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2021年10月

2021年10月29日 (金)

びっくりドッキリああ嬉し!

いやあ、何事も言ってみるもの。今年の夏、あるコンサートに出かけた。ベンチで友人と並んで待っていると、真面目に立って並んでいた列から駆け寄ってくれる人がいる。最初は誰だか分からなかったが、兎に角ふわ~っと美しい人が駆け寄ってくれた、という感じ。旧交を温めてすぐにその女性は列に戻ったが、同行していた友人も、「あの方どなた?」と聞いてくるくらい素敵だった。で、今日その方からこの日記を見たとお目出度うの電話が。そういえば、以前この方が先にこの認知症検査を受けたので、要領が分かってるから資料を差し上げましょうか?と言ってくれていたのだった。それを思い出してそう言ってくれた事にお礼を言う時に、思わず今年の夏の出来事も思い出して、「あのときのお洋服はホントに素敵でしたねえ。」と申し上げた。すると、びっくりしたことに、体型がよく似てるから着てみます?と思いがけないお言葉。え?え?え?そんなつもりで言ったのでは、、、と言いつつ、脳裏にはあれを身につけた自分の姿を想像してみる。確かに体型はカバーしてくれる。色合いは申し分ない。白髪頭にも似合いそう。でも、、、、。と逡巡していると、今から持って行きます。とのこと。げげっ!ホントですかあ?と思わず嬉しい声が!ナントげんきんな!

で、すぐさまお届け頂いたのを、早速着てみると矢張りぴったし合う。勿論細身の方で合う人には違う雰囲気で似合うんだとは思うが、まんざら悪くない。今度着こなしたところをお見せします、とありがた~く頂くことに。帰宅した夫にあのO氏の奥方に頂いたのよ、と言うと珍しく褒めてくれる。元々布やファッションには関心がある夫はしきりに感心している。軽くて渋い雰囲気だが、着れば華やかという不思議なもの。おしゃれの楽しみが増えたなあ。

 

考えてみれば、舞台に華やかな衣装で上がることは減ってしまったが、日常の舞台では無限にそのチャンスはあるわけだ。と思って、せいぜい楽しむこととしようか。おしゃれは元気の素だ。

2021年10月28日 (木)

佳き日。

遂に認知症検査に出かける。点数がつくことは全く久しぶりのことで流石に緊張。結果は100点で、ベリーグッド。この数字は気分が良い。正し、案の定手が震えて字が書きにくく、これ読めますか?と試験管に聞いたくらい乱れている。「いやいや、上等ですよ。キレイなもんです。」とお世辞を言って貰いなんとか終えたが、これ以上震えるようになったらどうするんだろう?次回が心配だ。何しろこっちが必死で書くとテーブルが震え、お隣さんに迷惑なほど。ずっと震えているわけではないが、波があってホントに困るときがある。ありとあらゆる検査をして何も出てこなかった経緯があり、もう検査は嫌だなあ。

検査といえば、今日は4時から保健センターで肺がん結核の検査がありいってみると、5分前で車が渋滞。ナントか入れて貰えて並んだら86番という番号札。ぎょへ~ってな具合で、仕方なく待っていると続々と人が集まってくる。300番くらいは見えたがきっとあのあとも並んだ人が大勢いただろうから凄い数になったはずだ。高松市の健康診断奨励はかなり効果が出ているようだ。

昼間は好天気に誘われて、娘と仏生山のうどん屋さんまで足を伸ばす。昨日来た従兄弟の奥方がよく行くと言い、美味しいし近くの障害者施設の人たちでやってるみたい、というのもあり迷うこと無くそこに決めた。確かに美味しかったし、実はすぐ側の長い石段が素晴らしく良かった。急勾配だったし、お母さん大丈夫?と言われたが腰痛ベルトのおかげか何という事も無くスイスイ登れた。そしてその高い場所から見渡す山河や町の風景は見飽きないほど美しい。ここに上った記憶が無いが、おそらくは幼い頃父に連れてこられたはずだ。昔のこととて行くところもそんなに無かっただろうし、昔から地域の観光地だったはずだ。菊人形なんかが飾ってあったのが記憶にあるが、、、。階段に上ったのは娘と二人だけで、石段の苔を踏みながらまるで京都みたい、とご満悦。澄んだ秋の空気を肺にいっぱい吸い込んで、これぞ命の洗濯だ。

てな具合で、今日も一日があっという間。会議があって8時にご帰還の夫と二度目の夕食。少しでも食卓を共にすると色々報告もしあえる。ま、必要な時間だ。

明日は孫べえのエサ、と予定に書いてある。ふ~っ。

2021年10月27日 (水)

月の輝き。

今日はかつてフィアンセから月に例えられた真子様の結婚が報じられた。午後のワイドショーはこのニュース一色と言って良いくらいだった。会見の様子を見ていて、今日の月は凜として強い輝きを放っていたと思った。流石長く皇室で育った女性らしい品位と格式を感じた。好むと好まざるにかかわらず伝統の中でそうあるべく教育されてきた人だ。こういう人の門出を祝福出来ない日本人について考えざるを得ない。挙式なしということは、誓いの言葉もないのだろうか?

そもそもニュース画面に出てくる皇室のご家族はいつもどこかしら寂しそうに見える。今回に限らず、愛子様においても、雅子様においても、同様の空気を纏われるかのように見てしまうのは私だけ?歴史の中で、国民のご都合で、「象徴」という曖昧なお立場を与えられ、衆人環視の中生きて行かざるを得ない方々に同情してしまうのは私だけ?遡れば雅子様のご決断も、誰かが担わなければならないお役目として受けられたものだったように思う。美智子様の場合と少し違う気がする。おそらくは時代背景の違いだと思うが。

今日の真子様の言葉をきいて、今回の一連のことで、お立場上如何に言いたいことが言えなかったかが分かった。どれほど苦しかったかは想像に難くない。その環境で生き延びるための最大限の知恵を出してここ数年生きてこられたのだろう。いじらしいと心から思った。そして同時に立派だと思ったのは、自分たちと同様の被害に遭っている人たちのことに思いを寄せ、そういうことがない世の中を切に願っていると訴えられたことだ。

そういう真子様を愛しているとキッパリ言えた小室氏の審美眼を信じたい。今の若者の中のどれほどの男性が同じ事が出来るだろうか?めんどくさいが口癖の若者ならいくらもいる。こんな風に火の粉を全身に浴びながら尚信じた道を歩ける男性はそうそうはいないと思う。試練故か、NYに行く前の彼の童顔がすっかり変化して、大人の顔付きになっていた。

この上は、月の輝きが暗雲に汚されることなく、幸せに、、、、と願うばかりだ。

 

ようやく台本第一項を書きあげ、フォントなどの体裁を若者に依頼した。完成版まで、何度か手を入れる必要があるとは思うが、一応一段落。

ふ~っ。

2021年10月23日 (土)

大呆け三連発の日。

そもそも朝から強烈な呆け。寒い寒いと服に着替えて姿見に映してみる。すると何だか変なこぶのような物が背中に出来ていて、あ、これは腰痛ベルトの締めすぎだろうと、今日は無しで過ごすことにして取ってしまう。再度姿見を見るとやっぱり背中にこぶ状の膨らみが、、、。右から映しても左から映してもやっぱり出ている。いやだなあ~、いつの間こんな所にも脂肪が、、、、どうしよう???で、よ~く考えてみた。にゃニャント、下着にブラが付いたブラトップを前後ろ反対に着ているではないか!!げげっ!それほど効果がある物とは思ってなかったので、それが原因だとは全く思ってなかった。なんてこと!これは今日一日ヤバいなあ、、、との予感が的中。

意気消沈して、朝ご飯を食べ、夫に告白もせずにいると、夫が鬼の首を取ったような顔をしてやってくる。「お母さん、車の窓を開けっぱなしにしてたから、シートがびしょびしょ!」と言う。で、ますます朝の大呆けを言う気がなくなった。。慌ててドライヤーで乾燥したりして、何食わぬ顔でやりすごす。もし朝の顛末を話したら、すぐに来週末の高齢者向け講演会で笑いの種にされるのがおち。くわばらくわばら。

その後夫は知人とのランチ会にいそいそと出かけたので、しばらくは洗濯アイロンに精を出す。母の形見の着物をリフォームしてくれるという友人の言いつけで、着物をほどいて洗って干してアイロンをかけた。しかし、一着が限界。これは凄い労力だ。これまで色々縫ってくれたのも全部こうした過程があったかと、今更ながら有り難い。

やがて、あっという間に時間が過ぎて、2時に綾歌まで歌う会にお出かけするという時間に。急ぎ高速に乗って出かけたもんだ。今日の空は雲がとても多く、もの凄く空いていた道路を軽快に走りながら雲の姿や風景を楽しんだ。約束の時間通りにH邸の庭に車を入れる。が、誰も来ていない。嫌な予感がして、ラインを確認。にゃニャント、お願いされたのは来月の23日だった!ドジをお詫びしてご挨拶してから帰ろうかと思ったが、もしや休憩中だったりしても悪いと思い、後からメールを入れることにして大急ぎで車を移動。なんてこった!

流石に同じ道を帰る気にはなれず、反対方向へと走る。すると、以前娘といて偶然見つけた鶏の唐揚げ専門店がオープン。そのはためく旗に誘われて寄り道。あたかも最初からそこに用事があったかのように買い物をする。当然娘に電話して、何が欲しいか聞いてみるが、ただいま彼女は歯痛が酷くて欲しくないと言い、今晩わが家にお泊まりのお坊ちゃまの為に買っておいて、とのこと。ま、それでも良い。

親子で美術館に行ってるという二人をピックアップするためえんやこらと行ってみるとラインが入る。今、美術館を出て○○棒でおうどん食べてる、だと!今日はよくよくついてない。何かに振り回されている感じ。

、、、こうしてあっという間に一日が終わり、お風呂から出てきた孫べえを急ぎ部屋に追い立てて、無駄に呆けを反省しているところ。

呆けは死ななきゃ治らない~~。てね。

2021年10月21日 (木)

おお寒い!

急に冬がやってきた。動いている間はまだ汗ばむが、少しじっとしているとゾクゾクッとしてしまう。今も、暖房のない部屋でこうしてパソコンは手が凍えて、ますます打ち間違えては打ち直している。このまま厳しい冬へと移行するのか?あれほど暑い暑いと嘆いたのが嘘みたい。

こういうときは動くに限ると、夏物と冬物の入れ替えをやった。洗濯日和ではなかったが、そんなこと言ってる場合ではない。毎日毎日追われている。時間があれば有効に使うべし。アレクサで大音量にクラシックをかけてトントンと進んだのは良かった。今年はまだ出来た。来年は?な~んてね。

朝のレッスンを終えポカンと空いた時間で、高松市から来ていた健康診断をようやく受ける気になって、予約したり電話したりと自分のメンテナンスも大事なこと。インフルエンザも接種に行こうと思っている。この、後期高齢者向け、というのは嫌だなあ。問診票が今までのものとは明らかに違う。「転んだことはないか?」「物忘れの症状はないか?」などなど。。。ご親切は有り難く受け取るべきとも思うが、なんだかねえ~ま、転ばぬ先の杖と思うべきなんだが、、。

しかし、矛盾しているなあと近頃の自分を見て思う。自分では以前とは違うなあ、と自覚があるのに、他者からの指摘は受けたくないと思っているあたり、まだまだ高齢者初心者だなあ。どうなっていくのか?客観的に自分を眺めるという作業もいつまで出来るのか???

とかとか考えている内に、そう遠くない内にあちらの世界にふっと行くのかもねえ。

こうなったら、与えられた時間を目一杯使って、家族に迷惑かけながらも生きたいように生きるかな。

友人から面白川柳を送ってきて大笑い。その中に「プロポーズ あの日にかえって ことわりたい」「デジカメの エサはなんだと 孫に聞く」「正直で 忖度なしの 体重計」「日帰りで 行ってみたいな 天国へ」イヤハヤイヤハヤ。よく考えるなあ~みんな。笑う門には福が来る?

 

2021年10月17日 (日)

とにかく始まった。

毎回何の曲を練習するかは予め会長に決めて貰っての本日も練習日だった。決めてあっても色んな事情で予定委通りにはいかない。しかし、そんなことは関係ないかのように練習は進む。とにもかくにもやること、やるべき事が多すぎて、何からやっても、何をやっても全く関係なくやるしかない。余計なことを斟酌する必要は無い状況。時間もたっぷりあるわけでもなく、本日も限られた時間内でめいっぱいやった。一部分セリフも入れてやってみたが、わずかでもそうすることで劇っぽく進行した。

途中コミセンの管理者が入室してきて、窓を閉めて行かれる。われわれとしては換気と気温と風の都合で窓を全開していたが、どうやらこの手の声はご近所迷惑になるらしい。だわねえ。

休憩時間では、今回特に頼もしい助っ人男子と、舞台上のセッテイングなどの打ち合わせで盛り上がった。何かと器用な人が居て大助かり。早速おおまかな構想が練り揚がった。

というわけで、本日の練習は爽やかな風の中気分も爽快に始まり、途中ムンムン、中パッパ。邪魔者無くて、ジ・エンド。結構な時間でした。

 

さっきちらっと見た白鵬関の引退特集番組で、色んな回想シーンをやっていた。この番組の中では日本人じゃない白鵬のジレンマが取り上げられていた。来日したとき62キロしかなかったというから、相当努力して今があるんだろう。この番組は少ししか見なかったが取り組みの時の観衆の雰囲気や態度に私は寂しさを覚えた。別に特に白鵬のファンではない私から見ても、あからさまな日本人力士びいきは薄ら寒いものを感じた。白鵬が寂しそうに、「日本人はみんな自分じゃない日本人を応援していると思った。」とぼそぼそ話すのを聞いて、異国の地に来て、懸命に努力を重ねて結果を出してもやっぱり自分は日本人ではないんだと深い孤独の中にいるのを見た。

以前、偶然見た白鵬の張り手を連発するやり方を見て驚いたし、確かにそこに日本人の好む美意識がないと思った覚えがある。「勝てば良い」という考え方は多分お相撲という競技に馴染まない物なんだろうと、全くの素人観衆の一人として思ったもんだ。そして今日のインタビューにも、「横綱とは?」というような質問に言いよどみながらではあったが、「土俵の上では鬼のように勝つ事。土俵の外では優しいこと。」と話していた。そう思わなければ勝てない世界なんだろうと思う。

ずっと以前、明治神宮に娘夫婦が挙式した場所だからと子連れで訪れた際、偶然横綱行列に遭遇したらしい。その時、白鵬に出くわし、「あまりの威厳と品格のある風情に感動した。」と興奮して電話してきたのを思い出す。実物にお目にかかったことはないが、きっとそうなんだろうと想像している。それはどこから来るのか?もしや、単に強いだけで無く、心にその懊悩を秘めていることから来る人間としての品格かも知れないなあ、と思う。

卑近な例ではあるが、最近の高校野球が浮かんだ。以前のように地域の生徒で構成されている学校は少ない。勝つために県外から優秀な生徒を呼び集めてやっている学校が多くなった。プロ野球でも海外組が増えているし、大谷選手のように海外で活躍している日本人も多くなった。スポーツ界の未来は、一般人より一足早くグローバル化し、人種の垣根もなくなっていくのかも知れない。

価値観の多様は当然のことか。

2021年10月15日 (金)

小さな意地悪。

ただいま午前1時。これを書く前にトイレに行った。ペーパーを一つ使い切った。いつもなら新しいのをセットしておくが、今日はわざとパス。絶対にこのペーパーの交換をしない夫に、敢えて「やって頂戴メッセージ」のつもり。こうなるのは、あまりに夫が体調不良を訴えてくるからついついそれに乗ってしまい、出来るだけ何もしないで済むように配慮してきた結果、こうしたことさえやらなくなったと反省。言わないでも伝わるようにと考えたささやかな抵抗、ってやつだ。果たして効果があるかどうか?

ところが、今日はもの凄く疲れているはずの夫が、夕飯は全部食べるし、大学での授業についても色々喋る。一コマ100人以上の生徒が相手らしく、近頃の生徒にありがちなことで色々大変な様ではある。が、何故かこういう日は元気なんだ。ずっと見ていると、何の予定も無い日の方がしんどそうなのだ。で、心配して損した状態のアチクシ。ちょいと意地悪な気持ちになったわけだ。

というのも、こっちは台本が進まなくてどうにも気分が優れない。以前の様にパパッとひらめかない。しばらく離れていたせいもあるが、年なんだろう。しっかり時間をとって向き合えば良いのだろうが、細切れの時間でやろうとしている。まとまった時間は夜になるが、この時間が以前の様に目がぱっちりと開かないのだ。一日の疲れが脳に張り付いて、眼球の奥にまでしみこんでいるのを感じる。家事だけで疲れる。仕事だけで以前の何倍も疲れる。娘たちとお出かけしても疲れる。なんだかねえ状態。

こうした中、先日伺ったK画伯夫人からメールが入る。「久しぶりにお会いして、まず思ったのは、良い感じで歳を重ねていってらっしゃいますね、ということです。」との冒頭の言葉にあらま、と驚いた。髪を染めなくなって久しいが、どうやら徐々に馴染んできたようだ。確かに他の人からもグレーヘアーを褒められることが多くなった。でもって、娘というお目付役が服装のチェックまでしてくれるから、そのおかげもあるかも知れない。にしても娘の言葉は過激で、「お母さんは、もっとサイケにしたら良いのよ。まともであろうなんて考えるから中途半端なのよ。」「もともと自分で思っている以上にサイケな人なんだから。」と来る。これにはぎょへええ~~っだった。自分ではまとも中のまともを自認していたのに~。いやはやいやはや。

もう寝る。

2021年10月11日 (月)

降ったりやんだり。。。。雨。

まあ前夜から予感はあったが、今日になって家の中のあれこれをやりつつ、お嬢からの「温泉行かない?」の誘いに即効乗ってしまう。こないだから行きたかったのが行けず、溜まっていた心の垢をとにかく落としたかった。

本日はガラガラ。時間帯もあるのだろうが、兎に角幾つもある湯殿は殆ど貸し切り状態。ゆっくり店内を見渡すと、「黙浴」という字が貼ってあるのに気付く。「黙食」は見たことがあったがこれはお初。なるほどねえ。いずれにしろ、今日は娘の早風呂に従って1時間ほどで退散。なんとなく、以前のようには楽しめない。感染者が減ってきてはいるが、消毒スプレー持参で、神経質な程注意しつつ。。。

それでも矢張り温泉だ。汗が次から次へと流れて、身体がいつまでもぽかぽか。ホームセンターで少し買い物したりして帰宅したらどっと疲れが出てしまった。夫が頂いてきた田舎寿司を有り難く頂き、、、、これが又手が込んでいて、色んな物が入っている。これはエビこれは金時豆、これは人参これはジャガイモこれはこんにゃくこれはきゃらぶき、、、一つ一つ箸の先に眺めながら甘めのお寿司を堪能した。これぞ讃岐のお寿司だろうなあ。

夕飯食べたら、しばしソファで眠ってしまった。夫が「おやすみ~」と手を振るのにボンヤリと答えながら、やおら起き上がる。9時だ。まだ頭の芯が疲れているが、後片付けしたら今宵は早寝か。

今日行くはずのコミセンに支払いは明日だなあ。ま、いっか。

若い人が練習スケジュールをラインにアップしてくれて大助かり。ラインの機能も殆ど知らず、こうして頼ってしまっている。今後とも、よろぴく。ってなもんだ。

一日がホント短いなあ。

二本目のビール。美味し。

予定通り、本日は午前の部と午後の部に分けて、衣裳部屋の大掃除を決行した。我々は公演がある時期しか使わないので、何かしら小さな住民が居座っているのではないかとビクビクものだったが、まあ姿は肉眼では見ることが無く一安心。念のためバルサンやら防虫剤やらのお世話にもなったが、、、、。午前の部から参加した中に貴重な男性が二人いて、力仕事や高い所で大いに重宝した。かなり思い切ってゴミに出す物を出してしまったが、それを午後の人でゴミの日に近い人が担当してくれることになり大いに捗る。午後のメンバーは女子力を発揮して買い物とお掃除片付けを一気にやってくれた。

こっちはあまりに根を詰めてやり過ぎたのか、マスクのせいだったのか吐き気がするほど疲れて、途中でマスクを外してしまった。今日は10日前には雨予報だったにもかかわらず、真夏日となり汗が半端なく流れる。じっとしていると良い風が入って涼しいのだが、動いていると汗アセアセ。

でも、皆の力でこざっぱりして気分は爽快。やっぱり何事も大勢でやればスムーズだ。次回の公演で使える道具類も見つかり、これは良かった。過去に使ったものを、これはあの舞台この舞台と思い出に浸ってみたり。H先生が作ってくれたものも出てくるし、I先生の遺影みたいなコピーも。いろんなことを思いながらの時間だった。

流石に最後までいる元気が無く、後発部隊にあとを頼んで空腹を抱えて帰宅。が、食欲もあまり無い。このアチクシが!いやはや年だねえ。

家の片付けも気になっているが順番だ。明日はわが家のことをやらなくては。。。。と今は思っているが、本日二本目のビール片手にパソコン前に座り込んだら、さあ、どうなるか。自信がなくなってきた。ま、なるようになる。どうあれ、死にゃあしないだろう。気分次第だ。エップ。

2021年10月 9日 (土)

何をするにも体力だ。

知人のご招待で今日は人形浄瑠璃なるものを観劇。未だにこういうものを継承し続けている人たちがいることに改めて感銘を受けた。日頃ほぼ目にすることの無いものだが、日本人であるが故に、いつの間にか身体が覚えているジャンルの演目。中でも阿波の人形浄瑠璃鳴門巡礼は、予想通り涙が出た。太夫と呼ばれる人の声と技術も他を圧倒する出来映えだった。こういう日本古来の芸術は父が好きで、幼児期に色々見たり聞いたりしていて抵抗はない。しかし、同行した孫べえは母親曰く、こんな所に拉致されてきてチョー機嫌が悪いと言う。それをナントかなだめて最後まで見せたつもりが、休憩で一旦ロビーに出た為、肝心の母子物語を見ないまま。なんてこった!こっちの目論見が外れてしまった。しかも三番叟ではクスクス笑い出して耳元で、「酔っ払ったパパの顔にしかみえん!」とささやくありさま。それからはこっちもそうにしか見えず、おかしいやら、、、。ま、笑っても良いものだったからまあ良かったが。

あんたと同じ年にみっちゃんはあのお琴を習い始めたんだよ、と言ってもふ~ん、と気のない返事。ま、そんなもんでしょ。

県知事もお越しになっていたが、国会議員のO氏ともども、あっと今にいなくなっていた。ま、そんなもんでしょ!?場内を見渡した娘が開口一番、「やっぱりこういうのに若い人が来てないよねえ。芝居もそうだけど。。。」確かに。時代は進み過ぎたのかも。

 

取りあえず疲れすぎてこの私が食欲が無い。付いてきた孫と帰宅した夫の為に鍋だ刺身だカルパッチョだと一応整えたが、どうも気が乗らない。明日は衣裳部屋の清掃にみんな集まるし行かなくてはならないが、、、、ふ~~っ!体力はお年並ってことだ。ま、そんなもんでしょ!

友人たち。

常々考えていることだが、76年の間に自分の財産になっているのはただ一つ、友人たちだ。会える人ばかりでは無いが、特にこのご時世、繋がっていると感じるのはただそれだけで有り難い。ちぇちぃりぁという音楽の守護聖人の元出会った団員のみんなは、友人と言うよりファミリーかも知れないが、OBたちもみんな友人だと思っている。自分自身はまめな方では無いが、FBに書き込んでいる友人の記事は面白く読ませて貰っている。そこに「懐かしみ」のスパイスをふりかけながら、、、、。たまに電話で話すと、半年以上音信が無い人でも昨日会ったかのように思える。家族のように接触している友人も何人もいて、コロナ期に「いつも食を共にしている人」的な感覚で付き合っている。実際はそうで無くとも。。。

実際、会えてなくとも何かの折にふとその顔を思い出し、ニヤッとすることも多い。この時期をどう過ごしているんだろうと想像してみたり。この年になると、あちらの世界に行ってしまった人も沢山いるが、そういう人たちとの思い出も多々あり、寂しくはない。自分の人生が如何に友人達との交流に彩られてきたかを考えるとき、むしろ幸福感がこみ上げる。何度となく助けられた。慰められた。励まされた。「出会いが人生」とはよく言ったものだ。

突き詰めて考えると人はみんな孤独だし、生まれる時も死ぬときも一人だとは思う。しかし、同時に人は一人では生きられないとも思う。「いいえ、私は誰の世話にもなっていません。」という人が居るかも知れないが、それはきっと勘違いだと思う。それに、そう考えることは何の助けにもならない。山深いところで一人修行している仙人ならいざ知らず、凡人は皆、多かれ少なかれ他人の世話になっている。望むと望まないにかかわらず、だ。

わが友人の一人、最近ご主人を亡くされて、それまでの生活が一変した人がいる。側で見ていても仲の良いご夫婦だっただけに、落ち込み方も外に出ている何倍もひどいのだろうと想像している。努めて以前と変わりないような態度で接してくれるが、お互い暗黙の了解的なものがある。その彼女自身に矢張り変化が見られるのは当然のこと。元々謙虚な方ではあったが、近頃は特にそう感じる。「自分が生かされている」と常に思っているような風情だ。何事にも感謝の気持ちを表し、お礼の言葉が多くなった。、、、これは見習わなくてはならないと思っている。そして、彼女と接することで多くの事を学んでいる。読書好きの彼女から本を借りたり紹介されたりと、有形無形のつながりも永くなった。40年近くになるか。

人の縁とは不思議なものだ。

2021年10月 4日 (月)

おお疲れた。

今日は昼間は知らない間に骨折していたという友人を慰める為とあるレストランへ。緑の多い、元々落ち着く店だが、今日は広い店内に我々以外は一組だけ。ものすご~く有り難い状況だったが、お気の毒でもあった。制限解除で、こういう安全を売りにしてきたお店がかえって暇になったのかも知れない。おかげでオーナーと食後にすっかり話し込んでしまった。これはこれで我々にとっては楽しいおもてなしではあったが、、、。しかも、帰りに月桂樹の葉っぱをいくらでも採っていってと言われ有り難く頂いて帰った。

そして同行した友人の用事も一緒にやってあげて、途中で娘とも合流。買い物をして帰宅したら夕餉の支度をバタバタと。今宵のちぇち練は遅れるわけにはいかない。会長が変な時間に着くバスしかないので、それまでの発声練習を言いつかっている。洗濯物を取り込んで、食事はノンアルコールで流し込み、夜の町へと出かける。

およそ三ヶ月ぶりの練習。ホントにもう懐かしいという感じ。しかも、予想したとおり忘れている。発声もバックしているし、音程が怪しくなっている部分が出てきた。おいおい、って感じだが、まあこういうこともあるだろう。歌を忘れたカナリアたちだ。それでも明るくめげずに練習は進み、あっという間の二時間近く。和気藹々で進行した。。。。このままスピードアップしてやって行くしか無いなあ。

 

短歌の締め切りが気になっていて、毎日書き留めてあるのを眺めては試行錯誤。推敲といえば聞こえが良いが、その域まで達していない歌ばかり。一日おくとそれが一目瞭然分かってしまう。故になかなか提出できないのだ。永くやっていると、こうした欲だけは出てくる。

なんでも奥が深い。ちかれたび~~~。

2021年10月 3日 (日)

月に寄せて。

今日は短歌の歌会であった。いつものように充実していたし、勉強にもなった。昨日からお泊まりしている孫べえは、何か用事があるらしかったが、こっちが真剣にリモートで会話している空気を察知して側でごそごそやっているが邪魔はしない。成長したもんだ。

仲秋の名月が詠まれた歌も複数あり、季節感があった。その中に、真子様についてのものがあった。

  内親王を月にたとへし人のあり仲秋の満月ぽつねんとあり  K・I

大変美しく詠まれていて、その比喩に心打たれた。短歌なので多くは語れないが、改めて表現の力とは凄いと感心した。

かねてから真子様については心配していた。普通の神経の持ち主なら、あれほどの誹謗中傷を浴びせられ平常心を保てるはずが無い。この例だけで無く、今や日本中で多くのこうした被害者が生まれているのを憂慮している。僅かな情報しか知らないが海外でもこうした人権を無視した心ないバッシングが増え、裁判沙汰になっていることも多いらしい。

井戸端会議で憂さを晴らしていた時代はまだ良かったのだろう。ネットなんていう誰もが持てる凶器がはびこって無差別殺人的なことをやる時代。ホントに恐ろしい。独断と偏見で言うなら、その多くがマスコミの操作に起因していると思うがどうだろう?どこまで平等に報道できているか?常々疑問に思っている。

そしてもう一つ。誰もが自分で選択してそこに生まれてくるわけでは無い。日本の皇室という非常に生きにくい環境に生まれ育った一人の少女が、真面目に真剣に生きてきて、今まるで罪人であるかのような扱いを受けているのは見ていてどうにも気分が悪い。日本人の多くがまるで裁判官のように断罪したがっているように見える。しかし、本当にそうだろうか?そういう人が多いかのような印象を操っているのはマスコミでは無いのか?

現在、ジョウホウは溢れかえっている。が、その全てが真実かどうか?どれほどの人が真実に触れているのか?と私は疑う。まるで自分で聞いた見たかのように人から人へと伝染していくジョウホウ。その中に貴方はいるの?と聞きたい。

そして、批判を浴びせ続ける人たちに言いたいことの一番は、貴方が真子様だったら?自分の娘だったら?ということだ。そしてなおも言うなら、余所様の家庭のことに、そこまで首を突っ込むの?ということ。国民だから?その権利がある?、、、それは傲慢というものではないのか?自分一人の意見が届くはずも無し、何を言おうと勝手でしょ!?という考えは、沢山集まれば大きな刃になる。これは選挙にも言える。一人の考えは集まれば大きく物事を動かすものになるのだ。

お相手の小室氏にしろ、あれ程やり玉に挙げられ、一挙首一投足批判にさらされるとなると、正常な反応も出来にくくなるのではないか?この方の同窓生も語っていたが、もし自分だったら到底無理ですとのこと。そうだろう。

たださえ結婚は難しい。二人の生活が始まってからだって、一般人とは違う困難が待ち受けているだろう事は想像に難くない。先でやっぱり失敗だったとなることもあるかも知れない。しかし、我々の周辺でも多くの事例があるように、それは致し方がないことだ。ある人がいみじくも言っていたが、そのための保険として一時金は受け取るべきだ、という考えに私は賛成だ。

真子様がPTSDだということだが、それは十分予想できた事。若い二人をこうして追い詰めて、「結婚することでしか自分を救えない」とまで言わしめたのは一体、、、、、!

こういう私にもこの結婚に関する感想はある。が、それは普通に知人の結婚にも感じるもので、賛成でも反対でも無い。お二人が結婚したいと考え実行に移す決心をしたのなら、それは祝福しますということ。未来に出てくるかもしれない困難は二人で乗り越えて行くしか無いから、どうかお幸せにと祈るほか無い。願わくば、今の強いお気持ちが永く続き、互いに高め合い、その家庭がお互いにとって一番心安まる場所になって欲しい。

ま、こういう空気の蔓延する日本では若者が結婚に消極的になるのも仕方がないのかもねえ。

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