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2021年8月

2021年8月28日 (土)

天高く、ぶ~肥ゆる秋。

兼ねてからの約束通り、旧友と3人ではるか遠い場所までランチにお出かけ。そこを選んだ理由の一つは道中が長い方が、あっちでの会話時間が短くて良いだろうと思ったから。が、甘かった。道中でもお店でもとどまることを知らない会話が進行。11時半に入店して、退店したのは2時という盛り上がり。話すときは勿論マスクだったが、お隣の若者達はノーマスクでキャラキャラ。それもあって、重い腰を上げて退散したが、もし彼らがいなければもっといたかも知れない。居心地はとても良い。池の見えるお席で、自然体の店員のサービスも心地良い。とても美味しいおフランス料理で、ホントにこんな金額で良いの?ってくらいリーズナブル。お連れした二人とも大満足の体。紹介した甲斐があったというもの。

帰りに髙松にはないスーパーに寄り主婦三人はしこたま買い込む。帰る道々、「まるで老人ホームの介護サービスのお出かけみたいだったわねえ。」というYさんの発言に爆笑。遠からずそういうことも有かも知れないという共通認識で笑いが来るのだろう。

で、帰る早々、またしても孫べえのレポート用の写真のプリントアウトの指令が届く。そこからは新幹線の如く猛ダッシュ。なんとか夫のご帰還に夕飯が間に合ったが、食べ終わった途端ちぇちメンバーからの電話。

何ごとも勧めるための手段があり、手探りで最も良い手段を探そうとして、かなり話し合ったが、結論として、誰にでも分かる最もシンプルな手法を採ろうとなる。で、早速動いた結果、別のメンバーから、早く全体会議をやりましょうという電話がかかる。確かに。以前は公演のキックオフも毎回やったから、全員が気持ちをそろえてスタート出来たのが、今回は兎に角集まれないし、あっちでごにょごにょ、こっちでごにょごにょとまとまってない。情報の欠如が問題だった。というわけで、近々再度ライン会議をやることに。まあ、先日のはテストケースみたいなもので、可能性を探るのが目的だった。次回は人数も増やして実り多きものにせねば。

しかし、久しぶりにこうして電話であれ話すと実感が湧く。それぞれが影響し合って良い方向へ向くことが出来る。やっぱりメールじゃ駄目だ。

で、ただいまシンデレラタイムをとうに過ぎ、、、、これからは、又以前のように夜更かしのおみっちゃんになるんだろうなあ。夜しか自分の時間が持てないからしょうが無い。体力が、、、さて。

2021年8月26日 (木)

やれやれな一日。

本日、娘ファミリーに登山に誘われてきっぱりお断り。当然でしょ!こんな炎天下、只さえお疲れ気味の75歳にそれ言う?しかも仕事を終えて一服しているときの電話。当然勘弁してよ、となる。10年若ければ二つ返事で行けたのに~と思わなくもない。やれやれ。

で、彼女たちは予定通り行くには行ったらしいが、ニャント途中で婿殿がギブアップ。昨日のプールでの水中アスレチックが効いたらしい。普段使わない筋肉が悲鳴を上げたようだ。だろうね。それほど若くもないんだから。そんなことで結局頂上まで登らず降りてきたらしい。やれやれ。

こっちは夫が、「お母さんは元気だねええ」と感心するくらい家の中で動いて、ただいまヘロヘロ。頭の中には短歌のお題が回っているが、なかなかまとまらない。いつになったら降りてきてくれるのか?やれやれ。

ちぇちの練習日を探っているが、こちらもなかなかに進まない。あるコンサートのお手伝いを頼まれていたが、来年夏に延期になったと知らせてくる。故に今月の練習他色々キャンセル。やれやれ。

夏休みも延期だなんだと言われながら、雲行きが怪しくなってきたとかで、今頃慌てて宿題を手伝わされる。色んな写真を送りつけてきて、それをこっちで写真紙にプリントアウトせよとのご命令。ったく!手探りで注文通りのものを作成し今日渡したところだったのに、追加だといってまたぞろ送ってきてる。はじめは新しい事をやるのが面白かったが、ケッコウ分かるまでが大変でマジ疲れたのに~~。やれやれ。

ああ、疲れる~~。

 

エネルギーのお話。

昨日もいきなり今日お泊まりして良いでしょう?と迫ってくる孫べえ。八割方ベッドの始末をしたところだったが、弱いんだよな~~この甘えた声に。しゃあない。ちゃんと言うこと聞く約束だよ、と受け入れる。娘は心配して、「お母さんだいじょうぶ?」とラインしてくる。彼女は連日コロナ対応でお疲れモード。それが分かっているのもありいので、少しでもいたわり合うのこころ。

そんなことは露とも思わず、ちゃっかり宿題持参でやってくるお坊ちゃま。ま、良いけどねえ。

食事時、そこに男の子がいるという不思議な感覚。一気に昔に返った気分。「美味しい?」「うん」「お代わりは?」「うん、いる。」という短い会話でも、なんだかほんわかっとしてくる。食事以外では、男の子にしてはお喋りな方だが、その点もわが息子に似ている。。。こうして、諸々繰り返されていくんだなあ。自分が消えて、この子が家庭を持って、子供が生まれて、同じように感じることもあるかも知れない。いやきっとあるに違いない。こないだ見たドラマの中で、「この先、50年経ったら、自分の関係する人たちはほぼ全員いなくなってることを思ったら、どんなことでも許せる。」というようなのがあったが、確かにそれは一面の真実だ。この場合はだから人を憎んだり羨んだりしても意味が無い。どうせ全て終わるんだから。という事だったと思うが、大局的に物事を見るのも必要なことかも知れない。。。。そういうことを孫べえのいるところで喋ったら、「みっちゃん、僕は50年経ってもこの世に存在してるよ。」とチャチャを入れてくる。「そうだねえ。」と返事しながら、是非そうあって欲しいと思っている。どんな人生を送るのか?幸せになって欲しいと心底思う。

で、今日はパパもお休みなので、一緒にプールに行こうとなる。一足先に行っていた夫と合流して、ケッコウ楽しんだ。歩くだけではエネルギーの消費が少ないので、孫べえ相手に泳いだら、まあ息が切れて息が切れて、やっぱり年だなあ、と早々に引き揚げて施設のお風呂に入る。ほぼ貸し切りなので、小さいながら安心だ。急いで出たつもりが、みんなは既にロビーでかき氷なんか食べてまったり。こっちも釣られて抹茶味を注文。帰りにスーパーに立ち寄るというフルコースのお出かけだったが、まあ、どこに行っても人は少ない。昔ならのんびり出来たのが、今はどこに行っても背中を押されているようなせかせかした気分になる。唯一婿殿に運転して貰って流れる風景をゆっくり楽しむ。雨が上がったあとの濃い緑が目にしみる。

ちぇちのメンバーから、公演にお誘いしたい人がいるというメールが入り、大歓迎と返事しながら、さあ、色々形を整えなくては、と想いは一気に公演の事にナル。

さて、エネルギーを補充しておかなくては、と又プールを考えている。確かに良い運動なのは間違いない。夫のように毎日は無理でも、出来るだけ行きたい。明らかに地上での運動とは違って、量も質も良かった。

さ、ガンバロ。

2021年8月22日 (日)

お初~~。

ちぇちとしてのリモートは夕べが初めてだった。長く会えてなかったが、久しぶりに顔を見ながらの会話は、多少たどたどしくなるのは仕方が無いとして、やっぱり良いもんだ。喋ったことを全部文章でメールに送るのは無理だし、こうした手段を今後も続けようということになったが、なんと言ってもやりとりに笑顔が見られることが一番良い。メールの場合そういうことが全く分からないから。

何もかも、コロナの状況次第だが、来年の公演に向けて一致団結して頑張ろう、となった。メンバーがほぼほぼワクチン二回接種終えているから問題は少ないだろう。会場さえ使えるならなんとかスタート出来そうだ。

ある人が聖歌隊で歌っている動画と共に、「なんであれ、やっぱり歌えて幸せです。」と書いてきたが、分かる~~。声を出すことの快感は何ものにも代えがたい喜びだ。

家中のお掃除をしたところに娘から買い物に誘われる。迎えに行くと言うので待っているとマクドナルドのポテトを持ってやってきた。どうも遅いと思ったらそんな所に並んでいたのだ。なんでももの凄く混んでいて、注文と色々違う物を渡されたが、気の毒で文句も言えなかったらしい。やっぱりマンボー効果だろうか、テイクアウト関連が混み合っているようだ。車に二人で乗っていると、先ず最初の話題は、わが母のことになる。こうしてお出かけの時はよく一緒に乗せていたからではあるが、話すことで娘も段々気持ちの整理が付いてきているようだ。「今更ながら良い施設だったねえ、みんな親切で、流石にラインで面会が出来なくなってるって知らせてきた、インスタをフォローしてるけど、あのおばあさんは変わらず元気そうだった、、、、」などなど。そして目的のお店に着くといきなりお世話になっていた施設の職員の女性とバッタリ。今話していたところなんですよ~~と盛り上がる。

不思議なことがあるもんだ。

2021年8月18日 (水)

仕事。

どうも夏の疲れが出てきている。少し仕事をしただけで汗がしたたり落ち、疲労感を感じる。若めの人でも同じような感じらしいからまあこんな人も多いんだろう。なにしろ暑かったり急に気温が下がったり、体調にはよろしくない状況だったのだからしょうが無い。と思っていたら娘からドライブに誘われた。家族で丸一日かけて出かけるようだ。NOと言うのが苦手な自分にしては珍しくNOと即答したのはいよいよ自信がなくなってきた証拠だ。、、、つまらないことに成ってきたなあ~。

今日の来店客Mさんは元小学校の先生で、彼女が独身の時からのお付き合いになった。今日はお孫さん同伴だったが、随分時間が経ったものだ。Mさん曰く、「先生も私もあの頃海外に行ってて良かったですねえ~。」というもの。確かに。この状況から想像するに、もう今後の人生で海外旅行なんかに行けるような気がしない。Mさんは姉妹でよくアチコチ旅行されていて、同じ場所に行ったこともあって、話がよく合ったものだ。まあ、このお方はまだ行けるかもしれない。一回り以上お若いから。

こうして長くお付き合いしている顧客は、今や客と言うより友人だ。お互いの家族のことも分かり、歩いてきた人生の喜びや悲しみの事件も大体知っている。貴重なお付き合いだ。今や、完全予約制にしてどんどん仕事をしているわけでもなく、体力的にも無理になってきて、こうした宝物を持っていることは有り難い事だ。

義理の姉のTさんは90歳過ぎても自営業の店頭に立ち、接客をし、計算機を使うことなく釣り銭を渡す作業をしているという。きっとそのせいで、全く呆けもせず、いつも朗らかで若々しい。良いお手本だ。

ガンバロ。

 

 

2021年8月17日 (火)

今どきの五年生。

この所すっかりお泊まり癖がついて、わが家に住み着きそうな勢いの孫べえ。接する時間が多くなるに比例して親密感も増してきた。今宵は何かをじっと考えているかと思えば、「みっちゃん、これから大仕事するの手伝ってくれる?みっちゃんにも良いことだから。」と言う。何かと思えばわが家のWi-Fiが近頃調子が悪く、二階では映画も見られない状況だった。その原因を彼はじっくり考えてみたようだ。このパソコンをいじっているかと思えば、色々検索して自分の望むことがどうやれば実現出来るかを探り当てた。声に出して読んでくれるが、勿論間違い読みも多々あって、いちいちそれを正しながらではあったが、意味は何故か通じている。そしてこれをやるためには、まずはこのパソコン回りの整理から、と言われ、自分なりには整理整頓しておいてあったつもりの本や書類を撤去させられる。段ボールやアルミホイルやトンカチまで持ってこさせて、なにやらごそごそやっている。やがて、「出来た!」と叫びWi-Fiの計測アプリをダウンロードさせられて、家中を図り始める。すると驚いたことにすっかり調子が良くなっている。これならお風呂で映画も見られる。勿論二階でもだ。

いやはや、驚いた。いまどきの子供って、こうなの?、、、と娘にメールすると、「自分がゲームしたかっただけなんじゃない?」とそっけない返事。があとで、自分の部屋も調子が悪いのでやって貰うと書いてある。、、、しかしいつの間にか成長しているなあ。

せっかく書いた夏やすみの宿題は、母親に難癖つけられて、どうやら未だ完成とはいかないようだ。まだ少し時間があるにはあるけどねえ。いやはやいやはや。。。

 

今日はゴーヤを頂いて早速天ぷらにしてみた。いつもなら顔をしかめて絶対食べない夫が、知らん顔して食べていたところを見ると苦みがなくなった方のが当たったようだ。こっちは苦いままだったが、これはこれで良い。色々に使ってみようと思っているが、ここ3日日間買い物にも出ていない。冷蔵庫の整理のつもりで、敢えて新しい食材を買いに出なかったわけだ。そうした方が良いというテレビからの情報ではあったが、その点コープのシステムは有り難い。こういう形が普通になる日が来るんだろうか?買い物も楽しいんだけどねえ。色々気をつけながら楽しみも少しは続けないと、別な病気になりそう!は~っ。

2021年8月16日 (月)

遂にちぇちもリモート会議始める。

じっとしていては、何も始まらない、とばかり、若いメンバーからの進言でリモート会議を始めることになった。実際、こうも色々目まぐるしく情勢が変化すると、ただ待っているだけでは、何も進まない。メンバーとも長く顔を合わせてないので、みんなどうしているかと気になりつつ日常に流されている。こうしたことが簡単に出来る様になったのはコロナ禍故で、もしこんな事でも無かったら、リモート?何?それ。で、終わったであろう。所属している短歌の会で自分自身は経験済みだが、さて、どうなっていくのか?

「数」というのも、毎日見ていると麻痺していく感覚がある。一時は、数人でも驚いていたのに、今は香川でさえ三桁になることがあり、それでも、はじめの頃の20人とかの方がショックが大きかったように思う。東京にしても、四桁になって久しいせいで、5千人と言われてもそれほど驚かない。おかしなもんだ。政府の対策分科会O会長はかなり早い段階で、東京一日5千、1万という日が来ますよ、と言っていたが、その通りになった。当時けしからんてな顔をしてO氏を見ていた政府関係者は今、何を思ってるんだろう?

こうして日々一喜一憂している内に夏休みがもう終わりに近づいた。孫べえのお絵かきは汚れても良いわが家でと決まっていて、ほぼ完成しているが、最後の仕上げとやらがまだで、どうするのか、、、この子のお泊まり騒動に猛暑が加わり昨日はちょっと体調不良。お墓参りで日射病になってたかも知れない。対処法をネットで調べてあれこれやって、ようやく落ち着いた。が、晩ご飯をわが家でという約束はキャンセル。買ってきた美味しそうなお寿司や日本酒「獺祭」なんかも全部プレゼントして、こっちは粗食。ま、それでも問題は無い。ホ~ント欲がなくなった。そもそも飲まなくなった夫は論外。こっちもビールが切れてても苦痛を感じないから不思議だ。と言いつつ買ってくる予定ではあるが、、、。

ま、なるようになるさ。ふ。

 

2021年8月12日 (木)

お久しぶ~り~ね~🎵

本格的な雨は、いつぶりだろう?外の空気が清々しい。アスファルトの雨を踏む轍の音が懐かしい。エアコン自体それほど必要としない。仕事中は動くので入れたり切ったり。少し涼しくなると色々溜まっている家事をやる気にもなる。さて、何から手を付けようか?取りあえず明日来てくれることになっている粗大ゴミを夫と外に運びだそう。(夫が粗大ゴミに読めないよね?たはっ!)

一方友人から面白いお店があるからランチしない?とラインが入る。このお方は退院してそれほど時間が経ってないが大丈夫なのか?と思いつつ、ま、ご本人が大丈夫だから連絡してくるんだから良いだろう、とスケジュールを探っている。久しぶりの3人という単位。ちょいと心配になったアチクシは思わずもう一人の友人にライン。「黙っている自信ないし、も少し様子を見てからにする?感染者増えてきたし。」と恐る恐る聞いて見るも、これについての返事はなく、、、、ま、髙松じゃないからいっか、と今は思っている。黙食マスク談話に徹しよう。

にしても関東の増え方は半端ない。一体どこまで行くのか?その上人心不安から来るのか異常とも言える犯罪も多発している。確かにともすれば不安感に押しつぶされる感覚が自分にもないとは言えない。必死でその穴ぼこに落ち込まないようにあの手この手で日々を過ごしているわけだ。幸い自分には好むと好まざるにかかわらず色々用事があり、助かってはいる。ただ疲れているだけだ。

 

昨日は婿殿が映画に行きましょうと誘ってくれて、二人で出かける。彼の誘いでなければアニメを映画館まで観に行く元気はなかったと思う。孫べえは既に見ていて行かないと言い、一人お留守番。どんな内容かも知らず、ただ付いていっただけだが、これが想像以上の面白さ。いわゆるバーチャルな世界と現実を行ったり来たりするお話。それが日常的に誰もが体験できる時代として描かれており、その日常が高知県の伊野という、ドが付く田舎が舞台。故に妙に現実感があってまるで実際にあったことを見ているような錯覚さえ覚える。

ストーリーはごく単純。高知県は仁淀川で、溺れそうになった子供を助けようと急流に飛び込んだ母親が亡くなってしまう。側で必死で「置いて行かないで」と止めた主人公はその母親の取った行動が分からないまま卑屈な暗い少女へと成長する。内気で人前で歌うことも出来ない。そんな自分を変えたくてバーチャルの世界に入り、そこでは歌姫として多くの人を感動させるまでになる。しかし日常に戻ると相変わらずの自分でしかない。そうした中で、バーチャルの世界を仕切っている男が執拗に追い回している傷だらけの竜の姿の男に心がひかれる。ひょんな事からその竜の普段の生活をのぞいてしまった彼女は、自分のリスクも顧みず窮地に立つ現実の彼を助けに上京する。。。。これがまさしく母親が取ったあの行動とリンクすることにそこで初めて気付き、人には自分を捨ててもどうしてもやらなくてはならないことがあるんだと思い知る。

アニメを見て泣いたのはホントに久しぶりだった。以前見ていた娘にどこで泣いた?と聞かれ即座に、「歌」と答えた。どうやら娘達もそうだったようだ。澄んだ美しい声。どこまでも伸びる清らかな歌声は言葉が明瞭でなくとも涙を誘う力があった。

やっぱり映画館で映画って良いなあ。

2021年8月 8日 (日)

次のステージ。

この言葉は、NHKの連続ドラマ「ライオンのおやつ」の中のセリフ。人は死んだらどうなるの?とう質問に、ホスピスのオーナーが答える。「私個人の考えですけどね。次のステージに行くんだと思いますよ。」と。

なるほど。この考え方は息をしている今でも言えることだ。今日というステージは明日というステージに、夏の酷暑というステージもやがて次なるステージに移っていく。そう考えるとなんと楽になることか。

はたして今日は娘の出演するミュージカルのステージが終わったところだ。本人も仕事や家庭を抱えて大変だったが、こっちもそのとばっちりを受けて大変だったが、それから解放された今、次なるステージが見えていると思っている。そして、清々しいのだ。

その事をテレビでの五輪閉会式にも見ることが出来た。流石と思ったのは、次回のフランスのやり方だ。殆どの競技を名所旧跡を使ってやるという。これは凄い。多くの人が訪れたであろうこれらの場所はその人たちの思い出の場所だし。行ってみたいと思っていた人たちにはこれ以上無い観光地訪問になる。例え元通りの開催でなく、リモートだったとしても価値が生まれそうだ。いやはや、これは名案と言うほかない。

ということで、この五輪続いていきそうな気配だ。予期せず、本来のオリンピック精神が顕著になった大会だが、今回を機にどんどんやり方が変われば良い。沢山お金をかけて新しい建造物ばかり建てるのではなく、その国らしい場所でやれば良い。と思うなあ。

 

外は嵐の様子を呈してきた。台風、来るのか?雨は欲しいところだが、、、、。勝手だなあ。

2021年8月 5日 (木)

遂に「感染爆発」。

芸術は爆発だ~!と叫んだ岡本太郎だったらナント表現するだろう?などと、おかしな事を考えながら東京都感染者五千人越えの、この四文字熟語が流れる画面を見る。

この感染がオリンピックと全く関係が無いと誰が言えるだろう?大衆は「きっかけ」で動く。あのジュリアスシーザー殺害後のアントニーの演説同様。さっきまで右と言っていた連中が僅かな時間で左へと雪崩を打つ。テレビで国を挙げての応援ムードやメダルラッシュに、気分が緩んだと言えないだろうか?開催反対を唱えていた人たちも、やって良かった派に鞍替えしているニッポンチャチャチャだ。

個人的にはそんなもので自分の行動を変えたりはしないと思うが、それでも、これがもし「オリンピックさえ出来ない」となると、そりゃあ今以上に行動が変わるだろう。竹下通りを練り歩いている若者達も、きっと引きこもると思うなあ。

しかし、誰がなんと言おうとやるこの国のトップだ。後始末もやって頂きたいものだ。病院が逼迫してきたら自宅療養だなんて、「国民の命と健康を守る」って耳たこくらいに叫んでいたお方の言葉とも思えない。

アスリートたちは気の毒だ。中には「悪いことをやろうとしているみたいで、辛かった。。」と涙ぐむ人も居た。そうじゃないのよねえ。そこじゃないのよ。

昔日本が戦争に突入したドキュメンタリーじゃないが、動かされている国民は何も出来なくなるということだ。その怖さを再確認するときかも。

2021年8月 2日 (月)

本日は久々の対面歌会。

昨日今日とやたら香川の感染者の数字が上がってきて、開催が危ぶまれたが、主催者の強い意向に全員賛同して、感染予防は最大限にしての現地開催となった。結局20名の集まりで、テーブルも密にはならず、大声も出さず、マイク使用して粛々と進行した。

やっぱ、これなのよねえ。人間は人間と繋がりたいのよねえ。それも機械を通してじゃなく、生身の人間同士のふれあいが一番大事なんだなあ、と思わせてくれた今日の歌会。いつもよりみんな活発に意見を出し合った感がある。初めて参加の人が最後に感想を求められて、「皆さんが思ったことをどんどんお話しされて、とても感心しました。」と言われたのはさもありなん。全員マスクとはいえ、それを感じさせないのはマイクのせいもあるが、矢張りマスク生活に慣れてきて、滑舌を意識して喋る習慣が身についてきたのもあるかも知れない。矢張り、伝えようとすることは会話の中で一番大事な要素だったのだ。

短歌は矢張りこのご時世をベースにしたものも見受けられたが、長くやってきて短歌をより良いものにしたいという積極的な意志が感じられるものが多くなったように思った。その第一の要素はなんと言っても、「表し方=言葉」だ。有り体に言えば皆が詩人の要素を身に纏ってきているということだ。そして、日本には古来美しい言葉がある。

 

個人的には同窓生が二人いて、彼女たちと旧交を温めるチャンスがうれしかった。それぞれ多くは話せなかったが、かいつまんで近況を語り合った。それぞれ価値観が似ているのはうれしいことの一つ。考え方が同じである必要は無い。それぞれが相手を尊重して認め合って、その存在を喜ぶ。これが友情だろうと思う。歌会の中でも意見を戦わせることもあるわけで、それで良いと思うのだ。

 

同じ戦いでも、オリンピックのような熾烈なのは見ているだけでケッコウ。ミャンマーのようなのは見たくもない。てことで、本日もチカレタび~~。

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