ヤバい。
今日は何かと整理する日で、短歌の会誌などもやっていたが、その中に面白い記事が出てきて、読みあさっている内に時間が経って何も進まなかったという次第。短歌を詠む訓練をしているはずだが、どうも文章に惹かれるくせがある。この会誌は最初のページに歌壇の偉い人などが良い文章を寄せてくれていて、当然配布されたときは見ているのだが、改めて時間をおいてから読むと又面白い。以前も面白いと思って読んだ記憶はあったが、例えば以下のような文章は改めて笑い声が出るほど面白かった。「青南」の重鎮、堀江厚一氏の寄稿文の一部。
「 ヤバイは、戦中の忠良なボクラ少国民でも承知していた。しかし、それは真っ当なヤアサマだけの世界に許される言葉として、我々の踏み込んではならぬ種類の物であった。それがいつのまにか流れ流れてとうしろに普通言葉として蔓延、あろうことか全くマッタク別の意味となって街のお嬢様方までもが、日常フツーに軽い遊び言葉として使う世になり果てた。
言葉は常に変わる。私は使わないが、例のラ抜き言葉も、すでに昭和初期から著名作家が使っていたという話は聞いた。
言葉は変わっていい。許すも許さないもない。ただどんな言葉であっても、どんな使い方であっても、分からなくても、それなりにウツクシクなければ困る。分からないなりに耳にこころよく響いてくれないのは愉快ではない。
日本の言葉は私たちの心の向こう側から少しずつ貧相になってきている。 」
実はこの文章の冒頭に、幾つもの最近世の中で使われている話し言葉を列挙して、「右に並べた言葉の断片、何のことか分かったりしますか?」と書かれてあり、あまりに思い当たることばかりで、笑い無くしては読めない文章だった。しかもこの文章のタイトルは、「もうだめだ」である。この方は非常に軽妙洒脱、お話も面白い方。これが、2016年に書かれた文章だが、先日スーパーで、「袋、大丈夫ですか?」と言われ、「大丈夫です。」と答えて、手元にマイバッグを持っているのに無駄に買ってしまった経験があるのを思い出した。こっちの感覚だと、買わなくても大丈夫ですか?と訊かれたと思ったのだが、あちらは購入扱いにしても良いですか?の意味だったらしい。イヤハヤイヤハヤ。
しかしまあ、整理というのは進まないものだが、これじゃあいつになったら終わるのか?ヤバイなあ~!ふ。