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2022年2月

2022年2月28日 (月)

リフォーム開始。

漸く今日から工事が始まった。体格の良い若者達が手際よく古いものを解体していく。外に出てきた瓦礫はさながらウクライナの破壊された住居のよう。数時間後には流石の若者も腰を伸ばしたりたたいたり、、、無理もない。重いモノを何度も何度も外へ運び出すのだ。凄い労力だ。

ウクライナはどうなっていくんだろう?わが家はすぐに修復に入るんだけど、あの爆破された住居なんかは住めるようになるには相当時間がかかるんじゃないだろうか?次々とどのテレビ局も現地からの生々しい様子を放映し始めている。泣き叫ぶ子供や少女たち、必死で泣くのをこらえながらもなんとか言葉を紡ごうとする老婆。「誰も助けてくれない。」が出てきた言葉だった。こういう映像をプーは見ないんだろうなあ。一部の報道ではロシアのほんの数人しかこの戦争にはかかわってないらしい。それであれだけのことが出来てしまうのだから、ホントに恐ろしい。

ナントかならないものだろうか?ロシアも落とし所が決まっていてのことなんだろうか?分からないことだらけだ。

陸続きの国々は好むと好まざるにかかわらず歴史上国境というものに関して紛争が起きてきたのは知っている。一住宅でも隣との境界線でもめるのはよく聞く話だ。人間とはそうしたものなんだろうとも思う。島国の日本はその点恵まれているとも言える。が、色んな意味で昔とは違うはずだ。地球規模で協力し合って、例えば温暖化なども解決しようとしている最中だ。オリンピックにしても色々あってもスポーツを通して世界が手を繋ごうとしているわけだ。ちまちました「我」を超越した言動が求められてきている時代だ。何で今更こんなドンパチを繰り広げるのだろう?失うものばかりではないのか。

 

今日は短歌の師匠から自著の第6冊目が届いた。ホントにこの方のエネルギーにはほとほと頭が下がる。白が基調の美しい装丁にタイトルは「白風」このセンスも良いなあ。今宵はこれを読ませていただくことで、黒く染まった心を塗り替えて貰おう。こうして短歌を詠んだり読んだり眺めたり出来てることはなんと幸せな事だろう。

2022年2月25日 (金)

忌々しき事態。

核による脅しを平然とやってのけるプーチャン。大国のトップとは思えない。お膝元でも戦争反対のデモが多発しているようだが遅い。それだけ洗脳されていたんだろうか。トップを決めるときは、ムードに流されず、その人の人格などしっかり見極めなくてはこんなことが起きる。昔とは違う。核保有国なんだから、トップの簡単なサインで世界が滅びる事態に陥らないとも限らない。これほど多くの国を敵に回して、自国が大きくなったとしてそれに何の意味があるの?

つくずく人間はバカだ。

2022年2月24日 (木)

憂慮すべき事態。

戦争とはかくも簡単に起きるものだ。よくよく自制しないとすぐに鎌首をもたげて襲撃する。今回の一連の動きを見ていても十分に論議を尽くしたとは言いがたい。守るとか領土とか、そんな旧態依然とした思想を、この現代においてそれほどあからさまに表現して恥ずかしくないのだろうか。全く成長がない。「核戦争」なんていう物騒な言葉が飛び交い始めた。もうそうなったら地球は終わり。なにもかもがジ・エンド。

あのプーチャンはかねてからブッキーだったが、遂にやらかしてくれた。これからどうなっていくのか。コロナ不安が収束してない中、新たな不安材料の出現に、ますます心が疲弊してしまう人が多くなるだろう。平和ほど価値があるものは無い。それが分からない人物でもないだろうに。

犠牲者が出ないことはあり得ないだろうが、できる限り少ないことを願う他ない。

2022年2月23日 (水)

思うこと。

ニュースで天皇陛下のお誕生日会見の様子が何度も流れた。こっちは例によって食器棚から食器を移動したり諸々整理しながらチラ見だったが、お言葉の中には本当にそうだと思わせるものが多々あった。中でも真子さんに対する誹謗中傷に関するものと思われるものには、かなり踏み込んだ発言をされていて拍手~。ご自身が日本の中でお立場が危うい中、何を話すのも覚悟が必要なんだろうが、日本人がこの方のような物の考え方をする人が多ければ良い国になるだろうと、今回も思わされた。有言実行でなければならないお立場。あらゆる意味で大変なんだろうとこうしたニュースの度に同情してしまう。

だれもが選んで生まれてくるわけではない。こうした特別な立場に生まれた人たちの特別な人生を垣間見る度に、お気の毒感が拭いきれない。どうぞせめてご家庭だけでもお幸せに、と思うのだ。

 

先日ご来店のお客様が、世界の、特にロシアの最近の動きやオリンピックに関するものなどを嘆いていて、「ほんと、日本に生まれて良かったと思うわ。その上戦争に負けてくれてホントに良かった。ただ、天皇制を押しつけられたのだけは良いとは思えないけどね。」との発言。

店内ではあまり政治や宗教の話はしないと決めているが、一回りほどお若いこの方はしっかりご自分の考えを話してくれて、いつも勉強させて貰っている。必ずしも全て同調しているわけではないが、寂聴さんのお言葉を実践する。「自分の考えと違う人と話しなさい。同じ考えの人と話すのは楽だし楽しいけれど、そうじゃない人と話さないと発展がない。」

そだねえ~。

 

2022年2月22日 (火)

良かったにゃ~~。

昨日は生きた心地がしなかった。孫べえが発熱。てっきりコロナだと思い大慌てで母親が病院に連れて行き、完全防護服に身を固めた医師と看護師によって車内で検査を受けたという。やきもきしていると、今日になって漸くPCR陰性と連絡があった。クラスでも数人がお休みしてるというし、ほぼ感染は間違いないだろうと踏んでいたが思い過ごしだったようだ。発熱といわれ、孫べえと接触したのがいつだったかと懸命に思い出す作業。ここ数日は接触がなく、声だけの接触にとどまっていたのを思い出しホッと一安心したところだった。ただ今父親が入院中のため、もし退院してきた時感染中だったらわが家に隔離しようか、なんてことも話し合っていたからやれやれ。助かった。

けれどこの手の大騒ぎは多くの家庭でやってることだろう。今は家庭内感染が主流らしいから。大邸宅ならいざ知らず、かつてウサギ小屋といわれた日本の住宅事情。うつって当たり前。さあ、どう決着を見るのか?このコロナ騒動。この期間で、得たものがあるとの声も聞かれるが、無くしたものも多いだろう。やっぱり人と人が接触して創り上げてきたものが多い人間社会。リモートだとか工夫はあったが、生身の会話とはマッタク異質のものだ。ナントいっても生が一番。ビールもっ!

 

ところで、今日はあるアーティストY女史から、芸術士の活動を動画にしたものを送って貰ってじっくり見せて貰った。おおざっぱな事しか知らなかったこの活動。素晴らしい。懲りずに大雑把なことをいうと、保育園児を対象に芸術家が芸術抜きで子供達と遊ぶ、という活動。ただそれぞれがアーティストとしてキャリアを積んできている人たちで、一般ピープルとは違い、発想や遊び方は我々が思いつくようなものではない。不思議な事に、そのことに子供達はなんの抵抗もなく染まっていく。10年にも及ぶこの活動によって、たまたま当時保育園児としてこれを経験した女生徒が高校生としてある芸術士と再会する。なんと、その女生徒はただ今工芸高校の生徒で、美術大学を目指しているという。まあ、こういう直球的な効果もあるんだろうが、実際は多くの子供達がこの出会いによって人生が豊に彩られるきっかけになっているのではないだろうか?

時間はかかっても、こういう幼児期の有り様を真剣に模索することで日本の未来はもっと良くなるような気がするなあ。あんな事件やこんな事件とは無縁の。。。。

2022年2月19日 (土)

寒い雨。

このコロナ禍の中で、おうち自粛を余儀なくされていてのオリンピックは、多くの人がこれまでになく見ていることだろう。自分自身でも毎夜ながら族ではあるがケッコウ見ている。夕べもカーリングを見て、つくずく人間て面白いことを考える動物だなあ、と感心したり。これって、ビリヤードの原理と同じかな?と考えたり。そういえばビリヤードなんて、何年も行ってないなあ、と昔を思い出したり。今も、フィギヤーのカップルの演技が続いているが、夫が大音量でかけたままお休み遊ばしたので、観るので無く解説を聞きながらパソコン。日本人カップルは見たが、完璧に近い演技に、おお、日本もここまで進歩したのか!?と驚いたり。世界は広い、あれで7位だもんね~と思ったり。

しかし、雨の上に寒い為今日は外出の気分にはなれず、一日中家の中。まあ、やることは次々とやってくるから寝てるわけではない。が、妙な事に世の中の自粛ムードに知らず知らず侵されているのを感じる。

夕方になって娘からシャンソン歌手Sのライブ配信があることを知らされ、久しぶりに愉快なトークとシャンソン以外にもジャズや日本の昔の歌なんかもどっぷり聴いた。後から娘と感想を話し合ったが、お互いに日本の古い歌が良かったと意見が一致。ホント、日本の昔流行った歌には情感があり、現代に十分通用することに驚く。今日本で流行っている若い人の歌は、今聴いてもよく分からないと思ったりするが、こういう曲は後世に残っていくのだろうか?

先日オペラの公演の著作権を調べたら、全て100年以上前のもので、申請の必要がなかったことが判明したが、このようにそのように、息が長い音楽もれっきとした形で現代に残っている。何故なのか?

ま、いずれにしても今を生きる我々は、今楽しいと思えるものを堪能して生きていくしかないのだろう。昔の作曲家達も、永遠に生き残れると思って作曲したわけでもないだろう。

人間は生まれて生きて死んでいく。けれど大なり小なり何かしら残して行くものなんだろう。その残したものの価値はうんと先の世代の人が評価するんだろうなあ。ま、残すものは何も持たず、先人の宝物を享受しているだけのアチクシのような人間もいるけどねえ。アリガタヤアリガタヤ。。。

 

2022年2月18日 (金)

明暗。

今回のフィギュアースケートほど、怪しい空気に包まれたオリンピックはなかったように思う。誰もが勝てないから、「絶望」という異名までとっていた15歳の選手が最も大事なシーンでミスに次ぐミス。見ていて本当に気の毒で涙が出た。真実はわからいにしても、15歳の少女がこの騒動にメンタルがやられているのは誰の目にも明かだったろう。その証拠に会場にいた多くの観客からの声援が半端なかった。裏で何が行われていようと、彼女は自分自身の技術を表現するしか方法はなかっただろう。何が彼女の心にダメージを与えたかは分からないが、あの状況下では、誰かのほんのささいな一言でも傷ついたことだろう。周辺が守り切れなかったということか。

割り切れない思いが残り、日本人選手のメダルが素直に喜べなかったのは私だけ?しかも責める訳ではないが、メダルを貰って無邪気すぎる笑いを振りまき続けるその選手に、もしかしたら逆転だったかも知れない彼女のことをほんの少し気遣う表情があれば、ほんの少し優しい言葉があれば、と残念な気持ちになったのは私だけ?日本のマスコミも一様に歓喜の扱い。違和感があったのは私だけ?それが、勝負の世界だといわれれば、やっぱり私はこういうのは好きになれない。

別に15歳の彼女に肩入れしてるわけでもなく、存在すら殆ど知らなかったが、しかも、彼女のお国のやり方には憤怒の感情こそあれ、同情の気持ちもない。けれど、ある意味犠牲者じゃないかと思えるこの少女に、アスリート全体として心を寄せるべきではないのか?

ああ、やだやだ、と思いながら、今宵はあのお掃除競技!を見るんだろうなあ。

そだねえ~。

2022年2月17日 (木)

オリンピック。

オリンピックは否応なく見ることになる昨今。金を巡って鎬を削るアスリート達を見ていると、中には痛々しいと思う人もいる。大体において、若くて初めての参加なんて人は逞しい。経験者ほどプレッシャーを感じているようだし、見方によってはマスコミに追い詰められているんじゃないか?というような人もチラホラ。別に金でなくとも良いじゃん!?とこっちは思っても、そうはいかない世界らしい。

昔、日本人として初めて銅メダルをとったマラソン選手が、次は無理と思って自殺したという事件があったらしいが、周囲の期待を裏切るかも知れないことが、命と引き換える程の思いというのが、マッタク分からない。自分が勝てば、負ける人が出る。他人が負ければ自分が勝てる。それは当たり前の事で、その結果を受け入れられないとうのが信じられない。が、受け入れられないのは、選手というより、世間かも知れない。いやいや、世間なんてものは、好い加減で、無責任で、そんなものに左右されるのがそもそもおかしな話。ま、この人は自衛隊の隊員だったようで、性格も几帳面、責任感も強かったらしいから、自分の中にそういう結末が内在していたのかも知れない。

ただ今問題のドーピング事件なども、「勝つ」ことにのみ評価が集中し過ぎた結果起きたものではないのか?お国によっては、勝つか負けるかで途方もない報酬が出て、その後の生活が大きく変わるような事があり、そのために勝ちたいというのは、百歩譲って、仕方が無いとも思えるが、国の名誉の為に違法なことをやってまで勝つというのは、スポーツの祭典がゆがめられ過ぎているのではないか?

Kというスピードスケートの選手が、金を取ってから、周囲が一変し、自分が何気なく言った言葉までまるで格言のように一人歩きし、、、、と苦しかった胸の内を語っていたのが印象的だった。、、、どうか素晴らしい才能を持った人たちに幸せあれ!と願わずにいられない。

これから先、オリンピックはどうなっていくんだろうか?人びとの知恵で謳い文句の通り、スポーツを通して違いを超え、平和でより良い世界の実現を目指して欲しい。、、、無理かなあ?

 

2022年2月14日 (月)

追われる日々。

毎日毎日やるべき事に追われ、どれもが中途半端になっている。友人達の中には自粛でやることがなくて、暇で暇で!と嘆く人もいるが、羨ましい。その理由の一つが訳あって娘家族のフォローをしていること。おとといから孫べえがお泊まりで、となると、自分のペースが一気に乱される。そればかりではない。ようやくはっきり決まったリフォーム工事の前準備に忙しい。おかげで、元々熱心ではないオリンピックはニュースで見て、へえ、はあ、ふ~ん。。。てなもんだ。従って、好きな映画もマッタク見られずストレスが溜まっている。

そんな中、全国オペラ年鑑の事業部から、昨年度コロナの影響をどこまで受けたかの調査を求められ、昨年予定していた公演日を書く必要があった。驚いたことに、マッタク思い出せない。資料も、例えばチラシなんかも作成前だったし、残ってない。ぐるりと部屋を見回してもそれらしい書類があるような気配がない。スマホに入れていた予定は全て削除していた。そうだとばかり、ちぇちのグループラインに「お助けメール」を出したところ、「今使っている楽譜の表紙に書いてますよ。」とさらりと返事が来た。あっちゃ~、そうだった。あんまり近過ぎて分からなかった。教えてくれたのは大学勤務の先生様。さすが~の緻密さ。助かった。次なるお仕事は著作権協会への提出書類だ。誰かやって~~の心。

緻密といえば、短歌の会の校正係というマッタク似合わないお役目を頂いて四苦八苦。ちぇちの台本だって、長く書いてきたが、メンバーから間違いを指摘される側だ。目で読むのと頭で読む作業が同時進行でなく、どうやらズレがあり、スイスイとはいかないのだ。こんな緻密さとは縁遠いアチクシが短歌の会でお役に立っているとは思えないが、自分にとっての利点はあった。それは、ただの会員だったときとはマッタク違って隅から隅まで会誌を読むという習慣が身についてきたことだ。これまで如何に読み飛ばしでしてきたかがよく分かる。がしかし、時間が十二分にあるとは言えず、結局昨日のお歌のレッスンはキャンセル。何もかもとは行かなくなってきたのだ。

この寒い時期に貰い風呂もケッコウきつい。風邪を引かないかとビクビクもの。、、、春が待たれるな~。

 

2022年2月 8日 (火)

ヤバい。

今日は何かと整理する日で、短歌の会誌などもやっていたが、その中に面白い記事が出てきて、読みあさっている内に時間が経って何も進まなかったという次第。短歌を詠む訓練をしているはずだが、どうも文章に惹かれるくせがある。この会誌は最初のページに歌壇の偉い人などが良い文章を寄せてくれていて、当然配布されたときは見ているのだが、改めて時間をおいてから読むと又面白い。以前も面白いと思って読んだ記憶はあったが、例えば以下のような文章は改めて笑い声が出るほど面白かった。「青南」の重鎮、堀江厚一氏の寄稿文の一部。

「 ヤバイは、戦中の忠良なボクラ少国民でも承知していた。しかし、それは真っ当なヤアサマだけの世界に許される言葉として、我々の踏み込んではならぬ種類の物であった。それがいつのまにか流れ流れてとうしろに普通言葉として蔓延、あろうことか全くマッタク別の意味となって街のお嬢様方までもが、日常フツーに軽い遊び言葉として使う世になり果てた。

 言葉は常に変わる。私は使わないが、例のラ抜き言葉も、すでに昭和初期から著名作家が使っていたという話は聞いた。

 言葉は変わっていい。許すも許さないもない。ただどんな言葉であっても、どんな使い方であっても、分からなくても、それなりにウツクシクなければ困る。分からないなりに耳にこころよく響いてくれないのは愉快ではない。

 日本の言葉は私たちの心の向こう側から少しずつ貧相になってきている。 」

実はこの文章の冒頭に、幾つもの最近世の中で使われている話し言葉を列挙して、「右に並べた言葉の断片、何のことか分かったりしますか?」と書かれてあり、あまりに思い当たることばかりで、笑い無くしては読めない文章だった。しかもこの文章のタイトルは、「もうだめだ」である。この方は非常に軽妙洒脱、お話も面白い方。これが、2016年に書かれた文章だが、先日スーパーで、「袋、大丈夫ですか?」と言われ、「大丈夫です。」と答えて、手元にマイバッグを持っているのに無駄に買ってしまった経験があるのを思い出した。こっちの感覚だと、買わなくても大丈夫ですか?と訊かれたと思ったのだが、あちらは購入扱いにしても良いですか?の意味だったらしい。イヤハヤイヤハヤ。

 

 しかしまあ、整理というのは進まないものだが、これじゃあいつになったら終わるのか?ヤバイなあ~!ふ。

 

 

2022年2月 5日 (土)

今日は歌会。

歌会は大体顔ぶれが決まってきているが、今日は東京からリモートの見学ですという男性が参加してくれて、それだけで雰囲気が変わる。矢張り新しい風はどんなものにも必要だと感じた。歌は時節がらコロナに関係した物も複数在り、それぞれ視点が違って面白い。しかし短歌は難しいなあ。ただの文章でも、その意図するところを正確に読み取るのは困難な場合が多々あるが、短歌のように作者が思いを込めて練り上げているものは読み手も真実に近づこうと努力するが、なかなか到達できないもどかしさがある。作者登場で初めて、ああ、そういうことですか!?となる場合がある。これがするっと理解出来るようなものを詠むのも難しいし、さっと理解するのも難しい。

先日、とある有名ソプラノM女史とテノールN氏のコンサートに娘が行き、感想を言ってきたが、「驚いたのはどこにも力が入ってないような、するっと耳に届く歌声だった。」と言う。きっとそうだったろうとは思うが、そういう風に聞こえるように歌うのは技術が必要なんだよねえ。なんか、短歌も似ているところがあるように思う。水鳥が涼しい顔をしてすいすい水面を進んでいても、水の中ではしきりに足を使っている、というアレだ。友達と二人で行き、二人とも涙涙の良いコンサートだったそうだ。矢張り生は良かったと弾んだ声で伝えてくる。そうなんだよねえ。生が一番。

 

ところで、昨日は何回も夜中に目覚めて、寝不足~~の状態でリモート歌会に臨んだが、近頃翌日に何か予定が入っていると思うだけで熟睡出来ない。スマートウオッチによれば熟睡時間は1時間半だったそうな。寝る子は育つの例え通り、寝ることには自信があったがやっぱり年か?

てことで、本日は9時だというのにもう眠い。素直に寝ることとしようか。でもねえええ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は歌会。

歌会は大体顔ぶれが決まってきているが、今日は東京からリモートの見学ですという男性が参加してくれて、それだけで雰囲気が変わる。矢張り新しい風はどんなものにも必要だと感じた。歌は時節がらコロナに関係した物も複数在り、それぞれ視点が違って面白い。しかし短歌は難しいなあ。ただの文章でも、その意図するところを正確に読み取るのは困難な場合が多々あるが、短歌のように作者が思いを込めて練り上げているものは読み手も真実に近づこうと努力するが、なかなか到達できないもどかしさがある。作者登場で初めて、ああ、そういうことですか!?となる場合がある。これがするっと理解出来るようなものを詠むのも難しいし、さっと理解するのも難しい。

先日、とある有名ソプラノM女史とテノールN氏のコンサートに娘が行き、感想を言ってきたが、「驚いたのはどこにも力が入ってないような、するっと耳に届く歌声だった。」と言う。きっとそうだったろうとは思うが、そういう風に聞こえるように歌うのは技術が必要なんだよねえ。なんか、短歌も似ているところがあるように思う。水鳥が涼しい顔をしてすいすい水面を進んでいても、水の中ではしきりに足を使っている、というアレだ。友達と二人で行き、二人とも涙涙の良いコンサートだったそうだ。矢張り生は良かったと弾んだ声で伝えてくる。そうなんだよねえ。生が一番。

 

ところで、昨日は何回も夜中に目覚めて、寝不足~~の状態でリモート歌会に臨んだが、近頃翌日に何か予定が入っていると思うだけで熟睡出来ない。スマートウオッチによれば熟睡時間は1時間半だったそうな。寝る子は育つの例え通り、寝ることには自信があったがやっぱり年か?

てことで、本日は9時だというのにもう眠い。素直に寝ることとしようか。でもねえええ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は歌会。

歌会は大体顔ぶれが決まってきているが、今日は東京からリモートの見学ですという男性が参加してくれて、それだけで雰囲気が変わる。矢張り新しい風はどんなものにも必要だと感じた。歌は時節がらコロナに関係した物も複数在り、それぞれ視点が違って面白い。しかし短歌は難しいなあ。ただの文章でも、その意図するところを正確に読み取るのは困難な場合が多々あるが、短歌のように作者が思いを込めて練り上げているものは読み手も真実に近づこうと努力するが、なかなか到達できないもどかしさがある。作者登場で初めて、ああ、そういうことですか!?となる場合がある。これがするっと理解出来るようなものを詠むのも難しいし、さっと理解するのも難しい。

先日、とある有名ソプラノM女史とテノールN氏のコンサートに娘が行き、感想を言ってきたが、「驚いたのはどこにも力が入ってないような、するっと耳に届く歌声だった。」と言う。きっとそうだったろうとは思うが、そういう風に聞こえるように歌うのは技術が必要なんだよねえ。なんか、短歌も似ているところがあるように思う。水鳥が涼しい顔をしてすいすい水面を進んでいても、水の中ではしきりに足を使っている、というアレだ。友達と二人で行き、二人とも涙涙の良いコンサートだったそうだ。矢張り生は良かったと弾んだ声で伝えてくる。そうなんだよねえ。生が一番。

 

ところで、昨日は何回も夜中に目覚めて、寝不足~~の状態でリモート歌会に臨んだが、近頃翌日に何か予定が入っていると思うだけで熟睡出来ない。スマートウオッチによれば熟睡時間は1時間半だったそうな。寝る子は育つの例え通り、寝ることには自信があったがやっぱり年か?

てことで、本日は9時だというのにもう眠い。素直に寝ることとしようか。でもねえええ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年2月 3日 (木)

新しい美、古い美。

今日は晴れてることもあり、珍しく夫と娘とアチクシという組み合わせでブランチ。日差しの差し込むおしゃれなカフェで思い思いのものを注文してゆっくり食事。こういう場所が嫌いなはずの夫も、この店は良く同僚と来ると言いご機嫌で参加した。感染対策はバッチリ。それでもいつ感染するか解らない数字が続いてはいる。にもかかわらず、ゆったり出来たのは家族という安心かも知れない。

で、食後は夫と別れてこっちは娘に誘われてはるばる国分寺まで運転。以前にも訪れたことのある非常にマニアックな家具やさんのその裏に出来たこじんまりしたお店に行く。どうやらその家具屋さんの縁続きの人らしい若い女性がもてなしてくれる。うちの娘の目的はとあるアクセサリーのデザイナーの作品を見ることだったが、こっちはもうそういうのにあまり興味も関心もなくなっているので、ささっと見て、あとは店内をくまなく拝見。非常に面白いお店で、日本の昔の家具や置物、海外からの珍しい置物、彫刻やら布、、、、そんなものの中に、分厚いおよそ30センチはあろうかという古い古い辞書があった。ぱらっとめくってみたが、今やインテリアになっているこの書物は触れれば崩れそうで怖くて十分には見られなかった。それが置かれている猫足の黒檀の椅子には作家物だと後でわかった黒い鳥の彫刻とランプが置かれてある。で、その書物はおじいちゃんの納屋を移築した折、物置にあった物だそうだ。他にもろうけつ染めの衣類とか個性的な洋服がいくつか飾ってあり、販売しているのだろうが、まるで美術館に展示してあるような感じで置かれている。店主が好きな物を好きなように置いてあるといった感じ。娘はさんざん迷った挙げ句白とゴールドのコンビネーションが美しいネックレスをゲットした。この作品は洋服につけてある「タグ」のビニールばかりを集めて様々なアクセサリーに作っているという変わり種。決してお安いものではないが、原材料を聞いたらへ~~~となる。海外でも人気で、パーティドレスにさえつけて評判らしい。今時だ。娘はインスタでこの作家をフォローしていて、初めて四国で展示販売するという情報を知り、早速出かけた訳だ。こういうところ、本当に父親譲りだ。本人は似てると言われるのを相当嫌がっているが、仕方が無い。趣味嗜好があちら似なのは間違いない。で、こっちは言ったもんだ。「又一回千円で貸してね。」そんな日がくるかしら?と思いつつ。

ここの店主のように若い人が、こうした古い物に興味を持ち、その価値を新しく見いだしているのは素晴らしいと思う。今思いだしたが、目黒のおうどん屋さんで、古い家具に藍の印判の食器ばかりを集めて使用していたお店があったなあ。若いご夫婦のお店だったが。なんでもかんでも捨ててしまう今の風潮からすると、これは賞賛に値する。

かといって、現代の新しい器類も生活用品も良い物は良い。かならずしも高級でなくとも心打たれるものはある。キーツの、「美は真実。真実は美。」という詩が蘇るなあ。

2022年2月 2日 (水)

晴~れたそら~~~。

だんだん近づいてきてるなあ。近い人の周辺が俄に賑やかになってきた。孫べえの学校も感染者が出たようだし、、、。

にしても本日は好天なり~。この日だとばかり、粗大ゴミで高松市が取りに来てくれない類いの物を夫に手伝って貰って一ノ宮まで運んだ。すると担当の女性がもの凄く丁寧な人で、物の言い方から、仕草まで、勿論システム内容も良かったせいもあるが、こういう職場にもこんな人が勤めているのか、と良い意味の違和感があった。何故かお茶のお土産を頂き、その上、百円で大きな袋に入った植木用の肥料まで買えた。勿論一応男性の夫がその袋を持ったのだが、ヨロヨロよろけてその若い女性が慌てて駆け寄ってくるシーンもあり~ので、いやはや、あまりの手厚い待遇にビックリ~~。現物担当の若い男性も、「すいません、1100円いるんです。スイマセン。」とまるで法外な値段をふっかけているかのような挨拶に驚く。こちらとしてはこのご時世、こうして持ち込めば引き取って下さる業者さんは有り難いんだが、、、。

てことで、気分も良く、帰り道に以前婿殿に連れて行ってもらったそば屋さんに立ち寄る。このお店は以前も感じたが、空間が多く、感染対策もしっかりしているのが好きだった。前から蕎麦好きの夫はご機嫌で釜揚げを頼んでいる。こっちはランチだったが、揚げたてのてんぷらが熱々で美味しく、とろろご飯もヘルシーで良かった。黙って食べ、外に出てから美味しかったねえと空を仰げば珍しいほどの晴天。

帰宅したらすぐ夫はプールにお出かけ。こっちはアイロンかけのあとレッスンがあり、ま、充実した一日か。

チラシの作成に取りかかっていたのが頓挫していたが、再度気を取り直してやり始めた。、、、こうして長年手作りでやって来たなあ。とつい懐かしむ。こういう諸々にかかわってくれていたH先生とOさんが一気にいなくなって、残された人間は自分たちでやるしかない。ちゃんとやらなければ皆さんに申し訳ない。

本日、「オペラ年鑑」なる分厚い本が贈られてきた。日本におけるオペラ業界の末端にちぇちも入れて貰っているからだが、矢張りコロナで全国の公演が悉く中止、延期になっていて、関係者の苦悩が読み取れた。製作に時間がかかる本だから、このデータは一昨年のものになるが、それほど長くコロナと戦っているんだと改めて思った。この本の記事に載る日が来るんだろうか?

2022年2月 1日 (火)

こっちとあっち。

ワクチンの副作用って、本当に人によって違うみたい。何も感じなかったと言う人もいるが、自分と同じように大分体調不良を起こした人も居る。その原因が何か知りたいもの。日頃の行いが悪い人は酷いとか?まさかねえ~~。ま、とにかく、身近に感染者はいなくて、ワクチン3回目が増えてきている。このまま、何事もなく推移してほしいもの。

感染者数がどんどん増えてきているのに、数字に麻痺しているのか?あまり驚かなくなってきた。ニュースに映る人々にも、以前のような緊迫感がみられない。口では「怖いです。」と言いつつ、笑っているじゃないの!?街頭でインタビュー受けている自体に矛盾を感じているのか?

東京の合唱団の友人がようやく退院した。FBで逐一様子を知らせてくれるのを、ほぼ毎日チェックしていたが、今の医療の進歩にも態勢にも驚かされる。そしてこの入院費は全て無料だと言うから驚く。安心と言えばそうなんだが、、、、。

こうして今日娑婆に帰った人も居れば、あちらの世界に逝ってしまわれたお方も。石原氏も一時代を駆け抜けた人だ。やりたいことは全部やった人では無かったか?最後を看取ったご子息が、「癌は痛いと聞いていて、随分怖がっていましたが、それほどでもなく静かに息を引き取り良かったと思います。」と語っていたが、豪放磊落、強靱な精神の持ち主とのイメージが強かっただけにちょっと驚いた。人は多面性があるなあ。

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