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2021年9月

2021年9月29日 (水)

結局は薬局?な~んてね。

先日からメンバーのOさんと台本について最も見やすくて、使いやすいものをと試行錯誤しているが、これがなかなかに難しい。彼女に輪をかけてワード音痴のアチクシにとって、罫線一つ引くのも大変。そもそも出来た物を送るということすら、アイコンの形状が違っていて上手く行かない。何度も二人で原稿をやりとりして修正を重ねているが、基本が分かってないから時間ばかりとってしまう。昨日は彼女の自宅までUSBメモリーに入れた物を持って行ったにもかかわらず、彼女のパソコンでは開かない。この日は二人が煮詰まってしまって、お互いパソコンが夢に出てくるかもねえ、とラインでやりとりしたほどだ。で、結局は薬局とばかり、プロに後始末をやって頂く。が、これで終わったわけでも無い。なんとか二人で次なる作業に取りかかっているところ。未だ未完のものを完成させてみんなに渡すまで、一体どうなることやら。

プロは凄い。兎に角簡潔。無駄が無い。余裕があれば全てプロに依頼してしまうところだが、そんな贅沢は出来ない。自分たちで出来ることは自分たちでやらねば。

先日、宝山湖に行った時立ち寄ったカフェに売っていた、巨大アボガドをKさんのお土産に買って帰ったが、大丈夫だったのかどうか?なんせ、緑色が変化しないまま中身が熟していくという奇妙なもの。いつが食べ頃かがよく分からない。結果を聞くのが怖いなあ。そういえば、その時も変な言いそこ間違いをして、彼女に大笑いされてしまった。そのカフェがマンゴー専門店なのよ、と言おうとして、モンゴー専門店と言ってしまった。こないだのモースをムースと行ってみたり。どうやらマ行に弱いみたい。フフフ。

それを届ける前には、友人Mの息子さんのお店でランチ。このお店の「チーズクリームスープパスタ」なるものが、私の一番のお気に入り。夏場は流石に暑くて食べる気がしなかったが、今日は行けそうだったので注文。朝抜きだったので完食。やっぱり美味しかった。ここで頂いた栗を早速今夜の主食に。が、新米だからと水を少なめにしたのが大間違いで、米も栗も堅いのが出来てしまって炊き直し。今日に限って娘が自転車だからと仕事帰りに寄り、文句言いつつ自分が買ってきた刺身共々しっかりあれこれ食べて帰った。夕べは彼の実家とオンライン会食したらしく、30分と決めたはずが、2時間半もやったらしい。確かにこれも良いなあ。会えない中でも交流が出来てる。

実を言うと、今日予定していた動きが半分しか出来なかった。なんだか疲れすぎていて、肩に誰かが乗っかってるような感じ。で、諦めて早々に帰宅し、コープやらクリーニングさんやら新聞の集金やら宅配やらと次々人が来たのに対応しているともう出かける気力が無くなった。仕事の予約が無い日でも、なんだかバタバタしている。酉年にふさわしいか。ふ。

2021年9月27日 (月)

具体的に動く。

これまで台本を書く上で、主に空想の中であれこれやっていたが、どうにか台本は完成に近くなり、本日はそれをどう舞台に乗せるかという具体的な構想を、助っ人二人に入って貰い色々検討した。そして来月はホールでの打ち合わせにも行こうとなった。何をどうするか。目の前に描くことが前進する方策だ。三人寄れば文殊の知恵。出てくるもんだ。

そしてこの二人。工作が得意ときている。どんなものが出来上がるか楽しみになってきた。そしてこれまでOさんが担ってくれていた一部分も、彼らがカバーしてくれるという。ナント心丈夫な。確かに一時期より人数は少なくなっているが、それぞれが持てる力を最大限出してくれれば、それを補ってあまりあるものが出来るだろう。既に楽譜のデーター化などで力を出してくれているOさん共々、ホントに頼もしい。Oさんに関しては今日もみんなで驚嘆したことだ。持久力と忍耐力にみんなして脱帽だと。

こうしてじわじわとみんなの力が寄り集まってくると、心配なのはこの自分の体力知力だ。

昨日、娘親子を連れて三豊の財田まで、彼岸花の群生と睡蓮を見に出かけた。日曜日とあって、思ったより人出が多い。多くの人がスマホで写真を撮りまくっている。一時は写真がライフワークだった娘は勿論驚くほどの執着ぶりで延々撮り続ける。こっちは孫べえと散策したが、彼岸花はもう8割方終わっている。ただ、この人造湖周辺の風景が素晴らしい。山の緑木々の色が水に映って素晴らしい。日本は本当に美しいなあ。そこから宝田の里だったか?道の駅に立ち寄る。ツーリングの若者達もたむろしていて、マスクを見ないとコロナ期だと思えないほど、みんなリラックスしている。ここのお野菜達は充実した品揃えで、買ってきた卵も美味しかったし、新米も今晩早速賞味したが予想以上に美味しい。フルーツも豊富でミカンも既に美味しい。丁度遅いお昼ご飯をと入ったカフェがこれまた何もかも美味しい。紅茶通を自認する娘も本格的な紅茶の入れ方に感心。こっちもカツサンドがメチャ美味しくて、パンもサクサク、かつはしっとりで、味が良い。追加で頼んだコーヒーも自分好み。いかにも料理好きそうな年輩の女性と多分その娘さんとその又娘さんか?女性三人のこじんまりしたお店だったが大正解。本当なら、その敷地の温泉に入って帰りたいところだったが、今出ても夫が帰る時間帯。やむなし。それは次回にと帰路につく。

で、その帰る道々、最近はまっているアマゾンプライムのTVドラマ、刑事物のタイトルを言おうとするが出てこない。多分「ムース刑事」だったような、、、と運転しながら言うとすぐに娘がスマホで調べる。「ハイハイ~なんて名前の刑事ですか~~?」と意地悪く聞いてくるので、こっちも「三文字はあってる?」「ハイ」「じゃあ、真ん中にボーがあるのは当たり?」「ハイ」「じゃあやっぱりムースじゃないの?」「イイエ」「ええ~?マ行じゃないの?」「さあどうかな?」「えええ??マ行だと思ったけどねえ。」「お母さんはね、何でも微妙に間違えるのよ。」「そうなの?じゃあ、マース?」「イイエ」「ミースはおかしいし、メースはないし、、やっぱりムースじゃないの?」「違うって言ってるのが聞こえないのっ?」そこに後部座席で退屈しきっていた孫べえが割り込んできて、「みっちゃん、ほらほら、微妙に違うんだよ~。」と言い出すから、こっちはおかしくておかしくて笑い涙で目が開かない。「答え言う?」と娘が言うので、「いや、止めて。答えが分かったらおかしくて運転ミスしそう。」「何わけわかんないこと言ってんの?」と娘もゲラゲラゲラ。それに孫べえが加わって車が揺れる大爆笑。

いやはや、だからして、こんな私に演出なんかやらして大丈夫なの?ってこと。誰か代わってくれるなら喜んでやって頂くんだけどな~~。

ち~~~ん。

2021年9月23日 (木)

コロナに負けない人たちがここにも。

今日は二時間の歌の時間をたっぷり楽しんだ。冒頭W先生の前口上で、かつて世界が戦争中の大変な時期に、市民の中では現実とは違う楽しくも美しい人間模様が描かれました。私たちも状況こそ違え似たような辛い時期に、一時それらを忘れて楽しんで頂きたい。。。というような意味の言葉を述べられて会場からも賛同の拍手が沢山送られ開幕した。

曲目は、ほぼほぼレハールの作品で、イコール楽しい物ばかり。第二部のルクセンブルク伯爵はちぇちでも以前H先生のたっての希望で取り上げたから、馴染みの曲ばかり。懐かしいやら寂しいやらだったが、同行の友人と嬉し恥ずかしの思い出バナシも。ちぇちのマドンナKさんの着たことのある真っ赤なスーツに無理矢理このボディを詰めこんで、プチプチのパチパチでコミカルな曲を歌ったもんだ。後で、Kさんから、「あれ、良く入りましたねえ?」と正直な感想を貰って大笑い。あの生地伸びるわねえ~となったもんだ。

一曲だけヴァイオリンとピアノの「チャルダーシュ」があり、N女史のいつに変わらぬ濃厚な演奏に全員が魅了された。かっこいい!

帰りに受付で、冒頭のご挨拶をされたW先生ご夫妻と短い再会。互いに労い又お会いしましょうとお別れする。W先生の変わらぬ美声に客席では感嘆したものだ。素晴らしい。

帰りに 友人宅にお送りするのにT会長も同行。Kさんお勧めの歴史のある小さな和菓子やさんでソフトクリームをご馳走になり、ご自宅でもお茶を振る舞って頂く。3人のオペラ好きが集まれば話題はそりゃあ面白い。以前はこうして観劇やら演奏会のあとでその余韻を楽しみながら食事なんかしたもんだ。と話ながら、次々と愉快な会話が展開する。送り出してくれながらKさんが言う。「笑いのツボが同じ人とはホントに楽しいわねえ。」いや全く。

 

ホントに楽しい一日だった。

2021年9月22日 (水)

晴れたり曇ったり、ちょいと楽しんだり。

前回はコロナ騒動のない中で「クラフト展」という大がかりなイベントがあり、その時は人とぶつからずに歩けないほどだったが、今日娘と行ってみるとまあガラガラ。出展者の嘆き声がチラホラ。そりゃあ想定内だろうけど、これはしんどいだろうなあ。元々創作アクセサリーとかかわいい系の小もの家具や人気の菓子店などが出ていて、こっちにはあまり興味が無い。唯一惹かれたのは、前回も出店していたグリーンを面白く栽培しているコーナーがあり、そこでは部屋用に一つ購入。何故か全枯れしてしまったものの代わりだが、さあどうかしら?今度は上手く行くかな?娘の方は若いだけあって、面白いアクセサリーを買ってご機嫌。が、トータル30分居たかどうか?兎に角寂しいもんだ。

こうして娘の車でおでかけが増えてきたが、未だに教習所の先生よろしく、助手席で無いはずのブレーキを踏んでしまう。あっちは運転が嫌いと公然と言い放つお方。車線が反対から入るのは苦手だから希望する店には寄ってもらえない。故に、自分で運転した方が楽。

と偉そうなことを言ってるが、遂に来月免許更新の為に認知症検査を受けねばならない。諸先輩達から色々聞かされて少々びびっては居るが、まあなんとかなるだろうと高をくくっている一面も。夫が自主トレしたという本を借りて、ときどき思い出しては読んではいるが。。。。さて。

 

明日は、久しぶりのオペラコンサート。H先生がご自宅にみんなを集めて練習したことが思い出される懐かしい曲もある。ピアノとヴァイオリンだけの伴奏らしいが、歌い手の面々を見ると楽しめそう。オペラ好きの友人を誘っているから倍楽しみ。

ま、こうして今年も過ぎていく。

2021年9月20日 (月)

全国レベルで頑張っているひとたち。

本日「オッペルと象」を見た。宮沢賢治の世界は深くてヒューマニズムにあふれ、寝てる場合ではなかった。が、ついうつらうつら。。。。。

それというのも、夕べライン会食を水戸の息子家族とやり、それを良いことに孫べえがお泊まり遊ばして精力を使い果たした挙げ句の観劇だった。夜更かしするなという命令に従わず、深夜まで起きていた孫べえも案の定隣でこっくり。何のために連れて行ったのやら。ふ~っ。

にしても、この人形劇は本当によく出来ている。大人のメルヘンというだけあって、メッセージが強い。勿論原作者の思いがそうだということだ。最後に短い挨拶をリーダーらしき人が喋ったが、上演を続ける苦悩がにじみ出ていた。多くの人がそれに応えて応援の拍手を送ったことだ。これからもガンバッテ欲しいものだ。

頑張ってる人たち。

今日はお誘いを受けて、小さなコンサートに出かけた。行ってみればメンバーは知ってる人ばかり。お客様は全く知らない人たちだったが、どうやら馴染みのお客様らしかった。ちぇちのメンバーも出るというのもあって、近い場所だしかねてからマスターのサックスの音色が好きで、機会があれば行きたいと思ってはいた。FBによく演奏姿をアップされてもいたので、良い機会だった。

サックスという楽器も不思議なもので、すすり泣くような音が琴線に触れてくる時もあれば、クラシックではいきなり大きな世界へと誘ってくれたりもする。今日は狭い空間だったのもあり、室内一杯に満たされて、「浸る」というにふさわしいものだった。

歌はソプラノ二人がメインで、内お一人はちぇちの舞台を踏んでくださったことのある大ベテラン。長らくお声を聞けてなかったが、変わらぬ力量にもっと聴きたいと思わされた。もう一人のソプラノHさんは同姓というのもあるが、色んなところでお目にかかり勝手に親近感を持っている人。このご時世本当にまめに活動されていて頭が下がる。今日はお二人ともマスクでの歌唱で、これはちょっと残念だった。普段はどうやら歌声喫茶的に来客を交えて歌うらしいが、流石にそれははばかられたようで、有名な童謡唱歌を歌ってくれて、聞く人は胸の中で歌うという形。しかし、これは個人の感想を言えばコロナめ!って感じ。どうしても肉声には劣るから想像で聴くということになる。そのための選曲だろうとは思った。聴く人が、よく知っている歌なら確かに置いてけぼりにはならない。苦肉の策と言えるだろう。

こうして頑張っている人たちがいる。意義深い事だ。

2021年9月16日 (木)

忙中閑あり。

今日は仕事もし、家事もし、レッスンもしたし自分にご褒美とばかり、午後夫が帰宅までの時間に気になっていた映画をアマゾンで見た。タイトルは「シンデレラ」ミュージカル版で、新しい演出脚本というのが気になっていた。

結論。「これもあるなあ。」というもの。あらすじは要所要所変えず、すっかり現代版にしている。作品の童話的な部分は残しつつ、しっかり現代人の考え方に塗りつぶしている。シンデレラはいじめられつつもドレスのデザイナーになりたい夢を持ち、王子からの求婚には応じられない。王子も父王からの命令に従わず、王位継承権を妹に譲ると言い、恋人のシンデレラと生きることを誓う。その他諸々の登場人物が、それぞれ自我を持ち、いじめるママ母も単純ないびりやではない。人間を立体的に描き、見る角度に寄ってまるで違う人物に見える。

今の映画らしく、魔法がかかる場面ではドレスがみるみるうちに素敵に変化するのも視覚的にいかにもマジック。

これは映画館で見たかったなあ。いかにもアメリカ映画らしく黒人を多用し、ダンスと歌で盛り上げる。その歌詞が、「楽しもう」だった。あの人の言葉が見た後に浮かんできた。「映画って、良いですねえ。さよなら、さっよなら、さよなら」

 

2021年9月15日 (水)

小事も大事に。

一つの出来事がヒョイとしたきっかけで大きくなり、収拾がつかなくなったりするのが人間社会というものだ。

昨日、ファミレスで会長と色々打ち合わせをしてから、小雨の中、自宅へと車を走らせていた。するとけたたましくスマホが鳴る。液晶画面には娘の名前。他の人からでも同じ音量で鳴っているはずが、何故か娘からの電話は騒々しく聞こえるのだ。路上駐車して話を聞くと、かなり慌てている。どうしたのかと思ったら、婿殿が包丁で指を切った、と言う。外科はどこが良いか?というのだが、病院はさっぱり分からない。たまたま友人Yの家の近くを通る時で、じゃあちょっと聞いてみてあげる、と一旦電話を切る。そしてYの家の前で電話。彼女も家から出てきて自分は詳しくないから、もう一人の友人Sに電話してみて、と言う。言われるままに電話すると、「状態は?」と聞かれる。そういえば詳しく聞いてないけど、かなり慌ててたから出血が酷いんじゃないかと思う、と確認してもないことを想像して告げる。すると、Sの側にいたそちらに詳しいご主人が、「救急車が一番良い。」と叫んでくれている。そうよね、とお礼を言って、すぐに娘に電話して、「救急車、救急車」と連呼する。すると、敵は向こうでゲラゲラ笑っている。「そこまでじゃないわよ、お母さん。」げっ!それならそうと言ってよ。となる。Yにお礼を言って、心配だからとそのままマンションに車を回す。すると二人して出てきたので、そのまま乗せて予約したという形勢外科に乗せていく。車内で初めて詳しく聞くと、どうやら少し酔いが来てたのか、鰹のたたきを切ってるときにグサッとやったらしい。包丁研ぎが趣味みたいな人だから、きっとその包丁もよく切れたんだろう。

が、治療は縫うこともなく、今流行のやがてくっつくという絆創膏の様な物で巻いただけ。痛み止めやら胃薬を貰ってジエンド。なんてこった!勘弁してよ。

近いからと、最初に声をかけた友人Y宅に三人で立ち寄ってお詫び。ゲラゲラが四人になって一件落着。やれやれ。

娘が言うには、伝言ゲームみたいになったんだね。。。。そうかも。と返事しつつ、最初が一番悪いんじゃんと思っているアチクシ。

この日夫は会議だとかで夕方早くに出ているはずだった。ということで、そのまま娘のマンションで一緒に晩ご飯。新しく買ったという白いおしゃれなテーブルを囲んで食べると、なかなか良い。小さな幸せだ。

 

事ほど左様に物事はチョットしたことで大きくなりすぎることがあるというお勉強をした日ではあった。チ~ン。

2021年9月13日 (月)

気分転換。

気持ちの良い気温で布団から出られないのもあるが、どうにも疲労感から抜け出せない。きっと運動不足なんだろうと布団の中で考える。午前中に家事をやりつつ、家事では運動にならないんだそうだから、やっぱりプールにでもいくべえ、と夫に声をかけると二つ返事で一緒に行こうと言う。本当は自分の車が良かったけれど、そこはまあ、お譲りして素直に乗せて頂く。緑が段々落ち着いてきて、のんびり乗せて貰いつつ山々の景色を見るのもまあ悪くはない。

着いてみれば今日は非常に入館者が少ない。おかげでボートこぎ100回ノックもクリア。数回の平泳ぎやクロールも出来、4週くらいはぐるぐる水中歩きも出来て、結構な運動量。適度に疲れて、お風呂にも入りスッキリ。以前の婿殿ではないが、明日が怖い。アタタアタタが出るかもねえ。

確かに気分転換にはなった。今日はよく寝て、明日から頑張ろう。

2021年9月12日 (日)

本格的ライン会議。

昨夜殆どのちぇちの会員が集まり、ライン会議。きっちり1時間だったが、事前にテーマを流していたのもあり、第一回目としてはまあまあ成功したと思う。何事も聞いて見なきゃあ分からない。一人一人の考えていることや想いを丁寧に訊くことが今後の進行にとても大切。そうした中でもポジティブな意見はみんなを牽引していく力があり、こうしたご時世でも希望が持てる。疑問や不安といったネガティブな意見も出してみて、展開もしくは解決していくことが必要だ。短時間で何もかもとはいかないが、回数を重ねることで軌道に乗せるのは可能だろう。

10時に終わって、お泊まりしている孫の面倒を見て、早速台本に取りかかったが、疲れが酷くて眠気に負けてしまう。深夜2時には眠りについたようだ。こういうことが、年齢を感じさせる。

会議の中で発言させて貰ったことの一つに、「何事も楽しんでやりましょう。」があるが、これは真実そう思っているから。早い話が、年齢に逆らって夜なべ仕事のように台本を書くのは正直辛いが、本音の部分では好きなんだ。だから、インスピレーションが湧いたり、アイデアが出た時はえもいわれぬ喜びの陶酔感に浸される。簡単でないことも、やっている内に喜びに変わる時が来る。本来歌の修行なんかもそういうことだ。難しいオペラなんかに取り組んで到底歌えるようになるとは思えないと思っても、少しずつやっていく内に段々開眼し、予想以上の力が漲ってくるのを感じるときがある。この点は多くのメンバーが既に経験済みだろう。簡単なことはすぐに出来るが、そこに喜びは少ない。

兎にも角にもユルリとちぇちが動き出した。

2021年9月 9日 (木)

秋の風?

秋かな?と思わないでもないが、なにやら蒸し暑かったり、、、、どうもスッキリしない。体調もそれに比例してぐだぐだ。そんな日に限って追い打ちをかけるように自治会からの品物が届く。丁寧に包まれた包装紙を剥ぐと、「祝敬老」「長寿お祝い」とある。今年から二人分だ。祝の方はまあ有り難い位のもんだが、長寿って、、、言葉を変えれば、長生きして御目出度う!となる。そりゃあ自分でも75歳っていう年齢まで生きられて、長生きしてるなあ、と思わなくはないが、でも、自分より長生きの人が断然多い世の中で、この単語が自分に向けられたものとはなかなかにショック。夫にそう言うと、どこがおかしい?と、もう慣れたらしい反応が。自分だって、最初貰ったときは相当ショックを受けていたと思うんだけど~?

もうこうなったら居直るしかない。ハイハイ。世間的には私は長寿ですからして、それ相応にいたわってくだされ。てなもんだ。息子に言うと必ず帰ってくる言葉は、「らしい生活してたらね。」ってことだ。いや、自分的には、かなりやれることが少なくなってきていて、どうやら家族にはいたわって欲しくて、世間的には若く見られたいのが本音らしい。この矛盾した感情のお守りをしながら暮らしていくのか。

と思っていたら、わが恩師は10歳も年上なのに、殆ど弱音を吐くこともなく、やるべき事を粛々とされている。その明るいラインメッセージを拝見して脱帽する他ない。10年後、そんなこと、出来るかしら?わたし。

 

ちぇちが公演に向けてゆるっと始動。まずはオンライン会議からだが、そのための資料として久しぶりに全曲の一覧表など作成してみた。こういうことが切羽詰まらないと出来なくなってきている。目的に向かい、そのために何をすべきか、ということが、にぶく成ってきていて、ちゃちゃっと進まないのだ。まあ、そういうことを何も言わないでも先先やってくれていたOさんとかいなく成っちゃったのも大きな要因だが。そんな愚痴を言ってても始まらない。兎に角やれるところから手を付けようと思ってる。頼もしい助っ人も現れて、きっとOさんが彼女の肩をたたいてくれてるのかも知れないなあ。

とにもかくにも出発しんこう~~。

2021年9月 6日 (月)

ピアノ連弾コンサート。

久々にピアノの大音響に身も心も満たされた。プログラム最後の章となったお目当てのちぇちのピアニストIさんはじめ六人のピアニストが、真っ赤なドレスに身を包み、ゴージャスな演奏を聴かせてくれるまでに、今がコロナ不安の中だと言うことをすっかりとは行かないが忘れさせて貰った。二時間、時々会場に流れる感染症対策のアナウンスで、今がそういう時期だとその都度思いだしはしたが、矢張り音楽は良い。忘れなきゃ、こういう時くらい。ってなもんだ。

同行した友人の都合があり、この演奏を最後に会場を後にしたが、多くの人が来場していた。なんせ、大ホールだ。出演者は見たことがある演奏家がチラホラ。にしても、ピアノ人口は多いんだろうなあ。国際ピアノコンクールのプレコンサートという位置づけらしかったが、無事開催出来ると良いなあ。あれは海外からも参加者が来るものだけど、今回はどうか?K画伯のデザインになるチラシを見ながら願わずにはいられない。

みんなが飢えている。文化芸術に。こうした中で、割合お誘いに乗って良さを享受させて貰っているが、ま、菌を貰ったらそれまでよ、ってことだ。注意してても感染する人はする。

ただ、気に食わないのは、例えば今日も嫌に緊張を強いられる。心底からのリラックスが出来ない。殆どの人がそうなんだろう。休憩時のロビーもいつものような華やぎはない。入り口近辺にしても寂しい光景。会場内は勿論小声でひそひそ。ホントにいやだなあ。一体いつになたら、以前のような状態で色んなものが楽しめるんだろう?とせんないことを内心愚痴っている。

友人をお送りして、お嬢に電話。するとふらっとお墓参りに来たと言う。邪魔になるかと一瞬思ったが、自分も車を回す。すると案の定、独りお掃除したお墓の前で泣いている。まあ、無理もない。こっちだって、施設のインスタに上がっている母の写真を毎日のように見ている。全て仕方が無いことと納得してはいるが、それでも、、、ま、こんなのがいつまで続くのか。

ある人の短歌で、「本当の別れは忘れてしまうこと、、、」というのがあったが、そういうことだろう。まだ本当には別れられない。

2021年9月 4日 (土)

リモートの不具合。

本日の短歌の歌会は自分自身のipadの調子が悪く、皆さんにはどうやら此方の声が途切れ途切れで申し訳ない場面もあった。まあそれでも1時から3時過ぎまで、活発な意見の交換があり、いつものように楽しかった。作者の想いと読者の思いがピタリと一致することはあまり無いように思うが、自らの想いに近い意見が出てくるとホッとしたり、うれしかったり、、、、自分が思ったよりも深く読み取ってくれたりするとなおさらに嬉しいものだ。

文章というのは、こういう短歌の形をとっているにせよ、散文にせよ、なかなか本心が伝わりにくいものだ。メールなんかもそうだし、結局一番良いのは対面で話すことだろう。が、そんな事を言ってると文学の存在価値がないことになってしまう。となると、やはり表現力を磨き、如何に自分の思いを文字で表すかに力を注ぐしかないだろう。

今朝は、天声人語の文章に感銘を受けた。多くの紙面が総理の退陣で埋め尽くされている中、この欄は光っていた。今回の騒動を「未開な社会の王殺し」に似ていると断じている。これは、政治家達の身勝手な言動が織りなす不毛な儀式だと。本当にそうだと思ったし、こういう政治を見て、只さえ政治離れが進む若者はますます離れていくような気がするがどうだろう?NHKの大河ドラマに登場する「この国を自分たちの手でどうにかせねば」という気概を持つ青年が生まれてくるだろうか?はなはだ怪しい。

歌会のあと、送迎が必要な顧客の予約があったが、この方は御年88歳で、昔わが家でお絵かきを一緒にやっていた方だ。短歌もされていて、話が良く通じる方だが教わることが多い。「あの頃が良かったわねえ~。」とキャンバスに向かっていた頃の思い出に浸る。あの頃はとってもゆっくり時間が流れていたような気がする。現在ご主人が入院中で、一日も早く帰ってきて欲しいとのこと。本当に仲の良いご夫婦で、お互いの弱ってきている部分を補い合いながら助け合って暮らしておられるのがよく分かる。、、、夫婦のあるべき姿だなあ。

明日は久しぶりにピアノの演奏会。心地良い音楽に身を委ね、憂さ晴らしといきましょう。

2021年9月 1日 (水)

忘れていたこと。

今日孫べえの宿題が完成したから見て、というラインが入り膨大な写真とレポートが送られてきて驚いた。まあ、ラインで送ってきた写真をプリントアウトしたのはこのレポートに登場する彼のおばあちゃんことアチクシだが、手伝ったのはこれだけだから大きな顔は出来ない。近頃は、こうして写真を撮って貼り付けるなんてことが簡単に出来るけど、そのうちパソコンで作成し、提出はリモートでなんて事になるかも知れないなあ。とにもかくにも、我が子には全くこういう手伝いをしたことがなかったので驚くばかり。ま、これもコロナ禍故の副産物だ。キクラゲの生育を見守るというのがそのテーマで、提出後はわが家にその菌床が移動してくるらしい。孫べえより上手く出来なかったら困るなあ、などと不安でもある。

夏休みの宿題に限らず、うちは夫婦で忙しく生きている時代で、ほぼほぼ子供にタッチしてこなかった。「お母さんは宿題を見ないけど、その結果は全て自分で勝ち取った物だから自信を持ってね。」なんぞと、親に都合の良いことを言って済ましたものだ。幸い、なんとか育ってくれたが、まさしく育てたのではなく、育った我が子達だ。それぞれがそれぞれの道を自由に歩いた結果、今がある。こっちは何も言えない。

しかし、そんな親子関係でも、子供達は幼い頃母親にして貰った僅かなことを覚えているものだが、その中に、毎日本を読んで寝かした事、そして毎回主人公の名前が創作されてたことなど、、、、自分の記憶でも、半分は作り話だった様に思う。そんなこと、覚えているんだ、と妙に感心している。

今日は娘が誰かと話す中で、「どんな風に育ったんですか?」と聞かれて、「殆ど放置だった」と答えたらしく、内心そりゃあないでしょう!?のこころ。だが、先日も友人と話したが、今時の親はホントに丁寧に子育てするよねえ、というもの。そもそもの生まれた時からの衛生面のことからして昔と今では全く違うし、だいたい赤ん坊を見て、「可愛い」なんて我が子に言えなかった。そんな余裕は全く無かった。かろうじて眠っている我が子を見て、可愛いと思った記憶はあるが。。。一生懸命だったことしか記憶にない。今、娘や嫁りんを見ていると、ホントに我が子が一番なのだ。これは時代のせいなんだろうか?

確かに自分に取って仕事もプライベートも何もかもが充実していた時期であり、今とは時間の流れ方も全く違う。第一若かった。

が、いよいよ来年の公演に向けて進み始めた今、忘れていたことが蘇ってきた。蘇ってはきたが、体力が著しく衰えていて、台本が進まない。考えることが多すぎるのもあるが、どうもすいすいと浮かばない。制約が多いというのもあり、これまでのようなわけにはいかないのだ。夕べ丑三つ時までかかって、第一稿は仕上げたつもりだったが、今日になって見直すと穴ぼこだらけ。なんとかガンバるしかないが、、、、。

ただ、メンバーでパソコンに詳しい人が助っ人に入ってくれて、少なくとも様式で失敗することがなくなった。これは有り難い事だ。打ち込む先から崩れていくと嫌になるが、手伝ってくれたおかげで、スムーズに行くようになった。それもこれも、昨年急逝したOさんの残してくれた資料があったからのことだ。彼の想いを引き継ぐという、極めて重要な仕事なのだ。今回の作品は。

 

夕べ、遅くにベッドに入ったにもかかわらず、つい友人から借りた本を開いてしまい、面白くて結局全部読んでしまった。内舘牧子「生まれ変わったら」はこの人のテンポの良い文章に引張られて、年齢が近い主人公の話でもあり、するっと読めたのだ。あのとき別な人生を選択するチャンスもあったが、これで良かったのか?と自問自答する70歳の女性の話。

振り返れば、確かにあれがターニングポイントだったか?と思えることが長い人生の中で、何回も訪れたことに思い当たる。もしあの時ああしていたら、自分の人生はどうなっただろうか?と愚かにも考えた次第。こうして人生は終わっていくんだなあ。

この本を貸してくれた友人の友達は、70歳で同窓生同士結婚したカップルがいると教えてくれたが、これは快挙かも。何より恋愛力が残っていたことに拍手よねえ、と別の友人も言う。

おっと、夜更かしが癖になりそう。今日はこれで終わろう。

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