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2021年5月

2021年5月31日 (月)

人は人が好きなんだ。

こういう時代だが、近頃は毎日家族以外の人と会う機会が多い。短時間でも色んな人に会うことが如何に自分を元気づけてくれるかを改めて思う。それぞれの人にそれぞれの生活があり、変化もある。それを全く知らないで一人穴蔵に暮らしていくのは出来ないことだ。この思いは、おそらくは殆ど全ての人に言えるのかも知れない。人流が減らないとかいうのも、そういうことかも知れない。だから、ワクチン接種が二回終わったらランチにというお誘いが既に複数ある。

こうした中で昨日は友人から素晴らしい紫陽花をたっくさん頂いた。最近家に花を飾るのに凝っている娘が大喜び。早速活けた写真を送ってくる。柏葉紫陽花が、わが家もこの人から以前貰ったのを挿し木したのが見事な花を咲かせている。緑の中に鮮やかな真っ白な花がたわわに咲いているのは見るだけで心が清々しくなる。庭に降りてはしばし見とれている日々。

花は良いなあ。ただそこに咲いているだけで、人々を幸せにする。

今日は久しぶりにK画伯をお訪ねした。奥様が一人という珍しい状況で、女二人思いっきりお喋り。こっちは二回済んでるが、あちらはまだ一回も打ててないから気にしながらではあったが、、、。兎に角、この方もたまりに溜まったお話が沢山あり、「私ホント久しぶりよ、こんなにお喋りするの!」と広いアトリエならではの開放感ではあった。窓から瀬戸内海のなんとも形容しがたい景色が見え、遠くに船が行き交い雲がたなびく空も真っ青で、これ以上ないロケーション。ついこういう時代だということを忘れがちになる。彼女は私よりは少しお若いが、広い見識と深い思考力の持ち主で、いつも何かしら教わることが多い。但しその会話の三分の一は旦那様の画伯のことになり、お二人で寄り添いながら歳を重ねておられるのがよく分かる。画伯が90歳になっても立派に創作が出来ているのも彼女の力が大きいのだと思う。思うが、口には出さない。言ったところで真っ向反論されるのがおち。彼女にとってあくまで画伯は画伯なのだ。心底尊敬しきっている。その思いに水を差すようなことは言えないのだった。そして二人で共感し合ったのが、オリンピックだ。首相もここで、止めますと宣言すれば株が上がるのに~。てなことなどなど。

まだ日が高い内に温泉に立ち寄りたく、又近いうちにとお別れして、肩こり解消にと車を飛ばす。日差しを浴びながらのお湯が最高の贅沢。小原庄助さんに習うまでもない。ニュースでマスクは呼吸が少なくなっていて、酸素不足から肩こりや腰痛などなど、体調不良に繋がっていると出てたから、その解消もある。しかし、広い店内は数人しか客はいず、気の毒なくらい。2時間ほどで少し楽になって、気分良く帰宅したら玄関先で夫とバッタリ。あちらはプールからご機嫌で帰宅したところ。そこからは新幹線なみのスピードで食卓を整える。食後猛烈に眠くなり、リクライニングソファで仮眠してしまった。

さ、これからお片付けお片付け~~がんばろ。

2021年5月28日 (金)

日本人であること。

日頃自分が日本人だと意識することはあまりないが、主にニュース番組なんかで、世界の人々の事が流れたりすると色々思うことがある。そして、日本人で良かったと思うことが多い。世の中はグローバル化しているというのに、日本人、四国人、そして讃岐人、そして髙松の人、、、、とどんどん狭い世界に入ってしまう自分の中の二面性が面白い。

それはともかく、最近お線香の香りに包まれていて、わが人生の中でもこれはかなり珍しいこと。家に仏壇がないためだが、近頃の線香は本当に薫りが良いものが多い。心が落ち着くし、なんだか豊かな気分になる。お届け頂いた中にはこだわりのあるものをご自宅で日常的にお使いだとかで、確かに素晴らしい薫りのものもある。有り難く燻らせて楽しんでいる。、、、日本人で良かったと思うゆえんだ。

 

一方で、ネットニュースに出ていたが、どうやら日本も大麻解禁になるかも知れないというお話。主要な国々ではとっくに解禁になっているが、日本はまだで、なんとなくそれが安心な気がしているが、本当のところはどうなんだろう?アルコールと同様に考えても良いのだろうか?外国の友人はパーティ料理に振りかけて皆をハイにして楽しい会にすることがあると聞く。人体にさしたる害がないなら、治療目的からゆっくり解禁でも良いような気がしている。そのころこの世には居ない可能性が高い自分としては、、!なんちゃって。

ただ、ゲームのように依存症になりかねない危険性ははらんでいる。楽しいことが増えるとガマンするという余分な足かせも生まれる。どちらが人間にとって喜ばしいことか、分からないなあ。

そして、夫婦別性とか、ジェンダー平等の議論とか、大昔には知ることのなかった問題が議論される時代になった。

こうした問題の陰には、そのことで苦しんでいる人がいることがあり、そういう人を救済する必要があるということだろう。が、多くの人が固定観念を持ち、それこそが全てと思っているわけで、こうした意味での少数派は排除され続けてきた日本の歴史がある。科学者たちの力もあり、ようやくこの辺に光りが当たり始めた感がある。

ま、大人から子供まで、日本が好き、自分が好きと思える社会であって欲しいものだ。

2021年5月25日 (火)

今日も動いた。

午前中に仕事をやって、午後は娘の「だわへし」に付き合う。最近こういうのが世の中で流行っているのをネットで見るが、おこもり状態の故か。大した食器もないし、こっちから見ると、新しいマンションだから、掃除も簡単に思えるが、娘にしてみれば苦手分野。モチベーションを上げるために手伝えというのだ。まあ確かに、視点が変わると意外に良かったりする。ということで、年の功も発揮して、なんとかかんとか半分くらいは終えた。何しろ全てのものを一度外に出してから、それを分け、再び仕舞うというのだから、エネルギーは必要だ。本人は、長い間存在を忘れていた食器が出てきたりして、いちいちそれに感動したり品物のいわくを語ったりと、埋没してしまうが、こっちは冷静だからそんなものにかまわずにどんどん指示を出す。、、、てなことで、あらかた終えて時計を見ると夫が帰宅するかもの時間。ホントはお風呂に入って帰りたかったのについ忘れてしまっていた。仕方なく、続きは又今度と言い残して帰宅。

ところが、こういう日に限って夫は遅い。こっちは炊きたてのご飯で卵掛けご飯というのがが急に食べたくなったので、山椒の実と新鮮な卵と専用醤油をかけ、さあお先に今から食べましょうと言う段になってご帰還。仕方なく大急ぎで作ってあったお惣菜を並べ早く食べてと促すことに。やっぱり食べたい時に食べたいものを食するのが一番。卵掛けご飯なんて、何年ぶりだろう?たまたま食材が揃ったからではあったが、日本人で良かったと思える一時だった。夫は好きではなく、今日は自分だけの楽しみ。

ニュースを見ながら食べていると、香川県では二回摂取を終えた人はまだ千人台らしい。なんか遅いな~。岡山の交通事故も酷いのが報道されていた。政界のニュースは食事時に見るものではない。折角の味がまずくなるばかりだ。てことで、大しておもしろくもないクイズ番組を見てしまう。最近多いなあ。この手の番組。この業界もあの手この手で大変なんだろう。

今の時代、大変でない人はあまり居ないのかも知れない。が、視野を広げるともっともっと大変な人々がいる。一応の無事を喜ぼう。

2021年5月24日 (月)

四十九日。

もうそんなに日が経ったかと、改めて感慨を深くして法要に臨んだ。うららかな好天に恵まれ、少人数ながら粛々と和やかに時は過ぎた。読経の休憩時に合唱部分の意味を書いたものは在りませんかと問うと、そこまで訳したものではないがより分かりやすい現代的な文章になったのを差し上げましょう、と一冊頂いた。確かにこれを読むとあらかた言わんとするところが理解出来る。幼い頃から耳に馴染んだ韻ではあったが、まあ想像した内容でもあった。面白いことにこれには音符も付いている。クリスチャンに習ったのかも知れないが、殆ど同じ高さの音符が並び愉快この上ない。

風のそよぐ中ろうそくにも灯がともり、無事お墓に納骨の儀も済ませたが、このときの住職が持参した「川の流れのように」というひばりの歌が妙に心に残った。娘は最後に母の枕元でこれを歌ってあげたと言い、驚くと同時にこらえきれずに涙していたが、しみじみと歌詞の内容がみんなの耳に響いたことだ。こうして以前車椅子で母とお参りしてから久しい墓地をあとにしたが、大したことをしてないのに疲労困憊。

夫も同じ思いだったのか、帰宅してから墓地に鞄を忘れてきたと青い顔をしてとって返したというおまけ付き。幸いちゃんとそのままあったが、やれやれ。これも母にとっての余興だったかも知れないなあ。

 

わが家で半田そうめんに舌鼓を打ってから、娘のマンションに移動して、昨日に引き続き山椒の実をちぎる作業を手伝う。毎年作っているが、今年は何を思ったかびっちり詰まったのを二箱も買ってあり、一箱を二人がかりで3時間もかけてちぎる。その間、静かに音楽をかけて色んな事を話し合うのも良い時間ではあった。今日は指が悲鳴を上げて、途中で勘弁して貰い、今度出演するというミュージカルの台本読みを手伝う。シェイクスピアだからやはり力が入るし、やっぱりどんな場面も面白い。セリフの行間を読んだり、言葉の意味を角度を変えて考えたり、、、、ビデオにとってある練習風景をちらっと見せて貰ったが、若くて初々しい女の子達が真剣にはつらつと動き喋っているのを見て、ああ、これがどうぞちゃんと本番を迎えられますようにと思わずには居られなかった。、、、8月、どうだろうか?

 

こうして悲しみの色は徐々に変化していく。

2021年5月20日 (木)

接種終了ですこし安心。

ワクチン二回目終了。ビクビクしていたが、発熱も6度8分で大したことはなく、だるさも前回の方が強かった。人それぞれなんだと思う。

今回病院に行って内心思わず笑ったのが、誰一人黒を着ていないということ。前回と同じメンバーが集まっているのだが、全く服装が違っていて驚いた。あれほどダークな色彩の人ばかりだったのが、昨日は色とりどりで花柄を来ている人まで居た。(そうそう、皆さん、そうこなくっちゃ~。私たち、まだまだ行ける年齢なんですからして!)と独り言。こちらは、あえてドドメ色を着て行ったが、かえって目立ったくらいだ。ただ、上着はくすんだ色ではあるものの、神戸の「色即是空」というお店のもので、変わったデザインと色で、平常なら多分買わなかったが、随分以前に義妹と出かけた折、バスの時間がない為、慌てて衝動買いしたもの。買ったは良いが、斬新すぎてなかなか着られなかったものが、今回の断捨離で出てきて、ちょっと着てみることにしたものだ。ま、取りあえず他人と違う感覚のものではあった訳だ。

洋服というものは面白いものだ。これも、人間が作り出した優れた文化。コロナ禍で、おしゃれもままならない時代になっているが、女性達はそれでも抵抗しているんだと思う。いや、女性だけではない。今回送られてきた短歌の会誌には、男性の歌にもおしゃれに関するものが色々あって面白かった。

今回、たまたま自分の歌が母のことを歌っていて、それを読んだ知人から感想がきたので、どれほどの人がそれぞれの母親について歌っているかを数えてみた。全部で249首あり、その中で21首が母に関するものだった。お題は「衣類」だったが、こうしたお題ゆえ母に繋がることが多いような気がする。母以外の家族については42首。約四分の一が家族のことを歌っているわけだ。

誰にも母が居る。語り尽くせない母が居る。

2021年5月15日 (土)

一応動いている。

あっという間に時が流れて行く。1週間くらいはすぐに経つし、一ヶ月もホントに早い。大したこともしてないのに時間だけがどんどん過ぎていく。きっと、多くの人が同じ思いかも知れない。毎日毎日テレビから同じ言葉が流れてくるのもこの思いを増幅させているような気がする。

昨日は本好きの友人が文学全集を貰ってくれるというので届けに行き、暫くお喋り。こちらは断捨離で、どうしても捨てがたいものだけをこうして行き先を見つけては処分している。月曜日の破砕ゴミに向けて、本日は孫べえもかり出して物置に詰め込んであった物を沢山出した。英研のシェイクスピア劇の演出ノートや勉強の書類なんかも沢山出てきたが、目をつぶってゴミ袋に。自分が亡くなったらどちらにしてもゴミ袋に直行だ。その日までに自分が再びそれらを見ることの希望がない。既にエネルギー切れ。

こうした整理は、自分の生きてきた時間を思い返すことにもなる。母の様に、「私の人生は楽しかった。」と言えるのではないかと思う。捨てがたいレコードなど再度戻してしまったが、近頃レコードも聴くようになったのだ。CDと違って多少面倒ではあるが、せかせかした日常をゆっくりした時間に塗り替えてくれる。娘は古い漫画が沢山出てきて驚喜している。いつからか出してないおひな様もそのまま仕舞う。

てなことで、大満足とはいかなかったが、一応一段落。

少しずつ片付いている。とはいえ、実はまだまだやるべき部屋が残っている。先を考えず、足下だけを見てやっていこう。大きなクレーン車でガッシャ~んと全部壊したらさぞかし気持ちが良いだろうと夢想しながら。。。

2021年5月11日 (火)

DIY

娘が長く使ってない部屋のリフォームをすると言い、数ヶ月前からプランを立てて買い物をし、好天の日を見計らってはせっせっせとやり始めた。こっちはご命令に従って壁紙の端っこを持ったり、道具類を手渡したり、まあ小間使い。面白いことにこの構図は以前母と自分がやっていたことそのまんま。母は自分のことを監督と言い、あれこれ指示を出して、こっちはそれに従いやっていくというものだったが、歴史は繰り返されて、今はこういう状態だ。違いは娘が監督を兼ねているという点だが、時々再々椅子に座りたいこっちにとっては、ま、それも有り難いようなものだ。好きにしても良いという約束で、娘は意外な色彩のペンキを塗ったり、斬新なアイデアで部屋を作り替えようとしている。外国人の友人なんかもよく自分でペンキ塗りをやっていたもんだが、日本人も最近はやるようになってるんだろうか。ともかく、自由にやらせているのが面白い結果を生みそうだ。少し前にプロに依頼して自分の部屋をやって貰ったが、こうして自分流にやるのも良い。第一安上がりだ。DIYのお店には今時あらゆるものが揃っていて、誰でも簡単に色んな事がやれる仕組みになっている。この引きこもりの時代にあってこれはなかなかの遊びだ。

今日は窓から良い風が入ってきて、娘と母の思い出話などしながら良い時間でもあった。この部屋からは屋島も八栗も見えて見晴らしが良い。遊ばしておくには確かにもったいない。いつになったら完成するか解らないが、楽しみなことだ。

昨日の母の日に婿殿からプレゼントにメッセージが入っていて、「まだまだ動けます!」とあったのには思わず吹き出したが、その通り。もう少し頑張ろう。実際先日はわが衣裳部屋をウオーキングクローゼットに模様替えした。これも遊んでいた四畳半の部屋で、おしゃれとは言いがたいが、使い勝手は良くなった。全部一人でやっつけたが、アシスタントがいればもっと良い部屋になったのに~と気に入らない部分もある。それでもまだまだ自分が動ける証と思って一応の達成感はある。

 

世の中悲惨な事が毎日報じられていて、なんだか申し訳ない気持ちになる。国内は勿論だが、インドの地獄のような有様はいずれ日本もそうならない事を願うしかない。災害レベルとはよく耳にする言葉だが、本当に人間は弱い。弱いことを知っている人が生き残って行くのかも知れないなあ。

日本中のため息が集まってか、明日から天気が悪いようだ。

DIY

娘が長く使ってない部屋のリフォームをすると言い、数ヶ月前からプランを立てて買い物をし、好天の日を見計らってはせっせっせとやり始めた。こっちはご命令に従って壁紙の端っこを持ったり、道具類を手渡したり、まあ小間使い。面白いことにこの構図は以前母と自分がやっていたことそのまんま。母は自分のことを監督と言い、あれこれ指示を出して、こっちはそれに従いやっていくというものだったが、歴史は繰り返されて、今はこういう状態だ。違いは娘が監督を兼ねているという点だが、時々再々椅子に座りたいこっちにとっては、ま、それも有り難いようなものだ。好きにしても良いという約束で、娘は意外な色彩のペンキを塗ったり、斬新なアイデアで部屋を作り替えようとしている。外国人の友人なんかもよく自分でペンキ塗りをやっていたもんだが、日本人も最近はやるようになってるんだろうか。ともかく、自由にやらせているのが面白い結果を生みそうだ。少し前にプロに依頼して自分の部屋をやって貰ったが、こうして自分流にやるのも良い。第一安上がりだ。DIYのお店には今時あらゆるものが揃っていて、誰でも簡単に色んな事がやれる仕組みになっている。この引きこもりの時代にあってこれはなかなかの遊びだ。

今日は窓から良い風が入ってきて、娘と母の思い出話などしながら良い時間でもあった。この部屋からは屋島も八栗も見えて見晴らしが良い。遊ばしておくには確かにもったいない。いつになったら完成するか解らないが、楽しみなことだ。

昨日の母の日に婿殿からプレゼントにメッセージが入っていて、「まだまだ動けます!」とあったのには思わず吹き出したが、その通り。もう少し頑張ろう。実際先日はわが衣裳部屋をウオーキングクローゼットに模様替えした。これも遊んでいた四畳半の部屋で、おしゃれとは言いがたいが、使い勝手は良くなった。全部一人でやっつけたが、アシスタントがいればもっと良い部屋になったのに~と気に入らない部分もある。それでもまだまだ自分が動ける証と思って一応の達成感はある。

 

世の中悲惨な事が毎日報じられていて、なんだか申し訳ない気持ちになる。国内は勿論だが、インドの地獄のような有様はいずれ日本もそうならない事を願うしかない。災害レベルとはよく耳にする言葉だが、本当に人間は弱い。弱いことを知っている人が生き残って行くのかも知れないなあ。

日本中のため息が集まってか、明日から天気が悪いようだ。

2021年5月 7日 (金)

優先順位。

遂に香川県最多の50人越えの一報に、いっぺんに心がダメージを受けた。明後日のW先生のレッスンもお流れ。向こう二ヶ月ほど練習をキャンセルして、様子を見ることに。、、、こういうとき、判断が問われる。なんと言ってもメンバーの健康が第一だし、不安の中では十分なことも出来ない。せめてワクチンが全員に行き届いてからにしようとなった訳だ。

しかし、今日の首相の会見ではオリンピックはやるんだそうだ。記者の質問の一つ。「こんなとき自分たちだけがスポーツをやってて良いのか?というジレンマの中にいるアスリートたちに何かお言葉を!」この返答に驚いた。まるでお題目を唱えるようにそれまでと全く同じ言葉の羅列。「徹底した衛生管理の下、万全の対策をして、安心安全な大会にするようにします。」いやいや、そういうこと聞かれたのではないでしょうよ!なんか、ピントがずれてるなあ。

お疲れなのは解る。半白眼が泳ぐのも見慣れた。が、この国家的危機にあって、なんとも情けないと思っているのは私だけ?周辺のブレーン達は一体何をしているの?あの歌舞伎役者の「ニッポン大丈夫か?」というのも解る。

兎に角ワクチンが行き届いて、治療薬が開発されて、安全が戻ってきたら経済なんかいっぺんに取り戻せるんじゃないの?そのために焦点を絞って対策を講じるのが優先されるべきじゃないの?今日の娘の言い草じゃないけど、とにかく収まったら旅行に行こう、美味しいもの食べに行こう、遠くの人たちに会いに行こう、美術館や映画館にもどんどん行って、コンサートやオペラも見に行きたい。、、、日本中の人が一斉に動き出すんじゃない?と思う訳だ。

今や、これが全て砂上の楼閣のように思えてきた。次々と強烈な変異種が現れて、どうにも抗えない時が来るのじゃないかと心のどっかで不安なのだ。それでも自分自身は幸い家族がいて、ストレスまみれにはなってない。が、世の中孤独な人も多い。現にわが友人は今うつ病と戦っている。その彼女から、猫がワインを盗み飲みして酔っ払い、二階へ上がるのにふらふらよろよろしている動画が送られてきた。「誰によらず、、、はやく杯を重ねたーい。」とメッセージが。「全く同感です!」と返事したが、一体いつ実現できるのか?」

2021年5月 5日 (水)

幻。

コロナ禍は様々な価値観を塗り替えようとしているのを感じる。それを受け入れるしかないだろうが、全てがマイナスという訳でもなさそうだ。ただ、ぼんやりとニュースを見ていると、人間の不思議を思わずには居られない。外へ出れば感染の確率が上がると言われても、ゾロゾロとでてしまう人たち。海外ではそういう規制に対して暴動まで起きる騒ぎだ。インドでは宗教行事で夥しい密が生じて多くの感染者が出ている有様。そこまで行かない日本人だが、コソコソと反発している。

先日面白い番組を見た。今の人間の進化はウイルスの感染が大きな影響をもたらしたというのだ。感染の歴史がなければここまでの進化はなかっただろうと。

その番組ではもっと面白いことを言ってた。

将来男性という性はなくなるだろう、と。いまも染色体の大きさが女性のそれとは段違いに小さいらしい。現に、ある生物の中には性別を瞬時に変えられるのがいるといい、子孫繁栄の時だけメスがオスに変化するというのだ。

そして、男と女の間ははっきり分かれているのではなくて、グラデーションだという。どちらか寄りであるというだけで、明確な線引きは難しいらしい。そういえば、宝塚の男役には多くの人が惹かれるし、昔シェイクスピアの劇は全部男性だったという。勿論歌舞伎もそうだ。

 

近頃、そういうことも含めて、この世のことは幻だなあ、と思っている。

2021年5月 4日 (火)

うらうらら~とドライブの日。

毎日些細なことに驚いたり大笑いしたり、ちょっとハイかもしれない。昨夜は、今日の娘親子とのドライブが気になっていて夜12時前に睡眠導入剤を飲んだらにゃんと11時間20分も寝た。この時間はスマートウオッチが教えてくれて正確に分かったが、間違いではないかと他の時計も見てみた。間違いはない。恐ろしい睡眠時間だ。老化というのは若返りかも知れないなあ。なんちゃって。

ともかく、おかげで今日の長時間ドライブは半分は娘の運転だったのもありそれほど疲れてない。どこを走ったかというと、大昔に行ったことがあるというだけの薄い記憶を頼りに、最初から行けないことを宣言しての出発。山深い場所で、かなり上の方だった!という、それだけの記憶を頼りに公渕公園辺りから通ったこともない山道をどんどん走る。崖っぷちだったり、離合出来なかったりかなりスリリングな道を延々と走る。時折眼下に讃岐平野が拡がり感嘆の声を上げることも。道すがら綺麗な花が咲き乱れている場所もあり、どう見ても自然に生えているので、予め持って行った花ばさみでチョキン。コンビニで買ったおにぎり等を食べたのは不動の滝のパーキング。小さな滝だが、車が次々と入ってくる。先に外に出て滝の様子を見てきた娘が、身体に尺取り虫や毛虫をくっつけて帰ってきて大騒ぎ。それを見た孫べえは絶対車から降りないと言い張る。それじゃあ、とこっちは一人でゆっくり散歩。すると母親に説得されたらしい孫べえがやってきてしがみつく。身長はこっちを超しているが5年生になったばかり。しかも東京っ子が抜けてない。糸を垂らして空中浮遊している毛虫にいちいちギャアギャア言いながらわめくので、もう勘弁してよね、そんなんじゃ女の子にもてないよ、とからかっても、「だってパパだって嫌いだもん!」と言う。確かに。あんたのパパも虫嫌いだわなあ。ともつれ合いながら車に帰る。すると孫べえがぎゃ~っと指さすのを見ると、いつの間にか車の中に尺取り虫が張り付いている。にしても不思議な動きをするよねえ、としばし観察。ティッシュでそっとつまんで外に逃がしてから出発。やれやれ。

で、これまたうろ覚えの柏原渓谷に行こうとなり、標識が出た途端曲がったら、どうやらそれは早とちりだったらしく、行けるには行けたがもの凄く遠い道中だった。延々と走ってようやくそれらしいところに出たら、沢山の人たちが河原でテントを張りバーベキューを楽しんでいた。他にもバンガローもあったり、夏はここに来たいなあ、と話しながら彼らを横目に通り過ぎた。全く地図に無頓着な我々。知らない道をどんどん行く。するととうとう見覚えのある道に。南バイパスだ。どこに出るかを推理しながらというのも楽しいもんだ。こういうのが嫌いな人も居るだろうが、我々親子は大好きだ。長い道中、色んなことを喋りながらでもあり、必要な時間でもある。

今日は県外ナンバーの車はそれほど見なかったが、昨日はケッコウ遠くの県のも目立った。徳島が万ボーだとか。髙松はどうかなあ。心配なことだ。

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