« 2022年2月 | トップページ | 2022年4月 »

2022年3月

2022年3月29日 (火)

どんな時も笑いは必要だ。

もちろん、ウクライナを思えば笑っていられない思いは強いが、ここ日本にいて、やりきれない中ふとした日常の笑いはメンタルのお薬。

今日は夫がやってくれた。夕方のメール。「マッサージに行ってから、帰り咲きます。」だって!!丁度娘が来ていたところで、二人して大笑い。まあ、ある意味正しい。衰えた体をマッサージで蘇らせ、返り咲く。これが意図したものなら拍手ものだが、帰った夫に聞くとぽかんとしている。そんなメールを打った覚えがないらしい。で、再び大笑い。

この勝手に変換機能は、時折傑作を生む。T会長のメールにも、公演を公園とあったし、こういうのは日常茶飯事だ。

年を取ると段々こういうことも増えるような気がしているので、スマホをiphnoeに替えるのを思い切って今やろうと思っている。これ以上年取ると、複雑らしし機能を飲み込むのが難しくなりそうだから。前回とても分かりやすく対応してくれたショップに行こうと思っているが、あの女性がまだそこにいる保証はない。そして、名前も聞いてないから、指名も出来ない。分かっているのは、もの凄く指が細い女性だったということだけ。名前を聞いておくんだったと悔やまれる。まさか、皆さん、指を拝見、とも言えないし。。。

先ほどNHKで入国管理事務所の映画の話が流れたが、途中からみて思わずこれが日本の事だと知ってのけぞった。確かに若い女性が衰弱して亡くなり、家族が真相究明に来ているニュースは知っているが、あれ以外にも相当酷いことが行われているという。その映画が隠し撮りされた映像を使っていることに、けしからんと当局は憤っているらしいが、そんな反応があって良いの?と思った。隠し撮りだろうが、事実は事実。謙虚に反省すべきではないのか?この日本にそんな闇があったなんて。信じたくないが、事実なんだろう。

知らないこと、知らされてない事が沢山あるなあ。

2022年3月28日 (月)

二度寝。

春眠暁を覚えず、とはよく言ったものだ。今朝は一度目覚めて、あまりの気持ちよさに布団にくるまって目を閉じた途端再び爆睡。スマホが鳴って慌てて起きるとニャント時間は10時。友人がそれと察して、「えええ~~?まだ寝とん?なんちゅう主婦~?」と来た。寝起きの声はいかんともしがたいダミ声だ。隠しようもない。それに引き換え彼女は朝からグランドゴルフとやらをやって、ホールインワンを取ったとか、元気はつらつ。「今から行くよ。」と言われ、ハイハイと返事しておお急ぎで着替える。

やって来た元気印のT女史。用事のあとは、「おうどん行こ。」となる。そこで夫も一緒にとあるお店に行ってみれば既に結構な数の車。道中の桜並木は未だ満開ではなく、これから暫く楽しめそうだ。来店客も感染対策しつつも全体にどことなく雰囲気が緩んでいる。ま、春だ。

 

昨日から聞いている朗読。「夢をかなえるゾウ」という自己啓発の本だ。この手のハウツー本は苦手で、ほぼほぼ読んだ事は無い。がしかし、朗読の男性のあまりの上手い読み方で、知らず知らず引き込まれた。色んなアドバイスの中で、「自分を変えようと思うなら、何かを止めろ。」という点が印象に残った。24時間びっちり埋まっている時間を新しいことに使うためには何かを止めて、代わりのものを入れるしかない。と言う。確かに。それと、「人が喜ぶことに心を砕け。」というのもあった。多くのサジェスチョンを含むこの本は、小説仕立てになっていて、とても面白い。

このところわが家の便利屋みたいになっている婿殿が今日も来てくれたので、この本の事を話すと、大分前に読みました、と言う。へえ、そうなんだ。若い人はこういうの読んで人生の指針にすることもあるんだ。自分をもっと成長させたいという願望があるのは良いことだ。

 

今日も一日が終わる。

2022年3月27日 (日)

春は張る。

今日は本格的な春到来を思わせた。イコール主婦は忙しい。でもって、レッスンもありいので、充実し過ぎの一日。

昨日は新しく買った洗濯機ラックの組み立てを婿殿が必死でやっつけてくれて、こっちは眺めるだけ。到底一人では出来なかったな~と感慨深い。おかげで洗面所回りがスッキリ。あとはCDの整理と衣替えだ。ま、ゆっくり遣ろうとは思っている。、、こうして彼には既に何かとヘルプして貰っているが、本当に有り難いことだ。あまりこの先負担をかけないで済むように願っているが、、、どうなることやら。

昨日夫がお葬式に行ってくれたが、昔なじみの居酒屋のご亭主。どうやらお酒が入って転倒し、誰にも気付かれず逝ってしまったようだ。また若い人が先に逝ってしまった。コロナが落ち着けばあの飄々とした風貌の彼に会いたくてお店に行ってみたいと思っていたが、、、残念。奥さんの顔が目に浮かぶ。

 

7月の公演に新しく参加してくれる人が本日わが家に来てくれて、楽譜を手に歌う部分を確認。とにかく歌うのが大好きだというだけあって、難しいを連発しながらもやる気満々。楽しんでくれると良いなあ。

いよいよ春。何もかもが漲るはず。季節に助けられて元気出そう!

高校時代の漢文の名物先生がおちょぼ口して、「皆さん、はるは、名詞ですか?動詞ですか?」と問いかけて、みんなが「名詞です~」と声を合わせると、なんとも言えない笑い顔をして、「春は動詞です。」と言われたのを思い出す。ざわつく教室を見回して、まるで漢詩を読むように、「もの皆春が来ると身も心も張ってくる。その張るですから、動詞です。」と言ってニヤリと笑ったお顔を未だに覚えている。先日NHKで天気予報のお兄さんが春の語源はそういうことも一説にあると言っていたので思い出した、、、、。この先生の講義中、外の廊下を歩いていた男子生徒達が、「天皇陛下ばんざ~い!」といいながら通り過ぎていったが、一年坊主の我々には意味が分からなかった。当の先生は、「ウオッホン」と咳払いをしつつ尚も笑顔だったのは、そのあだ名がお気に召していたのだろうか?髭を蓄えた風貌は確かに昭和天皇によく似ておられた。あれから60年。昔の記憶というのはこんな事まで覚えているのだ。

 

2022年3月25日 (金)

桜の花に抱かれて、、、、

本日休職中の婿殿が、「しだれ桜を観に行きましょう。」と誘ってくれて、孫べえと三人で出かけた。うるさい母親はお仕事で、の~んびり。新しい車はお初に乗せて貰って、あまりの静かな滑りの上に、本日はうららかな春の光がこれでもかと届き、助手席でガマンしつつも眠気が、、、。気が付けば、現地に到着。おお、こんな田舎に!一本の垂れ桜が。確かにわざわざ観に行く価値があるその桜。平日の昼下がりまあまあの人出。おそらくは普通の民家のものが人気となっての名所だろう。と思った。

幼い頃見た櫻も70年経っているわけで、どこもかしこも立派になっていると思う。これからしばらく色んな所の桜を愛でることになりそうだ。

日本で良かったあ。

2022年3月23日 (水)

歌うという薬。

このところじわりと歌に触れる機会が増えた。意識するしないに関わらず毎日ビクビクして過ごすのが常態化しているのだが、その間隙を縫って歌に、音楽に触れている。昨日もあるコンサートに出かけた。若いとばかり思っていた出演者彼らも円熟期に入り、悠々と楽しげに舞台を務めた。このチームは以前から観客のことを考え、常に観客を楽しませようと心を砕いているのを知っている。クラシックでござい、というのを色んな方法で排除しようとしているのが心地良い。この日も、時代考証そのままに衣装かつらなど華やかに揃え、映画で見るようなとんがり棒のかたちの金髪銀髪をかぶっている。そして、リーダーのKさんが客席に向かって深々と頭を下げたところ、そのとんがり頭が根元からポロリと折れてしまった。これには客席が大爆笑。帰りに出口でお見送りの彼女に、「おまけが楽しかったわ~。」と声をかけたが、明るく華やかに笑って対応してくれたものだ。これで良い。笑いのある舞台は最高。

ちぇちもいよいよ再々出発を来月からと決めて、スケジュールも決め、練習会場も取った。久しぶりに皆の顔を見るのが楽しみだ。そして、新しい仲間も複数参加してくれるようで嬉しい限りだ。やるべき事は多々あるが、一つずつクリアしなくては。

個人レッスンも春の訪れとともに皆やる気が出てきて回数が増えてきた。声というのは客観的に聴いて貰わないとホントのところが分からないし進歩もない。だからこちらのすることは、声を聴いて、善し悪しを判断して、多少のアドバイスを送る事がメインだ。そして求める声が出るまで粘り強く時間を共有する。これは自分自身が長年にわたり指導を受けてきたものをそれぞれに渡して行くことに他ならない。指導しながら、過去に受けたレッスンを思い出す事も多い。たまたま断捨離のためにCDの整理をしていて、昔O先生に指導して貰った折りのものが出てきて面白かった。自分の声が若い!当たり前だが。

さ。歌の薬で体のメンテナンスをして、7月まで駆け抜けなくては!

2022年3月20日 (日)

観劇の日。

今日は友人達と6人での観劇日。前進座の「ひとごろし」という喜劇だった。ストーリーは簡単。山本周五郎原作で、「臆病者」とレッテルを貼られた一人の武士がひょんな事から、仕える大名の名誉のためにある武芸者の後を付け、決闘をするべきが、手を下すことなく敵を降参させて、そのチョンマゲ一つ取って目的を果たすというお話。

みんなゲラゲラと笑って見ていたが、途中でふとこれは今の戦争の解決策かも知れないと思い始めた。刀は持っているが、一切使うことなくただただ相手を弱らせ疲れさせて敵が自ら降参というまで武器は使わない。刀の代わりの武器はただ、「ひとごろし」と叫びながらつけ回す事だけだ。これって、今のプーに対する世界の発言がそれに近いのではないか?と思うのだ。世界中から「ひとごろし」と言われ続けているプーはこの話の浪人の立場ではないのか?このままそこを増幅させていけば、、、、、甘いか?

ただ、山本周五郎は流石。と思う。戦いの本質を描いているのではないか?武器と武器を出し合えば、結末はどちらかの死だけ。深い話だ。

 

終演後外に出れば小雨。明日は晴れるらしいし、やっぱり早明浦の水は増えないのだろう。、、、こうしたことも人間の知恵で解決してきたのだ。破壊ではなく、建設的な方向に知恵を出し合って。。。。

2022年3月18日 (金)

雨は降る降る。。。

天も泣いているのかと思う久々の雨。嫌でも気持ちが沈んでしまう。古傷のむち打ちの後遺症が出て、首や肩が異常にこっていて、全ての関節が動きをさらに鈍い物にしている。

が、これは贅沢な感情だ。少々のことにグチグチ言ってはウクライナの自国から避難している人びとに申し訳ない。そう思い直して朝から家事に勤しみ、来月から始まるであろう練習会場の交渉に電話をかけたり、メールをしたり。歯医者にも予約も入れて、雨の中出かけた。午後は娘に頼まれていたジャム作りの手伝いにマンションに出かける。とにかく力が無くなっていて、大きな柑橘類を剥くのも一苦労。が、ともかく全てノルマは終えて再び雨の中車で移動。夏日から一転冬日に代わり体もついて行けない。が、SNSの動画では明らかに自分よりも高齢な女性が戦火の自宅から逃れて両脇を支えられながら歩いている姿が複数見られた。もし今ここに同じ事が起こったら、果たしてどうなるだろう?絶望的な状況下でも人は何かに縋って生きようとするのだろうか?

 

明日は前進座の観劇だ。タイトルは「ひとごろし」なんてこと!

2022年3月17日 (木)

地震。

夕べ遅くにこれを書いてさあ寝ましょうとベッドに入った途端地震速報。驚いた。自室のテレビでついつい見てしまう。この深夜の地震は怖いだろう。朝にならないと被害の全貌が分からないだろうと2時過ぎには寝てしまったが、起きてからもすぐにテレビ。案の定思った以上に被害が出ている。11年前の311に思いを馳せた人も多かっただろう。折角復興した地域でやり直していた人たちの中にも今回相当被害を受けた人が居るようだ。人間は本当に弱い生き物だと思う。ある陶器店のご主人が一個数十万円するような食器が無残に割れているのを示しながら、ここ二十年で何回も被害に遭いました、と語っていたが本当にひどい。相手が自然では怒りを向けるところが無い。なんとも気の毒な話だ。

戦争の場合は憎むべき相手があり、怒りを持って行くところがあるが、いずれにしても一般市民は抗うことが出来ない力の前にただただ弱い存在だ。

数日後に停戦の報も流れたが、本当であって欲しい。

2022年3月16日 (水)

タイムリーな映画鑑賞。

昨日アマゾン映画で、「わが名はキケロ」というのを見て、ナチス滅亡のために連合軍が結束を強め動き出す様子を見た。一人のスパイが大胆不敵に動き、戦争の行方まで左右するお話。これが事実に基づくものだというから凄い話だ。

そして今日は、明日で終わるからという娘の誘いに乗って、最新版「ウエストサイドストーリー」を劇場に観に行く。スピルバーグ監督というのも興味があったが、懐かしい作品の再現に惹かれたのもある。期待以上に面白い映画だった。ダンスの素晴らしさも衣装の見事な色彩やカメラワークの巧みさは、いかにもこの監督作品。一番驚いたのはマリアが死なないという点。いや、前回の作品も同じだったかも知れないが、ジョージチャキリスのダンスばかりが印象的で、前回のラストシーンは忘れている。元になった「ロミオとジュリエット」は行き違いから二人とも死んでしまい、戦うことの無情を教える物だが、ミュージカルは違うのか?

この作品もとてもタイムリーな作品ではあった。些細なことから喧嘩が勃発するが、本当の悲劇でそのケンカに終止符が打たれるというこのストーリーは、嫌でも今のウクライナ情勢を思い起こさせる。そして、とても印象的な言葉が一つ。「命は愛よりも尊い。」対立する二つの不良グループの両方に愛情を注ぎ見守ってきた白人の老婦人が口にする。もしかしたらその意味でマリアは死ななかったのか?

そして今の時代を織り込んでいる部分も数々あり、中でもセクシャルマイノリティの少年を登場させたり、プエルトリコのリーダーの女アニータをポーランド系の少年達が取り囲み陵辱しようとするのを、ガラス扉のドア越しに泣き叫んで止める彼らと同じグループの女性達。これは新しい設定だ。

 

いやあ、やっぱり映画は面白い。

2022年3月13日 (日)

漸くわが家の嵐が過ぎ去った。

そもそもリフォーム前から老体には酷な労働が付き纏い、工事が終わっても今日の今日まで片付けに追われた。工事で出た埃が至る所にあるのを9割は除去したか。まだ見えない所には残っているはず。が、もう限界。これを機会に断捨離に励むつもりが、物を移動したにとどまり、夫の収集している古い食器は一番にお蔵入りさせてスッキリ。あとの不要と思われる物は物置に一時保管。きっと永遠に保管になるんだろうが、、、。

昨日は見かねた娘夫婦がちゃちゃっとやってくれて、ホント大助かり。若さって、良いなあ。自分も確かに持っていたはずなんだけど。。。。

今回はお風呂と洗面所だけのつもりが、ついつい隣接する部屋も遣って貰うことに。おかげで住みやすくはなったし、これ以上年取ったら何も出来なくなりそうで、今のうちにという思いもあった。娘の言うように、そのうち二階で寝るのは無理になり、いつか階下でとなるかも知れない。それにも対応出来るだろう。。。。これも終活?

この工事期間中、世界にも身の回りにも色々事件があったが、その中でも婿殿の二度の入退院は衝撃が大きかった。体格の良い、健康そのものの彼がまさかの大病。ただただ気をもむだけだが、これも老体にはこたえた。ようやく無事生還してくれて、6週間で7キロも痩せた割にはわが家の片付けの手伝いも出来るほどに回復してくれて安堵した。安静は必要無く、むしろこれまで通り動くようにと言う医師の指導らしいが、つくづく医学の進歩は半端ないと思うことだ。このままひたすら快復していくことを念じている。

孫べえは早速お泊まりに来て、2泊してお帰り遊ばしたが、「孫は来て良し帰って良し。」正しく。今宵はゆっくり眠れそうだ。

 

いつだったか、ある評論家が珍しく感情的な言葉でプーとゼレンスキー二人の大統領について、「あの演説の顔つきや態度、姿勢を見れば分かるでしょう。その人格が。」と言っていたのが印象に残った。そう。人は内心が顔に、態度に出るものだ。あえて、わざとそうした演技をしているとも言えるが。でも。放送局のこういうポジションの人がこういう発言をするのは相当怒り心頭に違いない。

今朝の爆問の番組で薄口評論家と言われている某元政治家が、「日本は、国連を立て直すために力を注ぐべきなんですよ。」と力説していたが、その通りだと思う。何のための国連か。それぞれの国が自国の利益を優先させる限り国連がまとまるはずがない。イコール力が強くなる訳もない。

ギリギリギリ。歯ぎしりしてテレビ画面を見るしかないのか。

 

2022年3月 6日 (日)

命。

最近日本の著名人が他界のニュースが多いように思う。今日も西村京太郎氏が亡くなったとニュースで見た。昨日は自分と同じ高校出身で御前演奏までしたことのあるソプラノ歌手佐竹由美氏の訃報を知った。年齢はまちまちだが、それぞれその世界で功を成した人たちだ。悲しいし、残念だし、ご家族を始め関係者の方々に追悼したい気持ちで一杯になる。

が、一方で、このように一つの命を大切に思える国に住んでいて本当に良かったとも思う。今現在戦争まっただ中のウクライナやロシアで命を落とす人の中にも様々な人が居ることだろう。人類が営々と築き上げてきた文化芸術を瞬時に破壊する戦争。なんの罪もない人たちの命を平気で奪う。

今日のニュースで11年目の福島では未だに行方不明者の捜索が続いているという。同じ時代を生きている人とは思えないこの違い。なんとか早く終わらせて欲しい。

日本のテレビ番組の中では、早く降伏して人民の命を守れ、という論調も増えてきたように思う。が、それでウクライナの人びとに未来はあるのだろうか?ロシアの言論統制のやり方など見ているとそれほど簡単ではないと思うが。

 

今日は工事の方々はお休みなので、娘に付き合って貰ってホームセンターに屋内用台車を買いに行く。すぐさま見つかったが、最初娘が担当のおじさんに説明を聞こうとすると目的を聞かれ、「両親が年寄りになって力がなくなり、重いビールや灯油缶なんかが運べなくなってきたんです。」と言うと、「わかるでえ~、みんな同じや。そのうち同じ事繰り返し言うようにナルで。忘れ物も多くなってな~。」と同情してくれて、「おっちゃんも一緒。」と豪快に笑ってあれこれ見せてもらえたそうな。他の場所にいたアチクシは、その報告を聞きながら、ふん。大きなお世話よと内心毒づく。しかし、娘に言われるまで、そういう物を買おうとも思わなかったのは、そもそも認知症が来たか?と不安にもなる。とにかく最近夫婦とも手の力がなくなってる。そう思って、ビールもお米もドリンク類も全てネット注文とかCOOPにして玄関先までは届くようにしているが、実はその後が大変だったのだ。いやはや、これで助かった。工事が終わった後の諸々の移動もコレで楽ちんになった。

持つべきものは娘だ。

 

2022年3月 5日 (土)

荒れる空。

猛烈な風が一日中吹き荒れている。春一番とは聞いてないが、黄砂も凄いらしくそれが舞い上がって玄関からの風景がかすんでしまっている。大急ぎで歌会の前に洗濯物を取り込んだが、まあ大変。今日みたいなのはなかなか最近経験が無い。

そうした中のリモート歌会は順調に予定通り進んだ。東京からの参加者もあり、充実したものだった。惜しむらくはもう少し話し声がクリアだと申し分ないと思ったことだ。大体は分かっているが、対面とは違い、小さな部分で齟齬も生まれるし、聞き返すこともある。多少慣れてきたとも言えるが、、、、。

詠まれた歌の中には今の時代を反映した物も複数ある。詠まずにはいられないということだ。

昨夜NKHKの聴き逃しという番組を深夜に聴いていたら、髙橋源一郎という作家の番組があり、さすが良い話だった。「今は誰もが、何かしなくてはとか、何か出来ることはないか、と思っている時代だと思います。」とウクライナの事から始まった。そして番組中に釈迦の言葉として、「サイの角のようにただ独り歩め。」というのが紹介されていて、なるほどと感銘を受けた。簡単に言うと孤独にということだろうが、釈迦の教えは深いものがあり、一方で学識豊かで高邁明敏な友と交われ。ともあるようだ。友とは学問なども含まれるようで、自分自身を成熟へと導くものがそれらしい。プーにはその意味の友は皆無なのかも知れない。ある番組では「彼の周辺にはイエスマンしか居ない。」と今のプーのことを話していた人がいたが、きっとそうではないかと思う。

実は今日の歌会も師からの、「このような重苦しい状況だが、自分のやるべき事を懸命にやるほか無い。」というコメントから始まった。

 

みんなが考えている。今日の風の様に。

2022年3月 4日 (金)

地球が泣いている。

ウクライナの先行きがさっぱり見えない中、パラリンピックも始まった。選手達の気分は如何なものか?ロシア選手達を追い出してスッキリと競技に打ち込めるんだろうか?同じ地球上で、方や平和の祭典。方や戦争。矛盾ありすぎでしょう。ロシアから亡命してアメリカ在住のある富豪が遂にプーの首に懸賞金をかけた。が、これはフェイスブックを使ったためすぐに消されたようで、この措置は自由の中にも節度をという意味で妥当なものだったと思うが、こういうことは何かしらの影響があるのかしら?そして今時の戦争らしく、スマホによる撮影で爆撃の様子を市民達が世界中に発信しているようだ。爆弾ではなく、別の物で対抗しているという。どこまでも恐ろしいプーに対して何かが功を奏して終戦にさえなれば良いと思うが。。。

いつものようにお弁当を買ってきてくれた娘がインスタの投稿を止めているというので、何故?と聞いたら、こんな時にのんきに投稿出来ないと思う、と言う。最後の投稿でウクライナの国旗をアップして終わりにしているようだ。まあ、平時に美しいと感じたモノであっても、戦いの最中にいる人たちにとってはそんなモノに価値はないだろう。戦争とはかくも全てを簡単に破壊する。

明日はリモート歌会の日。背景になる場所には、夥しい物品を積み上げてあるが仕方が無い。歌会で気分転換させて頂こうか。

2022年3月 3日 (木)

晴れない心。

生きてる限り人は色んなことに見舞われる。自分がしでかすこともあるが、多くの場合は他社から受ける諸々に、抗ったり又受け入れたりしながら生きていくのだ。その意味では、世界情勢からプライベートまで本当に次から次へと起こることで2022年は忘れられない年になりそうだ。

プライベートでは、だからこそなるべく平常心を持ち続けることが大切だ。思うようには出来なくとも、そうありたいと思うことでより良い方向に物事は動いていくだろう。

世界情勢。これはどうにかなるレベルのものではない。大きな歴史のうねりの中に個人は埋没してしまう。でも、小さなさざ波でも皆が心を合わせ寄せていけば、大きな波として、物事が動くかも知れない。ウクライナの難民を政府が受け入れると発表したことは大賛成。既に日本在住で巧みに日本語を話す人びとが大勢映像に出ている。人口が減少している日本。こうしたことで国際社会に貢献できるのでは?

明日も晴れるらしい。

2022年3月 2日 (水)

怒ってます。

今わが家はリフォームの真っ最中で、生活圏は仕切りで確保していたつもりだった。が、今日になってよくよく見てみると、何もかにもがうっすらと埃をかぶっている。これは大変なことになった。完成してもそのアトが大変だ。こういうのを見ると、以前ならガンバロウと思えたのが、今や、気力が萎えてしまい、どうすれば良いの?と絶望的になる。

でもこんなことで絶望なんて言葉使ってはいけない。とも思う。ウクライナの人びとを見れば、少々のことをあれこれ嘆くのは本当に今はやっちゃあイケナイと思うのだ。あの人たちの絶望たるや、きっと戦争経験の無い自分たちには想像も出来ない大きさ深さだろうと思う。自分の力ではどうしようもないことがその原因の最たる物だろう。

テレビでは大分状況が分かってきたが、分かれば分かるほど腹立たしい。ロシアだって、多くの兵士を進軍させているが、その多くが理由もはっきり知らされてないとも言うからには、かれらも犠牲者と呼べる。そうなんだ。戦争の恐ろしいところは、個人がなくなると言うことなんだ。ある進軍中の若者とその母親のメールのやりとりが国連で紹介されていたが、彼は知らないうちに巻き込まれて、「怖いよ」と母親に送っている。そして命を落としたらしい。なんと痛ましいことか。そのニュースには怒りで涙が出た。どうしてこんなことが出来るのか?この若者は自分の意志ではないにせよ、こうして母親とのメールが世に出たことで、何らかの抑止力に繋がるかも知れないことを思えば、別の意味で生きたことに価値があった。いやいや、この人だけではない。全ての戦う若者達は価値ある命の持ち主なんだ。

言わせて貰うなら、こうして戦争しているのは男ばかりだ。「生む」事の重大さを知らない男どもは平気で命を粗末にする。ま、最近は何故か女性兵士も増えていると言うが、、、。主要メンバーは男だけだろう、、、と思いたい。

 

コロナがあざ笑っているような気がする。何を持ってしても人間というのは性根に入らない生き物なんだと。

« 2022年2月 | トップページ | 2022年4月 »