四十九日。
もうそんなに日が経ったかと、改めて感慨を深くして法要に臨んだ。うららかな好天に恵まれ、少人数ながら粛々と和やかに時は過ぎた。読経の休憩時に合唱部分の意味を書いたものは在りませんかと問うと、そこまで訳したものではないがより分かりやすい現代的な文章になったのを差し上げましょう、と一冊頂いた。確かにこれを読むとあらかた言わんとするところが理解出来る。幼い頃から耳に馴染んだ韻ではあったが、まあ想像した内容でもあった。面白いことにこれには音符も付いている。クリスチャンに習ったのかも知れないが、殆ど同じ高さの音符が並び愉快この上ない。
風のそよぐ中ろうそくにも灯がともり、無事お墓に納骨の儀も済ませたが、このときの住職が持参した「川の流れのように」というひばりの歌が妙に心に残った。娘は最後に母の枕元でこれを歌ってあげたと言い、驚くと同時にこらえきれずに涙していたが、しみじみと歌詞の内容がみんなの耳に響いたことだ。こうして以前車椅子で母とお参りしてから久しい墓地をあとにしたが、大したことをしてないのに疲労困憊。
夫も同じ思いだったのか、帰宅してから墓地に鞄を忘れてきたと青い顔をしてとって返したというおまけ付き。幸いちゃんとそのままあったが、やれやれ。これも母にとっての余興だったかも知れないなあ。
わが家で半田そうめんに舌鼓を打ってから、娘のマンションに移動して、昨日に引き続き山椒の実をちぎる作業を手伝う。毎年作っているが、今年は何を思ったかびっちり詰まったのを二箱も買ってあり、一箱を二人がかりで3時間もかけてちぎる。その間、静かに音楽をかけて色んな事を話し合うのも良い時間ではあった。今日は指が悲鳴を上げて、途中で勘弁して貰い、今度出演するというミュージカルの台本読みを手伝う。シェイクスピアだからやはり力が入るし、やっぱりどんな場面も面白い。セリフの行間を読んだり、言葉の意味を角度を変えて考えたり、、、、ビデオにとってある練習風景をちらっと見せて貰ったが、若くて初々しい女の子達が真剣にはつらつと動き喋っているのを見て、ああ、これがどうぞちゃんと本番を迎えられますようにと思わずには居られなかった。、、、8月、どうだろうか?
こうして悲しみの色は徐々に変化していく。