起きても即座に救出さえ出来ない。ましてや爆撃の行き交う戦場では、やれることは本当に少ないだろう。むざむざ死にゆく人を見るしかないという事態も起きているようだ。

こうして一人一人の命を大切に扱える国とそうでない国があるという現代。結局過去の戦争の愚かさを反省した上に現代の人命尊重の思想が行き渡ったのではないのか。せっかくここまで多少の問題がありながらも上手くやってこられていたのに、ここに来て底知れない地獄のような戦争が始まってしまった。これをどうやって止めることが可能なのか?

実際地球上には環境問題他、難題が山積みなんだ。その上にこんな事を起こしている場合?

コロナの後遺症の鼻声がちっとも良くならない。明日は晴れるらしいが、少し外を歩いてみようか?心も晴れるか?

2022年4月23日 (土)

今を歌う。

SONGSというNHKの番組を観た。主役は森山直太朗ではあったが、母親の比重が重かったような、、、。良子さんはさすが発言に深みを感じるが、それを的を外すことなく受け止めているらしい息子の彼にも拍手だった。たまたま同じ世界で生きる母と子。見えすぎる点も多々あるに違いない。でも良子さんの心の大きさが見えないカイナで彼を抱擁しているのを感じた。良い親子関係だ。

おとといのアサイチではシャンソン歌手Kが歌う意味を求めて大御所菅原洋一や、加藤登紀子を訪ねて思いをぶつけていた。「歌で人を救えない?」「歌うことに何の意味が?」などなど。興味深いテーマではあったが、歌い手とは、そういう思いを抱えながらも、やむにやまれぬ思いを抱えて歌っているのではないか?と思った。

今の時代、無力感は、多くの人が持っていると思う。コロナに怯え、戦争に恐怖を覚え、何も出来ない自分を思う。しかし、森山良子は歌う。喜びや悲しみや、「今」を。加藤登紀子も反戦歌や孤独を。現代を生きる歌手達は多かれ少なかれこの世の矛盾に向き合いつつ歌っているんだろう。

先日はライブ配信で佐々木秀美の歌を聴いた。彼女?彼?も最後にこう言った。「反戦歌は沢山知っているけど、今日は歌いたくないなと思ってたのよね。誕生日の前夜祭だし~。でもやっぱり歌います。」と「涙(泣く友をみる)」を歌った。その歌詞、誰かが泣いている、、、を聞きながら思わず泣いたことだ。深みのあるこの声は巧みな表現力と相まって、聴く人の心の奥底まで届く。

 

ただ今後遺症で完全な鼻声のアチクシ。当分聞くだけだなあ。グスン。

 

 

2022年4月22日 (金)

休養ちう~。

この快復期に何をやっているかというと、日中出来るだけベッドインしないこと。外に出て植物に水をやり、カラーの花が二本ばかり咲いていたのをチョッキーンとばかり切って、自作の黒い花瓶に入れた。なかなか良い。花は良い。気分が晴れる。朝は保健所にお借りしたオキシメーターをお返しに行く。念のため、今後他人にうつすことがないかを聞いてみるが、その心配は無いそうだ。ただ、今PCRすると陽性とでるそうだ。菌の死骸が体内にあるからだという。ただし、それは外に出て悪さをするようなことはないらしい。やれやれ。

しかし、日中ずっと起きているというのが、これほどしんどいとは!遂に焼きが回った感がある。

が、少しずつ公演に向けての準備はしている。休んでいても全く何もしてないわけではない。自分が出来ない分、メンバーにお願いしたり、その道のプロに打診したりと、ケッコウ忙しい。なんせ、時間が無い。優先順位で動かなくては。

 

実を言うと、このタイミングで機種変したのはまずかったと反省している。しかもアンドロイドからiPhoneなんて、全く違う。逐一教えて貰うはずの娘達にも会えて無く、手探りであれこれこねくり回しているが、分かることもアレバさっぱりなこともある。今月中にショップに駆け込まなくては。やれやれ。

 

病気になってからあまりテレビを観なかったが、今みても、ウクライナの状況がそれ程変わって無くてがっかり。犠牲者は増え続けている。ホントにどうにかならないのか?世界には知恵者も大勢居るだろうに。ここで歯ぎしりしてても何も変わらないのだが、、、。

コロナの後遺症で、頭痛や味覚障害があるようだが、今のところどちらもない。特に味覚は以前よりも敏感になっている感じがする。ホントに良かった!

 

2022年4月21日 (木)

どっこい、生きている。

晴天の霹靂。自分がコロナ陽性になってしまった。ここ10日ばかり自宅隔離で、三度の食事は夫が運んでくれる。ピーク時は初めて呼吸が止まるかと思うほどの発作に見舞われて、ああ、ついにこんなことで自分はあの世に行くのか?と悲観的になったり。。。ところがどっこい。現在の日本の医療体制は結構なものだ。陽性と判明した日から、毎日保健所から入れ替わり立ち替わり電話があり、細かく病状のチェックが入る。その内物々しいビニールの防護服に身を包んだ職員に護送されて、とある病院の裏庭に。既に多くのそれ用の車両が並んでいて、看護師や医師が忙しく立ち働いている。この日CTスキャンで、「軽い肺炎の疑い。」と診断を受ける。このとき以来症状が少々重いと判断されて、「中等症」というレッテルを貼ってくれる。が、その瞬間から発作は一度も出ない。保健所員から内科医に電話の相手が変わり、例のパルスオキシメーターも届く。その前から自分でスマートウオッチでの計測は毎日やっていたが、此方の方が正確だろうとお借りした。朝晩にメールで症状を知らせるし、家での過ごし方なんかも指示してくれて安心だった。

こうして自宅療養の日々が続いたが、これもありだと思った。自分程度の患者が病室を占領するのは本当に申し訳ない。この病気は重症だとどれほど苦しいだろうと予測がつく。

テレビなんかで聞く、「急変」の文字が時々頭を過ることもあったが、慎重に我が身をチェックしつつ多分それはないだろうと予想していた。医師からも保健所員からもキッパリと、「3回目ワクチンを打ってるから本当に良かったです。そのお陰でこれで済んでるんですよ。」と言われた。知人で一度も打ってない人も居るんだけどなあ。彼らは大丈夫かなあ?

しかしねえ。まさかこんなことを体験することになろうとは!?そこまで私の人生面白くしてくれなくても良いのに。てね。

一番驚くのは最大の濃厚接触者であるはずの夫が陰性であること。毎日のプール通いが功を奏しているのか?まるで将来の介護の練習みたいに、毎日毎日せっせせっせとエサを運んでくれる。どこかで聞いたのか?必ず食事にフルーツがタップリ付いてくるのは、嬉しかったが、これのお陰でちっとも痩せなかった!申し訳ないと、出してくれたものはなるべく残さず食べていて、きっとそのせいだ。いや、ありがたかったわ~。グスン。

雑学博士からの情報では、この感染で最強の抗体が出来ていて、4回目ワクチン打たなくても良いくらいだそうだ。ホントにそうなら有り難いが、どうだろう?ま、今月いっぱい大人しくしてよう。あれもこれも気になることばかり。。。だけど。

2022年4月 9日 (土)

本日も晴天なり~。

夕べから孫べえがお泊まりで、こういうのが一匹家の中にいるだけで、なんだか落ち着かない。兎に角動きが違う。今ここに居たかと思うともう別の部屋に移動している。新しくなったお風呂がいたくお気に入りで、子供のくせに長風呂。勿論中でipadとかいじっているからだが。

で、この孫べえにいちいち我慢がならない夫は、ガマンしきれず3回に一回は小言を言う。やれゲームをやり過ぎるな、やれ目が近い。。。残りはこっちに向かってグチグチグチ。まあ、気持ちは解るが、今は自由を満喫しているんだからと婆さんは甘い。ご飯のメニューも夫婦二人の時より豪華になる。すると夫は不思議な事にいつもより沢山お食べ遊ばす。まるで兄弟が出来たみたいに競争心が芽生えている。結構なことだ。最近食が細くなってなんとか食べて貰おうと努力しているところだから。

結論。男とは、いつまで経っても子供。

 

さて、本日は母の一周忌。一年とは本当に早い。この一年、何をしたのか?世の中は色々変化があり過ぎて、そのせいもあってあれよあれよという間の一年だった。時間が経つに従い母の事を思い出すのが減るかと思っていたが逆だった。何かにつけて母の表情や言葉が思い出される。今日は、お参りのあと、吾ら夫婦と娘とで、いつも母を伴いお弁当を食べていたとある池の側のベンチで同じようにお弁当を食べた。夫は知らない場所で、良い場所だと記憶にとどめようとしている。以前はあまり知られて無くて、車も少なかったが、この頃ではお昼時は車がおけない位止まっている時がある。ため池の水に映るおにぎり山や菜の花畑。本当にのどかな風景が拡がる。今日も好天。散り始めた桜の舞う静かな場所だ。母も来ていたかも知れないなあ。

2022年4月 7日 (木)

酉年の真骨頂、ここに極まる?

それは昨日の夜から始まった。

娘と意見が一致して、国際映画賞を貰った「ドライブ マイカー」を観に行ったおかげで、色々と予定が狂った。一日一回の公開で、この日は夕方からしかやってなかった。ほんというと、台本が未完で、そんなことしてる場合ではなかったのだが、ずっと先までスケジュールが詰まっていて、今日しかないとなった訳だ。

映画は、ちょっと一瞬眠くなった。やっぱり最近は速いテンポのものがおおく、これだけゆっくりしたものだとつい眠くなる。実際前の方からいびきというか寝息のようなものが聞こえていた。ぼ~っと考えずに観ていると、全く何のことだか分からない仕組み。それで3時間というのはきつい。自分的にも難解な映画だなあ、という思いだったが、嫌いではなかった。要所要所に深く頷いている自分がいる。自分からも自分のコンプレックスからも目をそらさず、真剣に向き合って生きることの大切さ。そうすることから来るある種の呪縛から解き放たれていくのが感動的ではあった。面白いと思ったことに、劇中劇で多言語を喋るという不思議な演劇が出てくるが、全てのセリフの中で一番感動するのが「手話」だったということ。それまで各国語で喋っていたセリフのどれよりも、無音の中で字幕だけで分かる手話の世界が醸し出す雰囲気が最も大事なものを伝えていた。これには参った。。。。しかし難しい映画ではあった。これが村上春樹の原作だと分かり大いに納得。

帰りに晩ご飯をすぐそばの焼き肉やさんでとなり、二人で入った。勿論映画の事を話し合うのが目的だ。娘曰く。「この映画は賛否が分かれるよねえ。好き嫌いも。」「特に演劇に興味が無い人たちにとっては、どこが面白いの?ってことになるよねえ。」深夜とて、沢山食べる気は無く、こっちは久々の生ビールが飲めてご機嫌。こうして何かを鑑賞した後に意見を戦わせるのは我々のリクリェーション。特に食べながらというのが良い。たいしたことないものでも倍美味しい。一頻り喋って食べて飲んで、帰宅したら10時を過ぎていた。

そしてやおら、昼間O女史と散々台本作成の作業をやりとりしていたので、その続きをやろうとパソコン前。おそらく2時過ぎだったろうか?二人でどうしても解決出来なかったものを、彼女が誰かに聞いたりして完成させてくれたらしい。目の前の窓をコンコンと叩く人が居る。げっ!この深夜に!?誰だ?と出てみると、彼女がUSBメモリと印刷物を持って覗いている。ポスティングしようと思ってきてくれたらしいが、煌々と電気がついていて、外からパソコン前の私が丸見えだったようだ。「ええ?」「まだ起きてる!」とお互い同音異口に声が出たもんだ。ま、彼女の若さなら普通だろうが。こっちの年齢を考えてくれたんだろう。ところがどっこい。私よりもうんとお姉さんでもこういう時間に作業している人も居るんです。これが現代だ。

 

ゆうべこうして夜中まで作業していて、でも、それが寝飛ばした理由ではない。スマホの機種変してさっぱり操作が分からず、考えてみると、「ご家族のだれかがiPhone使っていらっしゃいますか?」と聞かれ、はい娘達が、と答えたため、「じゃあ、ご家族にお聞きください。」と言われ、ショップでは全く基本的な操作も教えて貰ってない。映画館で、「ちょっと、マナーモードにするのはどうするの?」と聞き、めんどくさそうに娘が操作してくれたは良いが、そのまんまだった訳だ。どんなに遅く寝ても、スマホの予定で朝は起こしてくれるし、そういうのには敏感な方だ。が、今朝は全く鳴らず、はっと起きたら会長と新しい楽器の方と三人でお会いする予定だった時刻。あっちゃ~。で、連絡取りつつ出かけようとしたが、かなりお待たせするし、今回はパスと決意する。それよりも出来上がった台本のコピーをする方が先決だし、今日こそは練習会場に料金の支払いに行かなくては。てなことで、いきなりの方向転換。そこから夕方まで目まぐるしく動き回った。うちのプリンターも変な音を出し始めてるし、ちょいと酷使が続いている。が一応お仕事はしてくれたので、資料は揃った。お手紙も書いた。封筒詰めをしてあて名書きをして送付すべきところには明日送付。一方で、ゲストの方とのメールのやり取り。皆さんお優しい。ありがたいことだ。

いよいよ本格始動だ。

2022年4月 6日 (水)

桜咲く。

今日は台本の完成に向けてO女史とわが家で苦戦した。それというのも、結局パソコンの操作が完璧でない二人があれやこれやとやってはミスったり、(それは主に私)なかなか捗らないのだが、どうにかこうにか最終版の完成をみた。どちらかと言えば彼女の緻密さに助けられている。みんなそれぞれ得手不得手があるものだが、好き嫌いだけではどうにもならない分野でもある。台本というのは、コレを元にみんなが舞台で表現する大本だから、ここがしっかりしてないと伝わらないし表現出来ない。ソフト面で完成してもハード面でずっこけてみたり。なかなか大変だ。とにかく時間を取られる。

今日は昼間初めての場所に花見に行くことにして、そういうお年頃の孫べえはお留守番。だからというわけでもないが珍しく夫がおまけで付いてくるので、婿殿の新しい車に乗り込んで娘と四人で出かけた。まずはランチ。平日だけどこのお店にはまあまあ客が入っているがみんな黙食を心がけてるし、テーブルも距離がある。冬休みでお子様連れの人も居る。久しぶりのこのお店はまずまずのお味。それぞれシェして完食。天候は絶好の花見日和。お目当ての竜桜神社の桜は期待ほど多くはなかったが、石灯籠が池の中に並び、以前は沢山あったような桜の木々が病気にでもなったのか悉く切られていて、新しい若木がその代わりに植えられていた。まあ、珍しい光景だし、一部の桜は立派に咲いてはいたので、丁度良い散歩とばかり楽しんだ。ここに行きたいと思ったのは、NHKのニュースでちょこっと紹介されてて、聞いたことのない場所だったからと妙に気持ちがそそられたのだった。

ここだけでは消化不良の感があり、亀鶴公園まで足を伸ばすこととなった。以前父母を連れて何度も通ったし、昔は自分が子供の頃よく連れてきて貰った思い出の場所だ。が、行ってみて驚いた。暫く見ないうちに拡張されて、桜も立派で数も多い。至る所にベンチやトイレがあり、明らかにお年寄りを考慮している。中学生の標語で、「お年よりにやさしい町」というのが掲げられていたが、全くその通りだった。色々写真を撮り、結構な距離歩いて汗ばんだ。この頃よく歩く。

で買い物をして帰宅すると、そこからちぇちの台本作製の作業が始まる。ほぼ4時から始まって約2時間。Oさんもよく頑張ってくれた。彼女が帰った後、こっちはそれから夕飯の準備をして、終わるやいなや再びメールやプリンターでの作業となる。出来たと思ったら、プリントすると可笑しな事となり、また差し戻し。そんなことをやっていたら、深夜になってしまった。今宵は気をつけてお風呂に入ろう。事故の無いように。。。なんてね。

2022年4月 2日 (土)

春は名のみの、、、。

今日の外は好天気で、外出したくなる日ではあったが、案外外は寒くて、「花冷え」という言葉を思い出すような日中だった。

午後一番は短歌のリモート歌会。だが、自分のミスで、8月のコンサートの打ち合わせがダブルブッキング。なんとか両方に参加を試みてギリギリに時間調整。3時までの歌会を30分の早退。高速道路をぶっ飛ばして綾川まで。。。。実際はこの高速道路にしては珍しくケッコウ混んでいて予定よりは遅くなったがなんとか滑り込みセーフ。どちらもなんとかなったか。

流石に今日の短歌は戦争に関するものが多かった。中でも「実」と「虚」の混沌を「ルビンの壺」に例えて読んだものが出色だったように思う。本当に、ニュースなどに流れるものは一体何が本当なのか?と聞けば聞くほど混乱してくる。でも、現実に弱者がどんどん殺されている訳で、こんな時に大義を論じても意味が無いというやりきれなさ。この難しいテーマを短歌に詠み込むという作業は凄いと思った。この短い歌に詠まれることで現実がより一層重みを増す。

 実に虚を重ねてルビンの壺となすそは爆撃にさらされゐる街   K・H

 

声を出す歌の方は、全く異質な世界だ。桜や椿が咲き乱れるH邸のお庭に車を止めて、久しぶりの素敵な風景に心癒やされつつ玄関を入ると、いつに変わらぬH先生の奥様の温かいお出迎えを受ける。来月はH先生の三回忌と聞き、あまりの時の早さに愕然とする。お参りさせて頂いてから本題に入り、久々の対面をみんなで喜び合う。「初恋」を若々しいテノールで歌ったM君。ソプラノK女史の指導を受けて見違えるように深くなった。結局この手の「歌」も文学と同じ。解釈が必要で、正しく解釈したものを声に乗せて表現するという作業は、かなり高度なテクニックが必要だ。

来月の集まりの日程を決めて解散。窓を閉めて走れば暖かい車内で音楽を大音量でかけながら帰宅。不思議と疲れてない。

私。まだ行けるか?な~んてね。

2022年4月 1日 (金)

新しいこと。

昨日遂にアンドロイドからiPhoneに機種変更した。スマホも二年経過すると、だんだん不具合が出てくるようになっているみたい。でまあ、お嬢の強い勧めもあって機種変したのだが、あまりに操作が違うので、ムムム。そもそもショップの店員さんに何故機種変するか?の説明の時、「多分これから先思い切っての機種変が面倒になりそうなので、ギリギリかな?と思って、、、。」と控えめな態度。これは本音だ。

がしかし、この二つの機種はかなり違う。事前にパソコンで違いを調べてから行ったが、担当者は丁寧にそれを上書きしてくれた。なるほどそうかといちいち納得しつつも、問題はこの説明をどれだけ覚えていられるかだ、と内心考えながらであった。ま、全部覚える必要も無い。使う機能についてのみ把握すれば良いのだ。と適当人間の考えはそこに落ち着く。

5時に入店し、8時が過ぎても終わらない。「データーが思いのほか多くて、、、」と担当者が気の毒そうに言うが、気の毒なのは此方の方だ。7時閉店の筈が、数名の店員が全て残って終わるのを待っている様子。なので、提案した。「スマホがないのは困るので、あやふやな暗証番号を一度帰宅して確認してきます。」と。すると彼も笑顔で賛同してくれて、30分後に改めて来店することにした。比較的近くに出来た新しいお店。ここに行き着くまでに3店舗に予約で一杯だと断られた挙げ句だった。3月中にやりたいと思っていた事だが、兎に角忙しくて時間が取れなかった。このショップは町中でない分辛うじて間に合ったという訳だ。

予想通り、再度行ってみると彼以外の全ての店員が退社していた。やれやれ、良かった。で、そこから最後の仕上げをして店を出たのは9時を過ぎていた。細かいところは婿どのに訊くことにして早速マンションにと向かう。娘夫婦は二人ともiPhoneばかり使っているので詳しいわけだ。すると彼が夕飯まだですか?と聞くのでそこで初めてまだだということを思い出した。すると彼がパスタでもどうですか?と言うが早いかパパッと作ってくれてこれが又美味しい。茄子とミンチたっぷりであっという間に完食。大体の所は教わってこれで大丈夫だろうとようやく帰宅。勿論夫はお休み。まだ返さなくても良い前のスマホで途中になっていたオーディブルで小説を聴きながら、入れるべきものをダウンロード。かなり勝手が違うが、ま、なんとかなりそうだ。

今日になって文字を大きくしたり、色々カスタマイズ。。。。次回交換するときは格安スマホかもねえ。とか思いつつ。

新しいことやると元気が出るなあ。

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